人を咥えて竜が舞う

よん

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第2章

世界の均衡と蜂蜜酒 1

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 巨大な凱旋門を前にして、ヒエンはそこに刻まれたレリーフの秀逸さに舌を巻いた。
 騎士を率いる王は勿論のこと、竜や精霊、そして葉人族やシーリザードに至るまで今にも動き出しそうな迫力がその建築物に凝縮されている。
 これらが彫られて既に三百年経過していると、無料ガイドに聞いた時はただただ驚いた。
 修復作業が頻繁に行われているのか、少しも損傷していないし今なお未完成であるという。
 今後、彫り師スカルプターはどこのスペースにどんな命を吹き込むのだろう。
 しばらく辛抱強く探したものの、ヒエンはとうとう空いたスペースを見つけることはできなかった。

 シバルウーニ大陸のほぼ中央に位置するシバルウ王国直轄領は他国と比較して面積は一番小さいが、白いサーコートをまとった軍人は至る所に立っている。
 憲兵、騎兵、工兵、衛生兵、真っ白な見張り塔のてっぺんには複数の見張り兵が注意深く大空を監視している。
 さすが王都とヒエンは思う。
 イニアの居眠り壕守兵とはレベルが違う。
 洗練されているのは軍人ばかりではない。
 凱旋門を抜けると巨大な市場が一面に開けていて、驚くべきことに全ての店舗は白を基調とした造りになっていた。
 白は聖生神の加護を受ける色とされているので、どの店も新しくオープンしたように清潔な状態が保たれている。
 店で働く様々な職種の制服も白一色である。
 違う色の店にして違う服を着た方が目立って商売しやすくなるのにとヒエンは考えたが、それは誤りだった。
 後で知ったことだが、白い店舗で白い服を着て商売すると営業税と地価税の一部が免除されると聞いて納得した。
 民衆の洗脳に信仰は限界がある。
 結局は金なのだ。
 ヒエンはゴミ一つ落ちてない、病的なまでに管理されたこの広場が気に入らなかった。
 豊かではある。
 衛生的で治安が維持され、人々は笑顔で満ちている。
 だが、そこには色がない。
 可視的な意味ではなく、人々は自ら何も発してないように思えて仕方なかった。
 とっとと用事を済ませて山羊の糞と干し草が潮風で舞うド田舎の南ナニワーム島へ帰りたくなったちょうどその時、ヒエンは運悪く二人組の憲兵に言葉を掛けられてしまう。

「キミキミ、見慣れぬ格好だが、どこから来てどこへ行こうというのだね?」

 不審尋問である。
 だが、こんなことで臆するヒエンではない。

「どっからでもええやんけ。ウチ、今からチルに会いに行くねん。アンタら兵隊なら知ってるやろ?」
「チル? 誰だそいつ?」

 でっぷり太った年配の憲兵がノッポの若い方に訊く。

「さあ、私にはわかりかねます。どうせ犬か猫でしょう」

 年配の憲兵はコホンと咳をして、

「犬でも猫でもかまわんが、そのような小汚い服装でこの辺りをうろつかれては衛生的にも景観的にも困るのだ。白い服を着て出直したまえ」

 と、ヒエンを追い返そうとする。
 確かに道着はこの旅でだいぶ汚れてはいたが、憲兵のこの横柄な態度に気の短いヒエンがキレないはずがない。

「あぁン? オマエにはこの穢れなき純白な道着が何色に見えるんやッ! もうえぇ! チルも知らんオマエらみたいな三下相手にしても埒が明かんわ!」

 この予想だにしない剣幕に度肝を抜かれた二人だったが、軍人としてここで簡単に引くわけにはいかない。

「き、貴様ッ! 婦女子のクセにその口の利き方は何だ! 侮辱罪で豚箱にぶち込むぞ!」
「おぅおぅ、豚野郎がブヒブヒ鼻を鳴らして偉そうに。何でウチがオッサンの寝床に入らなあかんねん!」

 ヘラヘラ笑う若者の憲兵にもヒエンは容赦ない。

「おい、そこのゲスい骨皮野郎! 笑てるヒマあったらさっさと上官連れてこい! それができんのやったら、今すぐウチの視界から消えてまえ!」

 おっとりした若者の憲兵は一瞬で顔が青ざめた。
 さすがにこの悪態は許せなかったようで、思わず腰の物に手をやった。

「お、おい、ニルデソ! やめろ! 素人相手に剣はマズいぞ!」

 太った方が慌てて制止するも、若者は明らかに冷静さを欠いている。
 只事ではないと、広場の店の者や買い物客、そして何人かの兵が三人を取り囲むように集まってくる。
 太った憲兵は必死にニルデソを止めようとするが、彼の両目は憎たらしい女しか捉えていない。
 笑みさえ浮かべているヒエンはこの状況をむしろ楽しんでいる。

「かまへんで。はよ抜きや」
「な、何ぃッ?」
「島離れて以来、ロクに稽古もできんで体が鈍ってたところや。ちょうどええ」

 背中のバックパックを静かに地面へ置く。
 黒帯に挟んでいる一束の麻縄を右手で取り出し、解いた左手で縄の端を持ちピンッと真横に張った。
 ヤマト流捕縄術"ウケ"の型だ。

「ウチが素人? オマエらプロの兵士やのに相手の力量も見抜けんのか。その時点でそっちの負けや。――神妙にお縄頂戴せえッ!」

 それからのヒエンの動きは獣のように素早かった。
 僅かまばたき一回分の間に、ニルデソは既にうつ伏せに倒されていた。
 剣を抜くはずだった彼の右腕は麻縄で後ろに縛られ、馬乗りになったヒエンはその麻縄を男の首に一回りさせて、とどめとばかりに相手の左足を持ち上げてそこにも麻縄を結んでしまった。
 哀れニルデソは浸水式前のヨットの如き姿を公衆の面前で晒す結果となった。
 ここにいる誰もが(ニルデソ当人ですら)何が起きてこうなったのかわからなかった。
 一仕事終えたヒエンは手を払い、ニルデソの背からスッと立ち上がる。

「ヘルメットにブリガンダイン、肩当てにタセット……フル装備とまではいかんけど、たかが城下町の巡回でそんなに重りつけてどうすんねん。ファッション感覚か? ウチにはオマエの動きが止まって見えたわ」

 そして、新たに標的を定めるヒエン。

「次は豚野郎の番やな。来いや」
「ひ、ひいぃ――ッ!」

 太った憲兵は後ずさりしながら、派手に尻餅をついてしまった。
 人だかりから笑いが起こる。
 補導を恐れて声こそ露骨に出さないが、彼らはヒエンの不思議で華麗な技をもう一度見たがっている。
 野次馬に混ざった他の兵でさえそう思っていた。

「オッサンはそんなに装備してへんからコイツよりは動けるやろ。……あ、贅肉の鎧つけてるから一緒か」

 我慢していた笑い声がとうとう大きくなり出した。
 心地よい響きだ。
 黒帯から新たな麻縄を抜こうとした時だった。

「ヒエン! ヒエン・ヤマトか?」

「……え?」
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