人を咥えて竜が舞う

よん

文字の大きさ
上 下
5 / 57
第1章

角笛を聞く少年 4

しおりを挟む
 小さな宿屋"浮雲亭"の女主人――ギタイナ・ブランカは息子の心配をよそに、快くヒエンを迎え入れてくれた。
 ヒエンもその穏やかな笑顔にすぐ好感をもった。
 ただ、十三歳の息子をもつ母親にはどうしても見えない。
 曾祖母と言われても頷けるくらいギタイナは老けていた。
 複雑な家庭事情もあるのだろうが、ヒエンはそんな細かいことを気にする性分ではなかった。

「ごめんなさい。今夜はあいにく、こんな物しか残ってないの」
「そんなことあらへん。ウチにとっては御馳走や」

 テーブルに出された料理はイモと兎の干し肉を摘み立てのハーブで炒めてから煮込んだシチューと固いパンが二つだけの粗末なディナーだったが、ヒエンはそれをとても美味しそうに平らげた。

「ふぅ、うまかった」

 客はヒエン一人だけ。
 同じテーブルにダストも着きシチューを食べていたが、彼にはパンがない。
 更によく見れば、そのシチューにもイモの欠片が一つ浮かんでいるだけで皿の殆どが液体だ。
 ヒエンはパンを二つとも食べてしまったことを後悔したが、ダストは不平も言わずに汁だけのシチューをスプーンで掬って口に運んでいる。

「ナニワームだと魚料理が中心かしら?」

 空いた皿を下げながら、ギタイナはそう訊ねた。
 見た目とは違い、喋り方は不自然なほど若い。

「島でも魚は高級品やねん。ウチはフライドフィッシュが好物やねんけど、あんなん誕生日かお祭りやないと食べられへんわ」
「そうなの?」

 後ろに太く束ねられたギタイナの白い髪を目で追いながら、ヒエンは自然にダストの皿へと目を移した。

「何や? 全然減ってへんやないか。育ち盛りやのにちゃんと食わんかい」
「いいんだ」

 ダストは窓際へ移って椅子に腰掛けた。
 月光に照らされた少年の金髪が息を呑むほど美しい。
 頬杖をつき、夜空に浮かぶ満月を見つめている姿は一つの画になる。

(オトンが見たらすぐに筆を取るやろな)

 ヒエンが思わず見とれていると、

「またこんなに……」

 その声に振り返れば、テーブルに戻ってきたギタイナはダストが残した皿に深く溜息をつく。
 そのまま着席し、息子の残したシチューを無言で食べ始めた。

(そうか!)

 ダストが母のためにそれを残したと気づいた時、ヒエンは胸が締めつけられる思いがした。
 待避壕でもそうだったように、こんな時のヒエンは饒舌になる。

「簡単に漁へ出れんのは島も大陸も一緒や。海トカゲがうろついてる限り、魚捕まえるんも命懸けやねんで。連絡船には護衛のため複数の海衛兵を乗船させてるからまだマシやけど、いちいち漁船にそんなヤツら乗っけてたら魚はますます高騰してまうわ」
「海トカゲ……もしかして、シーリザードのこと?」

 恥ずかしそうにさっさとシチューを片づけたギタイナ、スプーンを置いてそう訊ねる。

「あぁ、イニアから来た大道芸人の兄ちゃんもそう言うとったな。ここら辺にも海ト……ちゃうか。シーリザードは来よる?」

 ギタイナは首を振って否定する。

「さすがにこんな内地までは……竜だってあまり見ない。今日はたまたま」
「チッ、ついてないなぁ。ナニワームで殆ど毎日見とんのに、こっちに来ても竜が来るやなんて……もしかして、ウチについて来たんかな?」
「きっとそう。ヒエンちゃん可愛いから。八重歯がとってもキュートだし」
「……こ、こっから王様の城ってまだ遠いん?」

 キュートなんて言われたのは生まれて初めてだ。
 赤くなったヒエンは慌てて話題を逸らした。

「歩いてだとまだ数日かかる。イニア港から出てる馬車に乗れば二日で行けると思うけど……ヒエンちゃん、主城の家臣様から招待されたって言ってたわよね?」
「そやで」
「だったら、家臣様も馬車賃くらい渡すべきじゃない?」
「ちゃんともろた。それもビックリするくらいの大金や。その殆どは実家に置いてきたけど」
「え、どうして?」

 ヒエンはゆっくり席を立ち、ギタイナの肩にポンと手を置いた。

「ウチはようできた孝行娘やねん。ダストの母想いには負けるけどな」
「……ッ!」

 その瞬間、反射的に口を押さえたギタイナは大粒の涙をこぼして奥の部屋へと姿を消した。
 ヒエンはゆっくり振り返ってダストと目を合わす。

「……聞いてたんやろ?」
「聞こえるよう話してたくせに」

 そう指摘して、ダストは再び闇夜に輝く満月に目をやった。
 ヒエンも窓際へ近づき、少年と同じようにその球体を見上げる。

「聞こえるんだ」

 やがて、ダストはそう呟いた。

「そりゃそやろな。オマエの類まれな聴覚やなくても、こんだけ狭い部屋やったら普通に聞こえ」「そうじゃない」

 視線を満月から逸らさないまま、ダストはヒエンの話を遮った。

「満月じゃなくても、月が綺麗に見える晩なら僕には聞こえる。【あの人達】の歌が……」
「歌? 【あの人達】?」

 ヒエンは耳を澄ませてみるも、やはり結果は角笛の時と同じだった。

「……どんな歌や?」
「わからない」

 ダストは正直に答える。

「僕には歌の意味さえ理解できない。耳にしたことのない言語だ。だけど、意図的な音調が含まれてるからそれはやっぱり歌だと思う」
「【あの人達】ってどこにおるん?」
「それもわからないんだ」

 ダストは残念そうに首を振った。

「でも、そんなに近くじゃないことはわかる。【あの人達】は月に向かって歌を歌ってる。その歌が月にぶつかって僕の耳に伝わってくるんだ。それは僕を虜にする。だから、僕は一晩中それを聴いて過ごす」
「オマエだけが歌を聴けるんか?」
「そうだね。母さんには聞こえないよ。母さんは目がいいけど、耳は一般人と変わらない」

 一般人?
 引っかかる表現だ。

「幻聴やないんか?」
「だったらどんなに嬉しいかと思うよ」

 ダストは目を伏せたかと思うと、一転してじっくりとヒエンの目を凝視する。

「母さんは僕の出生について何かを隠してる」

 あまりの迫力にヒエンは少年から目を逸らしたくなった。
 彼はその隙を与えない。

「ヒエンが思ってるほど、僕は母さんが好きじゃないよ」

 彼女が口を開く間を与えずに、ダストは椅子から勢いよく立ち上がる。

「もう寝なくちゃ……。満月は特に僕を解放してくれないからね」

 ダストはチョッキのポケットから包みを出した。
 中の粉状のモノを一気に口に含み、テーブル上の水差しを直接口に付けてそれを流し込む。

「眠り薬?」

 ダストは頷く。

「母さん特製のね。少なくとも、普通の薬草医じゃこんな強力な眠り薬は作れないよ。精霊か葉人族じゃない限り……。オヤスミ」

 ダストは自室へ下がった。
 何かを暗示するような言い方だ。

(ハノビトゾク……精霊と人間の混血種)

 テフランド公国の大部分を占めるテフスペリア大森林の奥地に、その一族の集落があるとされている。
 島国育ちのヒエンは、当然ながら彼らを見たことがない。
 また、彼らを見た者は生きて戻れないとも言われている。
 シーリザードとはまた違った意味で危険な種族だ。
 キッチンに一人残されたヒエンは、少年をマネして満月を見つめ続けた。
 
 ダストが今言った意味をじっくり考えてみる。


 母さんは目がいいけど、耳は一般人と変わらない


 ギタイナの年齢が幾つかわからないが、見た目だと八十歳前後かもしれない。
 なのに、四十歳かそれよりもずっと若い喋り方なのはやはり気になる。
 人間が一番早く衰えるのは目だと言われている。
 ギタイナはヒエンの八重歯を褒めたが、あんなことを言われたのは初めてだ。
 つい舞い上がってしまったが、冷静に考えれば褒められるほどヒエンの八重歯は目立つ大きさではない。
 老婆がそれに気づいたのは単なる偶然だろうか? 
 並外れた聴覚をもつダストは、その理由が母親の秘密にあると思っている。
 そして、母親であるギタイナはそれを息子に打ち明けようとはしない。

 何故だ?

 ヒエンは満月に向かって不満をぶつける。

「オマエの出すクイズは難しすぎや。……もぉ寝る」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

絵心向上への道

よん
ライト文芸
絵がうまくなりたい……そんな僕の元に美しい女神降臨!

【完結】私の代わりに。〜お人形を作ってあげる事にしました。婚約者もこの子が良いでしょう?〜

BBやっこ
恋愛
黙っていろという婚約者 おとなしい娘、言うことを聞く、言われたまま動く人形が欲しい両親。 友人と思っていた令嬢達は、「貴女の後ろにいる方々の力が欲しいだけ」と私の存在を見ることはなかった。 私の勘違いだったのね。もうおとなしくしていられない。側にも居たくないから。 なら、お人形でも良いでしょう?私の魔力を注いで創ったお人形は、貴方達の望むよに動くわ。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

冤罪で追放された令嬢〜周囲の人間達は追放した大国に激怒しました〜

影茸
恋愛
王国アレスターレが強国となった立役者とされる公爵令嬢マーセリア・ラスレリア。 けれどもマーセリアはその知名度を危険視され、国王に冤罪をかけられ王国から追放されることになってしまう。 そしてアレスターレを強国にするため、必死に動き回っていたマーセリアは休暇気分で抵抗せず王国を去る。 ーーー だが、マーセリアの追放を周囲の人間は許さなかった。 ※一人称ですが、視点はころころ変わる予定です。視点が変わる時には題名にその人物の名前を書かせていただきます。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

【完結】勘当されたい悪役は自由に生きる

雨野
恋愛
 難病に罹り、15歳で人生を終えた私。  だが気がつくと、生前読んだ漫画の貴族で悪役に転生していた!?タイトルは忘れてしまったし、ラストまで読むことは出来なかったけど…確かこのキャラは、家を勘当され追放されたんじゃなかったっけ?  でも…手足は自由に動くし、ご飯は美味しく食べられる。すうっと深呼吸することだって出来る!!追放ったって殺される訳でもなし、貴族じゃなくなっても問題ないよね?むしろ私、庶民の生活のほうが大歓迎!!  ただ…私が転生したこのキャラ、セレスタン・ラサーニュ。悪役令息、男だったよね?どこからどう見ても女の身体なんですが。上に無いはずのモノがあり、下にあるはずのアレが無いんですが!?どうなってんのよ!!?  1話目はシリアスな感じですが、最終的にはほのぼの目指します。  ずっと病弱だったが故に、目に映る全てのものが輝いて見えるセレスタン。自分が変われば世界も変わる、私は…自由だ!!!  主人公は最初のうちは卑屈だったりしますが、次第に前向きに成長します。それまで見守っていただければと!  愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。  予告なく痛々しい、残酷な描写あり。  サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。  小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。  こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。  本編完結。番外編を順次公開していきます。  最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

処理中です...