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Three epilogues
ニジノハシ
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警察手帳を見せられるなんて初めてだ。
「刑事ドラマみたいですね」
俺はその男に言うと、
「あえて刑事ドラマ風に見せたんだよ。実際、殆どコイツを提示しないでオレは事を済ませている」
「じゃあ、どうしてわざわざそんなことをするんです?」
「自己紹介を兼ねたジョークだよ。今日は私用でキミに会いに来た。……香取だ。はじめまして」
香取……?
ああ、脅しのトリさんか。私用で警察手帳なんか出していいのか?
「はじめまして」
俺は漕ぎかけた自転車から降りた。
絶望感の八月、喪失感の九月を経て、暦は既に十月へ突入している。
あの夏は完全に過去のものとなった。
衣替えしたばかりの冬服がまだしっくりこない。
何かを引きずりながら、俺は季節を越えようとしている。
*
「葬式に来てくれたみたいだな」
コーヒーを一口飲んでから、トリさんはそう言った。
高校から少し離れた喫茶店、ここに入るのは初めてだ。
「どうしてわかったんですか? 芳名帳には名前を書かなかったのに」
「職業病だよ。人の顔を観察し記憶する。それに、キミの制服は真彩の学校の制服とは違っていた。娘のスマホのアドレス張から男友達を虱潰しに探した。そこまで絞り込めば簡単にホシは特定できるさ」
「まるで犯人扱いですね」
「犯人だよ」
「え?」
「父親の立場からすれば、キミは大事な娘をかっさらった凶悪犯だ。キミも結婚して女の子を授かればオレの気持ちがわかるだろう」
「……すみません」
その凄みに圧倒されてつい謝ってしまう。
「ジョークだよ」
「本当ですか?」
「三パーセントくらいな」
残りはマジかよ……。今すぐこの場から去りたくなってきた。
幸い、俺は何も注文していない。
「早急に要件を言ってもらえますか? この後、約束があるので」
「誰と? どこで? 何をする?」
「それは職務質問ですか?」
「オレは私用でキミに会いに来た。……そう言ったはずだが?」
「終始、ケンカ腰ですね」
真彩は母親似だ。
葬儀場では見なかったが、少なくとも目の前の男は真彩の顔とパーツが違いすぎる。
精悍な顔つきではあったが人相がすこぶる悪い。真彩のキツイ性格は間違いなくこの男から受け継いだのだろうが。
「気に障ったら許してくれ。四十九日が済んでこれでもだいぶ落ち着いたんだ。一応、未成年に遠慮してタバコも自粛しているしな」
「吸ってくださってかまいません。香取さんのイライラがハンパない」
トリさんはジロリと俺を睨んで、無言のまま懐からタバコとライターを出すと、それに火を点けて吸い出した。
「三年ほど禁煙に成功していたんだ。通夜からまたコイツの世話になっている。以前に比べて量が倍ほど増えたよ。早急に法で取り締まってくれんものかな。世の中がそんな動きにならん限り、オレの喫煙は誰にも止められん」
俺は黙ってグラスの水を見つめている。
あの日、真彩と一緒にワイングラスで飲んだ水道水を思い出した。
鮮明によみがえるあの夏の記憶。
永遠の十七歳は予告通り、翌八月十二日の午後三時に俺の前から跡形なく消えていった。
俺と真彩、二人だけの世界から……。
「娘は白血病で死んだ。血液の癌だ。なのに、真彩の親であるオレは肺癌に罹っても仕方ない不健康な生活習慣を送っている。今から三十年ほど前、ヨー・ブリナーも肺癌で死んだ。彼の禁煙を訴えるCMを観たことがあるか? あれはなかなか衝撃的だぞ。機会があれば動画で確認するといい」
「そろそろ自分語りはやめてもらっていいですか?」
「……何だと?」
「俺はその外国人が誰なのか知りませんし、将来的に喫煙するつもりもありません。香取さんの態度は友好的とは思えないので、この意味のない長居は俺にとって非常に苦痛であると同時に無駄なんです。それどころか、あなたからは激しい敵意すら感じます。……これは気のせいでしょうか?」
「その通りだよ」
トリさんは明らかに俺に向かってタバコの煙を吐いた。
「オレはサッカーをやっている人間が嫌いでね。以前、真彩と付き合っていた男もサッカーをやっていた。……いや、今も一線でやっているな。万が一、あの男が日の丸を背負うことになるのなら、オレはラオスかカンボジアあたりの国籍を取得するつもりだよ」
「とんだとばっちりですね。彼が人として最低だということは聞いてます。でも俺と彼とは試合で一度対戦したくらいで、他は何の接点もありません。それに俺はもうサッカーを辞めましたから」
「……辞めた?」
俺は頷いた。
「だから、こんな早い時間に帰宅できるんですよ。我が校は見事、二次予選の三回戦まで駒を進めました。五日後の試合に勝てば二年連続の準々決勝進出です。当然、そこに俺の名前はありませんが」
「キミが部を辞めた原因は真彩の死に直結しているのか?」
「さあ」
「真彩とは寝たんだな?」
絶句……。
「ずいぶん変化球を多投するなと思ってたら何ですか、そのいきなりのクロスファイヤーは?」
「取り調べに緩急は有効な手段なんだよ」
「やっぱり犯人扱いなんですね。……ええ、寝ましたよ。それが何か問題でも?」
「ほう」
忌々しそうな表情でタバコを揉み消し、トリさんは身を乗り出した。
「七月五日か?」
「違います」
「じゃあ、いつだ?」
「そんなの普通、親が訊きますかね?」
「知りたいんだ。頼む」
頼む? 何なんだ、この急な低姿勢は?
「わかりました。あまりに必死なんで教えてあげます。八月十一日と翌十二日」
「……去年のか?」
「違います。真彩さんと知り合ったのが今年の六月ですから」
トリさんの顔色が変わった。
真彩の命日は八月十二日。
殴られると思った。からかっているのかと……。
ところが、彼の目の焦点が合ってない。明らかに動揺していた。
「七月五日、真彩は病院を飛び出して密かに誰かと会っていた。その相手はキミで間違いないようだが……?」
さすがは刑事だ。全部、裏を取ってるんだろうな。
「そうです。俺と真彩さんは横浜でデートしてました。一度目の横浜です。でも、まさか真彩さんがそんな状態だとは知りませんでした。彼女から闘病生活の事実を打ち明けられたのは八月十一日――二度目の横浜デートの翌日です」
「あり得ないな。真彩は七月五日、キミとの用事を済ませた後に病院へ戻って以来、息を引き取る八月十二日まで一度も外出していない。もっと言うならば、七月三十一日に意識を失い、それ以降は危篤状態がずっと続いていた。八月の第二週からオレは仕事を休み、臨終の際には妻と共に立ち会ったんだ。よって、キミの話は一貫して矛盾している」
「信じてもらえないのは承知の上です」
「不思議なんだよ」
「何がです?」
「好きでもないキミの話を、オレは信じることができる」
今度は俺が動揺する番だった。
どことなく、トリさんの目にさっきまでなかった柔らかさが見て取れる。
「矛盾だらけなのにどうして信じられるんですか? こっちは我ながら奇妙なことを口走ってると思ってるんですよ?」
「嘘をつく人間をこのオレは百パーセント見抜ける。……わかるか? 百パーセントだ。これも特殊な職に就いて身につけた能力だよ。少なくとも、今の時点でキミはオレを欺こうと思ってはいない」
俺は水を一口飲んで、ゆっくり相手の目を見据えながら言う。
「何を話しましょう?」
「真実だ」
「申し訳ないですけど、香取さんには到底理解できないと思います」
「どうして?」
「香取さんはUMAの存在を信じますか?」
「ユーマ?」
「アンアイデンティファイド・ミステリアス・アニマル……未確認動物のことです。有名どころではネッシーや河童、マニアックなところだと南極ニンゲンとかチュパカブラですかね」
「信じないな」
「じゃあ、妖怪は? たとえば、尻尾が九本ある狐の九尾とか……」
「同じようなものだ。信じるはずがない」
時間の無駄だ。
俺はケータイで時間を確認した。
「あと十分で自宅へ戻らないといけないんですが……」
「車で送ろう」
「自転車はどうするんです?」
「自転車ごと送ればいいだろう。時間がないなら、早く話したらどうだ?」
「俺が話せるのはUMAだとか妖怪だとか幽霊とか……そんなことですよ。香取さんが俺を信じると言ったんだから、最後まで信用してくれないとこの会談はもう先がありません」
トリさんはしばらく迷っていたみたいだが、やがて何かの呪文のように「ニジノハシ」と唱え出した。
「……何ですか、それ?」
「逆に問いたい。”ニジノハシ”とは何なのか教えてくれないか? これがキミに会いに来たオレの唯一の要件だ」
「わかりません。少なくとも、真言宗のお経にはありませんね」
トリさんはこれから人相占いでも始めるみたいに、俺の顔をじっくり観察してから口を開く。
「佐藤ワタル……。”橋”と書いてワタルと読むらしいな。なかなか珍しい」
「真彩さんの漢字も珍しいですよ。『真の彩りは光によってもたらされる……物事の本質を追究する人間になれ』という思いを込めて命名したそうですね?」
途端に、トリさんが目を見開いた。
「覚えていたのか。……アイツ、オレとは目も合わせなかったクセに」
「俺も真彩さんもキラキラネームってだけでそれなりに苦労しました。でも、そこには親から贈られた深い意味が込められていて、それを受け取った子供は絶対に忘れたりしません」
トリさんは無言のまま、コーヒーカップを見つめ続けていた。
そして、懐から取り出しかけたタバコをしまうとまっすぐに俺を見た。
「二週間近く意識を失っていた真彩が死ぬ直前、奇跡的に喋った最後の言葉が”ニジノハシ”なんだ。”ハシ”とはキミの漢字と関係があるんじゃないかと思って、オレは藁にでもすがる思いでその意味を訊きに来たんだよ。オレは真彩のことなら何でも知りたい。……頼む、教えてくれ。一切他言はしない。”ニジノハシ”とは何なんだ?」
俺はそれを聞いて言葉を失ってしまった。
わかる。
やっと真彩の言っていた世界の名前が……。
感極まって泣く寸前だったが、目の前のトリさんを見て何とか堪えることができた。
「……香取さんのおかげです。あの時、最後の最後に真彩さんが俺に伝えたかったことが理解できました。感謝します」
「あの時?」
「はい。……今からオカルト的な話をしますが、全て信じるという前提で聞いていただけますか? 俺と真彩さんのあの四十八時間を誰にも否定されたくないんです。否定されるくらいならば喋りません」
「オレはキミの話を信じることができる」
トリさんは同じことを繰り返した。
「……八月十日」
「はい?」
「不可解なことに、意識不明である真彩のスマホに発信履歴が残っていた。八月十日にね。……その相手がキミなんだよ」
「……」
そう、真彩と最後にデートした二回目の横浜の時だ。神様を病院に運んでいる時、俺はそれに気づかず出れなかった。
「ユーマだろうが妖怪だろうが、そこに真彩が含まれるのであればオレはオカルトを信じるよ。今まで娘の生き方をことごとく否定してきたんだ。そんなオレにできる最後の罪滅ぼしが、真彩が愛したキミを受け入れることだからな」
「刑事ドラマみたいですね」
俺はその男に言うと、
「あえて刑事ドラマ風に見せたんだよ。実際、殆どコイツを提示しないでオレは事を済ませている」
「じゃあ、どうしてわざわざそんなことをするんです?」
「自己紹介を兼ねたジョークだよ。今日は私用でキミに会いに来た。……香取だ。はじめまして」
香取……?
ああ、脅しのトリさんか。私用で警察手帳なんか出していいのか?
「はじめまして」
俺は漕ぎかけた自転車から降りた。
絶望感の八月、喪失感の九月を経て、暦は既に十月へ突入している。
あの夏は完全に過去のものとなった。
衣替えしたばかりの冬服がまだしっくりこない。
何かを引きずりながら、俺は季節を越えようとしている。
*
「葬式に来てくれたみたいだな」
コーヒーを一口飲んでから、トリさんはそう言った。
高校から少し離れた喫茶店、ここに入るのは初めてだ。
「どうしてわかったんですか? 芳名帳には名前を書かなかったのに」
「職業病だよ。人の顔を観察し記憶する。それに、キミの制服は真彩の学校の制服とは違っていた。娘のスマホのアドレス張から男友達を虱潰しに探した。そこまで絞り込めば簡単にホシは特定できるさ」
「まるで犯人扱いですね」
「犯人だよ」
「え?」
「父親の立場からすれば、キミは大事な娘をかっさらった凶悪犯だ。キミも結婚して女の子を授かればオレの気持ちがわかるだろう」
「……すみません」
その凄みに圧倒されてつい謝ってしまう。
「ジョークだよ」
「本当ですか?」
「三パーセントくらいな」
残りはマジかよ……。今すぐこの場から去りたくなってきた。
幸い、俺は何も注文していない。
「早急に要件を言ってもらえますか? この後、約束があるので」
「誰と? どこで? 何をする?」
「それは職務質問ですか?」
「オレは私用でキミに会いに来た。……そう言ったはずだが?」
「終始、ケンカ腰ですね」
真彩は母親似だ。
葬儀場では見なかったが、少なくとも目の前の男は真彩の顔とパーツが違いすぎる。
精悍な顔つきではあったが人相がすこぶる悪い。真彩のキツイ性格は間違いなくこの男から受け継いだのだろうが。
「気に障ったら許してくれ。四十九日が済んでこれでもだいぶ落ち着いたんだ。一応、未成年に遠慮してタバコも自粛しているしな」
「吸ってくださってかまいません。香取さんのイライラがハンパない」
トリさんはジロリと俺を睨んで、無言のまま懐からタバコとライターを出すと、それに火を点けて吸い出した。
「三年ほど禁煙に成功していたんだ。通夜からまたコイツの世話になっている。以前に比べて量が倍ほど増えたよ。早急に法で取り締まってくれんものかな。世の中がそんな動きにならん限り、オレの喫煙は誰にも止められん」
俺は黙ってグラスの水を見つめている。
あの日、真彩と一緒にワイングラスで飲んだ水道水を思い出した。
鮮明によみがえるあの夏の記憶。
永遠の十七歳は予告通り、翌八月十二日の午後三時に俺の前から跡形なく消えていった。
俺と真彩、二人だけの世界から……。
「娘は白血病で死んだ。血液の癌だ。なのに、真彩の親であるオレは肺癌に罹っても仕方ない不健康な生活習慣を送っている。今から三十年ほど前、ヨー・ブリナーも肺癌で死んだ。彼の禁煙を訴えるCMを観たことがあるか? あれはなかなか衝撃的だぞ。機会があれば動画で確認するといい」
「そろそろ自分語りはやめてもらっていいですか?」
「……何だと?」
「俺はその外国人が誰なのか知りませんし、将来的に喫煙するつもりもありません。香取さんの態度は友好的とは思えないので、この意味のない長居は俺にとって非常に苦痛であると同時に無駄なんです。それどころか、あなたからは激しい敵意すら感じます。……これは気のせいでしょうか?」
「その通りだよ」
トリさんは明らかに俺に向かってタバコの煙を吐いた。
「オレはサッカーをやっている人間が嫌いでね。以前、真彩と付き合っていた男もサッカーをやっていた。……いや、今も一線でやっているな。万が一、あの男が日の丸を背負うことになるのなら、オレはラオスかカンボジアあたりの国籍を取得するつもりだよ」
「とんだとばっちりですね。彼が人として最低だということは聞いてます。でも俺と彼とは試合で一度対戦したくらいで、他は何の接点もありません。それに俺はもうサッカーを辞めましたから」
「……辞めた?」
俺は頷いた。
「だから、こんな早い時間に帰宅できるんですよ。我が校は見事、二次予選の三回戦まで駒を進めました。五日後の試合に勝てば二年連続の準々決勝進出です。当然、そこに俺の名前はありませんが」
「キミが部を辞めた原因は真彩の死に直結しているのか?」
「さあ」
「真彩とは寝たんだな?」
絶句……。
「ずいぶん変化球を多投するなと思ってたら何ですか、そのいきなりのクロスファイヤーは?」
「取り調べに緩急は有効な手段なんだよ」
「やっぱり犯人扱いなんですね。……ええ、寝ましたよ。それが何か問題でも?」
「ほう」
忌々しそうな表情でタバコを揉み消し、トリさんは身を乗り出した。
「七月五日か?」
「違います」
「じゃあ、いつだ?」
「そんなの普通、親が訊きますかね?」
「知りたいんだ。頼む」
頼む? 何なんだ、この急な低姿勢は?
「わかりました。あまりに必死なんで教えてあげます。八月十一日と翌十二日」
「……去年のか?」
「違います。真彩さんと知り合ったのが今年の六月ですから」
トリさんの顔色が変わった。
真彩の命日は八月十二日。
殴られると思った。からかっているのかと……。
ところが、彼の目の焦点が合ってない。明らかに動揺していた。
「七月五日、真彩は病院を飛び出して密かに誰かと会っていた。その相手はキミで間違いないようだが……?」
さすがは刑事だ。全部、裏を取ってるんだろうな。
「そうです。俺と真彩さんは横浜でデートしてました。一度目の横浜です。でも、まさか真彩さんがそんな状態だとは知りませんでした。彼女から闘病生活の事実を打ち明けられたのは八月十一日――二度目の横浜デートの翌日です」
「あり得ないな。真彩は七月五日、キミとの用事を済ませた後に病院へ戻って以来、息を引き取る八月十二日まで一度も外出していない。もっと言うならば、七月三十一日に意識を失い、それ以降は危篤状態がずっと続いていた。八月の第二週からオレは仕事を休み、臨終の際には妻と共に立ち会ったんだ。よって、キミの話は一貫して矛盾している」
「信じてもらえないのは承知の上です」
「不思議なんだよ」
「何がです?」
「好きでもないキミの話を、オレは信じることができる」
今度は俺が動揺する番だった。
どことなく、トリさんの目にさっきまでなかった柔らかさが見て取れる。
「矛盾だらけなのにどうして信じられるんですか? こっちは我ながら奇妙なことを口走ってると思ってるんですよ?」
「嘘をつく人間をこのオレは百パーセント見抜ける。……わかるか? 百パーセントだ。これも特殊な職に就いて身につけた能力だよ。少なくとも、今の時点でキミはオレを欺こうと思ってはいない」
俺は水を一口飲んで、ゆっくり相手の目を見据えながら言う。
「何を話しましょう?」
「真実だ」
「申し訳ないですけど、香取さんには到底理解できないと思います」
「どうして?」
「香取さんはUMAの存在を信じますか?」
「ユーマ?」
「アンアイデンティファイド・ミステリアス・アニマル……未確認動物のことです。有名どころではネッシーや河童、マニアックなところだと南極ニンゲンとかチュパカブラですかね」
「信じないな」
「じゃあ、妖怪は? たとえば、尻尾が九本ある狐の九尾とか……」
「同じようなものだ。信じるはずがない」
時間の無駄だ。
俺はケータイで時間を確認した。
「あと十分で自宅へ戻らないといけないんですが……」
「車で送ろう」
「自転車はどうするんです?」
「自転車ごと送ればいいだろう。時間がないなら、早く話したらどうだ?」
「俺が話せるのはUMAだとか妖怪だとか幽霊とか……そんなことですよ。香取さんが俺を信じると言ったんだから、最後まで信用してくれないとこの会談はもう先がありません」
トリさんはしばらく迷っていたみたいだが、やがて何かの呪文のように「ニジノハシ」と唱え出した。
「……何ですか、それ?」
「逆に問いたい。”ニジノハシ”とは何なのか教えてくれないか? これがキミに会いに来たオレの唯一の要件だ」
「わかりません。少なくとも、真言宗のお経にはありませんね」
トリさんはこれから人相占いでも始めるみたいに、俺の顔をじっくり観察してから口を開く。
「佐藤ワタル……。”橋”と書いてワタルと読むらしいな。なかなか珍しい」
「真彩さんの漢字も珍しいですよ。『真の彩りは光によってもたらされる……物事の本質を追究する人間になれ』という思いを込めて命名したそうですね?」
途端に、トリさんが目を見開いた。
「覚えていたのか。……アイツ、オレとは目も合わせなかったクセに」
「俺も真彩さんもキラキラネームってだけでそれなりに苦労しました。でも、そこには親から贈られた深い意味が込められていて、それを受け取った子供は絶対に忘れたりしません」
トリさんは無言のまま、コーヒーカップを見つめ続けていた。
そして、懐から取り出しかけたタバコをしまうとまっすぐに俺を見た。
「二週間近く意識を失っていた真彩が死ぬ直前、奇跡的に喋った最後の言葉が”ニジノハシ”なんだ。”ハシ”とはキミの漢字と関係があるんじゃないかと思って、オレは藁にでもすがる思いでその意味を訊きに来たんだよ。オレは真彩のことなら何でも知りたい。……頼む、教えてくれ。一切他言はしない。”ニジノハシ”とは何なんだ?」
俺はそれを聞いて言葉を失ってしまった。
わかる。
やっと真彩の言っていた世界の名前が……。
感極まって泣く寸前だったが、目の前のトリさんを見て何とか堪えることができた。
「……香取さんのおかげです。あの時、最後の最後に真彩さんが俺に伝えたかったことが理解できました。感謝します」
「あの時?」
「はい。……今からオカルト的な話をしますが、全て信じるという前提で聞いていただけますか? 俺と真彩さんのあの四十八時間を誰にも否定されたくないんです。否定されるくらいならば喋りません」
「オレはキミの話を信じることができる」
トリさんは同じことを繰り返した。
「……八月十日」
「はい?」
「不可解なことに、意識不明である真彩のスマホに発信履歴が残っていた。八月十日にね。……その相手がキミなんだよ」
「……」
そう、真彩と最後にデートした二回目の横浜の時だ。神様を病院に運んでいる時、俺はそれに気づかず出れなかった。
「ユーマだろうが妖怪だろうが、そこに真彩が含まれるのであればオレはオカルトを信じるよ。今まで娘の生き方をことごとく否定してきたんだ。そんなオレにできる最後の罪滅ぼしが、真彩が愛したキミを受け入れることだからな」
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