キラキラ!

よん

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第2章

2-1

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 家に戻ると、テーブルの上に簡単なメモ書きと共に、二日分の食費として一万円札が置いてあった。太っ腹だな。
 遺産相続の旅に出た両親はこの一万円をどんな思いで残していったのだろう。
 そんな殺気立った会戦地に顔を出さないで、どうせ和歌山に行ったんなら白浜の温泉でゆっくりするか高野山を詣でれば醜い邪念も祓えるのに。

 冷蔵庫を開けると殆ど何もない。
 確認できた食材はバター入りマーガリンとイチゴジャムとマヨネーズ……。
 ごはん派の俺にケンカを売ってるとしか思えない。
 これをローテーションで回せば、食パンを購入するだけで何とか生きていけそうだが。
 いや、さすがに飽きるな。
 家を空けるし夏場だから腐らせたくない母親の気持ちもわかるが、せめてインスタントラーメンくらい常備しといてくれよ。
 料理なんてしたことないし、晩飯は寿司……いや、安いピザでも注文しよう。

 あ、そうだ。
 女の子がここに来るんなら何か作ってくれるかもしれない。
 彼女の手料理か。
 特に憧れなんてなかったけど、いざ想像するとやっぱり嬉しいもんだな。
 そんなのドラマやマンガの世界だと思っていた。
 一度もヒカリをこの家に招いたことがなかったし、あっちにお邪魔したこともなかった。

 そもそも、どこに住んでるかも知らないし。
 付き合って二ヶ月、俺達は何してたんだろ……。
 デートと呼べるものも、たった三回しかしてないし。
 外で会ってコーヒー飲んでショッピングして映画観て適当にブラブラ街を歩いて……一度も横並びで歩かなかったから手も握ってない。
 実質、俺は恋愛経験ゼロに等しい。
 でも、それが普通なのかもしれない。
 成人男性ですらそういう人はザラなんだから、高校生の俺はやるべきことをやってればいいんだ。

 やるべきこと?

 あー、そういや夏休みの宿題ってものがあったな。
 休み早々合宿して、それからも部活漬けの生活だったからすっかり忘れてたわ。

 とりあえず、シャワーで汗流してどれから片づけるか考えよう。
 洗面所で服を脱ぎ、浴室に入ると、巫女装束の狐珠が浴槽に隠れていた。


「…………………………」


 呆れ果てた俺は前を隠す気にもならない。

「……おい」
「ワタル殿、いきなり全裸は刺激が強すぎるどす」
「かぶりつきで鼻息荒げながらガン見しといてそのセリフか。何でよりによって風呂場に現れるんだ?」
「お背中を流そうかと……」
「一人で流せる」
「では、ワタル殿のおいなりさんを……」
「つ、つまむなッ! 出てけ、このエロギツネ! 女の子はどうしたんだ?」
「二階の部屋で待ってるどす。それをお伝えしたくて、ウチはここで待機させていただいたどすよ」
「だったら、オマエもそこで待ってろッ!」
「コ――――ンッ!」

 俺は狐珠の首根っこを掴んで、洗面所に放り投げた。

     *

「ちょいとお耳を拝借」

 いよいよ階段を上ろうとした時、狐珠は声をひそめて俺を手招きした。

「……今度は何だ?」
「ワタル殿に謝らなければならないことがあるどすよ」

 謝る?

「風呂に忍び込んだことか?」
「ないどすな」
「いや、そこは謝っとけよ」

 声が大きいと、狐珠は人差し指を唇に重ね、そのまま二階を指した。

「……女の子が急に乗り気じゃなくなったとか?」

 それならそれでかまわないが。

「そうではないどす。先方はむしろノリノリどすが、少しばかり手違いが生じたどす」
「俺的には、オマエに遭遇した時点で既に手違いみたいなもんだけどな」
「ま! 神様の使いに随分と罰当たりな発言どすな」
「こちとらラーメンたかられた上においなりさん触られてんだぞ。皮肉の一つくらい言わせろや」
「それじゃ……」

 ポッと赤くなった狐珠は緋袴をまくり、

「お返しにウチの尻尾を提供するどす」

 そこから本当に尻尾がニュッと九本出てきた。一房のバナナみたいだ。

「強弱つけて握られると感じるどすよ?」
「いらん情報だ。エキノコックスがうつるからさっさとしまえ」
「……ひどい」

 白衣の袖口を噛んで、よよよと泣き崩れる。

「ウチは黴菌バイキンどすか? 今のは本気で傷ついたどす」
「オマエとコントをやる趣味はない。とっとと話を進めろ」

 弧珠の表情がガラリと変わる。

「やれやれ、関東の人間はノリが悪いどすな」
「黙れ、エセ京訛りめ。今の俺の精神状態がわかるか? 生まれて初めてお見合いするような心境なんだぞ」
「大袈裟どすな。単なるボーイミーツガールじゃないどすか」
「普通の高校生にそれ以上のドキドキがあるか?」
「だからこそ、女体に慣れとく必要があるどす。……どうどす? お姉さんがワタル殿にいろいろ教えてあげるどすよ?」
「オマエは童貞高校生にいきなり獣姦を指南する気か。尻尾をしまえと言ってるんだ!」

「チッ!」

 狐珠は不服そうに、無愛想の棒読み口調で説明を再開する。

「早い話、上にいる女の子はワタル殿の希望とは程遠い、全くの別人どす」
「……何だって?」

 それじゃ根本的に話が違うじゃないか。
 少しどころじゃないのに、こんな大問題をコイツはあっけらかんと打ち明けやがる。

「その原因とやらを訊こうじゃないか」
「原因と言う程でもないどすが、インプットする際、ウチが境内でズッコケて絵馬の漢字がシャッフルしてしまったどす」
「ごまかそうとすんな! それが唯一の原因だろうが。……つーか、漢字がシャッフル? ジグソーパズルじゃあるまいし」
「漢字には精気が宿っているので、絵馬の中で多少動くことも珍しくないどすよ。今回の場合、ウチの転倒によって絵馬の世界に大地震が起きてしまい、漢字の意味合いがまるっきり変わってしまったどす。しかも、二十九の漢字が二十八に減ったどす」

 減るという感覚がイマイチわからない。

「一つは床にでも落ちたのか?」
「違うどすな。他の漢字と融合してごちゃ混ぜになってしまったどす」

 そりゃ漢字の意味も変わるわ。
 とどのつまり、全部コイツが悪いんじゃないか。
 しかし、狐珠に悪びれた様子は一切見られない。

「……で、それからどうした?」
「どうもこうも……神様に怒られたくないばかり、内緒でインプットした後にそのまま奉納したどす」
「そのまま奉納すんなッ! もう一回俺に書かせたら済む問題だろッ!」
「静かに。そんな単純なモンじゃないどすよ」

 弧珠は真剣な顔で、眉を曇らせる。

「何か問題でもあるのか?」
「大アリどすな。そうなると、神様に新しい絵馬をもらわなければならないどすよ?」
「もらえばいいじゃん」

 弧珠はカッと目を見開いた。

「そんなことしたら、ウチの失態がバレるじゃないどすか」
「知るか! だったら奉納そのものを中止しろ!」
「ワタル殿、声が大きいと言ってるどす。奉納中止は論外どすよ。お給金がもらえないどすから」
「しょうがねーじゃん。自業自得だ。大体、二十八文字じゃ情報不足になるはずだろ?」
「残る一文字はダメ元でスペースキーを押してみたら、幸いなことにうまく起動してくれたどす」
「オマエにとって幸いなだけだ」

 いい加減なソフトだな。メーカーどこよ?

「大体、二十九文字の意味ないじゃないか。それじゃフクも来ないし、あれだけ条件挙げさせといて俺の理想はどこいった?」
「水に流すどす。こんなの、どこにでもあるちょっとしたハプニングじゃないどすか?」
「コケた時点ではな。後半部分なんて完全に悪意のある隠蔽工作じゃないかよ。しかもオマエ、謝ると言っときながら全然謝ってないし」
「罪を憎んで人を憎まず……なーに、二日だけの辛抱どすよ。どんまいどんまい」
「まだ謝らないんだ?」
「サーセンシタッ」

 すいませんでしたを超高速の”どす”抜きで言いやがった。顔、半ギレ気味だし。

 もういい。
 これ以上、コイツなんかに謝罪を強要する気も失せた。

「オマエ、さっきデリヘル嬢がどうのこうのって言ってたよな? 俺は相手の顔見て『チェンジ』とか残酷なことは言わない。今、この時点でそのコに帰ってもらえよ。代わりもいらないし」

 狐珠の蔑むような目。

「……何だよ?」
「ワタル殿は鬼どすな。女の子はお泊りする気でワクテカ状態どすのに」
「当初の目的は一体どこいった? 結局、オマエはこの俺をどうしたい?」
「今となってはどうでも……。苦悩の末、ワタル殿の幸せよりも保身をはかった結果としてこうなったどす」

 もはや笑うしかない。苦み走った笑いしか……。
 怒ったところで、こんな調子で飄々とかわされるだけだ。

「されど、物は考えようどす。好みじゃない女の子と時間を共有することで、また違った自分が発見できるかもしれないどすよ?」
「とことんポジティブだな」
「パラドックス的論理どす」

 言い得て妙だ。
 考えてみれば、悪いのは目の前の狐珠であって女の子に罪はない。
 どんなコであれ、こんな俺に好意を抱いてくれてるんなら話くらいしてもいいだろう。

 二日か。

 そのうち、本当に好きになるかもしれないしな。

「わかった。じゃあ、いっぺん会ってみるよ」
「おお、さすが発情期真っ直中の悶々としたオスどすな。一発ヤれたら誰でもいいという見境のなさがおぞましいまでにハンパないどす」

 俺は狐珠の胸倉を掴む。

「……もっぺん言ってみろ?」
「では、ウチはこれにて」

 身の危険を感じたのか、さすがに狐珠も顔を引きつらせている。
「もう来ないだろうな? てか、来てくれるな。オマエの顔見たら殺意しか覚えない」
「二日後――今日が十日どすから十二日の同時刻、女の子を迎えに来るまでのお別れどす。……ワタル殿」
「何だよ? まだ何かあんのか?」

 俺から解放された狐珠は、懐からラッピングされた直方体の箱を渡してきた。

「最後にウチからのプレゼントどす」
「そこから何でも出てくるよな?」
「四次元白衣どす。つまらないものどすが、小腹が空いたら二人で食べてくださいどす」

 受け取った俺は「何コレ?」と訊く。軽い。

「イチゴのゼリーどす。……お礼の言葉は?」
「ありがとう」

 何でここまでされた俺が礼を言わなくちゃいけないんだ?
 そう思いつつ、さっきと同じ無邪気な笑顔で両手バイバイする狐珠を見ると、こっちも自然と笑顔になる。

 言動はありえないくらいムカつくけど、顔だけは抜群にかわいいんだよな。
 イマイチ怒りきれない要因だ。

「じゃ、また二日後な」
「それまでお元気にどす」

 俺はそのまま振り返らずに階段を上る。

 ヤバイ! だんだん緊張してきた。
 まさしくドキドキが味わえる緊張感……足が止まる。
 もうこれ以上の階段がない。

 フーッと深呼吸。

 最後に心の中で光明真言を唱える。

 よしッ! 気合い注入!

 ノックしてドアを開ける。



「………………」


 ドアを閉める。


「コタマアアアアアアアア――ッ!」

 階下に狐珠の姿はない。逃げやがった。

 俺にチェンジの権利はない。
 壁や床を見まわしたけれど、リセットボタンなんて当然見当たらない。

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