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第3章 冬
「オリオンを見上げて」 1話
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「ありがとうございました!またのお越しをお待ちしております!」
俺の言葉に若い男性客は満足そうな笑顔を浮かべると店の扉を開けた。そして、コートの襟を立てながら深々と降る雪の中へと繰り出して行った。
鎌倉の夜は早いが、大晦日の今日も例外ではない。夜が更けるにつれ初詣の客は増える。にも関わらず、ここ鎌倉で一番有名な小町通りはひっそりとしている。鶴岡八幡宮を始め、各神社や寺では臨時で屋台を出し、甘酒やおでんなどの温かいものを振舞っている。うちの店も大晦日の夜遅くまで営業をしている。20時を過ぎる頃には客足がまばらになることが多く、経営面では決して潤っているとはいえなかった。だが、遅くまで営業を続けることはこの店ができた頃からの晴海のこだわりだ。
「どんなに苦しくても必要としてくれる人達のために続ける」
それが彼女の口癖だった。
俺と晴海は幼稚園の頃からの幼馴染。高校までを同じ学校で過ごしたが、3年生の夏に彼女はこの地を去った。それ以来、会うことはないと思っていた。だが、それから10年後、俺達は奇跡的に再会。恋に落ちるまでに時間はかからなかった。その僅か1年後に俺達は結婚した。俺は晴海の夢を応援するため、勤めていた会社をきっぱりと辞めた。上司はもちろん同僚や後輩にとても驚かれたが、皆最後は口を揃えてこう言った。
「一途なお前らしいな!」
そして新しい人生のスタートを笑顔で送り出してくれたのだ。
俺がこの店を初めて訪れた時はホール担当の女性店員がいた。だが、彼女は大学生のアルバイトで、就職が決まると同時に店を辞めた。以降は晴海が一人で店を切り盛りしていた。
「ホール担当のバイト入れないのか?」
「……店の経営がちょっと厳しくて。でも大丈夫。私が一人でやるから」
肩をすくめながらも晴海は笑ってこう答えた。だが、一人で店を切り盛りするのは厳しい。ホールをやりながら料理を作らなければならないのだ。案の定、彼女は体調を崩して倒れてしまった。そこで俺は結婚と同時に仕事を辞め、自らがホール担当となることで彼女の力になろうと思ったのだ。接客業は全くの未経験だったから、覚えるまではとても大変だった。客に怒られたり、晴海に注意を受けたりしながらも俺は何とかホールの仕事をこなせるようになった。
あれから20年という長い年月が流れた。再会したあの頃、まだ若いといえた俺達ももうすっかり中年の仲間入りを果たした。健康に気を遣って適度に運動やウォーキングをしているためか、大きな体型の崩れはないものの俺は自分の腹の肉付きが少し気になっている。一方、晴海は趣味でヨガを習っているためか20年前と殆ど変わらなかった。変わったことと言えば、髪の毛に少し白いものが混じり、目尻に皺が増えたことぐらいだろうか。
残念ながら子供は授からなかったが、俺はそれでも構わなかった。ただ、愛する晴海とずっと二人でこうして店を続けていけるならそれでいいと思っている。
「優志くん。表の看板、クローズにしてくれた?」
「ああ、もちろん。外、かなり雪積もってきたぞ」
店の扉を急いで閉め、両手で自身の体を思い切り抱えながら言うと、カウンター越しに晴海が楽しそうに笑った。
「大晦日に雪が積もるなんて久々だね。あの時以来かな?」
「そうだな……ってなんでそんなに楽しそうなんだ?」
すると、晴海は更にクスクスと笑いながら言った。
「だって、あの時のこと思い出すと笑っちゃうんだもん」
「……ったく。晴海はいつもそうやって俺をからかって……いいから早く厨房の片付けするぞ!」
膨れながらそう言うと晴海は依然として楽しそうに笑いながら頷いた。俺はカウンター脇の扉から厨房に入り、洗いかけの皿や鍋に手を付けた。
晴海が思い出し笑いをしていた理由。それは俺がこの店で働いて初めて迎えた大晦日の夜に起こった些細な出来事だ。その日、鎌倉には大雪が降った。俺は客足が途絶える度に外に出て、店の前に積もった大雪を必死にかき出した。もうすぐ閉店時間という頃になって、晴海が俺の様子を見に来た。その時、俺はちょうど雪かきに集中しており、晴海の存在に気づかなかった。
「……優志くん、優志くんってば!」
ふと呼ばれている事に気づいた俺は咄嗟に振り返った。だが、その時、雪かきをした後の地面が凍ってることに気づかなかった俺は思い切り足を滑らせて尻餅をついてしまったのだ。
「痛ってええ!」
「ちょっと優志くん、大丈夫?!」
晴海は驚いて飛んで来てくれたが、笑いを隠し切れていなかった。
「晴海、俺のこと笑ってるだろ」
「えっ?わ、笑ってない!笑ってないよ!」
必死に取り繕うも口元は思い切り笑っている。俺は何だかおかしくなって噴き出してしまい、晴海もそれにつられて笑い出した。粉雪舞う寒空の下に俺と晴海の笑い声が響き渡った。それ以来、雪が降ると晴海は決まって当時のことを思い出し笑うのだ。とても恥ずかしい。だが、正直なところ悪い気はしない。晴海が笑ってくれるならそれでいいと俺は思っている。
二人がかりで厨房の後片付けを終わらせ、売上の計上をしていた俺はふと時計を見てギョッとした。新年まであと15分と迫っていた。この後、鶴岡八幡宮に初詣に行く予定なのだ。
「うわっもうこんな時間かよ?!」
「優志くん!急いで着替えて!早く店を出よう!」
「待て!まだ売上金の計算が出来てない!」
「大丈夫だよ!とりあえず金庫に入れておいてまた後でやろう!」
「えっ?!わ、わかった!」
俺は晴海の指示に従い、急いで売上金を束ね袋に詰めると金庫に突っ込んでしっかりと鍵をかけた。そして、ロッカーに行き、制服から私服に着替えた。制服は黒いシャツに濃いブルーのエプロンのみとシンプルで素早く着脱ができる仕様。俺は分厚いコートの上に濃いブルーのマフラーをぐるぐると巻きつけた。エプロンと同じ色のこのマフラーは今年のクリスマスに晴海がプレゼントしてくれた手編みのものだ。
「えっ?今どき手編みのマフラーなんて欲しいの?」
俺と晴海はいつもクリスマスプレゼントの交換をするのだが、何が欲しいかリクエストをする決まりになっている。だから俺は手編みのマフラーが欲しいと言ったのだ。明確な理由は特にない。何となく手作りのものが欲しかったのだ。すると晴海は怪訝そうな顔でそう言った。
「もしかして引いてる?」
「……ちょっとね。だってもう良い歳だし。まぁでも優志くんの頼みなら仕方ないかなぁ」
苦笑いをした後に晴海はそう言った。そして思い直したように笑ったのだ。晴海は編み物をしたことがなく、最初は四苦八苦していた。だが、器用な為かすぐにコツを掴んで短期間でスラスラと編み上げた。
「すげー嬉しい。ありがとう!でも何で濃いブルーなんだ?」
「転校する直前に優志くんと雨の中を歩いたでしょ?あの時、優志くんのすぐ近くに咲いてた紫陽花の色。あれ以来、優志くんを思い出す度に紫陽花の色も一緒に思い出したんだ。だから私の中であなたのイメージカラーは濃いブルーなの」
晴海は懐かしそうに微笑みながら言った。俺はそこでふと気づいた。
「……もしかして、制服のエプロンの色が濃いブルーなのも、カフェの名前が紫陽花なのも……?」
「優志くんってば今更気づいたの?!もうとっくに気づいてると思ってた!」
晴海は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、俺の肩をバンバン叩いたのだった。
店の電気を消してしっかり戸締りをする。雪はいつの間にかすっかりやんでおり、澄んだ空にはオリオン座が美しく瞬いていた。
「オリオン座ってどにいてもすぐ分かるし、凄くキレイよね」
「ああ、冬は空気が澄んでるから尚更だ」
晴海の首元にはオリオンのネックレスが静かに揺れている。これは俺が贈ったクリスマスプレゼントだ。晴海からのリクエストは「オリオン座がモチーフの物」というかなり難易度の高いものだった。センスが問われる。俺はアクセサリーショップや雑貨屋を散々探し回った。それで、ようやく見つけたのがこのオリオンのネックレスだったのだ。晴海はオリオン座が好きだった。星に興味がある訳ではない。きちんとした理由がある。
「オリオンって不思議よね。どこにいてもすぐに分かる。まるで私達のことを見守ってくれてるみたい。だから私、オリオンが好きなの。夏の紫陽花と同じくらい好き。私の店もお客さんにとってそう在りたいって強く思うの」
俺が贈ったオリオンのネックレスに感激した後、晴海は力強くそう語ったのだ。
―2話へ続く―
俺の言葉に若い男性客は満足そうな笑顔を浮かべると店の扉を開けた。そして、コートの襟を立てながら深々と降る雪の中へと繰り出して行った。
鎌倉の夜は早いが、大晦日の今日も例外ではない。夜が更けるにつれ初詣の客は増える。にも関わらず、ここ鎌倉で一番有名な小町通りはひっそりとしている。鶴岡八幡宮を始め、各神社や寺では臨時で屋台を出し、甘酒やおでんなどの温かいものを振舞っている。うちの店も大晦日の夜遅くまで営業をしている。20時を過ぎる頃には客足がまばらになることが多く、経営面では決して潤っているとはいえなかった。だが、遅くまで営業を続けることはこの店ができた頃からの晴海のこだわりだ。
「どんなに苦しくても必要としてくれる人達のために続ける」
それが彼女の口癖だった。
俺と晴海は幼稚園の頃からの幼馴染。高校までを同じ学校で過ごしたが、3年生の夏に彼女はこの地を去った。それ以来、会うことはないと思っていた。だが、それから10年後、俺達は奇跡的に再会。恋に落ちるまでに時間はかからなかった。その僅か1年後に俺達は結婚した。俺は晴海の夢を応援するため、勤めていた会社をきっぱりと辞めた。上司はもちろん同僚や後輩にとても驚かれたが、皆最後は口を揃えてこう言った。
「一途なお前らしいな!」
そして新しい人生のスタートを笑顔で送り出してくれたのだ。
俺がこの店を初めて訪れた時はホール担当の女性店員がいた。だが、彼女は大学生のアルバイトで、就職が決まると同時に店を辞めた。以降は晴海が一人で店を切り盛りしていた。
「ホール担当のバイト入れないのか?」
「……店の経営がちょっと厳しくて。でも大丈夫。私が一人でやるから」
肩をすくめながらも晴海は笑ってこう答えた。だが、一人で店を切り盛りするのは厳しい。ホールをやりながら料理を作らなければならないのだ。案の定、彼女は体調を崩して倒れてしまった。そこで俺は結婚と同時に仕事を辞め、自らがホール担当となることで彼女の力になろうと思ったのだ。接客業は全くの未経験だったから、覚えるまではとても大変だった。客に怒られたり、晴海に注意を受けたりしながらも俺は何とかホールの仕事をこなせるようになった。
あれから20年という長い年月が流れた。再会したあの頃、まだ若いといえた俺達ももうすっかり中年の仲間入りを果たした。健康に気を遣って適度に運動やウォーキングをしているためか、大きな体型の崩れはないものの俺は自分の腹の肉付きが少し気になっている。一方、晴海は趣味でヨガを習っているためか20年前と殆ど変わらなかった。変わったことと言えば、髪の毛に少し白いものが混じり、目尻に皺が増えたことぐらいだろうか。
残念ながら子供は授からなかったが、俺はそれでも構わなかった。ただ、愛する晴海とずっと二人でこうして店を続けていけるならそれでいいと思っている。
「優志くん。表の看板、クローズにしてくれた?」
「ああ、もちろん。外、かなり雪積もってきたぞ」
店の扉を急いで閉め、両手で自身の体を思い切り抱えながら言うと、カウンター越しに晴海が楽しそうに笑った。
「大晦日に雪が積もるなんて久々だね。あの時以来かな?」
「そうだな……ってなんでそんなに楽しそうなんだ?」
すると、晴海は更にクスクスと笑いながら言った。
「だって、あの時のこと思い出すと笑っちゃうんだもん」
「……ったく。晴海はいつもそうやって俺をからかって……いいから早く厨房の片付けするぞ!」
膨れながらそう言うと晴海は依然として楽しそうに笑いながら頷いた。俺はカウンター脇の扉から厨房に入り、洗いかけの皿や鍋に手を付けた。
晴海が思い出し笑いをしていた理由。それは俺がこの店で働いて初めて迎えた大晦日の夜に起こった些細な出来事だ。その日、鎌倉には大雪が降った。俺は客足が途絶える度に外に出て、店の前に積もった大雪を必死にかき出した。もうすぐ閉店時間という頃になって、晴海が俺の様子を見に来た。その時、俺はちょうど雪かきに集中しており、晴海の存在に気づかなかった。
「……優志くん、優志くんってば!」
ふと呼ばれている事に気づいた俺は咄嗟に振り返った。だが、その時、雪かきをした後の地面が凍ってることに気づかなかった俺は思い切り足を滑らせて尻餅をついてしまったのだ。
「痛ってええ!」
「ちょっと優志くん、大丈夫?!」
晴海は驚いて飛んで来てくれたが、笑いを隠し切れていなかった。
「晴海、俺のこと笑ってるだろ」
「えっ?わ、笑ってない!笑ってないよ!」
必死に取り繕うも口元は思い切り笑っている。俺は何だかおかしくなって噴き出してしまい、晴海もそれにつられて笑い出した。粉雪舞う寒空の下に俺と晴海の笑い声が響き渡った。それ以来、雪が降ると晴海は決まって当時のことを思い出し笑うのだ。とても恥ずかしい。だが、正直なところ悪い気はしない。晴海が笑ってくれるならそれでいいと俺は思っている。
二人がかりで厨房の後片付けを終わらせ、売上の計上をしていた俺はふと時計を見てギョッとした。新年まであと15分と迫っていた。この後、鶴岡八幡宮に初詣に行く予定なのだ。
「うわっもうこんな時間かよ?!」
「優志くん!急いで着替えて!早く店を出よう!」
「待て!まだ売上金の計算が出来てない!」
「大丈夫だよ!とりあえず金庫に入れておいてまた後でやろう!」
「えっ?!わ、わかった!」
俺は晴海の指示に従い、急いで売上金を束ね袋に詰めると金庫に突っ込んでしっかりと鍵をかけた。そして、ロッカーに行き、制服から私服に着替えた。制服は黒いシャツに濃いブルーのエプロンのみとシンプルで素早く着脱ができる仕様。俺は分厚いコートの上に濃いブルーのマフラーをぐるぐると巻きつけた。エプロンと同じ色のこのマフラーは今年のクリスマスに晴海がプレゼントしてくれた手編みのものだ。
「えっ?今どき手編みのマフラーなんて欲しいの?」
俺と晴海はいつもクリスマスプレゼントの交換をするのだが、何が欲しいかリクエストをする決まりになっている。だから俺は手編みのマフラーが欲しいと言ったのだ。明確な理由は特にない。何となく手作りのものが欲しかったのだ。すると晴海は怪訝そうな顔でそう言った。
「もしかして引いてる?」
「……ちょっとね。だってもう良い歳だし。まぁでも優志くんの頼みなら仕方ないかなぁ」
苦笑いをした後に晴海はそう言った。そして思い直したように笑ったのだ。晴海は編み物をしたことがなく、最初は四苦八苦していた。だが、器用な為かすぐにコツを掴んで短期間でスラスラと編み上げた。
「すげー嬉しい。ありがとう!でも何で濃いブルーなんだ?」
「転校する直前に優志くんと雨の中を歩いたでしょ?あの時、優志くんのすぐ近くに咲いてた紫陽花の色。あれ以来、優志くんを思い出す度に紫陽花の色も一緒に思い出したんだ。だから私の中であなたのイメージカラーは濃いブルーなの」
晴海は懐かしそうに微笑みながら言った。俺はそこでふと気づいた。
「……もしかして、制服のエプロンの色が濃いブルーなのも、カフェの名前が紫陽花なのも……?」
「優志くんってば今更気づいたの?!もうとっくに気づいてると思ってた!」
晴海は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、俺の肩をバンバン叩いたのだった。
店の電気を消してしっかり戸締りをする。雪はいつの間にかすっかりやんでおり、澄んだ空にはオリオン座が美しく瞬いていた。
「オリオン座ってどにいてもすぐ分かるし、凄くキレイよね」
「ああ、冬は空気が澄んでるから尚更だ」
晴海の首元にはオリオンのネックレスが静かに揺れている。これは俺が贈ったクリスマスプレゼントだ。晴海からのリクエストは「オリオン座がモチーフの物」というかなり難易度の高いものだった。センスが問われる。俺はアクセサリーショップや雑貨屋を散々探し回った。それで、ようやく見つけたのがこのオリオンのネックレスだったのだ。晴海はオリオン座が好きだった。星に興味がある訳ではない。きちんとした理由がある。
「オリオンって不思議よね。どこにいてもすぐに分かる。まるで私達のことを見守ってくれてるみたい。だから私、オリオンが好きなの。夏の紫陽花と同じくらい好き。私の店もお客さんにとってそう在りたいって強く思うの」
俺が贈ったオリオンのネックレスに感激した後、晴海は力強くそう語ったのだ。
―2話へ続く―
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