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第四章 友情

第二十九話

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「良順の友達ってまさか……」

「おい、何の話をしてる?」

だが、良順は何も言わない。説明することもできないほど衝撃を受けているようだった。

(アタシから良順の事情を話すなんて……でも、黙っているワケにはいかない)

事情を知らずに苛立いらだっているたかむらに、勇美は良順の話を語って聞かせた。

「その患者は良順の友達だっていうのか?」

たかむらは驚いて目を丸くしている。勇美は返事の代わりに良順の顔を見た。彼は顔を上げ、真剣な表情で勇美に尋ねた。

「……勇美ちゃん。その患者の名前、覚えてる?」

「えーっと……確か竹本航たけもとわたるって名前だよ」

良順はハッとした顔で腕時計を見た。

「もしかしたらもう病室に戻ってるかもしれない……行ってくる!」

「ちょっ、ちょっと待って!」

良順が一目散いちもくさんに駆け出したので、勇美とたかむらも慌てて後を追った。病室に着くと良順は中の様子をのぞき見て呆然ぼうぜんとしていた。

「良順、大丈夫?」

「……その医療ミスで死んだのはもしかしたら航かもって思ってた。でも信じたくなかった……」

良順は唇を噛み締めた。6人制の大部屋には窓側の竹本航をいれて4人の患者がいた。カーテンを閉め切っている人もいたが、航とその隣の中年男性はカーテンを開けっぱなしにしていたので、三人の位置からは航の様子がよく見えた。ベッドで静かに眠る航、そのかたわらには中年の女性が一人、椅子に座って彼の手を握っている。その表情は神妙しんみょうな面持ちだった。

「さっき中庭にいたのはあの母親だ。あの患者が竹本航なのは間違いない」

その時、女性看護師が来た。三人は慌てて病室から視線を逸らし、見舞う病室を探しているふりをした。看護師は順番に患者に声を掛け、体温や血圧などを測るバイタルチェックを行った。航の番になった時、看護師の顔が少しだけ歪んだのを勇美は見逃さなかった。

「ああ、看護師さん……!航は本当に目を覚ますんですか?!手術は成功したんですよね?!」

「大丈夫ですよ。今は麻酔ますいが効いていて深く眠っているだけですから。ご心配なさらないでください」

不安がる母親を看護師は笑顔でやんわりとなだめ、航の体温や血圧などを測り、点滴てんてきを確認した。母親に向かって軽く会釈えしゃくをすると、病室を出て行った。取り残された母親は一人不安そうな表情のまま、航の顔をじっと見続けていた。

「あの看護師、絶対事情知ってるよね」

「ああ、知らない筈はない」

たかむらは嫌悪感けんおかんに顔を歪ませながら腕を組んで言った。先程まで呆然ぼうぜんとしていた良順は徐々じょじょ苛立いらだち始めた。看護師の態度に腹が立ったのだろう。

「ただ黙って見てることしかできないなんて……クソっ!」

良順は拳で廊下の壁を叩いた。

(看護師さんにムカついてるだけじゃない。何もできない自分が悔しいんだ、きっと……)

先程まで笑顔を浮かべてチャラチャラしていた良順の、違う一面を目の当たりにした勇美は驚きを隠せずにいた。すると、良順が咄嗟とっさにたかむらのシャツの胸元をつかんで声を上げた。

「なあ、たかむらさん。オレ、おばさんに事情を説明してくる。それであのヤブ医者の悪事あくじさらす。いいだろ?」

「決して現世の人間と接触してはならないと、俺は言ったはずだ。まさか忘れた訳じゃねぇだろうな」

たかむらはするどい眼差しで良順のことを見下ろした。彼の目には怒りの色が見えた。それは良順に対してだけではない。もちろん高須に対してもだろう。良順は諦めた様子で舌打ちをすると、たかむらから乱暴に手を離して静かな声で言った。

「……航とは小学生の時に仮面ライダーの話で盛り上がって友達になったんだ。悩みも相談し合うようになって親友になった。航は喘息ぜんそく持ちで体が弱かった。だからオレは『医者になってお前を助ける!』って宣言したんだ。航は正義感が強くてさ。悪い奴を捕まえる為に最初は警察を目指してたんだけど、体が弱いから諦めた。悪い奴を捕まえたいってのは、まぁ仮面ライダーの影響だと思うけどね」

良順は顔を上げて微かに笑うと話を続けた。

「航は文章が得意だったからジャーナリストになる為に大学で経済学の勉強してたんだ。不正を暴きたいってめちゃくちゃ努力してさ。でも途中で肺がんに……俺はその時ちょうど試験やら実習やらで忙しくてあまり見舞いに来られなかったんだ。オレは時間をこじ開けてでも来るべきだった。そうしたらあのヤブ医者の悪事に気づけたかもしれないのに……今更もう遅いけどな……」

良順は思い切り肩を落とした。彼の話を黙って聞いていたたかむらは静かに口を開くと言った。

「お前の気持ちはよく分かる。だが、俺達がこの世界でできるのは『事実を確認する』そのたったひとつだけだ。どんなに悔しくても黙って見ているしかない」

「そんなこと分かってますよ」

少しムッとした顔をして良順が言った。たかむらが勇美に向かって尋ねた。

「竹本航が死ぬのはいつだ?」

「えーっと……確か二週間後。まさかこの世界で二週間もひたすら様子見てなきゃならないの?」

たかむらは首を横に振って言った。

「んな訳あるか。俺が時間を早送りさせる」

「そんなことできるの?!」

「ああ、ついてこい」

勇美と良順が後についていくと、たかむらは人気のない廊下で立ち止まった。

「勇美、永眠録を出せ」

「分かった」

勇美がバッグから永眠録を出して手渡すと、たかむらはそれを開いて手をかざした。やがて淡い金色の光が辺り一面に広がった。

「ま、まぶしい!」

「な、何すか?!この光」

「うるせえな。黙ってろ」

しばらくすると淡い金色の光が消えた。勇美はキョロキョロと辺りを見渡してみた。

「……何も変わってなくない?」

「スマホの画面を見てみろ」

勇美はバッグからスマホを取り出し、画面に表示された日付と時間を見てハッとした。

「二週間後になってる……!」

「マジ?!」

良順が興奮した様子で勇美のスマホを覗き込み、叫んだ。

「すっげー!たかむらさん、さすがっすね!」

「感動してる暇はねえ。確認しに行くぞ」

たかむらがさっさと歩き出したので、勇美と良順は慌ててその後を追った。航のいる病室へ行くと名札は外され、窓際の席は空っぽだった。

「個室に移動したのかも」

良順がそう呟いたので、勇美達はその辺りの病室を探した。すれ違い様に看護師から不振な視線を感じる度、三人は見舞いに来たふりをして適当に会話をした。

「ん?なんか一番奥の個室から声が聞こえるような……」

「よし、行くぞ」

扉は開け放たれており、何やら重い空気が漂っていた。そっと覗き込むと、ベッドに横たわる航は呼吸器を外された状態。良順は息を呑んだ。航の傍らには高須と航の母親、中年の男性がいて、神妙しんみょうな面持ちで話し込んでいるところだった。中年の男性は航の父親だろう。勇美はスマホを取り出すと録音アプリを起動し、録音を始めた。

「航くんは多機能不全たきのうふぜんで亡くなりました……手を尽くしたのですが術後じゅつごの経過が思わしくなく……力及ちからおよばず、本当に申し訳ございません」

「先生、必ず手術は成功させますから安心してくださいって言いましたよね?成功したんじゃなかったんですか?」

深々と頭を下げる高須に向かって母親は納得がいかない様子で声を荒げた。

「先程も申しましたが、手術は成功しました。わたくしどもは最善さいぜんの手を尽くしました。しかし、その後は航くんの生命力次第です。こればかりは私どもにはどうすることもできません」

「先生は『航に生命力が足りなかった』と……『航が自分で生きるのを諦めた』と……そう言いたいんですか?!」

「おい、落ち着けって。先生は手を尽くしてくれたんだ。失礼だろう」

高須に食ってかかる母親を、父親が必死に止めて言った。

「航がどれだけ『生きたい』と思っていたかあなたも知ってるでしょう?この子は手術の前日まで勉強を続けてた。手術が成功して回復したら絶対夢を叶えるんだって……。それなのにこの子は結局、手術後一度も目を覚ますことなくってしまった。それを『生命力が足りなかった』で済ましていいの?!何でそんなに冷静でいられるのよ?!」

母親は大粒の涙を流しながら真っ赤な顔をして父親に向かって叫んでいた。その間、高須は黙って二人の様子を見ていたが、その目には苛立いらだちの色が浮かんでいた。二人が自分のことを見ていないのをいいことに舌打ちをして、腕時計に目をやった。勇美は腹が立って仕方がなかった。良順も思い切り顔を歪ませて体を震わせていた。すると、しびれを切らした高須が表情を戻して口を開いた。

「竹本さん、納得できないお気持ちはよく分かります。実際お母様のように思われる方も沢山いらっしゃいます。なので、私からひとつご提案ていあんをさせて頂きたいのですが」

「提案……?」

「はい。死因を究明きゅうめいするために解剖かいぼうを行います。それでご納得頂けることもございます。いかがでしょうか?」

「か、解剖……?!」

母親は真っ青な顔をして仰天した。父親は冷静な顔をして大きく頷いた。

「ああ、それは良いご提案かもしれない。再び航の体を切り開くのは少し気が引けるが、それでお前が納得するのなら……」

父親の言葉をさえぎって母親が泣き叫んだ。

「嫌よ!この子の体を切り刻むなんて!生前、散々苦しんだのに死んでもまだ苦しめられなきゃいけないなんて!」

「じゃあ、どうするんだ?納得するのか?」

父親の問いに母親は黙って唇を噛み締めた。しばらくしてから弱々よわよわしい声で諦めたように言った。

「……分かったわよ。先生の言う事を信じるわ。ごめんなさい」

その瞬間、高須が口元を微かにゆるめたのを勇美は見逃さなかった。高須はすぐに表情を戻し、気の毒そうな表情を浮かべると言った。

「間もなく看護師が参りますので、もうしばらくこちらでお待ちください」

深々と頭を下げると立ち去った。三人は慌てて入り口から離れ、近くにあった洗濯室に身を隠した。病室を出て洗濯室の前を通った高須は舌打ちをしながらこう呟いた。

「……手こずらせやがって。こっちはお前らに構ってる暇なんかないんだよ」

その瞬間、怒りに我を忘れた良順が洗濯室を飛び出そうとした。

「高須、てめえ!」

「おい!落ち着け!」

「良順!やめて!」

勇美とたかむらは全力で良順を制止した。

「離せよ!オレはあいつにひとこと言ってやらなきゃ気が済まねえ!病院が……あのヤブ医者が航を殺したんだ!」

「ダメ!気持ちは分かるけど抑えて!」

その瞬間、たかむらが良順の右頬みぎほほを思い切り殴った。良順は洗濯室の奥に倒れ込んだ。
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