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第三章 相棒
第十六話
しおりを挟むそれは茶色の毛並みの柴犬だった。尻尾を下げたまま、困惑した顔で勇美や近藤の姿をじっと見つめている。勇美は呆気に取られた。
(い、犬?!ここに来るのって人間だけじゃないの?!)
「……うたじろう。あのワンちゃんも霊界の子?」
「いいえ。あのような犬は霊界にはおりません。こちらに来る死者は人間だけとは限らないのです。動物もやってきます」
「えっそうなの?!」
「はい。野生の動物は来ませんが、人間と共に暮らしていた動物はやってきます。恐らくあの犬もそうなのでしょう」
勇美は犬に向かって尋ねた。
「あなたが浪川ハナ殿ですか?」
しかし、犬は何も答えない。うたじろうが文机の上から降り、犬の元へと向かった。
「勇美殿。僕が今からハナ殿の通訳を致します」
「動物と喋れるの?!」
「はい。少々お待ちください」
うたじろうは犬と会話を始めた。何を話しているのか勇美には全く聞き取れない。
「浪川ハナ殿は元春殿の元飼い犬とのことです」
「元春くんのペット?!」
驚きのあまり勇美は思わず元春よりも先に叫んだ。
元春は驚いた表情を浮かべ、黙ったままハナの元へゆっくりと向かって行った。ハナの顔を両手で包み込み、じっと見つめると口を開いた。
「やっと会えた……ハナちゃん!会いたかったよ!」
ハナの体を思い切り抱きしめた。その目から大粒の涙が零れた。ハナは口を大きく開けて尻尾をぶんぶんと振り回していた。近藤は二人の様子を見届けると、永眠録に書かれているハナの生前の情報を読み上げた。
「浪川ハナ殿。明治28年夏、おぬしは飼い主に噛み付いた所為で怒りを買い、殺された。そうであるな?」
うたじろうがハナの返事を聞く。
「はい。その通りだとのことです」
元春が「えっ」と小さく声を上げた。
「おぬしは飼い主に噛み付いた罪により地獄行きとする」
近藤の言葉に勇美は仰天した。
「ちょっと待ってください近藤局長!」
「なんだね?」
「飼い主に噛み付いただけで地獄行きって罪が重過ぎではないですか?!」
「そんなことはない。畜生は人間よりも下の存在だ。人間に歯向かうなど持っての他である。これは閻魔大王の時代からの決まり事でな。致し方ないことなのだ」
近藤は淡々と言った。勇美は返す言葉が見つからなかった。
「近藤局長。ハナ殿はこう言っております。『私は何の理由もなく人間に噛み付いたりなど致しません』」
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「『私が飼い主に噛み付いたのは、あまりにも理不尽な扱いを受けたからです』」
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「ハナちゃんは凄く頭が良い犬なんです!だから、彼女の言う通り何の理由もなく噛み付くはずがありません!近藤局長、ボクに時間を頂けませんか?蘇りをして確かめます」
近藤はしばらくの間、腕を組んで考え込んでいたが、やがて静かに言った。
「良かろう。正当防衛、或いはそれに値する理由があれば考慮しよう。では、真相を調べて参れ」
「はい!勇美さん、うたじろうさん、一緒に来てくれますか?」
「うん!」
「もちろん僕もお供させて頂きます」
「ありがとうございます。ハナちゃん、もう少しだけ待っててくれるかな」
元春はハナの頭を優しく撫でた。ハナはしっぽを下げてゆっくりと揺らした。
「ごめんね、すぐ戻るからね」
(ハナちゃんが不安がるのは当たり前だよね……だって、ここに来たら何故か元飼い主が仕事してて、しかも人間に噛み付いたから地獄行きだとか言われる。アタシがハナちゃんだったらワケわかんないもん)
すると、近藤が不安そうな表情で言った。
「しかし、おぬしらだけで蘇りができるのか?勇美殿は補佐隊員になって間もない。うたじろう殿は補佐隊員ではない。元春殿おぬしは……」
近藤はそう言って不安そうな表情を浮かべた。元春は既に一人で蘇りが出来るぐらい長く補佐隊員を務めていたが、仕事のミスが多い為にいまだに独り立ちをする事が出来ないでいた。更に運の悪い事にたかむらは現世に戻っていていない。要するに近藤は彼らだけでは不安なのだ。その場に気まずい空気が流れる。近藤が再び口を開いた。
「……では、今回はわしが付き添おうではないか」
「えっ?!」
一同は驚いて叫んだ。
「でも、その間ここは無人になってしまうのでは……」
勇美の言葉に近藤は頷きながら言った。
「うむ。それについては山崎くんにお願いしようではないか」
「山崎くんって……監察隊の山崎さんのことですか?」
「そうだ。山崎くんは生前、新選組の監察方として色々な仕事を引き受けてくれたのだ。だから今回も彼に任せておけば心配ないだろう」
珍しく穏やかな笑みを浮かべている近藤をその場にいた全員が不思議そうな表情で見つめていた。
「あの~それなら千代さんに付き添いをお願いすればいいのでは……何も近藤局長自ら蘇りに同行しなくても……」
「勇美殿の言うことは最もだ。だが、補佐隊員のおぬし達のことを知るのは局長として大事なこと」
「それはつまり、蘇りをすることは補佐隊員自身を知ることにも繋がるということでしょうか?」
「うたじろう殿の言う通りだ。すまぬが勇美殿、山崎くんを呼んで来てはもらえないだろうか?」
勇美は返事をして裁きの間を出た。
(さっき行ったばかりだから行きづらいな……でも任務のため)
「失礼します!」
再び入って来た勇美の姿を作業をしていた隊員達が怪訝そうに見つめる。勇美は気にせず進み、一番奥の机に座っている山崎に声を掛けた。
「山崎さん、度々すみません」
山崎は勇美の顔を見ると面倒臭さそうに言った。
「なんや、またあんたか」
「蘇りに近藤局長が付き添ってくれる事になったんですけどその間、裁きの間が無人になってしまうので山崎さんに留守番をお願いしたいんです」
山崎は目を丸くした。
「はぁ?何で局長が付き添うんや?他の奴が行けばええやろ」
「いえ、近藤局長が自分から行くって言ったんです」
「……ほんまか?」
「蘇りをすることで補佐隊員のみんなのことを知って仲良くなりたいんだそうです」
山崎は額に手を当て、ため息を吐くと言った。
「局長らしいわ……」
「そうなんですか?アタシはもっと冷たい人なのかと思ってたんで意外だったんですけど」
「局長が冷たい?それはあんたの誤解やで」
山崎がまっすぐな目をして言ったので勇美は少し驚いた。
(近藤局長はアタシが思ってるよりずっと優しい人なのかな)
「局長の命ならやむをえへん。みんな!しばらく裁きの間におるから何やあったら来てな!」
山崎の呼び掛けに隊員達は元気よく「はい!」と返事をした。勇美が山崎を連れて戻ると近藤が嬉しそうに微笑んで声を上げた。
「おぉっ!山崎くん、久方ぶりだな!忙しい中来てくれてありがとう。礼を言うぞ」
「局長自ら蘇りすると聞いたんでびっくりしましたわ」
「はははっ、驚かせて申し訳ない。では、留守を頼んだぞ」
「御意」
近藤の意外な一面を見て勇美は思った。
(近藤局長、山崎さんの言う通りの人なのかもしれないな……)
***
勇美、元春、うたじろう、近藤は光の道を進んでいた。勇美は近藤の腰に刀がないことに気づいて尋ねた。
「近藤局長。刀は置いてきたんですか?」
「うむ。今回の時代では帯刀は禁じられておるからな」
うたじろうが続ける。
「そもそも、蘇りに武器は必要ありませんものね」
「えっ何で?」
「もし仮に蘇り先で何かあっても武器を使ってしまっては相手に致命傷を負わせかねません。現世の人間と接触してはいけないという掟がある以上は仕方のないことなのですよ」
「このお仕事には色々な規則や掟がありますよね。ボク、覚えるまでに結構時間がかかりました」
元春が遠慮がちに言った。
「ってかさ、元春くんとハナちゃんがいた明治時代って千代さんよりもっと後の時代だっけ?」
「千代さんって何時代の方でしたっけ……」
元春が考え込んでしまったので代わりに近藤が答えた。
「千代殿は安土桃山時代だ。明治は江戸時代の後。安土桃山よりもずっと後の時代だ。わしが死んだ少し後に元春殿は生まれた、そうであるな?」
「はい。あと、西郷隆盛さんが亡くなる少し前だと思います」
「西郷隆盛って……あの上野公園に立ってるワンちゃん連れたオッサンだっけ?」
「うえのこうえん……?」
元春が首を傾げた。すると、うたじろうが慌てて言った。
「勇美殿がいた時代では西郷隆盛殿は英雄になっておりまして、上野という場所にある公園内に銅像が立っているんです」
「えっ西郷さんって後世でそんなに人気があるんですか!」
勇美はふと疑問に思って尋ねた。
「近藤局長は西郷隆盛のこと知ってるんですか?」
「生前に会ったことはなかったが、名前は聞いていた。何しろ長州の桂と薩長同盟を結んだのだからな」
「その二人はもう霊界に来たんですか?」
「来たぞ。坂本龍馬もだな」
「へぇ~!他の有名人には会いましたか?」
近藤は少し考え、口を開いた。
「ああ、実に様々な偉人に会った」
「珍しい人とかいましたか?」
近藤はまた少し考えた後に言った。
「厩戸皇子殿に会ったな」
「うまやどのおうじ……?」
「聖徳太子殿のことですよ、勇美殿」
うたじろうの言葉に勇美は目を丸くした。
「聖徳太子?!ってあの一度に何十人もの話を聞いたっていうあの聖徳太子?!」
「うむ。厩戸殿にはいつも世話になっておる」
「裁いたんじゃないですか?」
「裁いたのはわしではない」
「……どういうことですか?」
勇美に続き、元春が尋ねた。
「『いつも世話になっている』というのは、今も厩戸皇子が霊界に来ているということですか?」
続きを話そうと近藤が口を開いたが出口に着いたので話は自然と打ち切られてしまった。
(近藤局長の話が気になり過ぎる……!でもまずは任務頑張らないと!)
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