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第三章 相棒
第十五話
しおりを挟む裁きの間の文机の前に一人の少年が座っていた。橙色の着流しに青いダンダラ模様の羽織を着ている。黒髪は短く、小柄な体型で年齢は15、6歳ぐらい。中性的な雰囲気があり、とても美しい顔立ちをしていた。
「めちゃくちゃキレイな子……!」
勇美は思わず呟いた。少年はうたじろうと共にオロオロしている。
「どうしたの?」
「あっ勇美殿!」
文机の上には墨汁がぶちまけられた巻物があった。涙を浮かべながら少年が言った。
「すずりに墨汁を入れようとしたら思い切り倒しちゃったんです!」
「あ~あ~派手にやっちゃったんだね」
勇美が近くにある布で墨汁を拭き出した途端、うたじろうが叫んだ。
「だ、駄目です!あぁ遅かったですね……」
勇美が手元を見ると墨汁が更に広がって文机の上と巻物が真っ黒になっていた。
「うたじろうさん。これ見せたら近藤局長とたかむらさんに怒られますよね?」
「そうですね……」
「これ永眠録だよね?また書いてもらえばいいじゃん」
「管理している隊に言えば作り直してくれますが……」
うたじろうは口ごもった。
「どうしたの?」
「……実はボク、墨汁をぶちまけるの初めてじゃないんです」
(ええ……そんなに何回も大事な書類を汚すなんて……)
「ホントに?」
うたじろうと少年は無言で頷いた。
(何とかしないと仕事ができない。永眠録を管理してるっていう隊に行くしかないか。何回もやってるってことはこの子はきっと常習犯扱いされてるはず……)
「アタシが頼んであげるよ!うたじろう、場所案内してくれる?君はここにいていいよ」
「……いいんですか?」
勇美が笑顔で頷くと少年は頭を下げた。
裁きの間を出て庭とは反対方向に少し歩くと大きな部屋に辿り着いた。障子の上の札には「監察隊」と書かれている。部屋には20人以上は入ることができそうだ。職員達は皆、規則正しく並べられた文机に向かって素早く筆を動かしている。補佐隊員と同じくダンダラ模様の羽織を着ていたが、色は青ではなく黒だ。
(黒って確か……忠臣蔵だ!近藤局長が好きなんだっけ!)
「ここが監察隊の部屋です。死者の生前の情報を管理し、巻物にしたためています。この隊の方々は全員、蘇りができるんですよ」
「そうなの?!」
「はい。死者の情報を確認する為に現世に行く任務が発生するからです」
「じゃ、この中から補佐隊員を募ればいいんじゃないの?」
「僕もそう思うんですけど誰もやりたがらないのです」
「何で?近藤局長が怖いとか、たかむらがウザいとか?」
「残念ですが、仰る通りです」
「マジか……近藤局長は仕方ないとして、たかむらどんだけ嫌われてんの」
「返す言葉もありません」
(皆にウザがられてるなんてあいつちょっとかわいそう……)
「あちらがここを統括している山崎丞隊長です」
奥の席に銀縁の丸眼鏡を掛けた青年が座っている。黒い着流しに黒いダンダラ模様の羽織。耳の下で綺麗に切り揃えられた黒髪、すらっとした体型だ。傍には沢山の巻物が積まれており、気難しい顔をしながらそれらを順番に確認していた。
「隊長って怖い人?」
うたじろうはしっぽを下げた。
「……少し神経質なところはありますね」
勇美とうたじろうは部屋の奥へ進んでいった。近くにいた数人が振り返って勇美のことを不思議そうな顔でチラリと見た。
「山崎殿、お疲れ様です。こちらは先日補佐隊員となりました、松山勇美殿でございます」
「初めまして、松山です。よろしくお願いします」
山崎は巻物から目を離すと、勇美を見た。丸眼鏡の奥の瞳はとても鋭く、いかにも神経質そうだ。
「ほうか、よろしゅうな」
ニコリともせずに淡々とそう言う彼に向かって、勇美は真っ黒になった巻物を差し出した。
「山崎隊長、これをもう一度書き直して頂きたいんです」
山崎は永眠録を受け取ると思い切り眉をひそめ、ため息をつくと強い口調で言った。
「またあの子がやったんか?うたじろうはん、きちんと教育してくれへんと困るて何度も言うてるやんか」
「も、申し訳ございません!」
「何やあった時の為に中身複写して別の場所に保管しとるからええけど、こないなことの為に保管しとる訳やおまへん。まぁこの部分だけならすぐ用意でけるとは思うけど」
鋭く睨みつけられ、しっぽと体を震わせているうたじろうの代わりに勇美が言った。
「山崎隊長、毎回ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。よろしくお願いします」
「ええけど次はないで。あとな、松山。その隊長いうのも付けんでええから」
「えっでも……」
「わいは隊長とか呼ばれるような大層なもんではおまへん。山崎隊長とか呼ばれると、なんやこそばゆうてかなわん。はんでもくんでも好きに呼んでもろてかまへん」
「わ、分かりました」
勇美とうたじろうは山崎に深々と頭を下げ、部屋を出た。
「山崎た……じゃなかった山崎さんって役職とか気にしない人なの?」
「はい。生前は新選組で監察方のお仕事をしていました。密偵みたいなものなんですが、決して表に出るような存在ではなかったそうで役職名で呼ばれることに抵抗があるそうです」
「千代さんもそういうの嫌ってるけど理由はちょっと違うんだね」
「山崎殿は無愛想ですし、小言をいうこともありますが、頼まれた仕事は基本的に断りません。それに決して悪い人ではないんです。近藤局長は生前から山崎殿をとても信頼しているんですよ」
「そっか」
(監察方の山崎丞……新選組にそんな人いたっけ?父さん母さんに聞いたかもしれないけど覚えてないな。監察方ってのがそれだけマニアックな部署ってことか)
「あの男の子おっちょこちょいなの?」
「は、はい。とても素直な方なんですが、なかなか不器用でして……近藤局長やたかむら殿からもよく注意を受けるんです」
「ふーん。ドジっこなんだね」
勇美はその時ふと疑問が浮かんだ。
「そういえばさ、ここの給料ってどうなってんの?死んでるから生活に困る事はないよね?」
「はい。給料制ではなく、現物支給制になっています。定期的に目録が配られるので、その中から希望の品を選んで申請すると、その価値が職員の働きに見合っているかの審査が行われ、許可されると受け取る事が出来ます」
「へぇ~皆どういう物をもらってんの?」
「衣服が一番多いです。あとは家具や書物、双六や囲碁などの娯楽品でしょうか。他にも長期休みを取得できる連休制度など様々な制度がありますよ」
「スゴい……現世よりも働きやすそう……。ってかさ、うたじろうには自分の部屋ってあるの?」
その時、ちょうど裁きの間に着いた。
「ありますよ。あちらです」
うたじろうが出入り口付近の隅っこにある赤い屋根がついた小屋を前足で指した。
「ちっさ!ワンちゃんの小屋じゃん!ってかあんなのあったなんて今まで気付かなかったんだけど!」
「近藤局長が宿舎の部屋を使っていいと言ってくださったのですが、お断りしました。皆さんと違って僕には調度品や家具が必要ないので小屋で充分なんです。それにこの場所は裁きの間にも待合所にも近いので何かあった時にすぐに対応できるので便利なんです」
「そ、そっか」
少年が不安そうな顔で勇美とうたじろうをじっと見つめていた。
「あっすぐに用意できるって言ってたよ」
「良かった。ありがとうございます!」
「ただし、次はないって言ってたから気をつけてね」
「は、はい!今後気をつけます!」
少年は背筋を伸ばして声を上げた。
「アタシは松山勇美。令和から来たんだ。よろしくね!」
「ボクは浪川元春です。よろしくお願いします」
その時。裁きの間に山崎が入ってきた。
「書き直したで」
ニコリともせずにそう言うと永眠録を勇美に差し出した。対応の早さに驚き、勇美は思わず声を上げた。
「もう出来たんですか?!しかも山崎さん自ら?!」
「誰かに依頼するよりわいが書いた方が早いと思ったんや。うちの隊は速記が得意なんやで。毎日大勢の死者が来るから速さが重要なんや」
山崎は指先で眼鏡を軽く上げると、少しだけ勝気な表情を浮かべた。勇美は永眠録を受け取り、開いた。真っ白な紙の上に整った墨字がキレイに並んでいた。
(めちゃくちゃ嫌味ったらしいけど仕事は丁寧で早い。この人スゴイ!)
「山崎さん、ありがとうございました!」
「ほな」
山崎は軽く片手を挙げると裁きの間を出て行った。その直後、文机の後ろの扉から近藤が入ってきた。勇美は少しだけ緊張しながら挨拶をした。
「近藤局長、お疲れ様です」
「おお、勇美殿か。毎日の任務、まことにご苦労」
近藤は口元を緩めて言った。穏やかなその表情に勇美は驚いた。
(……あれ?優しい?アタシがきちんと仕事してるから?)
「ありがとうございます!今回は元春くんと一緒に任務に就かせて頂きます」
近藤は怪訝そうな顔をした。
「元春殿。先日のように間違って天国行きの死者を地獄行きに案内するなど、くれぐれもせんようにな」
「は、はい!きちんとやります!」
近藤は困惑した表情でため息を吐き、気を取り直した様子で永眠録を開いて準備を始めた。勇美は小声で元春に尋ねた。
「さっき近藤局長が言ってたのホントの話?」
「はい。あの時は死者が冤罪で捕まった人で複雑な任務だったんです。ボクは凄く焦ってしまって全く逆の案内をしてしまったんです」
「近藤局長は普段から元春殿を気にかけておられるのですが、この時は特に心配されて。元春殿が死者を案内しに行く時に後に着いて行かれました。通常は裁きが終わったら近藤局長がこの部屋から退出されることはないのですが。すると、元春殿が死者を誤って地獄に案内しようとするので近藤局長が慌てて止めたのです」
「……マジか。たかむらは知ってるの?」
「はい。近藤局長がご報告なされて、よく注意をするよう促されたので。たかむら殿は大変お怒りになられまして……」
「凄く叱られました。今度やったらクビにするぞって」
「そんなに怒らなくても良くない?地獄に行っても『間違えた!』ってまた戻ってくればいいじゃん」
元春とうたじろうは困惑した表情で顔を見合わせた。
「えっダメなの?」
「勇美殿。地獄から戻ることは許されません。それが例え過ちであっても。行ってしまったらもう二度と霊界にも天国にも行けません」
「……マジ?」
「地獄では永遠に拷問を受けます。『死んだら解放される』のではありません。魂を痛めつけられる行為が永遠に果てしなく続くのです。まさに地獄です。先日、勇美殿も実際に目にしてお分かり頂けたかと思いますが、それほど地獄というのは恐ろしい所なのです」
「だから、たかむらさんがボクを叱るのは当たり前なんです」
「……そっか。確かにこの間、地獄ヤバいって思ったもん。アタシも気を引き締めなきゃ」
「では、本日の裁きを始める。一人目の死者を呼んで参れ」
「は、はい!」
勇美は永眠録を開き、死者の名前を読み上げた。
「浪川ハナ殿、中へお入りください」
入ってきた者に勇美は仰天した。一匹の犬だったのだ。
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