上 下
1 / 1

病院で発達障害(アスペ)と診断されたが、ポジティブに受け止めた話。

しおりを挟む
最近、色々なことがあり、自分の障害について白黒はっきりさせようじゃないかということになった。

タイトルの通り、今回は自分の障害や持病について個人情報には触れない程度に全て明かそうと思う。決してネガティブな内容ではない。ぜひ同じ思いをしている人達に読んでもらいたい、そういう思いでこのエッセイを書くことした。

発達障害の検査はカウンセリングや診察の他に脳波を調べる検査もあったが、保険適用外とのことで高額な医療費が取られた。数値やデータ化して確実に診断してもらいたいと強く思っていたため私の中で躊躇いは全くなかった。結果、はっきりとした診断をもらえたので満足している。

・ASD(自閉症スペクトラム障害、アスペルガー症候群)
・HSP(ハイリ―センシティブパーソン)

これが私の持つ障害である。ひとつひとつ簡単に説明していくと

ASDは「アスペルガー」「アスペ」とよく言われる。症状は色々あるが、一番多いのは「~をするべき」「~をしなければならない」という思考に囚われてしまい、いつまでも同じことをグルグルと考え込んでしまうことだ。

HSPは最近、ネットでよく見かけるようになったので知っている人も多いと思う。「感覚・聴覚過敏」「繊細」な人のことだ。これは発達障害が併発しやすい特性で、正確には障害ではない。具体的な特徴は音、光、におい、刺激にとても敏感で、これらの刺激を受け続けるとストレスが溜まったり疲れてしまう。所謂「ガラスのハート」の持ち主である。(自分で言うのは気が引けるが)

この世に生を受けてかれこれ三十数年経つが、今まで私は自分がこのような障害を持っているなんて夢にも思わなかった。しかし、その気配がない訳ではなく伏線は沢山あった。それも数え切れないほど多くの。

医師から結果を聞いた時に真っ先に湧いた感情は「安堵」だった。ショックや衝撃は全くなく「そうだったのか!」と、今まで自分が直面してきた悩みや困難が全て障害に繋がっていたという事実に心から納得したのである。それはまるでミステリー小説や刑事ドラマの結末を目にして(耳にして)いるような感覚だった。自分の中にあった伏線が医師によって全て回収されたのだ。

私はこれまで様々な持病に悩まされて来た。中には今もたまに症状が出るものもあるが殆どは治るか落ち着いている。

・自律神経失調症
・不安障害
・生理前症候群
・特発性過眠症
・軽度難聴

この内の不安障害と過眠症はASDが併発しやすい病だと言うことが医師の説明で判明した。

不安障害というのは大きなストレスを抱えると体調が悪くなる病。私の場合は吐き気と腹痛、下痢の症状があった。現在は殆どないが、過度なストレスを受けると今でも吐き気に悩まされることがある。

過眠症は夜間にしっかり睡眠を取っても日中に酷い眠気に襲われる病である。会社勤めをしていた頃、この症状に散々悩まされた。仕事中にしょっちゅう眠気に襲われ作業にならなかった。幸いにも特に悪口・陰口はなかったが、もしかしたら周りには不審に思われていたかもしれない。現在は殆どないものの、ごくたまに眠くなることはある。そういう時は我慢せずに昼寝をするようにしている。在宅ワークだからこそできることである。

不安障害を引き起こしていた原因はASDの特徴である「いつまでも同じことをぐるぐる悩んでしまう」ことだった。一方、過眠症は「特発性」という名称が付いている通り「原因は不明」だと、当時医師に診断された。長らくモヤモヤしていたのだが、ASDが引き起こしていた事を知ってとても納得したのだった。

私が自分の体の異変に気づいたのはおそらく中学生ぐらいの時だったと思う。ちょうど思春期を迎えた時期。私は元々勉強が苦手だが、特に数字が苦手である。どのくらい苦手かというと

・暗算ができない
・時間の計算……アナログで文字盤を数えないと計算できない
・割引計算が(30%オフとか)できない
・九九が全て言えない
・分数とかよく分からない

もちろん他の子と一緒に同じ勉強をして成長したが何をどう頑張っても理解出来なかった。それでも何とか地域で一番レベルの低い高校に入り、卒業する事が出来たのは奇跡だと思うし、数学の補習の常連だった私を親切に指導してくれた先生には感謝の気持ちで一杯である。

だから私はこれまで数字を扱う仕事や採用試験を伴う仕事は極力避けて来た。就職試験は大失敗だったから尚更。だから正社員として働いたことは一度もない。数学ができないのは自分の努力不足だと思い込んでいた。しかし、実はそれもASDの特徴のひとつだったと医師の説明で分かった。

もうひとつ、今でも覚えていることがある。授業中に自分の息遣いや唾を飲み込む音がとても気になったことだ。母に病院に連れて行ってもらったのだが、医師の診断は異常なしだった。「精神的なものなのかな?」とは言っていたが、はっきりとした事は何も分からなかった。今思えばあれもおそらくはHSPの症状というか特徴だったのだろう。

HSPの話になるが、私は軽度難聴を持っているにも関わらず、音に敏感なのである。全く真逆の特性で相反するものなのだが、時と場合によってどちらか一方が強く出てしまうようだ。例えば、私は電車など公共の場がとても苦手だ。その一番の理由は音の刺激に弱いからだ。一日外出するだけでドッと疲れてしまい、翌日は体を休めないと活動ができない。なので2日以上の泊りがけの旅行などは帰宅してから翌日の夜ぐらいまで体が動かなくなってしまうのだ。もちろん旅行は楽しいので苦痛に感じることはないのだが。

具体的にどういうものが苦手なのかというと、私の場合は子供や女性の甲高くて大きな声、集団で喋っている時の声だ。特に若い子達がキャッキャッと盛り上がっている時の声が凄く苦手。そういう人達が近くに来るとすぐに席や場所を移動する。

その為、一人で出かける時は必ず耳栓とイヤホンを持って行く。読書をしたい時は耳栓をする。しかし一番多いのはイヤホンをすることだ。音楽を聴くことにより外部の音をシャットアウトする事ができるからだ。耳に何も入れていない時とイヤホンをしている時は雲泥の差がある。音楽を聴いていると心が安定する。そういう意味でも私にとって音楽は欠かせないものだ。ただしこれは一人の時のみで、主人や家族、友達が一緒の時は気にならない。

もうひとつ、私が長年悩まされて来たのはASDの特徴である「~するべき」「~しなきゃいけない」という思考だ。この思考のせいで私は度々自分を極限まで追い込んだ。「~しなきゃいけない」のにできなかった自分を「駄目な人間なんだ」と責め立てた。またマナー違反やモラルに反した人を見ると「何であの人はきちんとできないんだろう」とずっと気になってモヤモヤの無限ループにハマってしまう。

つまり私は、家から1歩外に出るだけで「~しなきゃいけない」思考と音の洪水に襲われるのである。不特定多数の人間のあらゆる言動や物音が過度な刺激になってしまうのだ。だから一時期はそれが嫌で外に出る事を意図的に避けていたこともあった。この症状は社会に出てから特に酷くなったように思う。おそらく学生の時以上に色々なストレスを受けたからなのだろう。

そんな生活をかれこれ20年以上も続けてきた。何も知らずに。凄く生き辛かった。趣味は沢山あったし楽しいことも沢山あったが「どうして皆は思い切り遊んだ翌日に朝から晩まで普通に仕事できるんだろう?」とか「どうして皆そんなに気楽に生きられるんだろう?」と心の中では常に思っていた。

そんな生き辛さを抱えたままアラサーを超え、もうすぐアラフォーになる。そんな時にスーパーポジティブ人間の旦那に出会って結婚し、人生が変わったのだ。旦那に出会っていなければ、作家を目指すこともシナリオライターとして仕事をすることもなかっただろう。何より発達障害の検査を受けることもなかっただろうと思う。人生というのは何が起こるか分からないものだとつくづく思う。

診察してくれた医師はとても良い人で、まず私の診断結果を告げた後「これまで相当苦労されましたね」と労ってくれた。また「私は発達障害は『障害』ではなく『特性』と言っているんですよ」と言っていた。つまり「障害」ではなく「個性」として捉えるということだ。医師のその言葉に私はとても感銘を受けた。それだけでかなり気が楽になるし、前向きに考えられるような気がするのだ。

私は数字の概念や「~しなきゃいけない」思考など多くの欠点や欠如がある。しかし、それとは引き換えに「文章力」や「想像力」という「武器」を得た。おそらくこれらはASDやHSPだからこそ得られたものだろうと思っている。

私はよくトンデモ料理を作って旦那を困らせているし、それをエッセイのネタにすることが多い。昨夜の夕飯も変な料理を作って旦那にツッコミを食らったところである。しかし旦那は言う。

「これもその特性?のひとつなんだろうね」

全くその通りで、ASDには「不器用」という特徴もある。だから私がトンデモ料理を作ってしまうのは仕方ないことなのだ。しかし、それを逆にネタにしてひとつのエッセイが書けるというのはASDのメリットとも言えるかもしれない。その犠牲になる旦那には申し訳ないが……。

旦那はスーパーポジティブ人間なのでこういった障害には無縁な人だし、よく「雪子の辛さは俺にはよく分からないけど……」と言われる。しかし、分からないなりに頑張って理解しようと努力してくれる。それは何故かというと、旦那が付き合ってきた人達は影のある人が多かったそうで、それが一番の理由なんだと私は思っている。旦那が私のことを理解してくれているのはこれまでそういう人達と接してきたからなのかもしれない。精神疾患がなかなか理解されない世の中で、自分のパートナーがこうして理解してくれることはとてもありがたい。旦那には常に感謝の気持ちを持ち続けたい、心からそう思う。

中には「自分は絶対に違う。でも周りに言われるから仕方なく検査した」というような人も沢山いると思う。その場合、自分が当事者になってしまったことに戸惑ったりショックを受けるかもしれない。しかし、私はその逆だった。病院を受診したのは自分で「もしかしたら?」と思ったのもあるかもしれないが、むしろホッとしたのだ。病院を出てから自分が過ごしてきた人生を振り返っているが

ああ、あの時も、あの時も、全部そうだったのか。自分のせいじゃなくて全部発達障害だったのか。

そう思うことが沢山ある。今までは自分のせいだと決めつけて一人で勝手に悩んで苦しんでいた。しかし、それは違うんだと。これからは自分を責めなくていいんだ。良い意味での責任転嫁ができ、気持ちがとても楽になったのだ。発達障害であることは決して嬉しいことではない。しかし、医師の言う通りどう捉えるかは自分次第だ。「個性」と捉えた時に、これまでの自分と今の自分が果たしてどう見えるだろう?

自分はもしかしたら発達障害かもしれないと悩んでいる人がいたら、ぜひ検査を受けて欲しいと私は思う。ショックを受けるかもしれないが、自分で疑問を抱いているということは診断結果によっては納得する可能性が高いからだ。私のように。カウンセラーの話によると、やはり自分で疑いを持って受診・検査を受けた人は納得する人が多いのだそうだ。特にこれまでの人生で自分を責め立て追い込んできた人に。決して自分のせいではないということを私は声を大にして言いたい。

私は病院から帰る電車の中で思った。

よくここまで死なずに頑張って生きてきたね。自分がこんなものを持っているなんて全く知らずに。生き辛くて堪らなかったよね。

そして、もう一人の自分の肩をぽんぽんと叩いたのだ。かつて、アトランタ五輪で銅メダルを獲得した有森裕子選手は言った。

「初めて自分で自分をほめたいと思います」

今でも語り継がれる名言だ。比べては失礼かもしれないが、この時の私の心境はまさにそれだった。暗くなるので書かなかったが、正直なところ「死のう」と思ったことは何度もある。だから、それを全て乗り越えて今生きている自分を褒めたい、そう思うのだ。

たかが診断を聞いたぐらいで大袈裟な……しかも大それたことなんて何もしてないじゃん。そう思う人もいるかもしれない。しかし「生きている」ただそれだけでいいのだ。自分で自分の命を絶ってしまうことほど悲しく残酷なことはない。

生き辛さを乗り越えて、今日まで生きて来た自分を褒める為にもぜひ一歩を踏み出してみて欲しい。同じ障害に苦しむ全ての人へ。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。


処理中です...