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第2話
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ある休日の夜。楓は自宅マンションのキッチンでせっせとご馳走を作っていた。数日前に30歳になった渚の誕生日を祝う為だ。
長めの黒髪、前髪で目は隠れ気味。黒い服を着ることが多く、身に着けているエプロンも黒。職業はフリーのWebデザイナー。引きこもってネットゲームをやっていそうな雰囲気のわりに料理という意外な趣味、特技を持っている。彼は渚の幼馴染かつ恋人である。
リビングのソファには緊張した様子で渚が座っている。彼女は「手伝う」と言ったが、楓は「主役にやらせる訳にはいかない」とやんわりと断り、代わりに温かいレモンティーを差し出した。楓は次々に手の込んだ料理を作ってリビングのテーブルに運んだ。
「パスタにサラダにチキン……凄く嬉しいけどこんなに沢山食べられないよ」
「食えなかったら残せばいい」
にこりともせずそう言うと楓は再びキッチンに戻り、冷蔵庫からチョコレートのホールケーキを取り出して持ってきた。
「えっこれも楓が作ったの?!」
「ああ。当日は俺の仕事が忙しくて祝えなかったから。さすがにろうそく30本は無理だから5本でいいだろ?」
「う、うん」
楓はポケットからタバコとライターを取り出すと、タバコをテーブルに置き、ライターでろうそくに火をつけた。部屋の電気を消し、火を吹き消すよう黙ったまま手で促した。渚が勢いよく火を吹き消すと、楓が部屋の電気をつけてそっと言った。
「おめでとう」
「あ、ありがとう。まさか30歳にもなってこんなに盛大に祝ってもらえるなんて……」
渚はそう言いながら楓の顔を見た。相変わらずの無表情だったが、その目の奥に優しさと愛情が溢れていることを感じ取った。
二人は小学校から高校までを同じ学校で過ごした。楓は幼い頃から感情を顔には出さず、態度もぶっきらぼう、しかし思ったことをはっきりと口にするタイプだった。その為、同級生からいじめを受けることもあった。孤立していた楓に寄り添っていたのは渚だけだった。自分のはっきりとした物言いに逆上せず、またいつも笑顔で接してくれる渚のことを楓はいつしか一人の女性として好きになっていた。
一方、渚は楓のことを変わった子だとは思ってはいたが、他のクラスメイト達と違って怖いとか嫌だとかそんな負の感情を抱いたことは一度もなかった。二人は隣同士の席で、渚が体調を崩した時は楓が代わりに先生に申告をしたり、保健室に連れて行った。渚の父親が仕事で忙しい時に楓が代わりに夕食を作ったり、たまにクッキーやケーキを振る舞うこともあった。渚は楓のそんなさり気ない優しさに惹かれた。
ただ、不器用な楓の本心を見抜くことは難しく苦労することもあった。が、長い時を共に過ごしていく内に次第に彼の微妙な変化から感情を読み取ることができるようになっていった。
渚がケーキからろうそくを丁寧に抜き取る姿を見ながら楓は、彼女に告白した時のことを思い出していた。高校の卒業式が終わり、帰りに渚を家まで送り届けた後、遂に楓は渚に告白した。楓はIT系の大学、渚は車の専門学校と、それぞれ別々の道に進むことが決まっていたからだ。
「俺と付き合って欲しい」
突然の告白に激しく驚き、渚はキョトンとした顔をした。
「おい。鳩が豆鉄砲食ったような顔すんなよ」
「……えっ?な、何で私?」
「何でって……好きだからに決まってんだろ!」
「嘘?!いつから?!」
「小学校からだよ!」
「えっ……」
楓はため息を吐いた。彼はそれとなく自分の気持ちを渚にアピールしてきたつもりだった。渚は人の感情に敏感だったが、恋愛には奥手だったため全く伝わっていなかったのだ。
「返事は今すぐじゃなくてもいい」
「いいよ!」
「……はっ?」
「私も楓のことが好き」
そう言ってはにかむ渚が愛おしくなり、楓は言葉の代わりに思わず渚を思い切り抱きしめた。渚の自宅の前だったので父親に見られる可能性もあったが、楓にとってそんな事などどうでも良かった。あの気持ちをもう一度思い出し、楓は渚に言った。
「渚、改めて言わせてくれ。結婚しよう」
「……えっ」
渚は驚いて抜き取ったろうそくを握り締めたまま固まってしまった。
「会社辞めてフリーになってから固定客も増えてようやく仕事が安定してきたから。待たせてしまって悪かった」
楓はポケットから指輪を取り出そうとして手を止めた。渚の表情に動揺と戸惑いが現れていることに気づいたからだ。
「前から話してただろ?結婚式とか住む家はどうするとか」
「そ、そうだけど……」
彼女の何とも言えない複雑な表情に楓は次第に苛立ちを募らせて行った。
「結婚を考えてて正式にプロポーズするから待っててって言ったよな」
「う、うん」
「嬉しそうに式はハワイで挙げたいとか言ってたよな」
「……うん」
「だから渚も結婚を意識してくれてんだって思ってた。違うのか?」
渚は何も答えなかった。楓から目を逸らしてずっと何かを言おうか言うまいか迷っている。煮え切らない渚の態度に遂に楓の堪忍袋の緒が切れた。
「言いたいことがあるなら早く言えよ!」
楓が思い切り顔を歪ませ、拳でテーブルを叩いた。渚は酷く驚いて体をビクッと震わせた後、静かに口を開いた。
「……私と別れて」
突然、別れを切り出した彼女に楓は酷く驚いた。
「はぁ?冗談だろ?」
「冗談じゃない。本気なの」
「……どういうことだ」
楓はまた怒りが沸いて来るのを感じたが、何とか堪えて言った。渚は口を開きかけてまた閉じた。が、意を決したようにこう言った。
「……信じてもらえないと思う。でも、もう黙っている訳にはいかない。だから正直に話すね」
長めの黒髪、前髪で目は隠れ気味。黒い服を着ることが多く、身に着けているエプロンも黒。職業はフリーのWebデザイナー。引きこもってネットゲームをやっていそうな雰囲気のわりに料理という意外な趣味、特技を持っている。彼は渚の幼馴染かつ恋人である。
リビングのソファには緊張した様子で渚が座っている。彼女は「手伝う」と言ったが、楓は「主役にやらせる訳にはいかない」とやんわりと断り、代わりに温かいレモンティーを差し出した。楓は次々に手の込んだ料理を作ってリビングのテーブルに運んだ。
「パスタにサラダにチキン……凄く嬉しいけどこんなに沢山食べられないよ」
「食えなかったら残せばいい」
にこりともせずそう言うと楓は再びキッチンに戻り、冷蔵庫からチョコレートのホールケーキを取り出して持ってきた。
「えっこれも楓が作ったの?!」
「ああ。当日は俺の仕事が忙しくて祝えなかったから。さすがにろうそく30本は無理だから5本でいいだろ?」
「う、うん」
楓はポケットからタバコとライターを取り出すと、タバコをテーブルに置き、ライターでろうそくに火をつけた。部屋の電気を消し、火を吹き消すよう黙ったまま手で促した。渚が勢いよく火を吹き消すと、楓が部屋の電気をつけてそっと言った。
「おめでとう」
「あ、ありがとう。まさか30歳にもなってこんなに盛大に祝ってもらえるなんて……」
渚はそう言いながら楓の顔を見た。相変わらずの無表情だったが、その目の奥に優しさと愛情が溢れていることを感じ取った。
二人は小学校から高校までを同じ学校で過ごした。楓は幼い頃から感情を顔には出さず、態度もぶっきらぼう、しかし思ったことをはっきりと口にするタイプだった。その為、同級生からいじめを受けることもあった。孤立していた楓に寄り添っていたのは渚だけだった。自分のはっきりとした物言いに逆上せず、またいつも笑顔で接してくれる渚のことを楓はいつしか一人の女性として好きになっていた。
一方、渚は楓のことを変わった子だとは思ってはいたが、他のクラスメイト達と違って怖いとか嫌だとかそんな負の感情を抱いたことは一度もなかった。二人は隣同士の席で、渚が体調を崩した時は楓が代わりに先生に申告をしたり、保健室に連れて行った。渚の父親が仕事で忙しい時に楓が代わりに夕食を作ったり、たまにクッキーやケーキを振る舞うこともあった。渚は楓のそんなさり気ない優しさに惹かれた。
ただ、不器用な楓の本心を見抜くことは難しく苦労することもあった。が、長い時を共に過ごしていく内に次第に彼の微妙な変化から感情を読み取ることができるようになっていった。
渚がケーキからろうそくを丁寧に抜き取る姿を見ながら楓は、彼女に告白した時のことを思い出していた。高校の卒業式が終わり、帰りに渚を家まで送り届けた後、遂に楓は渚に告白した。楓はIT系の大学、渚は車の専門学校と、それぞれ別々の道に進むことが決まっていたからだ。
「俺と付き合って欲しい」
突然の告白に激しく驚き、渚はキョトンとした顔をした。
「おい。鳩が豆鉄砲食ったような顔すんなよ」
「……えっ?な、何で私?」
「何でって……好きだからに決まってんだろ!」
「嘘?!いつから?!」
「小学校からだよ!」
「えっ……」
楓はため息を吐いた。彼はそれとなく自分の気持ちを渚にアピールしてきたつもりだった。渚は人の感情に敏感だったが、恋愛には奥手だったため全く伝わっていなかったのだ。
「返事は今すぐじゃなくてもいい」
「いいよ!」
「……はっ?」
「私も楓のことが好き」
そう言ってはにかむ渚が愛おしくなり、楓は言葉の代わりに思わず渚を思い切り抱きしめた。渚の自宅の前だったので父親に見られる可能性もあったが、楓にとってそんな事などどうでも良かった。あの気持ちをもう一度思い出し、楓は渚に言った。
「渚、改めて言わせてくれ。結婚しよう」
「……えっ」
渚は驚いて抜き取ったろうそくを握り締めたまま固まってしまった。
「会社辞めてフリーになってから固定客も増えてようやく仕事が安定してきたから。待たせてしまって悪かった」
楓はポケットから指輪を取り出そうとして手を止めた。渚の表情に動揺と戸惑いが現れていることに気づいたからだ。
「前から話してただろ?結婚式とか住む家はどうするとか」
「そ、そうだけど……」
彼女の何とも言えない複雑な表情に楓は次第に苛立ちを募らせて行った。
「結婚を考えてて正式にプロポーズするから待っててって言ったよな」
「う、うん」
「嬉しそうに式はハワイで挙げたいとか言ってたよな」
「……うん」
「だから渚も結婚を意識してくれてんだって思ってた。違うのか?」
渚は何も答えなかった。楓から目を逸らしてずっと何かを言おうか言うまいか迷っている。煮え切らない渚の態度に遂に楓の堪忍袋の緒が切れた。
「言いたいことがあるなら早く言えよ!」
楓が思い切り顔を歪ませ、拳でテーブルを叩いた。渚は酷く驚いて体をビクッと震わせた後、静かに口を開いた。
「……私と別れて」
突然、別れを切り出した彼女に楓は酷く驚いた。
「はぁ?冗談だろ?」
「冗談じゃない。本気なの」
「……どういうことだ」
楓はまた怒りが沸いて来るのを感じたが、何とか堪えて言った。渚は口を開きかけてまた閉じた。が、意を決したようにこう言った。
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