優先席とヘルプマークについて今改めて思うこと。

星名雪子

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優先席とヘルプマークについて今改めて思うこと。

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劣悪な環境によるストレスで体調を崩してしまい引っ越しをしてから約三ヶ月。体の方はいまだに不調が続いているもののようやく新しい街と住居に慣れて来て、落ち着いた生活を送る事が出来ている。

都会から少し離れてしまった為、通勤時間は前よりも若干増えたが、最寄りは始発駅からたった三駅で、しかも利用客の少ない駅ばかりなので特急クラスの電車でも必ず座る事が出来る。しかし、そんな便利な最寄り駅にもデメリットがある。それはホームに屋根が無い場所があるという事だ。その屋根なしエリアは改札口から遠く、また天候に左右される為か並ぶ客は少ない。穴場なので私は今まではそちらに並んでいた。だが……。

近頃夏本番を迎え、暑さが厳しくなった影響でその屋根なしエリアは灼熱地獄しゃくねつじごくと化してしまった。

「このままでは電車に乗る前に熱中症で倒れてしまう……」

危機感を覚えた私はある方法を思いついた。それが「ホーム全体が屋根ありの始発駅まで電車で向かい、折り返し乗車をする」という方法である。(もちろんきちんと折り返し料金を払う)

「いやいや、そんな事せんでも屋根ありエリアに並べばいいだろ!」

とツッコミが入るかもしれない。私だって出来ればそうしたい。が、屋根ありエリアに並んでいるのは自己中心的なセコい客ばかりなので、乗車する際に余計なストレスを溜めてしまうので出来ないのだ。(転居直後に何度か並んだ事がある)

どういう客がいるかいくつか具体的に挙げてみよう。

その1、改札口に最も近い乗車位置では時間ギリギリに後方に並んだおばさん達が我先に乗車しようとするので先越されたり横入りされないよう注意しなければならない。

その2、中央付近の乗車位置では、何が何でもいち早く優先席に座りたいおじさんとの「絶対に負けられない椅子取りゲーム」をしなければならない。

今住んでいる街は前に住んでいた街に比べると格段に治安は良いし、基本的に人ものんびりしているのだが、平日の朝の駅と電車(特に特急クラス)だけは論外なのである。恐らくそれは都市部に行くには長い時間電車に乗る必要があり、座りたい人が多いからだろう。

そんな訳で、いかにストレスを溜める事なく気楽に安全に通勤出来るかを考えた結果思いついたのが、多少の時間とお金はかかってもいいから始発駅から乗る、という方法だったのである。

始発駅から乗るメリットは屋根がある以外にもある。一番は座席が選べるという点だろう。私は毎日、先頭に並び、特急電車の優先席の壁側一番端っこの席を確保している。(ドア側の端っこ席は立っている客の背中が壁になり圧迫感があって苦手だ)一番端っこの席は電車の座席の中で一番人気があり、争奪戦が激しいので確保出来ると何となく勝った気分になるし、何より安心する。

さて、前置きが長くなったが、ここからが本題である。

先日、始発駅のホームのいつもと同じ乗車位置(優先席に近い所)の先頭に私は並んでいた。この駅は大体2列で整列するのがルールなのだが、この時点で私の隣(右側)にはまだ誰も並んでいなかった。ひとつ前の各停電車が到着して、他の乗車位置にもチラホラと客が並び始めた頃、私の隣に一人のおばあさんが来た。

年齢は分からないが、70代ぐらいだろうか。杖はついておらず、姿勢も身なりも綺麗で上品そうなおばあさんだった。程なくしておばあさんがニコニコしながら私に声を掛けて来た。

「私、こちら側に並んでもいいですか?」

そう言いながらおばあさんは私の右側から左側に移動した。おばあさんが移動した乗車位置は「6両編成」(各停に乗る人が並ぶ位置)と書かれていたので

(目の前に各停が来てるけど……あ、特急の後の各停に乗るのかな?)

と、私は不思議に思った。以下、私とおばあさんの会話である。

私「6両編成に乗るんですか?」

おばあさん「そうそう」

私「(意味分かってなさそう……)各停に乗るんですか?」

おばあさん「いえ、次の特急に乗るんです」

私「それなら乗車位置はこっちの8両編成の方ですよ。そっちは各停の方なので……」

おばあさん「あら、そうなんですか。私、優先席の端っこに座りたいのよ。もしかしてあなたも?」

私「はぁ、そうですけど……」(かなり動揺しながら)

おばあさん「あら、そう。じゃあ、私こちらに並びますね。ごめんなさいね」(そう言いながら私の左側から右側に戻る)

私「なんかすみません、私これ持ってる者でして……」(ヘルプマークを見せる)

おばあさん「……?」

私(ヘルプマーク知らないのか……)「私、障害を持っているものですから……すみません」

おばあさん「まぁ、そうでしたか。ごめんなさいね」(本当に申し訳なさそうな感じで)

ここで会話は一旦終了した。文章だけだと分かりにくいが、おばあさんは終始とてもニコニコしていて「年寄りに優先席を譲るのは当たり前でしょ」といった傲慢ごうまんさや自己中心的な印象は全く受けなかった。ただ純粋に「優先席に座りたいけど、他の乗車位置はもう結構並んでるから、譲ってくれる人がいるなら……」という感じで素直に声を掛けて来たように思えた。

その後、私はいつもの壁側の一番端っこの席に座り、おばあさんはドア側の端っこの席に座った。乗車する際におばあさんは私の方を見て笑顔で「どうぞお先に」と言ってくれ、席に座った後も「ここに座れたから大丈夫よ」と状況報告までしてくれた。とにかく最初から最後までずっと人の良さそうな笑顔を浮かべていたのが印象的だった。

正直なところ、私はとても複雑な気持ちになった。何か嫌な事を言われた訳ではないが、何となく心の中がモヤモヤとした。上手く言葉に表せないが、それは恐らくおばあさんが私に対してとった言動、そして彼女に対して私がとった言動が果たして良かったのか悪かったのか、正しいのか正しくないのかがはっきりしないからである。

もしも、この出来事について私が100人にアンケートを取ったとしたら、恐らく答えは千差万別だろう。

「譲ればいいだろ、冷たいな」

「いや、譲ったら何のためにわざわざ始発駅まで戻ってんのか分からないよ」

「優先席は年寄りだけのものじゃないよね」

「素直にお願いするとか偉いなおばあさん」

「譲ってアピールしなきゃならないほど不安だったんだろうね」

「悪気はないだろうけど図々しいな」

「ヘルプマーク持ってる人増えたけど認知されるのはまだまだ先かな」

「そもそも、左側に並ばなくても先頭に並んでるなら確実に優先席座れるだろ。始発なんだから。わざわざお願いする必要あるか?」

「席座れた報告わざわざしてくるとか笑」

「お先にどうぞってわざわざ言わなくても良くない?何様?上から目線かよ」

「たぶん健常者だと思って声掛けて来たんだろうね。見た目で分かる障害なら遠慮するでしょ」

ザッとこんな感じだろうか。因みにこれらは全部私が思っている事でもある。そう、私の中でも気持ちが相反あいはんしているのである。

もしも、あのおばあさんが見るからに図々しい表情や態度、尚且つ喧嘩腰で話かけて来たなら私は憤りを感じたはずだし、ストレスだって溜まったはず。そうではなく、あくまでも謙虚な姿勢で接してくれたのは良かったと思う。しかし、こうも思う。

「おばあさんは私がどんな気持ちでどんな状況でこの場所に並んでいるのかを考えたりしないんだな」

これは「譲ればいいだろ」という意見への反論にもなるが、優先席に座る為に私が毎日どれだけの時間や労力を使っているのかという事だ。

私が苦手とする「人混み」「至近距離で見知らぬ人と接する」「長時間の密室状態」これら全ての条件に当てはまる朝の満員電車は私にとってストレスのかたまりである。その中でストレスを最小限に抑える為に優先席を利用させてもらっている。

私がそれだけの思いと悩みを抱えながら毎日、同じ乗車位置から電車に乗り込んでいる事などきっとあのおばあさんは思いつかないだろうし、そこまで考えも及ばないだろう。おばあさんに限らず見知らぬ赤の他人が抱えている状況まで汲み取る人などそうそういないのではないだろうか。

私は「他人の感情に敏感」「人にどう思われているかが気になる」という特性を持っている為か、公共の場に出ると見知らぬ人の言動ひとつひとつが気になってしまう。

例えば駅のホームで電車を待っている時、毎日同じおじさんが私の隣に並んでいるとする。

「このおじさん、二つ前の電車から並んでるけどどこまで行くのかな?きっと私がこの街に来るずっと前から毎日そうしてるんだろうな。邪魔したら申し訳ないか……」

隣に並んでいる見知らぬおじさんの状況や気持ちまで考えて自分がどういう振る舞いをすればいいのかいちいち悩んでしまうのだ。自分で言うのもなんだが、ここまで赤の他人の事を気にする人間などそうそういないだろう。だから人一倍ストレスが溜まるのだ。

何が言いたいかというとつまり、あのおばあさんがもしも私と同じような性格、もしくは特性を持っていたとしたら私に声を掛けて来る事はまずなかっただろうという事だ。私が逆の立場なら例え障害を持っていても、優先席の端っこに座る為だけにそんな図々しいお願いなどとても出来ない。良く言えば正直、悪く言えば図々しい。果たして、あなたはどう思うか?

因みにこの出来事についてパートナーにどう思うかを尋ねてみると、こんな答えが返って来た。

「俺は障害を持ってる訳じゃないから譲ると思うけど、雪ちゃんの言動は間違ってないと思う。それに『障害を持っているから』と言えたのはたぶん自分を守ろうとしたんじゃないかな。中には喋るのが苦手だとかで雪ちゃんみたいに正直に言えない人もいると思う」

私の言動を間違っていないと言ってくれた事でいくらか安心する事が出来た。何より「障害を持っているから」という発言が「自分を守る為」に出たものという見解は目から鱗だった。考え抜いたのではなく咄嗟に出た言葉であって自分では気付かなかったからだ。

不特定多数の多種多様な人間が大勢存在する社会の中で、私は知らず知らずの内に自分を守る術を身につけていたのだ。それはきっとこれまでどんなに辛く苦しくても、引きこもったりせずに社会との繋がりを保ち続けて来た故の成果なのかもしれない。そう考えると、これまでの辛い日々はやはり決して無駄ではなかったのだと改めて思う。

また、自分以外の人に考えや意見を求める事、悩みを打ち明ける事がいかに重要で自分の為になるかという事も実感した。

優先席とヘルプマーク。これらは弱者への思いやりと配慮によって作られたスペースとアイテムである。これまでもエッセイで何度か取り上げたが、おばあさんとのやり取りは私にこれらの使い方や存在意義を改めて考えさせられる出来事となった。

私の障害は外見からは分からない為、意思表示の意味でヘルプマークを使用しているのだが、改めてマークの認知度の低さと見た目では分からない内面の障害を持っている事の辛さも実感した。

また「譲り合い」という言葉の意味についても深く考えた。辞書には「互いに譲り合うこと」とある。今回はおばあさんが譲る形になったが、もしも私が健常者であれば私が譲る側になったかもしれない。(そもそも健常者なら優先席には座らないし、わざわざ始発駅まで行き折り返し乗車などしないだろうが)

今回のように、譲り合う対象が弱者同士だったら、一体どのようにすればいいのだろうか。弱者と言っても障害者や年寄りだけではなく、妊婦や子供も含まれる。同じ障害を持っているならまだしも、そもそも困難の種類が違う者同士を比較する事は難しい。そう考えるとやはり一人一人が相手を思いやる事が大切ではないだろうか。

今回のケースでいえば、おばあさんと私の双方が互いの置かれている状況を汲み、譲り合うという事だ。先程は私の状況について説明したが、今度はおばあさんの状況を考えてみたいと思う。

おばあさんは通院などで普段は乗らない時間帯の電車に乗る必要があり、不安を抱えていた。「出来れば優先席の端っこに座りたい。でも、もう既に一番近い場所にはこの女性(私の事)が並んでいる。どうしよう。譲ってもらえるか聞いてみようかな」あくまでも私の予想だが、こんな感じだろうか。

おばあさんはきっと不安だったに違いない。でも勇気を出して私に声を掛けてくれた。そう考えると、私がおばさんに譲るという選択肢ももちろんあったし、今思えばそうしても良かったのではないかと申し訳ない気持ちになる。

先程、私は「他人の感情に敏感」という特性から「見知らぬ人の状況や気持ちまで考えてしまう」という癖があると言ったが、あの時、おばあさんが置かれている状況について考える事はなかった。それはおばあさんよりも私の方が先に並んでいたからというのと、見ず知らずの赤の他人に突然話掛けられる事など滅多にないので急に話しかけられて気が動転していたから、という二つの理由がある。

それにおばあさんには申し訳ないが、平日の朝に相手の事を思いやれる程の気持ちの余裕を私は全く持てないというのが正直なところだ。

「譲り合い」口で言うのは簡単である。だが、行動に移す事がどれだけ難しいか。今回、おばあさんとの出来事で私はそれを身を持って実感したのであった。
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