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あとがき
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珍しく抽象的でダークなお話を書いてみました。
こういった路線の話は殆ど書いたことがなかったのですが、ある事をキッカケに急にアイデアが降ってきて、そこから一気に書き上げました。そのキッカケはふたつあります。
まずひとつはヨルシカというアーティストの曲です。最近ヨルシカの曲をよく聞いてるのですが、その中の「月に吠える」と「準透明少年」という曲にインスピレーションを受けたのです。ヨルシカの曲は歌詞が全て日本語でとても文学寄りです。
特に「月に吠える」は萩原朔太郎という文豪の作品をモチーフにした曲。お恥ずかしながら私はまだ読んだことがありませんが……「自分の中にいる獣」について歌った曲です。
「準透明少年」は死んでしまった少年が自分の事を透明人間に例え「君に気づいてほしいから歌を歌う」という曲です。
もうひとつのキッカケは、私自身が持つ発達障害についてです。関連エッセイでは前向きな思いや言葉を綴っていますが、見えないところではやはり葛藤があったりします。今はかなり落ち着きましたし、エッセイに書いた前向きな気持ちは変わりません。
が、発達障害と判明する前は「原因は分からないけど、とにかく人と違う自分自身」についてネガティブに悩んで悩んで、消えてしまえばいいと思ったことが沢山ありました。その時に自分の中にあった醜い感情や暗い気持ちを物語にしてみました。
ヨルシカの曲は抽象的な歌詞が多く、ファンの間では色々な考察が飛び交います。このお話も意図を明かすのではなく、読んでくださる方の解釈にお任せしようかなと思ったのですが……発達障害当事者として自分の気持ちを明かして少しでも障害について詳しく発信したいと思い、このあとがきを書くことにしました。
男は幽霊ではなく、透明人間です。これはヨルシカの「思想犯」という別の曲の「死にたくないが、生きられない」という歌詞に関係します。
私はかつて命を絶つことを考えた時「死にたいけど死ねない」というジレンマに陥りました。それは自分で命を絶つことへの恐怖や勇気が出せないといった様々な感情から来るもの。
この歌詞を見た時、その感情を思い出したのです。あの時の自分に似てるなと。その感情を可視化?すると、恐らく幽霊ではなく透明人間の方が近いでしょう。幽霊は「死んだ人間」透明人間は「消えた人間」「死ぬ」よりも「消えた」方がずっと楽だろうなと。まぁ現実には有り得ない話なんですけどね。
男は「人と違う自分」に気づいてから家族や友に裏切られますが、私自身はそのような事はありません。しかし、これは障害が判明する前の話になりますが、疎遠になってしまった人達は沢山います。私自身、昔から人付き合いがとても苦手だからです。それもまた「友達がいないなんて、やっぱり私は人とは違うんだな」という思いに駆られる原因になっていたのかもしれません。今はそんな風に思ってはおらず、「分かってくれる人だけそばいにてくれたらそれでいい」と思うようになりました。
ネガティブな気持ちが続くと次第に自暴自棄になります。それが「どうせ自分なんか」という自己否定の感情です。私は自己肯定感が凄く低くて常に自分を蔑み、追い込んで来ました。だからこそ自暴自棄になり、仕舞いには「ああ、もういいや。何もかも面倒くさい。私なんていない方がいい」と言って衝動的に命を絶とうとするのです。私はそんな時、決まって海に行きました。飛び込めば楽になれるなどと思っていたからです。でも実際はそんな勇気も出ず、惨めな思いで家に帰るんですけどね……
男は一度、透明人間になりましたがその後、自暴自棄になって気が狂い、とうとう海に身を投げました。でも、身を投げた男がいるなんて誰も知らない。
そんな末路は悲し過ぎる。と、自分で書いていて思いました。この男のようになってはいけないのです。前のエッセイにも書きましたが、自ら命を絶つこと程愚かで悲しいものはありません。仏教観の話になりますが、自殺というのは殺人と同じくらい罪深いものです。だって、自分を自分で「殺す」のですから。
自分は孤独かもしれない。けれど、この世界中のどこかに必ず分かり合える人がいます。その証拠に今、世界中で大人になってから発達障害に気づく人、苦しむ人が増えているのです。最近、発達障害関係でふたつの病院を受診したのですが、どちらにも沢山の患者がいました。このように同じ苦しみを、悩みを抱えている人が世界中に沢山います。私もその一人です。だから「誰も自分のことなんて分からない」なんて思わず、生きていきたい。私はそう思います。
あの時、もしも海に身を投げていたら今、私はこの世にいません。自分の中にある「命を絶つことへの恐怖」に私は救われたのです。限界に近づいた人間は一切の感情を失ってしまいます。だから、みんな恐れることなく自ら命を絶っていくのです。でもあの時の私の中にはまだ「恐怖」という感情が残っていた。通常なら負の感情ですが、良い働きをしてくれて本当に良かったです。
今の私は基本的に前向きに生きています。けれど、もちろん前向きな時ばかりではありません。辛いと思うことも沢山あります。人間ですから。
そういう思いを表現したくてこのお話を書いてみました。少しでも障害当事者の思いなどが伝わればいいなと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。
こういった路線の話は殆ど書いたことがなかったのですが、ある事をキッカケに急にアイデアが降ってきて、そこから一気に書き上げました。そのキッカケはふたつあります。
まずひとつはヨルシカというアーティストの曲です。最近ヨルシカの曲をよく聞いてるのですが、その中の「月に吠える」と「準透明少年」という曲にインスピレーションを受けたのです。ヨルシカの曲は歌詞が全て日本語でとても文学寄りです。
特に「月に吠える」は萩原朔太郎という文豪の作品をモチーフにした曲。お恥ずかしながら私はまだ読んだことがありませんが……「自分の中にいる獣」について歌った曲です。
「準透明少年」は死んでしまった少年が自分の事を透明人間に例え「君に気づいてほしいから歌を歌う」という曲です。
もうひとつのキッカケは、私自身が持つ発達障害についてです。関連エッセイでは前向きな思いや言葉を綴っていますが、見えないところではやはり葛藤があったりします。今はかなり落ち着きましたし、エッセイに書いた前向きな気持ちは変わりません。
が、発達障害と判明する前は「原因は分からないけど、とにかく人と違う自分自身」についてネガティブに悩んで悩んで、消えてしまえばいいと思ったことが沢山ありました。その時に自分の中にあった醜い感情や暗い気持ちを物語にしてみました。
ヨルシカの曲は抽象的な歌詞が多く、ファンの間では色々な考察が飛び交います。このお話も意図を明かすのではなく、読んでくださる方の解釈にお任せしようかなと思ったのですが……発達障害当事者として自分の気持ちを明かして少しでも障害について詳しく発信したいと思い、このあとがきを書くことにしました。
男は幽霊ではなく、透明人間です。これはヨルシカの「思想犯」という別の曲の「死にたくないが、生きられない」という歌詞に関係します。
私はかつて命を絶つことを考えた時「死にたいけど死ねない」というジレンマに陥りました。それは自分で命を絶つことへの恐怖や勇気が出せないといった様々な感情から来るもの。
この歌詞を見た時、その感情を思い出したのです。あの時の自分に似てるなと。その感情を可視化?すると、恐らく幽霊ではなく透明人間の方が近いでしょう。幽霊は「死んだ人間」透明人間は「消えた人間」「死ぬ」よりも「消えた」方がずっと楽だろうなと。まぁ現実には有り得ない話なんですけどね。
男は「人と違う自分」に気づいてから家族や友に裏切られますが、私自身はそのような事はありません。しかし、これは障害が判明する前の話になりますが、疎遠になってしまった人達は沢山います。私自身、昔から人付き合いがとても苦手だからです。それもまた「友達がいないなんて、やっぱり私は人とは違うんだな」という思いに駆られる原因になっていたのかもしれません。今はそんな風に思ってはおらず、「分かってくれる人だけそばいにてくれたらそれでいい」と思うようになりました。
ネガティブな気持ちが続くと次第に自暴自棄になります。それが「どうせ自分なんか」という自己否定の感情です。私は自己肯定感が凄く低くて常に自分を蔑み、追い込んで来ました。だからこそ自暴自棄になり、仕舞いには「ああ、もういいや。何もかも面倒くさい。私なんていない方がいい」と言って衝動的に命を絶とうとするのです。私はそんな時、決まって海に行きました。飛び込めば楽になれるなどと思っていたからです。でも実際はそんな勇気も出ず、惨めな思いで家に帰るんですけどね……
男は一度、透明人間になりましたがその後、自暴自棄になって気が狂い、とうとう海に身を投げました。でも、身を投げた男がいるなんて誰も知らない。
そんな末路は悲し過ぎる。と、自分で書いていて思いました。この男のようになってはいけないのです。前のエッセイにも書きましたが、自ら命を絶つこと程愚かで悲しいものはありません。仏教観の話になりますが、自殺というのは殺人と同じくらい罪深いものです。だって、自分を自分で「殺す」のですから。
自分は孤独かもしれない。けれど、この世界中のどこかに必ず分かり合える人がいます。その証拠に今、世界中で大人になってから発達障害に気づく人、苦しむ人が増えているのです。最近、発達障害関係でふたつの病院を受診したのですが、どちらにも沢山の患者がいました。このように同じ苦しみを、悩みを抱えている人が世界中に沢山います。私もその一人です。だから「誰も自分のことなんて分からない」なんて思わず、生きていきたい。私はそう思います。
あの時、もしも海に身を投げていたら今、私はこの世にいません。自分の中にある「命を絶つことへの恐怖」に私は救われたのです。限界に近づいた人間は一切の感情を失ってしまいます。だから、みんな恐れることなく自ら命を絶っていくのです。でもあの時の私の中にはまだ「恐怖」という感情が残っていた。通常なら負の感情ですが、良い働きをしてくれて本当に良かったです。
今の私は基本的に前向きに生きています。けれど、もちろん前向きな時ばかりではありません。辛いと思うことも沢山あります。人間ですから。
そういう思いを表現したくてこのお話を書いてみました。少しでも障害当事者の思いなどが伝わればいいなと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。
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