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危険な情事 3話
しおりを挟む部屋に入ると、彼は私に向かって優しく微笑んだ。今までの素気ない態度が嘘みたいに。
こいつは俺が写真とは別人だと気づいている。だが、ここまで付いてきたということはその気があるということだな。
恐らく、私に対してそう思ったに違いない。耳元で「……いい?」と優しく囁かれ、仕方なく頷くとベッドに押し倒され、服を脱がされた。ゆっくり、優しく肌に触れられた。手荒なことをされないか不安だったが、内心ホッとした。が、それはほんの束の間だった。
徐々に興奮してきたのか、彼は乱暴に私の唇を奪い、胸を揉んできた。痛くて不快だった。完全に理性が吹っ飛んだ彼は我を忘れて私の体を貪った。その姿を目の当たりにして何となく悟った。
この人、もしかしたら女性経験少ない……?いや、もしかしたら全くない可能性も……。
脳裏に元彼の姿が浮かんだ。彼はこんなに乱暴ではなかった。いつも私を気遣って優しくしてくれた。
今すぐ逃げなきゃ……でも、ここで拒んだら何をされるか……。興奮状態の彼を刺激してはダメだ。
本能がそう感じていた。恐怖や不安を押し殺し、彼に身を委ねる純情な女を私は必死に演じた。
やがて彼は私の体を貪るのをやめ、おもむろに自身を私の秘部に当てがった。私は反射的に身を引き、飛び起きた。
「ちょっと待って!もしかしてそのまま挿れようとしてる?!」
「何で?駄目なの?」
避妊具を装着せずに事に及ぼうとする彼。それなのにその態度からは遠慮や思いやりなど微塵も伝わって来ない。私はそこで確信した。
写真を偽っていたことに正当な理由などない。彼はただ誰かと体の関係を結びたかっただけなのだ。それも避妊具を装着せずに味わえる快楽を求めて。その為には中年の写真では無理だ。だから、イケメンの写真を使うしかなかった。私はそのくだらない策略にまんまと引っかかり、騙されたのだ。彼を信じた私が馬鹿だった。
「えっ……普通付けるよね?っていうか付けて?万が一のことがあったら困るんだけど」
「大丈夫だよ。すぐ終わるし、中には出さないから」
「いや、駄目!付けて!」
「大丈夫だってば!」
ベッドの上でしばらく押し問答を繰り返した。それまでは拒むことに恐怖を感じていた。しかし、状況が変わった今、自分を守るためには全力で拒むしかない。私は声を上げ、憤り、必死に抵抗した。逆上した彼に殺される覚悟さえした。こんな男に犯されるぐらいなら死んだ方がマシだ。
必死に抵抗して、ベッドから降りると真っ白なシーツの上に楕円形の真っ赤な染みが出来ていることに気づいた。それは私の血だった。ちょうど生理が来たようだった。私は咄嗟に彼を宥めるように言った。
「生理が来ちゃったのかも……だから、今はできない。今日は諦めて?また今度ね?」
すると、彼は大きく首を横に振って言った。
「大丈夫だって。別に病気じゃないんだしさ!」
そこからまた押し問答が始まった。彼はまるで子供だった。聞き分けの悪い子供。自分の思い通りにならないと駄々をこねる。私は内心面倒になった。先程まで感じていた恐怖や怒りは消え去り、代わりに感じたのは彼に対する失望、呆れといった冷めた感情だった。押し問答を繰り返している内に興奮が収まってきたのか、彼はやがて諦めた。
「……分かったよ。また今度ね」
そう言って悲しそうな表情を浮かべた。その顔に私は微塵も同情などしなかった。むしろ心底ホッとした。助かった、と。正直なところ、もう口も聞きたくなかった。しかし、ここが一体どこのホテルなのか皆目見当がつかない。どこか近くの駅まで彼に送って貰わねばならない。私は彼の機嫌を損ねないよう、下手に刺激しないよう、平常心を装って彼に接した。
彼は自宅まで送ってくれると言ったが、自宅を知られたらまずい。それこそ何をされるか分からない。申し訳ないから、と言ってホテル街から一番近い駅で降ろしてもらった。そこは小さな駅で、もうすぐ深夜0時を回るせいか人影はまばらで閑散としていた。
何食わぬ顔で「またね」と言い、彼の車を見送った。さっさと出てきてしまったので、髪や洋服の乱れが気になっていた私は駅のトイレに駆け込んだ。あまりの展開に何が起こったのか理解できず、しばらくの間、頭がぼんやりしていた。しかし、身支度を整えている内に段々と頭が冴えてきて、沸々と彼に対する怒りが込み上げて来た。私は咄嗟に携帯電話を取り出すと、彼にメールを送りつけた。
「私は今まで誰かに対して面と向かって怒りを露わにしたことは殆どありません。だからあなたは私を怒らせた数少ない人間の一人です。あなたがやったことは人として、男として最低の行為です。私はあなたを許さない。もう二度と会いたくない」
そうして彼からの返信も待たずに通知を拒否、もちろん着信も拒否した。きっと彼はそのメールを見て驚愕したことだろう。清々した。そこからどうやって家に帰ったのかは覚えていない。帰宅してバッグを置いた時、私は一瞬ハッとした。そして、慌てて財布の中身をチェックした。
「大丈夫……何もなくなってない」
ホッとして思わずバッグを放り投げた。彼は私の持ち物には一切手を付けなかった。それは不幸中の幸いのように思えた。彼はただ「快楽」を求めていただけだったのだ。私は改めて彼の顔を思い浮かべた。写真ではない。本当の彼の姿だ。
もしも彼が写真を偽らなければ、ホテルではなく約束通り食事に行っていれば、結末は全く違ったかもしれない。私は他人の容姿を馬鹿にする程、自分の容姿に自信がある訳ではないし、そんな最低な人間ではないと思っている。彼だって写真を偽らなければならない程の見た目ではなかった。
しかし、彼はそうせざるを得なかった。もしかしたら彼は自分にコンプレックスを抱いていたのかもしれない。
あの人ももしかしたら私と同じ。孤独で、誰にも愛されず、愛し方を知らなかったのだろう。そう思うと何だか少し可哀想な気さえした。しかし、彼が私にしたことは決して許されることではない。
もしもあの時、生理が来なかったらどうなっていたのだろう。想像するだけでゾッとする。私は、私を全力で守ったのだ。私の体が全力で、本能で彼を拒否したのだ。だからきっと血が出た。そうに違いない。或いは何か見えない力が働いて私を守ってくれたのかもしれない。
私はその時、心底ホッとした。しかし、同時にどうしようもなく惨めな気持ちになった。私はただ、誰かに愛されたい、愛したい。心から好きだと思える人と幸せになりたいだけなのに。こうして簡単に騙されて、自分を傷つけることしかできないのだ。私はどうせこれからも自分を蔑み、傷つけて、誰にも愛されずに一人ぼっちで生きていくのだろう。
重い体を引きずって浴室に行き、シャワーを浴びた。心の汚れも体の汚れも全て洗い流すように。その後、ゆっくりと湯船に浸かった。しばらくすると、海の底のような深い眠りが襲ってきた。私はそっと目を閉じて、その深い海の底に体を預けた。まるで深海に潜む魚みたいに。
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