3 / 5
3、障害者が自分に合った物件を見つける事の難しさ
しおりを挟むどんな家が自分に合っているか検討をし続けているのだが、障害の影響で選べる物件がかなり限られてしまう事が予想されて不安になった。
具体的に言うと、音と匂いに敏感な特性があり、とても神経質なので「隣室の物音が響かない」「匂いが入り込まない」「大通りに面していない静かな立地」など、他住人の生活に左右される環境、または劣悪な立地は避ける必要があるという事だ。それに加えて睡眠障害の症状を少しでも軽減させるような環境でなくてはならないことも重要。
また、バスが苦手で殆ど乗る事が出来ない(常に混雑している、狭い空間、人との距離が近過ぎるのが理由。電車も同じだが、バスに比べると時間帯によっては空いているし、車両を移動できるからマシ)ので、駅まで徒歩で行けるような立地というのは絶対条件だ。
他にもまだ細かい条件はあるが、こんな限られた条件が全て満たせて、尚且つ私の収入に見合っているそれなりに安い物件などそうそうない。見つかったら奇跡に近い。普通の人なら「これは譲れないけどこれは我慢できる」といった妥協点を見出すし、私もこれまでそうして来た。
しかし、その結果が今の生活である。妥協してもまたストレスが溜まり体に支障が出て転居を繰り返すようではお金と体がいくつあっても足りない。最近の言葉で言うと「タムパもコスパも最悪」だ。次の引っ越しでは妥協は一切許されない。一発で一生涯を暮らせるような快適な街と家を見つけ出す必要がある。生半可な気持ちでは絶対に見つけられない。全力を尽くす必要があるのだ。
そんな中、ふと考えた事がある。
身体や精神に限らず障害者はこだわりや制限が人一倍多いので自分で家を建てた方が不自由なく安心して生活ができる。特に一軒家は家の中で他人の生活に左右される心配が全くなく魅力的だ。
しかし、障害が足枷となって出来る仕事が限られたり、仕事が出来たとしても給料が安かったりして満足な収入を得られない所為で家を建てたり良い家に住む事が出来ないのだ。一生、障害を抱えて生きていかなければならないのにその障害の所為で安心した暮らしが出来ない。
障害者が一人で快適な生活を送り、のびのびと生きていくのは本当に厳しいとつくづく思った。当たり前だが、好きでこんな障害を持ってる訳ではない。私だって普通に生きられるのなら生きたい。健常者と同じように一般企業で一般的な社員として働き、充分な収入を得て良い家に住んで快適な暮らしがしたい。
だから、健常者と結婚をして良い家に住んでパートナーのサポートを受けながら裕福な暮らしをしている障害者もいるだろう。だが、結局障害の所為で上手くいかず別れる事もあるのだから辛い。裕福ではなかったが、私も結婚時は今よりも遥かに良い環境に住んでいて安心した暮らしが出来た。しかし、結局上手くいかず離婚して今の生活になった。
現在、放送されているドラマに「厨房のありす」という作品がある。ざっくりと説明すると「発達障害のひとつASDを持つありすという女性が自分の店で得意料理を振る舞い、人々を幸せにする」というような内容だ。
ありすが自分と同じASDだということもあって初回から数話は見て、ありすが周りの人々に助けられながらもいきいきと生きる姿に感動したのだが、次第に見ているのが辛くなってしまい視聴をやめてしまった。
自分が発達障害者だと分かったのは結婚してからで、こういった障害者関連のドラマをかつては元夫と一緒に見て素直に感動する事もあった。だが、その元夫によるモラハラなど離婚騒動を経て一人になり、満足な暮らしを手に入れる事ができず再び障害に悩まされている今、やはり見るのはきつい。
具体的に何がどういう風に見るのが辛いのかというと「現実はそんなに良いものじゃない」と思ってしまうからだ。現在のありすは自分の得意な事を思う存分発揮できる自分の店を持ち、大きな一軒家に住み、自分の障害を細かく理解してくれる父親と親友と、入ったばかりなのにありすの事を一生懸命理解しようと努力する真面目で優しい新人青年といった心優しい周りの人達のサポートを受けながらのびのびと生きている。
ありすも紆余曲折あったからこそ今の恵まれた暮らしを手に入れる事が出来たというのは描写もしっかりあったので(飲食店を相次いでクビになったり幼少期に差別を受けたり)頭では理解しているのだが、どうしても「現実的じゃない!」と怒りが湧いてしまう。それは恐らく同じ障害を持っているからこその羨ましさや妬みといった負の感情によるものなのだろうと思う。
では、ありすが周りから酷い差別を受けたり、飲食店をクビになった経緯をもっと具体的かつ何週にも渡って描写してくれたらいいのか?と思うかもしれないが、それも違う。そんなネガティブな内容をすすんで見たいと思う障害者など私に限らず殆どいないのではないだろうか。
では、どうすればいいのか?障害当事者が引くぐらい思い切り現実的でネガティブなドラマを作ればいいのか?それとも世界中の人が平等に助け合って生きる!みたいな思い切り夢物語のようなドラマにすればいいのか?……どっちなんだい?!
と、某マッチョ芸人風に思わずツッコミを入れたくなってしまう。が、私の考えはどちらでもない。現実的でめちゃくちゃネガティブな内容とか夢物語のようなめちゃくちゃポジティブな内容とか勝手に何でも作ればいいと思う。その代わり
「嫌なら見なければいい」
そういったドラマに抵抗がある私や私と同じような複雑な思いを抱いている障害者にとってはこの一択である。
「世の中にはこんな障害を持っている人がいるんですよ」とドラマを通じて紹介してくれるのは非常にありがたい。だが、見ている人、作っている人に強く言いたい。
「現実はこんな優しいもんじゃない」ということを。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
発達障害者の私が就労施設に通ってみて思ったこと。
星名雪子
エッセイ・ノンフィクション
各自治体が行っている「障害者支援サービス」の中には就労関係のサービスもあり、その中の「就労継続支援B型施設」という施設に仕事が決まるまで約4か月間、通いました。
きっかけや経緯、障害者雇用の就活方法、施設に通って感じたことなどを詳しく綴りました。(全5話)
田舎育ちの私にとって都会人の言動は理解不能だという話。
星名雪子
エッセイ・ノンフィクション
都会には実に様々な人間がいる。中には人間性を疑うようなレベルの者もおり、人生の大半を田舎で暮らしていた身としてはただただ驚くばかりである。
そんな都会人の生態を出没地、危険度(★5つでMAX)などと合わせて具体的かつ皮肉と嫌味たっぷりに紹介していきます。
※めちゃくちゃ辛口です。苦手な方は閲覧ご注意ください
発達障害(アスペ)が一番苦手なのは人付き合いだという話。
星名雪子
エッセイ・ノンフィクション
発達障害関連エッセイ第2弾です。
発達障害(アスペ)には様々な特性がありますが、今回は一番苦手な人付き合いについてのお話。
「たまたま」な出来事が連続した日の話。
星名雪子
エッセイ・ノンフィクション
生きていると「たまたま」に遭遇することはよくありますが、それが良い「たまたま」だったら、しかもそれが続いたらラッキーです。
が、私はつい先日、全く嬉しくないアンラッキーな「たまたま」な出来事に連続で遭遇しました。その時のお話です。
お互いが歩み寄ればきっと世界は変わる
星名雪子
エッセイ・ノンフィクション
発達障害が判明してから約3ヶ月。行政や作業所、病院など色々な場所で色々な人達と関わり合い、今感じることを率直に綴ってみました。
発達障害 私の不思議な脳の中
杉原菜月
エッセイ・ノンフィクション
発達障害、だんだんと知られてきましたが「こういうもの」と説明できますか?あなたの周りにいますか?当事者も周囲の人も、これに関することで困ったことはありませんか?
私、杉原は広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)の診断を受けている大学生(現時点)です。ここでは、当事者が当事者の視点から発達障害に関する様々なことを書きたいと思っています。当事者にもその周りにいる人にも利があることを願って。
カクヨムにも投稿しています
くろいやつのくろいつらつらですわ~
黒幸
エッセイ・ノンフィクション
くろいゆきという謎生物がつらつらとしたものを書き連ねていくだけですですわ~。
日記は三日坊主になるので不定期更新になると思われたら、毎日、更新してますわね。
不思議ですわ~。
6/4現在、何を思い立ったのか、急にお嬢様言葉で書き綴ることになりましてよ。
6/8現在、一話からお嬢様言葉に変換中ですわ~!
そして、短編から長編に変えておきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる