夜明け前の線香花火

星名雪子

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夜明け前の線香花火

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線香花火は儚い。それは夏の終わりを感じさせるからかもしれない。

夜明け前の海辺には静寂が広がる。穏やかな波音、秋を告げる虫の声。

その中で、パチパチと燃える線香花火の音だけがやけに大きく響く。

つぼみの状態からやがて断続的に火花が飛び散り、盛り上がりを予感させる。

「これ、牡丹ぼたんっていうんだよね。君が好きだったっけ」

答えは返ってこない。分かっていても口に出さずにはいられなかった。一緒に線香花火をした時の君の楽しそうな横顔が色鮮やかに蘇った。

ほんの数時間前のこと。私は眠れずにぼんやりとしていた。その時、リビングの片隅に使いかけの線香花火が置いてあることに気づいた。残りは10本ほど。次に使う時のためにと、袋の口はクリップでしっかり留められていた。

「これ、いつ買ったんだっけ……」

そう呟きながら、私の足は無意識に動いてた。使いかけの線香花火、ライター、小さなバケツを持って夜明け前の海辺へと向かった。

誰もいない海。私は一人。

一本づつ線香花火に火を点けた。一本が蕾から牡丹へ、そして松葉まつばを経て散り菊ちりぎくになり、火が消えるのを見届けると、次の一本に火を点けた。そうしてゆっくりと時間をかけて10本の線香花火を消化する。まるで君との思い出を懐かしむかのように。

最後の線香花火を袋から取り出した時、不意に胸が痛んだ。

「これが終わったら私の夏も終わるんだ……」

それだけではない。この一本が終わったら君との思い出も全部消え去ってしまうんじゃないか。そんな風に思ってしまったのだ。私は咄嗟に首を横に振った。

「そんなことない。例え最後の一本の火が消えたって君との思い出が消える訳ない」

そう呟いた。まるで自分に言い聞かせるみたいに。そして思い切って最後の一本に火を点けた。火は落ちることなく順調に燃え、松葉で最高の盛り上がりを見せた。

「君は牡丹が好きって言ってたけど、私はね、松葉の方が好きなんだよ。何でか分かる?この元気に燃え盛る感じが、明るくていつも元気な君によく似ているから」

そう呟きながら私は君の明るい笑顔を思い出す。自然に頬が緩んだ。

火は次第に小さくなり、やがて散り菊になった。先程の松葉とは打って変わって小さな火花をとても控えめに散らしていた。私はその時、散り菊がそれまでとは違った見え方をしていることに気づいた。淡い光の中で静かに燃えている。私はふと顔を上げた。

「ああ……もう夜明けか……」

いつの間にか空は白み、海の向こうから太陽が顔を覗かせていた。頭上にはまだ明るい星がまばらに残り、空は濃紺のうこんだいだいのグラデーションで彩られている。それらが映し出された海面は神秘的で、心が震えるほど美しい。

また胸が痛んだ。何だか泣きたいような切ないような、不意にそんな思いに駆られた。

散り菊の火花は徐々に勢いを失い、やがて静かに消えた。後に残ったのは一筋の煙と火薬の香りだけ。私はしばらくの間、ぼんやりと燃え尽きた線香花火を見つめた。秋の訪れを感じさせる涼しい風が頬を撫で、遠くでひぐらしが、カナカナ……と鳴き始めた。

太陽は昇り、一日が始まった。

線香花火は終わり、夏ももうすぐ終わろうとしている。

涙が滲んで空を仰いだ。涙が溢れないように。昔、誰かが歌っていたあの歌みたいに。空は濃紺から爽やかな青になり、最後まで光っていた明るい星は消えた。でも、消えたのではない。見えなくなってしまっただけ。星はずっと、そこで、永遠に輝いている。

私は空になった袋とライター、燃え尽きた線香花火が入った小さなバケツを持ち、海辺を後にした。穏やかな潮風がそっと背中を押してくれた。

途中、ひまわり畑を通った。ひまわりはみんな太陽を見つめていたけれど、何だか寂しそうに見えた。それはきっと太陽の光が徐々に夏の色を失っているからかもしれない。

その時、どこからか赤トンボが飛んできて、一輪のひまわりに止まった。羽をそっと下ろし、ひまわりと一緒に静かに風に揺れている。遠くでひぐらしがまた鳴いた。

晩夏ばんか……か」

私はこの言葉が好きだ。何故なら夏の終わりとか物悲しい秋の訪れとか、そういうものを感じて酷く切ない気持ちになるからだ。切ない気持ちになるのに何故好きと言えるのか?それはきっと私が日本語の美しさや、日本ならではの四季折々の情景に魅了されているからなのだろう。

家に帰るとカーテンを開けた。ベランダに出て、思い切り背伸びをする。ふと片隅に目をやった私は思わず声を上げた。

「あっ、朝顔が咲いてる」

鮮やかな青色をした朝顔が、静かに朝の風に揺れていた。君が大好きだった青色の朝顔。少し高くなった真っ青な空の色によく馴染んでいる。

私の夏は終わる。

でも、いずれまた新しい夏がやって来る。

その時はまた線香花火を買おう。

そして、夏が終わる頃に夜明け前の海辺に行き

一人、線香花火に火を点けるのだ。

君と過ごした時間を懐かしむために。

君と過ごした時間を

いつまでも忘れないように。
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