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5、湧き水公園 その2
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「実は、僕達が一緒に遊んでいることを知った君のお父さんが、僕の父親にわざわざ連絡をくれていたらしい」
「……それ、本当か?」
「ああ、もちろん本当の話だよ。初めて会った時はもちろん偶然だったんだ。君は覚えているか分からないけど、確かブランコに一人で乗っている君を僕が見つけて声を掛けたんだよ。君、隣のクラスの子だっけ? って。そしたら君、うんって軽く頷いてさ。もうひとつのブランコが空いていたから僕はそこに座って君に話しかけた」
俺の脳裏にまた記憶が蘇ってきた。俺は当時から人付き合いが苦手だった。大人になった今はだいぶマシにはなったが、それでも理解し合える友人はごく少数だ。父親に似たのか、俺は本音をなかなか口にせず、素直じゃない言葉ばかりを並べ立てる気難しい子供だった。
小学校から高校にかけて、友達になろうと声を掛けてくれる奴は沢山いたが、上手く対処できずにいつも突っぱねてばかりいた。普段からあまり笑わなかった所為か女子には怖がられていた。要するに不器用な一匹狼だったのだ。それでも根気よく付き合いを続けてくれた友達とは今もずっと繋がっているし、その友達の中にいたのが翠だった。怖がって寄り付かない他の女子とは違って、翠はどんな時も明るく笑顔で接してくれたのだ。
そして、愉も同じだった。一匹狼だった俺に積極的に接してくれたのだ。最初はぎこちなかったが、何の抵抗もなく明るく接してくれる愉に俺は徐々に心を開いて行った。ここに来て、ブランコに座っている愉の姿を見る度に俺は嬉しくなったのだった。
「一回目に僕達の様子を見ていた君のお父さんが気を遣ってくれたんだって。その場で連絡先を聞かれて、良かったら毎週日曜日にここに来ないか? と、提案してくれたらしい」
「……」
俺はまた信じられない気持ちでいっぱいだった。確かに毎週日曜日にここに来ることが決まっていたが、それは水汲みが目的なのだと思っていた。まさかあの親父が俺の為にそこまで手を回していたとは……
「君のお父さんが、なんでそんなことをしたのか分かる? 君と僕の友情を大切にしたかったんだって。僕はそれを大人になってから自分の父親に聞いたんだ」
愉の父親は一年前に病気で亡くなったらしい。闘病生活を送る中で、息子に伝えておきたいことをひとつひとつ語ってくれ、この話をしてくれたのは亡くなる前日だったという。
「父親は当初、君のお父さんから連絡をもらったことを僕に話すつもりでいたが、内緒にしてくれと言われたらしい。息子達には自然に友情を作らせたいと。特に君は友達がいなかったからとても心配していたそうだよ。僕の父親はそれを聞いて君のお父さんの息子を思う気持ちに感動したと。少しでも協力したいし、自分の息子……僕が君に頑張って話しかけている姿を見て僕達二人が友達になれたら、ということで納得したんだって」
「……そうか……」
俺はそう一言を発するのが精一杯だった。友達ができず、いつも一匹狼だった俺を親父が気に掛けていたことを俺は今初めて知った。
「でも、中学に上がる頃には僕達の交流は自然となくなってしまった。もう遊具で遊ぶような年頃ではなくなってしまったからね……」
「……そうだったな」
小学校高学年になると遊びの対象は変わって行った。身体が大きくなったのもあるが、何より今まで楽しいと思っていた遊具が酷く幼稚なものに感じられたのだ。だからその頃の俺達はブランコには乗らず、近くにあるベンチに腰掛けて話をしたり、園内を散歩するようになった。もちろんその頃にはお互いの両親の同伴も必要なくなり、自転車に乗って自主的にここを訪れるようになっていた。俺の足は次第に遠のき、いつしか足を運ぶことはなくなっていた。
「僕は君がまた来るんじゃないかって待っていた時もあったんだ。でも、それもなくなっていった」
「そうだったのか……悪かった」
「いいや、いいんだ。いつまでも公園で遊んでいるような子供じゃないしね」
愉はそう言って笑ったが、その笑顔は少し寂しそうだった。一人ベンチに座り、俺を待ち続ける愉の姿を想像した。今日もあいつは来なかったと肩を落として帰ったのかもしれない。そう思うと俺の心は罪悪感に押し潰されそうだった。俺は待ち続ける愉の気持ちなど考えたことがなかった。両親が同伴していた時にも来られなかったことは何度かあったが、翌週の日曜日にはまた来ることができたのでさほど問題にはならなかった。
お前、先週来なかったな、ああ、ちょっと風邪ひいちゃって、という些細な会話で済んだ。しかし俺の場合は違った。何週間もすっぽかした上に、何も言わずにそのまま行くのをやめてしまったからだ。
「大人になってから父親に君のお父さんの話を聞いた時から、僕はまた毎週日曜日にここに来るようになったんだ」
愉はニコリと笑いながら言った。俺はその言葉の意味がよく理解できずに問いかけた。
「……何でだ?」
「何かがキッカケで君がまたここに来るんじゃないかって思ったんだよ」
「愉……」
「だから、今日君に会った時、嬉しかった。待ってた甲斐があったなって」
愉はそう言って嬉しそうに笑った。すると、今までずっと俺達の話を黙って聞いていた翠が急に割って入ってきた。
「あの、どれぐらい待ってたんですか?」
俺は少し驚いて、咄嗟に翠の顔を見た。笑顔を浮かべてはいるが、その目は真剣だった。愉の目をじっと見つめている。
「一年だよ。亡くなる前日に父親から話を聞いて、葬式なんかを済ませて少し落ち着いた時に、ふと思い立ったんだ」
「一年も昴を待ち続けてくれたんですか……」
翠は素直に感動しているようだった。俺も心の中がじんわりと温かくなった。それと同時にやはりあの頃に何も言わずに来なくなったことを心の底から後悔した。一年間も待ち続けてくれる程、自分との友情を大切にしてくれる旧友に対する照れ臭い気持ちや後悔の気持ちが混ざり合って俺の心の中は複雑だった。やっとのことで絞り出した言葉は驚く程素っ気なかった。
「……愉、えーっと……なんか色々と悪かった……」
「ちょっと! 何その態度は⁈」
隣で翠が眉を吊り上げて怒っている。愉ははははっと楽しそうに笑うと言った。
「いいんだ。それより、君も全然変わってなくてびっくりなんだけど」
「……っ」
返す言葉が見つからず、俺はただ黙っているしかなかった。
「でも、そういう素っ気ないところが君らしいよ」
愉はそう言って俺の背中を思い切り叩いた。俺は小さく呻き、頭を掻いた。すると突然、翠が意を決したように口を開いた。
「実は、昴が今日ここに来たのは偶然じゃないんです」
「え? どういうことですか?」
愉は眉間に皺を寄せて、戸惑いの表情を浮かべた。俺は一瞬、翠を止めようか迷ったが、彼女に任せておくことにして黙っていた。
「……にわかには信じてもらえないかもしれないんですけど……実は、昴の亡くなったお父さんがここへ導いてくれたんです」
「……ど、どういう意味ですか?」
愉はますます戸惑いの表情を浮かべて、翠の顔をじっと見つめている。翠は俺の親父が二年前に亡くなったことを伝えた上で、今日起こったことを掻い摘んで説明した。
愉は大きな目を更に見開いて酷く驚いた様子で翠の話にじっと耳を傾けていた。その大きな瞳は明らかに戸惑い震えていた。話を一通り聞き終えた後、愉は黙ったままじっと考え込んでいた。俺と翠は何も言わずに、愉が落ち着くのを待った。しばらくしておもむろに口を開いた。
「そうか……確か、君は六年生頃からお父さんとは仲が良くなかったよね」
「……ああ、そうだな」
俺は当時から愉に親父との不仲を打ち明け、不満や愚痴を吐き出していた。時には相談もしていた。何故その頃になって親父と不仲になったのか原因は数え切れない。
俺が今でも根に持っていることがふたつある。ひとつめは山菜や茸を取ることが趣味だった親父にやたらとその収穫に付き合わされたことだ。それは決まって朝起きて俺が学校へ行く前に行われた。
早朝、まだ眠っている俺は親父に叩き起こされ、取った山菜や茸を入れるかごを背負わされた。そして、まだ朝日も昇っていない内に山奥へと連れて行かれた。そこで俺と親父はひたすら山菜や茸を収穫して帰宅する。朝の準備で忙しなく動き回っている母親に収穫したものを渡し、今からこれを天ぷらにしろ、だの近所の誰々さんに渡してこい、だの命令していた。早朝から収穫に付き合わされた俺はくたくたになったが、休む間もなく学校へ行く時間になる。味わっている暇もなく朝食を口一杯に詰め込んで慌てて家を出る。そんな日々が何か月も続いた。行きたくないと布団を被って駄々をこねても無理矢理連れて行かれた。
そんな生活にうんざりした俺はとうとう反乱を起こした。親父に叩き起こされる前に家を出たのだ。勉強道具と朝飯を持って夜明け前にこっそりと家を出る。そして、近所の公園の遊具の中に隠れて登校の時間まで暇を潰した。母親が酷く心配し、親父にやめるよう話をしてくれたこともあったが全く効果はなかった。俺が夜明け前に家を出ることを知っても尚、親父は俺を連れ出そうとした。母親からその話を聞いた俺は、親父が公園まで追って来るのではないかと内心ビクビクしたが、自己中心的な親父でもさすがにそこまですることはなかった。しかし、毎日のように公園に逃げる俺を不憫に思った母親は俺が食べる為の朝飯にと、前日の晩にこっそりとおにぎりを準備してくれたのだった。
ふたつめは家族で旅行に出掛けようとした時のことだ。朝起きて準備を終わらせいざ出発と車庫へ向かうと既に親父の車がなくなっていたのだ。着飾りめかしこんだ母親と両手に荷物を持った俺はもぬけの殻になった車庫の前で唖然とした。つまり、準備に時間がかかった母親と俺をあろうことか親父は置き去りにしたのだ。母親と俺は仕方なく旅行を断念せざるを得なかった。バスや電車を使って親父の後を追いかけることもできたが、そうまでして親父と一緒に旅行をしたいとは思わなかった。俺は楽しみにしていた旅行を台無しにされ、腸が煮えくり返りそうだった。母親はショックのあまり体調を崩し、親父が旅行から帰ってくるまで床に臥せっていたのだった。
愉は父親との仲を良好に保っていた為、時にはアドバイスをくれたこともあったし、早朝の公園で一人暇を潰す俺を見兼ねて登校の時間まで一緒に過ごしてくれたこともあった。が、愉の父親は俺の親父と違って常識人だった為、せっかくくれたアドバイスは殆ど参考にならなかった。俺はその後、ますます親父と上手くいかなくなったこと、そんな中で突然親父は逝ってしまったことを語った。
「きっとお父さんは、君と仲直りできないまま逝ってしまったことを後悔してるんだと思うよ。君とお父さんがまだ仲が良かった当時のことを考えたら君のことをお父さんが大切に思っていたことは明らかだからね。それにもしかしたら当時、君とお母さんにした酷いことを悔やんでいるのもかもしれない。君とお父さんは似ている。顔もそうだけど何より内面がね。だからお父さんは君のことを本当はどう思っているか、伝えることができなかったんじゃないかな?」
「……そうなのか……?」
呟いたその言葉は愉に対してではなかった。無意識に出た親父に対しての問いかけだった。俺は親父との喧嘩を思い出した。特に中学を卒業した辺りからはきっかけはどれも些細なことだったが、顔を合わせる度に口論になっていた。そんな親父からは俺への愛情など何一つ感じられなかった。
「君はどうなんだ? お父さんが亡くなった今、お父さんに対してどう思う?」
何も言わずに考え込んでいる俺の顔を見て戸惑いを察したのか、愉が真剣な眼差しで問い掛けてきた。死んだ親父に対して俺が今、どう思うか?
「……」
俺は更に考えた。親父のことを嫌いな事実は変わらない。しかし細やかだが、俺の中で確実に何かが変わっているのが分かった。それは明らかに今日起きた信じられない出来事があるからだった。愉の話が本当なら何も伝えられずに死んだ親父がわざわざ自分の愛車を使って俺に何かを伝えようとしているのも頷ける。俺は愉の顔をじっと見つめた。
「……あの頃の俺は友達がいなかった。だから、お前の存在は凄く大きかった。よく俺を笑わせてくれたし、悩みも聞いてくれた。そんなお前と友達になれたのはあのクソ親父のおかげなんだとしたら、感謝しなきゃいけないと思う」
愉は俺の言葉に面食らったようで目を丸くしていた。
「君がそんなに素直に自分の気持ちを口にするなんてね」
「……お前がどう思うのか? って聞いたから答えただけだろ」
俺は少し苛立って声を上げた。愉はまぁまぁと優しい笑みを浮かべながら言った。
「そう思えるようになったんなら良かったじゃないか」
そして、空を見上げるとそっと呟いた。
「……きちんと届いてますよ」
俺と翠も空を見上げた。雲ひとつない気持ちの良い青空だった。遮るものが何もないその青空を俺達はベンチに座ったまましばらく眺めていたのだった。
「……それ、本当か?」
「ああ、もちろん本当の話だよ。初めて会った時はもちろん偶然だったんだ。君は覚えているか分からないけど、確かブランコに一人で乗っている君を僕が見つけて声を掛けたんだよ。君、隣のクラスの子だっけ? って。そしたら君、うんって軽く頷いてさ。もうひとつのブランコが空いていたから僕はそこに座って君に話しかけた」
俺の脳裏にまた記憶が蘇ってきた。俺は当時から人付き合いが苦手だった。大人になった今はだいぶマシにはなったが、それでも理解し合える友人はごく少数だ。父親に似たのか、俺は本音をなかなか口にせず、素直じゃない言葉ばかりを並べ立てる気難しい子供だった。
小学校から高校にかけて、友達になろうと声を掛けてくれる奴は沢山いたが、上手く対処できずにいつも突っぱねてばかりいた。普段からあまり笑わなかった所為か女子には怖がられていた。要するに不器用な一匹狼だったのだ。それでも根気よく付き合いを続けてくれた友達とは今もずっと繋がっているし、その友達の中にいたのが翠だった。怖がって寄り付かない他の女子とは違って、翠はどんな時も明るく笑顔で接してくれたのだ。
そして、愉も同じだった。一匹狼だった俺に積極的に接してくれたのだ。最初はぎこちなかったが、何の抵抗もなく明るく接してくれる愉に俺は徐々に心を開いて行った。ここに来て、ブランコに座っている愉の姿を見る度に俺は嬉しくなったのだった。
「一回目に僕達の様子を見ていた君のお父さんが気を遣ってくれたんだって。その場で連絡先を聞かれて、良かったら毎週日曜日にここに来ないか? と、提案してくれたらしい」
「……」
俺はまた信じられない気持ちでいっぱいだった。確かに毎週日曜日にここに来ることが決まっていたが、それは水汲みが目的なのだと思っていた。まさかあの親父が俺の為にそこまで手を回していたとは……
「君のお父さんが、なんでそんなことをしたのか分かる? 君と僕の友情を大切にしたかったんだって。僕はそれを大人になってから自分の父親に聞いたんだ」
愉の父親は一年前に病気で亡くなったらしい。闘病生活を送る中で、息子に伝えておきたいことをひとつひとつ語ってくれ、この話をしてくれたのは亡くなる前日だったという。
「父親は当初、君のお父さんから連絡をもらったことを僕に話すつもりでいたが、内緒にしてくれと言われたらしい。息子達には自然に友情を作らせたいと。特に君は友達がいなかったからとても心配していたそうだよ。僕の父親はそれを聞いて君のお父さんの息子を思う気持ちに感動したと。少しでも協力したいし、自分の息子……僕が君に頑張って話しかけている姿を見て僕達二人が友達になれたら、ということで納得したんだって」
「……そうか……」
俺はそう一言を発するのが精一杯だった。友達ができず、いつも一匹狼だった俺を親父が気に掛けていたことを俺は今初めて知った。
「でも、中学に上がる頃には僕達の交流は自然となくなってしまった。もう遊具で遊ぶような年頃ではなくなってしまったからね……」
「……そうだったな」
小学校高学年になると遊びの対象は変わって行った。身体が大きくなったのもあるが、何より今まで楽しいと思っていた遊具が酷く幼稚なものに感じられたのだ。だからその頃の俺達はブランコには乗らず、近くにあるベンチに腰掛けて話をしたり、園内を散歩するようになった。もちろんその頃にはお互いの両親の同伴も必要なくなり、自転車に乗って自主的にここを訪れるようになっていた。俺の足は次第に遠のき、いつしか足を運ぶことはなくなっていた。
「僕は君がまた来るんじゃないかって待っていた時もあったんだ。でも、それもなくなっていった」
「そうだったのか……悪かった」
「いいや、いいんだ。いつまでも公園で遊んでいるような子供じゃないしね」
愉はそう言って笑ったが、その笑顔は少し寂しそうだった。一人ベンチに座り、俺を待ち続ける愉の姿を想像した。今日もあいつは来なかったと肩を落として帰ったのかもしれない。そう思うと俺の心は罪悪感に押し潰されそうだった。俺は待ち続ける愉の気持ちなど考えたことがなかった。両親が同伴していた時にも来られなかったことは何度かあったが、翌週の日曜日にはまた来ることができたのでさほど問題にはならなかった。
お前、先週来なかったな、ああ、ちょっと風邪ひいちゃって、という些細な会話で済んだ。しかし俺の場合は違った。何週間もすっぽかした上に、何も言わずにそのまま行くのをやめてしまったからだ。
「大人になってから父親に君のお父さんの話を聞いた時から、僕はまた毎週日曜日にここに来るようになったんだ」
愉はニコリと笑いながら言った。俺はその言葉の意味がよく理解できずに問いかけた。
「……何でだ?」
「何かがキッカケで君がまたここに来るんじゃないかって思ったんだよ」
「愉……」
「だから、今日君に会った時、嬉しかった。待ってた甲斐があったなって」
愉はそう言って嬉しそうに笑った。すると、今までずっと俺達の話を黙って聞いていた翠が急に割って入ってきた。
「あの、どれぐらい待ってたんですか?」
俺は少し驚いて、咄嗟に翠の顔を見た。笑顔を浮かべてはいるが、その目は真剣だった。愉の目をじっと見つめている。
「一年だよ。亡くなる前日に父親から話を聞いて、葬式なんかを済ませて少し落ち着いた時に、ふと思い立ったんだ」
「一年も昴を待ち続けてくれたんですか……」
翠は素直に感動しているようだった。俺も心の中がじんわりと温かくなった。それと同時にやはりあの頃に何も言わずに来なくなったことを心の底から後悔した。一年間も待ち続けてくれる程、自分との友情を大切にしてくれる旧友に対する照れ臭い気持ちや後悔の気持ちが混ざり合って俺の心の中は複雑だった。やっとのことで絞り出した言葉は驚く程素っ気なかった。
「……愉、えーっと……なんか色々と悪かった……」
「ちょっと! 何その態度は⁈」
隣で翠が眉を吊り上げて怒っている。愉ははははっと楽しそうに笑うと言った。
「いいんだ。それより、君も全然変わってなくてびっくりなんだけど」
「……っ」
返す言葉が見つからず、俺はただ黙っているしかなかった。
「でも、そういう素っ気ないところが君らしいよ」
愉はそう言って俺の背中を思い切り叩いた。俺は小さく呻き、頭を掻いた。すると突然、翠が意を決したように口を開いた。
「実は、昴が今日ここに来たのは偶然じゃないんです」
「え? どういうことですか?」
愉は眉間に皺を寄せて、戸惑いの表情を浮かべた。俺は一瞬、翠を止めようか迷ったが、彼女に任せておくことにして黙っていた。
「……にわかには信じてもらえないかもしれないんですけど……実は、昴の亡くなったお父さんがここへ導いてくれたんです」
「……ど、どういう意味ですか?」
愉はますます戸惑いの表情を浮かべて、翠の顔をじっと見つめている。翠は俺の親父が二年前に亡くなったことを伝えた上で、今日起こったことを掻い摘んで説明した。
愉は大きな目を更に見開いて酷く驚いた様子で翠の話にじっと耳を傾けていた。その大きな瞳は明らかに戸惑い震えていた。話を一通り聞き終えた後、愉は黙ったままじっと考え込んでいた。俺と翠は何も言わずに、愉が落ち着くのを待った。しばらくしておもむろに口を開いた。
「そうか……確か、君は六年生頃からお父さんとは仲が良くなかったよね」
「……ああ、そうだな」
俺は当時から愉に親父との不仲を打ち明け、不満や愚痴を吐き出していた。時には相談もしていた。何故その頃になって親父と不仲になったのか原因は数え切れない。
俺が今でも根に持っていることがふたつある。ひとつめは山菜や茸を取ることが趣味だった親父にやたらとその収穫に付き合わされたことだ。それは決まって朝起きて俺が学校へ行く前に行われた。
早朝、まだ眠っている俺は親父に叩き起こされ、取った山菜や茸を入れるかごを背負わされた。そして、まだ朝日も昇っていない内に山奥へと連れて行かれた。そこで俺と親父はひたすら山菜や茸を収穫して帰宅する。朝の準備で忙しなく動き回っている母親に収穫したものを渡し、今からこれを天ぷらにしろ、だの近所の誰々さんに渡してこい、だの命令していた。早朝から収穫に付き合わされた俺はくたくたになったが、休む間もなく学校へ行く時間になる。味わっている暇もなく朝食を口一杯に詰め込んで慌てて家を出る。そんな日々が何か月も続いた。行きたくないと布団を被って駄々をこねても無理矢理連れて行かれた。
そんな生活にうんざりした俺はとうとう反乱を起こした。親父に叩き起こされる前に家を出たのだ。勉強道具と朝飯を持って夜明け前にこっそりと家を出る。そして、近所の公園の遊具の中に隠れて登校の時間まで暇を潰した。母親が酷く心配し、親父にやめるよう話をしてくれたこともあったが全く効果はなかった。俺が夜明け前に家を出ることを知っても尚、親父は俺を連れ出そうとした。母親からその話を聞いた俺は、親父が公園まで追って来るのではないかと内心ビクビクしたが、自己中心的な親父でもさすがにそこまですることはなかった。しかし、毎日のように公園に逃げる俺を不憫に思った母親は俺が食べる為の朝飯にと、前日の晩にこっそりとおにぎりを準備してくれたのだった。
ふたつめは家族で旅行に出掛けようとした時のことだ。朝起きて準備を終わらせいざ出発と車庫へ向かうと既に親父の車がなくなっていたのだ。着飾りめかしこんだ母親と両手に荷物を持った俺はもぬけの殻になった車庫の前で唖然とした。つまり、準備に時間がかかった母親と俺をあろうことか親父は置き去りにしたのだ。母親と俺は仕方なく旅行を断念せざるを得なかった。バスや電車を使って親父の後を追いかけることもできたが、そうまでして親父と一緒に旅行をしたいとは思わなかった。俺は楽しみにしていた旅行を台無しにされ、腸が煮えくり返りそうだった。母親はショックのあまり体調を崩し、親父が旅行から帰ってくるまで床に臥せっていたのだった。
愉は父親との仲を良好に保っていた為、時にはアドバイスをくれたこともあったし、早朝の公園で一人暇を潰す俺を見兼ねて登校の時間まで一緒に過ごしてくれたこともあった。が、愉の父親は俺の親父と違って常識人だった為、せっかくくれたアドバイスは殆ど参考にならなかった。俺はその後、ますます親父と上手くいかなくなったこと、そんな中で突然親父は逝ってしまったことを語った。
「きっとお父さんは、君と仲直りできないまま逝ってしまったことを後悔してるんだと思うよ。君とお父さんがまだ仲が良かった当時のことを考えたら君のことをお父さんが大切に思っていたことは明らかだからね。それにもしかしたら当時、君とお母さんにした酷いことを悔やんでいるのもかもしれない。君とお父さんは似ている。顔もそうだけど何より内面がね。だからお父さんは君のことを本当はどう思っているか、伝えることができなかったんじゃないかな?」
「……そうなのか……?」
呟いたその言葉は愉に対してではなかった。無意識に出た親父に対しての問いかけだった。俺は親父との喧嘩を思い出した。特に中学を卒業した辺りからはきっかけはどれも些細なことだったが、顔を合わせる度に口論になっていた。そんな親父からは俺への愛情など何一つ感じられなかった。
「君はどうなんだ? お父さんが亡くなった今、お父さんに対してどう思う?」
何も言わずに考え込んでいる俺の顔を見て戸惑いを察したのか、愉が真剣な眼差しで問い掛けてきた。死んだ親父に対して俺が今、どう思うか?
「……」
俺は更に考えた。親父のことを嫌いな事実は変わらない。しかし細やかだが、俺の中で確実に何かが変わっているのが分かった。それは明らかに今日起きた信じられない出来事があるからだった。愉の話が本当なら何も伝えられずに死んだ親父がわざわざ自分の愛車を使って俺に何かを伝えようとしているのも頷ける。俺は愉の顔をじっと見つめた。
「……あの頃の俺は友達がいなかった。だから、お前の存在は凄く大きかった。よく俺を笑わせてくれたし、悩みも聞いてくれた。そんなお前と友達になれたのはあのクソ親父のおかげなんだとしたら、感謝しなきゃいけないと思う」
愉は俺の言葉に面食らったようで目を丸くしていた。
「君がそんなに素直に自分の気持ちを口にするなんてね」
「……お前がどう思うのか? って聞いたから答えただけだろ」
俺は少し苛立って声を上げた。愉はまぁまぁと優しい笑みを浮かべながら言った。
「そう思えるようになったんなら良かったじゃないか」
そして、空を見上げるとそっと呟いた。
「……きちんと届いてますよ」
俺と翠も空を見上げた。雲ひとつない気持ちの良い青空だった。遮るものが何もないその青空を俺達はベンチに座ったまましばらく眺めていたのだった。
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