21 / 30
番外編
初めての子育て Side 涼 03話
しおりを挟む
「真白様に関するリストはいずれ必要になると思い、少し前には完成していたんです。……ただ、その情報を何も言ってこない人間に易々と渡すのは腹の虫がおさまりまらなかったものですから、前夜に届けようと思ったところ、在宅しているはずの時間にあなたがいらっしゃらなかった。結果、本日真白様があのような状態に――」
なるほど……。
「昨夜、本当は当直ではなかったんです。手術自体が異例に長引いた患者の容体が安定していなかったものですから、その方の容体が落ち着くまで病院に残っていただけなので」
「それが一晩かかったと……?」
「いえ、患者につきっきりだったわけではございません。何かあればコールが鳴りますから、それまではデスクで書類仕事を。最近は悪意を感じる程度に多忙を極めておりますもので、書類整理にまで手が回っていなかったんです。そして気付けば外が明るい時間になっておりました。それでも、身だしなみを整えるものはすべてロッカーに揃っておりますし、シャワーを浴びる設備もある。今日着るスーツ一式も車の中に用意してございましたので、自宅に寄ることなく真白さんをお迎えに上がったしだいです」
軽快な口調で述べると、
「そのせいで真白様が……」
「くっ、藤堂さんは常に真白さんファーストなのですね?」
「当たり前でしょうっ! 文句ありますかっ!?」
「いえ、ございません……。ただ、段ボール十箱分のリストですよ? それを一晩で覚えるのはちょっと――常人には無理な所業かと思うのですが、そのあたり藤堂さんはどのようにお考えだったのでしょう?」
彼はものすごくいやなものを見る目でこちらを振り返り、踊り場で足を止めては壁に寄り掛かった。
「私たち警護班が、あなたのことを何も知らないとでも?」
「と言いますと……?」
「あなたの出生から元来どんな気質なのか、どんな友人、人間と関わってきたのか。医師としてどういったフィールドにいるのか。そういったことはすべて頭に叩き込んであります。それらのひとつに――」
「なんです……?」
「……おい、敬語やめるぞっ」
いきなりの宣言にまたしても笑いがこみ上げる。
「藤堂さん、実はこんな方だったんですね」
彼は視線を逸らし、
「紫とは馬が合うから付き合っているが、もともと無骨者で藤宮の親戚縁者との付き合いにはうんざりしている。ただ、真白様に関わりたいが一心で、藤宮警備に入社する進路を進んできただけだ」
「それはそれはご苦労なことで……」
ギロリ、と射殺されそうな視線を向けられ、
「おまえ、一度目を通したものは忘れられないんだろう? それが文章であれ、画像であれ、実際に見た景色光景を含め何もかも」
「……おや、そんなことまでご存知なのですね? 人前でそういったことは見せずに生きてきたつもりなのですが……」
「藤宮警備、甘く見んな」
「というよりは、藤宮元氏を、ということでは?」
「まあ、そんなところだ。あんなくそじじー、親戚でもなければ関わりたくもない」
その一言には激しく共感する。そして、これらの言葉から、この場での会話はすべて「オフレコ」であることを察する。
自分が想いを寄せる相手の父親のことを、その娘の婚約者になった自分に対し「くそじじー」などと言って見せるのだから、彼はかなり肝の据わった人間なのかもしれない。また、敵対心を見せつつ、認めてない素振りをしつつも、こういった会話を口外する人間ではない、という部分は認められているからこそ、このような話をしてくれるのだろう。
そう思えば、彼に対し好感を抱き始めるというもの。
自分の心情変化を興味深く感じながら、会話を再開する。
「そこまで真白様に執着なさっているのであれば、やはり想いを告げるなりなんなりすればよろしかったのでは?」
「くそむかつくやつだなっ。自分の顔と俺の顔を見比べてからものを言えっ」
「ですから、私などが出てくる前にあなたが真白様を口説き落とせば良かったのでは? と申し上げているのです」
藤堂さんは無言で数秒こちらを見ると、
「おまえのその話し方、どうにかならねーのか」
「あぁ、なりませんねぇ……。もともとこういう話し方しかできない性質でして」
クスクスと笑っていると、会話内容をもとに戻された。
「おまえと真白様が出逢われたのは真白様が大学四年の七月だ。俺は、真白様が大学を卒業したら想いを伝えるつもりでいた。その前におまえが現れたんだろうがっ! どうしろって言うんだ。しかも、ずっと真白様を見てきたんだ。彼女が誰かに心を寄せれば一目瞭然、すぐに気付く。誰よりも先にっ」
「それはすごい……」
「本当にそう思って言ってるのか?」
「えぇ、もちろんです。私はまだ、真白さんのことをそこまで深く理解はしておりませんので、毎度の如く手探りですよ。今だって、夕飯を摂ったあとに部屋に戻ってきてもいいかをお訊ねしたところ、医師として戻ってくるのか、婚約者として戻ってくるのか、と問われて悩みましたからね」
「……どのくらい?」
「悩んだ所要時間のことですか?」
頷く彼に、
「五秒ほど」
藤堂さんは頭を掻きむしり始めた。
そんな彼に気の利いた言葉などはかけない。己の中にある好奇心をそのままに訊ねる。
「藤堂さんはどちらが正解だと思われましたか?」
「……どちらも不正解」
「ですよね……。なので、医師として、そして婚約者として戻ります、と告げてまいりました」
にこりと笑って答えると、藤堂さんはその場で項垂れてしまった。
「あの真白様相手に淡々と、会話ができるおまえが羨ましくてならない……」
「おや? 藤堂さんだって、いつもは真白さんの前で毅然と振舞われていらっしゃるじゃないですか」
「あれは猫かぶっているだけで、本当の自分ではないし、おまえみたいに飄々と対応することはできない、って意味だ!」
「なるほど……」
「会長が調べたデータを見ているから粗方わかってはいたが、本当にこういう話し方しかしないのか?」
「えぇ、それ以外の話し方をしてきた記憶がございませんので。第一、面倒でしょう? 友人、後輩、先輩、恩師、患者、上司――それぞれに話し方を変えるのは。合理的じゃない」
「……それ、人としてどうなんだ」
「人として――どうなんでしょうね……? ですが、そういったところも含め、真白さんに気に入られたようですので、私は大変助かっております」
「……また真白様を盾のように使うつもりじゃないだろうな」
恫喝されているかのような声音と表情に、クスリと笑みが漏れる。
「あぁ、そんなことまでご存知なのですね。本当に隠し立てできるものじゃない」
「返答っ」
「はいはい。そんなつもりは毛頭ございません。ですから、これ以上彼女に負担をかけないためにもリストが必要だと思いました。そのリストには、自分なりに調べた補足事項も追加していく予定でいます」
「じゃあ、おまえが俺に訊きたかったこととは……?」
「藤堂さんならご存知かと……。その日の体調にもよるかとは思いますが、パーティーで真白さんが立位で応対できるのは何分が限界ですか? それから、座位ならば? ほか、どのようなパーティー形態、茶会形態があるのかをおうかがいしたいですね。自分、こういう世界とは無縁の世界で生きてきた人間なので、何分知識が足りておりません。一般常識としての知識は相応に得ることができますが、こういった『社交界』においてはそれぞれの家々により、『格式』であったり、『カラー』――『ルール』のようなものがあるのでしょう? その部分を把握しない限り、彼女のフォローを完璧にはできませんから。そんな状態は早期に脱したいしだいです」
じっとこちらを見据えるがたいのいい彼と視線を合わせると、
「訊かれたことにホイホイ情報を渡すのは悔しいからな。おまえの見立てをまず聞くとしよう」
「かまいません。今日の感じですと、一時間は無理ですね。ぶっ通しならば四十五分がいいところ。それ以上会場にいる必要があるのであれば、四十分の時点で一時撤退。休憩を挟んでから第二部、第三部と会場に戻るのが良策かと……」
彼はまたしても髪の毛を掻きむしる。
「当たりですか?」
「……あぁ。くっそ、本当に良く見てんな。たったの一日でこの把握ぶりかよ……」
「藤堂さん、色々と駄々洩れておられますが?」
「漏らして聞かせてやってんだよっ。ありがたく思えっ」
「そうでしたか。それはご親切にありがとうございます」
そう答えた自分が笑っていた。
真白さんと一緒にいるときに穏やかに笑う感じではなく、声を上げて、または声を立てて笑っていた。
自分はこんなふうに笑う人間だっただろうか……?
しばらく考えて思い出す。
「あぁ、両親がいたころぶりか……?」
「なんの話だ?」
「いや、こんなふうに声をあげて笑ったのがかなり久しぶりだったもので……」
「両親がいたころって……。おまえの両親、おまえが小学生のときに――」
しまった――そんな顔をした彼を前に、自分はまた笑う。
「そんな気遣う必要はないでしょう? もう何年前の話だと思っているんですか。今さら両親の話をされて動揺などするわけがない。……でも――えぇ、たぶんそのころぶりですかね? こんなふうに笑ったのは」
すると藤堂さんは身体の向きを変え、
「え、真白様……こいつマジやばくないですか……? 今になって俺のほうがマシなんじゃ、って思い始めたんだが……」
「だから藤堂さん、聞こえてますって」
藤堂さんはどうにも落ち着かない様子で俺を振り返った。
そんな彼を見て思う。
「藤堂さんは今後も真白さんの警護を続けられるのでしょうか? それとも、自分から異動願いは出せない感じなんですかね?」
「なんだ、俺が警護班の筆頭じゃ不安があるっていうのかっ?」
「いえ、別段そういったことではなく……。むしろ鉄壁な守りだと思っています」
「ならなんだ」
「ほら、振られた人間――あぁ、この場合はほかの男に掻っ攫われた、ですかね? その場合、潔く身を引くか、固執するかのどちらかとうかがったことがございますので」
「……まあな。進退は考えているが……。やはり真白様のお側を離れるのは心配でな……」
彼の表情が曇る程度には、彼女は警護班に護られていなければ、今ある生活すら送ることが困難な立場にあるのだろう。
それは彼の表情を見てすぐに察することができたし、普段の真白さんの行動範囲の狭さからも、垣間見ることはできていた。
「ですが、藤堂さんだってまだ三十手前。それでいて会長直系のご息女――長女である真白さんの警護班筆頭などとはすごい抜擢なのでは? 通常ならば三十代か四十代前半の人間が担うポストにその年齢でおられるのは、並大抵のことではないかとお察ししますが……。それに、今後現場を離れたとしても、警備会社の中枢を担うポストへ出世なさる方でしょう?」
「……自分が真白様の警護班筆頭になれたのは、ひとえに藤宮の親戚縁者であるからだ。通常なら、このポストに就くまで十五年は要すだろう」
つまり、自分が想定した年齢の人間が真白さん警護班筆頭に就くのが通例ということ。
それをこの人は、どうやって成し遂げたのか。そこに興味が湧く。
「それを一飛びにできたのは自分の出生のほか、努力あってのこと」
純粋なる好奇心で「努力とは?」と訊ねると、
「平均的に五年から十年かけてパスするジョブランク試験を二年ですべて制覇した。心技体においても、幼少のころから加納道場へ入り浸っていたからな。問題なくすべての試験をパスできたわけだ。そして、会長直系の人間を警護するためには、通常試験とは異なるものもパスしなくてはならないわけだが、それも問題なくパスしてきた」
「なるほど……。苗字だけではなく、それなりの努力をされてもぎ取ったポストなのですね」
そういう人間は嫌いじゃない。むしろ自分に通じるものを感じる。
次の瞬間、自分は佇まいを直し、彼の真正面に立っていた。
「藤堂さん、よろしければ私と友人になりませんか? 今後、あなたが真白さん付の警護班を続ける続けない関係なく、私と友人になっていただけませんか?」
訊ねると、彼はこれ以上ないほど目を大きく開いた。
「冗談にもほどがあるだろっ!?」
「いや、冗談では……。ほら、紫先生とは親友なのでしょう? でしたら、紫先生の義弟となる私とも仲良くしてくださってもよろしいのでは?」
「図々しいな……」
「なんとでも」
にこりと笑う自分を傍目に見つつ、藤堂さんは少し考えてから、
「あくまでも、おまえは真白様の婚約者で、婚姻が成立すれば会長直系の親族になる。表ではこういった口調では話せない。どうしても自分が下になる」
「えぇ、心得ております」
「だが、俺は根に持つ性分だ。そのときに交わした言葉であろうと、腹立つものがあれば、あとでしっかり文句を言うぞ?」
「なんですか、その宣言」
くくく、と笑うと、
「……悔しいが、容姿のみならず、真白様をどれだけ想っているのかも、今日のおまえを見ていればわかる。そして、真白様を託せる人間であることも認められる。だから――受けて立とう。友人を」
「友人」とは、受けて立つほどのものだっただろうか?
自分は今、「友人になって欲しい」とお願いしたはずなのだが、気分的には「果たし状」を受け取られてしまった気分だ。
考えれば考えるほど笑いのツボをつかれる。
でもやはり、病院で藤宮の名を冠する人間や、その名に屈する人間よりも、話をしていて気持ちがいいというよりは、パズルのピースがはまるときに感じる「しっくり感」を覚える。
彼がどんなに口汚い物言いをしていても、品性は備わっているのだ。そして、尊敬に値するプライドも持ち合わせている。
「では、これからは友人として付き合わせていただきます」
告げたあと、何かが足りない気がして首を傾げる。と、
「何が不満なんだ?」
「いえ、不満というわけではなく……。通常、こういうときに電話番号なりなんなり交換するものかと思うのですが、自分の情報はすべて藤堂さんはご存知ですし、自分も藤堂さんとの連絡経路には事欠きませんしね……?」
宣言だけでいいのか、と思えば若干物足りなさを感じる。
すると彼は、胸元からメモ帳を取り出し、フルネーム、自宅の電話番号と私用で使っている携帯電話の番号。住所やメールアドレスといった個人情報を書き記し、無骨さ全開で胸元に押し付けてきた。
それに目を落とし、文字に人間性が表れているな、などと思い顔を上げる。
「大変貴重な個人情報をありがとうございます。厳重に保管させていただきますね」
自分としてはごく普通に答えたつもりだったが、
「おまえにそう言われると、闇取引とかに使われるんじゃないか、っていう若干の不安が生じるんだが……」
その一言を聞いてまた声を立てて笑った。
「くくっ、失礼な方ですね。しませんよ! でも、もしあなたが真白さんを危険に晒すようなことがあれば、あるいは――。ですので、くれぐれも万全の警護をお願いいたします」
そんな話しをしながら続きの階段を下り始め、「オフレコ会話」が終わったこともあり、二十四階からはエレベーターを使用した。
そして結果的に、彼は自分の夕飯にも付き合ってくれたのだ。
なるほど……。
「昨夜、本当は当直ではなかったんです。手術自体が異例に長引いた患者の容体が安定していなかったものですから、その方の容体が落ち着くまで病院に残っていただけなので」
「それが一晩かかったと……?」
「いえ、患者につきっきりだったわけではございません。何かあればコールが鳴りますから、それまではデスクで書類仕事を。最近は悪意を感じる程度に多忙を極めておりますもので、書類整理にまで手が回っていなかったんです。そして気付けば外が明るい時間になっておりました。それでも、身だしなみを整えるものはすべてロッカーに揃っておりますし、シャワーを浴びる設備もある。今日着るスーツ一式も車の中に用意してございましたので、自宅に寄ることなく真白さんをお迎えに上がったしだいです」
軽快な口調で述べると、
「そのせいで真白様が……」
「くっ、藤堂さんは常に真白さんファーストなのですね?」
「当たり前でしょうっ! 文句ありますかっ!?」
「いえ、ございません……。ただ、段ボール十箱分のリストですよ? それを一晩で覚えるのはちょっと――常人には無理な所業かと思うのですが、そのあたり藤堂さんはどのようにお考えだったのでしょう?」
彼はものすごくいやなものを見る目でこちらを振り返り、踊り場で足を止めては壁に寄り掛かった。
「私たち警護班が、あなたのことを何も知らないとでも?」
「と言いますと……?」
「あなたの出生から元来どんな気質なのか、どんな友人、人間と関わってきたのか。医師としてどういったフィールドにいるのか。そういったことはすべて頭に叩き込んであります。それらのひとつに――」
「なんです……?」
「……おい、敬語やめるぞっ」
いきなりの宣言にまたしても笑いがこみ上げる。
「藤堂さん、実はこんな方だったんですね」
彼は視線を逸らし、
「紫とは馬が合うから付き合っているが、もともと無骨者で藤宮の親戚縁者との付き合いにはうんざりしている。ただ、真白様に関わりたいが一心で、藤宮警備に入社する進路を進んできただけだ」
「それはそれはご苦労なことで……」
ギロリ、と射殺されそうな視線を向けられ、
「おまえ、一度目を通したものは忘れられないんだろう? それが文章であれ、画像であれ、実際に見た景色光景を含め何もかも」
「……おや、そんなことまでご存知なのですね? 人前でそういったことは見せずに生きてきたつもりなのですが……」
「藤宮警備、甘く見んな」
「というよりは、藤宮元氏を、ということでは?」
「まあ、そんなところだ。あんなくそじじー、親戚でもなければ関わりたくもない」
その一言には激しく共感する。そして、これらの言葉から、この場での会話はすべて「オフレコ」であることを察する。
自分が想いを寄せる相手の父親のことを、その娘の婚約者になった自分に対し「くそじじー」などと言って見せるのだから、彼はかなり肝の据わった人間なのかもしれない。また、敵対心を見せつつ、認めてない素振りをしつつも、こういった会話を口外する人間ではない、という部分は認められているからこそ、このような話をしてくれるのだろう。
そう思えば、彼に対し好感を抱き始めるというもの。
自分の心情変化を興味深く感じながら、会話を再開する。
「そこまで真白様に執着なさっているのであれば、やはり想いを告げるなりなんなりすればよろしかったのでは?」
「くそむかつくやつだなっ。自分の顔と俺の顔を見比べてからものを言えっ」
「ですから、私などが出てくる前にあなたが真白様を口説き落とせば良かったのでは? と申し上げているのです」
藤堂さんは無言で数秒こちらを見ると、
「おまえのその話し方、どうにかならねーのか」
「あぁ、なりませんねぇ……。もともとこういう話し方しかできない性質でして」
クスクスと笑っていると、会話内容をもとに戻された。
「おまえと真白様が出逢われたのは真白様が大学四年の七月だ。俺は、真白様が大学を卒業したら想いを伝えるつもりでいた。その前におまえが現れたんだろうがっ! どうしろって言うんだ。しかも、ずっと真白様を見てきたんだ。彼女が誰かに心を寄せれば一目瞭然、すぐに気付く。誰よりも先にっ」
「それはすごい……」
「本当にそう思って言ってるのか?」
「えぇ、もちろんです。私はまだ、真白さんのことをそこまで深く理解はしておりませんので、毎度の如く手探りですよ。今だって、夕飯を摂ったあとに部屋に戻ってきてもいいかをお訊ねしたところ、医師として戻ってくるのか、婚約者として戻ってくるのか、と問われて悩みましたからね」
「……どのくらい?」
「悩んだ所要時間のことですか?」
頷く彼に、
「五秒ほど」
藤堂さんは頭を掻きむしり始めた。
そんな彼に気の利いた言葉などはかけない。己の中にある好奇心をそのままに訊ねる。
「藤堂さんはどちらが正解だと思われましたか?」
「……どちらも不正解」
「ですよね……。なので、医師として、そして婚約者として戻ります、と告げてまいりました」
にこりと笑って答えると、藤堂さんはその場で項垂れてしまった。
「あの真白様相手に淡々と、会話ができるおまえが羨ましくてならない……」
「おや? 藤堂さんだって、いつもは真白さんの前で毅然と振舞われていらっしゃるじゃないですか」
「あれは猫かぶっているだけで、本当の自分ではないし、おまえみたいに飄々と対応することはできない、って意味だ!」
「なるほど……」
「会長が調べたデータを見ているから粗方わかってはいたが、本当にこういう話し方しかしないのか?」
「えぇ、それ以外の話し方をしてきた記憶がございませんので。第一、面倒でしょう? 友人、後輩、先輩、恩師、患者、上司――それぞれに話し方を変えるのは。合理的じゃない」
「……それ、人としてどうなんだ」
「人として――どうなんでしょうね……? ですが、そういったところも含め、真白さんに気に入られたようですので、私は大変助かっております」
「……また真白様を盾のように使うつもりじゃないだろうな」
恫喝されているかのような声音と表情に、クスリと笑みが漏れる。
「あぁ、そんなことまでご存知なのですね。本当に隠し立てできるものじゃない」
「返答っ」
「はいはい。そんなつもりは毛頭ございません。ですから、これ以上彼女に負担をかけないためにもリストが必要だと思いました。そのリストには、自分なりに調べた補足事項も追加していく予定でいます」
「じゃあ、おまえが俺に訊きたかったこととは……?」
「藤堂さんならご存知かと……。その日の体調にもよるかとは思いますが、パーティーで真白さんが立位で応対できるのは何分が限界ですか? それから、座位ならば? ほか、どのようなパーティー形態、茶会形態があるのかをおうかがいしたいですね。自分、こういう世界とは無縁の世界で生きてきた人間なので、何分知識が足りておりません。一般常識としての知識は相応に得ることができますが、こういった『社交界』においてはそれぞれの家々により、『格式』であったり、『カラー』――『ルール』のようなものがあるのでしょう? その部分を把握しない限り、彼女のフォローを完璧にはできませんから。そんな状態は早期に脱したいしだいです」
じっとこちらを見据えるがたいのいい彼と視線を合わせると、
「訊かれたことにホイホイ情報を渡すのは悔しいからな。おまえの見立てをまず聞くとしよう」
「かまいません。今日の感じですと、一時間は無理ですね。ぶっ通しならば四十五分がいいところ。それ以上会場にいる必要があるのであれば、四十分の時点で一時撤退。休憩を挟んでから第二部、第三部と会場に戻るのが良策かと……」
彼はまたしても髪の毛を掻きむしる。
「当たりですか?」
「……あぁ。くっそ、本当に良く見てんな。たったの一日でこの把握ぶりかよ……」
「藤堂さん、色々と駄々洩れておられますが?」
「漏らして聞かせてやってんだよっ。ありがたく思えっ」
「そうでしたか。それはご親切にありがとうございます」
そう答えた自分が笑っていた。
真白さんと一緒にいるときに穏やかに笑う感じではなく、声を上げて、または声を立てて笑っていた。
自分はこんなふうに笑う人間だっただろうか……?
しばらく考えて思い出す。
「あぁ、両親がいたころぶりか……?」
「なんの話だ?」
「いや、こんなふうに声をあげて笑ったのがかなり久しぶりだったもので……」
「両親がいたころって……。おまえの両親、おまえが小学生のときに――」
しまった――そんな顔をした彼を前に、自分はまた笑う。
「そんな気遣う必要はないでしょう? もう何年前の話だと思っているんですか。今さら両親の話をされて動揺などするわけがない。……でも――えぇ、たぶんそのころぶりですかね? こんなふうに笑ったのは」
すると藤堂さんは身体の向きを変え、
「え、真白様……こいつマジやばくないですか……? 今になって俺のほうがマシなんじゃ、って思い始めたんだが……」
「だから藤堂さん、聞こえてますって」
藤堂さんはどうにも落ち着かない様子で俺を振り返った。
そんな彼を見て思う。
「藤堂さんは今後も真白さんの警護を続けられるのでしょうか? それとも、自分から異動願いは出せない感じなんですかね?」
「なんだ、俺が警護班の筆頭じゃ不安があるっていうのかっ?」
「いえ、別段そういったことではなく……。むしろ鉄壁な守りだと思っています」
「ならなんだ」
「ほら、振られた人間――あぁ、この場合はほかの男に掻っ攫われた、ですかね? その場合、潔く身を引くか、固執するかのどちらかとうかがったことがございますので」
「……まあな。進退は考えているが……。やはり真白様のお側を離れるのは心配でな……」
彼の表情が曇る程度には、彼女は警護班に護られていなければ、今ある生活すら送ることが困難な立場にあるのだろう。
それは彼の表情を見てすぐに察することができたし、普段の真白さんの行動範囲の狭さからも、垣間見ることはできていた。
「ですが、藤堂さんだってまだ三十手前。それでいて会長直系のご息女――長女である真白さんの警護班筆頭などとはすごい抜擢なのでは? 通常ならば三十代か四十代前半の人間が担うポストにその年齢でおられるのは、並大抵のことではないかとお察ししますが……。それに、今後現場を離れたとしても、警備会社の中枢を担うポストへ出世なさる方でしょう?」
「……自分が真白様の警護班筆頭になれたのは、ひとえに藤宮の親戚縁者であるからだ。通常なら、このポストに就くまで十五年は要すだろう」
つまり、自分が想定した年齢の人間が真白さん警護班筆頭に就くのが通例ということ。
それをこの人は、どうやって成し遂げたのか。そこに興味が湧く。
「それを一飛びにできたのは自分の出生のほか、努力あってのこと」
純粋なる好奇心で「努力とは?」と訊ねると、
「平均的に五年から十年かけてパスするジョブランク試験を二年ですべて制覇した。心技体においても、幼少のころから加納道場へ入り浸っていたからな。問題なくすべての試験をパスできたわけだ。そして、会長直系の人間を警護するためには、通常試験とは異なるものもパスしなくてはならないわけだが、それも問題なくパスしてきた」
「なるほど……。苗字だけではなく、それなりの努力をされてもぎ取ったポストなのですね」
そういう人間は嫌いじゃない。むしろ自分に通じるものを感じる。
次の瞬間、自分は佇まいを直し、彼の真正面に立っていた。
「藤堂さん、よろしければ私と友人になりませんか? 今後、あなたが真白さん付の警護班を続ける続けない関係なく、私と友人になっていただけませんか?」
訊ねると、彼はこれ以上ないほど目を大きく開いた。
「冗談にもほどがあるだろっ!?」
「いや、冗談では……。ほら、紫先生とは親友なのでしょう? でしたら、紫先生の義弟となる私とも仲良くしてくださってもよろしいのでは?」
「図々しいな……」
「なんとでも」
にこりと笑う自分を傍目に見つつ、藤堂さんは少し考えてから、
「あくまでも、おまえは真白様の婚約者で、婚姻が成立すれば会長直系の親族になる。表ではこういった口調では話せない。どうしても自分が下になる」
「えぇ、心得ております」
「だが、俺は根に持つ性分だ。そのときに交わした言葉であろうと、腹立つものがあれば、あとでしっかり文句を言うぞ?」
「なんですか、その宣言」
くくく、と笑うと、
「……悔しいが、容姿のみならず、真白様をどれだけ想っているのかも、今日のおまえを見ていればわかる。そして、真白様を託せる人間であることも認められる。だから――受けて立とう。友人を」
「友人」とは、受けて立つほどのものだっただろうか?
自分は今、「友人になって欲しい」とお願いしたはずなのだが、気分的には「果たし状」を受け取られてしまった気分だ。
考えれば考えるほど笑いのツボをつかれる。
でもやはり、病院で藤宮の名を冠する人間や、その名に屈する人間よりも、話をしていて気持ちがいいというよりは、パズルのピースがはまるときに感じる「しっくり感」を覚える。
彼がどんなに口汚い物言いをしていても、品性は備わっているのだ。そして、尊敬に値するプライドも持ち合わせている。
「では、これからは友人として付き合わせていただきます」
告げたあと、何かが足りない気がして首を傾げる。と、
「何が不満なんだ?」
「いえ、不満というわけではなく……。通常、こういうときに電話番号なりなんなり交換するものかと思うのですが、自分の情報はすべて藤堂さんはご存知ですし、自分も藤堂さんとの連絡経路には事欠きませんしね……?」
宣言だけでいいのか、と思えば若干物足りなさを感じる。
すると彼は、胸元からメモ帳を取り出し、フルネーム、自宅の電話番号と私用で使っている携帯電話の番号。住所やメールアドレスといった個人情報を書き記し、無骨さ全開で胸元に押し付けてきた。
それに目を落とし、文字に人間性が表れているな、などと思い顔を上げる。
「大変貴重な個人情報をありがとうございます。厳重に保管させていただきますね」
自分としてはごく普通に答えたつもりだったが、
「おまえにそう言われると、闇取引とかに使われるんじゃないか、っていう若干の不安が生じるんだが……」
その一言を聞いてまた声を立てて笑った。
「くくっ、失礼な方ですね。しませんよ! でも、もしあなたが真白さんを危険に晒すようなことがあれば、あるいは――。ですので、くれぐれも万全の警護をお願いいたします」
そんな話しをしながら続きの階段を下り始め、「オフレコ会話」が終わったこともあり、二十四階からはエレベーターを使用した。
そして結果的に、彼は自分の夕飯にも付き合ってくれたのだ。
0
お気に入りに追加
99
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
好きすぎて、壊れるまで抱きたい。
すずなり。
恋愛
ある日、俺の前に現れた女の子。
「はぁ・・はぁ・・・」
「ちょっと待ってろよ?」
息苦しそうにしてるから診ようと思い、聴診器を取りに行った。戻ってくるとその女の子は姿を消していた。
「どこいった?」
また別の日、その女の子を見かけたのに、声をかける前にその子は姿を消す。
「幽霊だったりして・・・。」
そんな不安が頭をよぎったけど、その女の子は同期の彼女だったことが判明。可愛くて眩しく笑う女の子に惹かれていく自分。無駄なことは諦めて他の女を抱くけれども、イくことができない。
だめだと思っていても・・・想いは加速していく。
俺は彼女を好きになってもいいんだろうか・・・。
※お話の世界は全て想像の世界です。現実世界とは何の関係もありません。
※いつもは1日1~3ページ公開なのですが、このお話は週一公開にしようと思います。
※お気に入りに登録してもらえたら嬉しいです。すずなり。
いつも読んでくださってありがとうございます。体調がすぐれない為、一旦お休みさせていただきます。
好きだった幼馴染に出会ったらイケメンドクターだった!?
すず。
恋愛
体調を崩してしまった私
社会人 26歳 佐藤鈴音(すずね)
診察室にいた医師は2つ年上の
幼馴染だった!?
診察室に居た医師(鈴音と幼馴染)
内科医 28歳 桐生慶太(けいた)
※お話に出てくるものは全て空想です
現実世界とは何も関係ないです
※治療法、病気知識ほぼなく書かせて頂きます
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる