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31~34 Side 蒼樹 01話
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大学のカフェで昼食を摂っていると、ジャケットに入れていた携帯が振動し始めた。
振動が止まらないということは電話。
ディスプレイには簾条桃華と表示されていた。
桃華は用事がない限り電話をしてこない。さらには電話に出ればすぐこちらの状況確認をする。
つまり、電話をしていても大丈夫かどうか。そんなところに翠葉との共通点を見つけていたわけだけど……。
通話状態になるなり、
『蒼樹さん……お願い、頼まれていただけますか?』
様子がおかしいと思った。けど、それが翠葉にまつわるものとは思いもしなかった。
話はこうだ。
翠葉が悩みを抱えているのは明白だった。時間をかければ話してもらえると思っていた。でも、結局話してもらえないまま終業式の今日を迎えた。
そのうえ、翠葉がごめんなさいを連呼。思わず口走ってしまった言葉の数々……。
「そっか……。そんなことがあったんだ。それは落ち込んでるだろうな……」
『すみません……』
「いや、桃華たちが悪いわけじゃないよ。むしろ、そうまでして翠葉を待ってくれたことがありがたいくらい」
『でも、結果的には八つ当たりじみたことしちゃいましたし……』
翠葉も落ち込んでいるだろう。けれど、これは桃華も佐野くんも相当落ち込んでいるに違いない。
『翠葉に伝えてほしいことがあるんです』
「了解。承るよ」
『……私たちは友達だから、たまにきついことを言うかもしれない。でも、それで友達をやめるとか離れるとか、そういうことは考えてない。佐野も同じ。私も佐野も、どうでもいい人間が相手なら何も言わずに離れてる』
桃華は俺に話すときとは違う口調で言葉を発した。
きっと、ある程度は佐野くんと決めた文言なのだろう。
「誤解しようのない言葉だね」
『えぇ……。あの子、たまにあり得ない勘違いをするから……。あえて、絶対に勘違いしないような言葉を選びました』
「助かるよ」
言いながら思わず笑みが零れる。
『もう……蒼樹さんひどいです』
「ごめんごめん。……でも、本当にありがとう。翠葉の友達に桃華や佐野くんみたいな子がいてくれて嬉しいよ」
『私は……翠葉のお兄さんが蒼樹さんで良かったです。蒼樹さんじゃなかったらこんなこと頼めませんでしたし、フォローもお願いできませんでしたから……』
話はそれだけだったようで、この内容が終わるとそそくさと切られそうになった。
俺は慌てて声をかける。
「桃華、冬休みの予定はっ?」
『このあとは暮れの挨拶周りです。年始は年始で新年の挨拶周り……。本当にうんざりするほど……』
その声の調子からどれほど嫌なのかが伝わってくる。
「そっか……年内どこかで会えないかと思ってたんだけどその調子じゃ無理そうかな」
『っ……ちょっと待ってくださいっ』
バサバサッと音がして、
『三十日……三十日なら午後に少し時間が取れると思います』
「三十日、か……。わかった。じゃ、当日連絡入れる」
『はい……。会えるの、楽しみにしています』
「俺も。クリスマスは会えないけどプレゼント用意してるから」
『……嬉しい』
「じゃ、三十日にね」
言って電話を切った。
今日は夕方、病院へ翠葉を迎えに行くことになっている。
「さて……話してくれるかな? くれないかな?」
最近は悩みごとがあっても全部を打ち明けてくれることはなくなった。
「兄離れ、妹離れ……か」
わかっていつつも、その距離の取り方が未だにわからずにいた。
雨が降り出しそうな天気の中、病院の駐車場で翠葉からの連絡を待っていた。
すると、思いも寄らない人から着信がある。
今、翠葉を診ているはずの相馬先生。少しの緊張を伴いながら出ると、
『おう、シスコン』
いきなりの言葉に緊張が吹っ飛んだ。
「やめてくださいよ、その呼び方」
『シスコンはシスコンだろ?』
これは、翠葉がひどく体調が悪いとかその手のことではなさそうだ。けれど、用もなく電話してくる人でも、そんな間柄でもない。いったい――
「診察、終わったんですか?」
『あぁ、今終わったところだ。そのうち連絡あるだろ』
「……なんで自分に電話なんでしょう? 何か、ありましたか?」
兄の心境としては、病院でも何かあったというのだけは勘弁してほしい。これ以上、翠葉の負担になりそうなことは起きてほしくない。
『何かってほどのことじゃない。ただ、あいつを外に連れ出してやれ』
「え?」
『スイハ、ストレス発散方法を知らないだろ? なんでも真面目にひとつひとつと向き合うのはあいつのいいところでもある。が、息抜きは大切だ。自分でコントロールできないなら、今は人の手を借りるほうがいい。もう冬休みだ。幸倉に帰るなら散歩にでも連れ出してやればいい。それだけのこった』
「……わかりました。ありがとうございます」
『じゃぁな』
通話を切ると、すぐに翠葉から連絡が入った。
正面玄関に車をつけると、翠葉が助手席のドアを開け乗りこむ。
「おかえり」
「ただいま。……空、真っ暗だね」
翠葉はフロントガラスから見える空を見ながら言う。
「あぁ、これは降ってくるだろうな。……何かあったのか?」
「え……?」
少し唐突だったかと思いながら、空を指して見せた。
「翠葉の表情もこの空みたい」
「…………」
パフォォンッ――
後続車にクラクションを鳴らされ、慌てて車を発進させた。
一般道に出て走行が安定した時点で話をもとに戻す。
「で? 何かあった?」
「……涼先生に捕まっただけ」
「え?」
桃華じゃなくて涼先生……? 意味がわからず、それに続く話を待っていると、
「……九階に行ったらいらしたの」
「そっかそっか。……でも、『捕まった』って表現はちょっと……」
苦笑せざるを得ない。何がどうして捕まった?
「だって……本当に捕まったんだもの……。右手、掴まれたまま問診受けたんだよ?」
状況を聞いて思わず笑ってしまった。
「涼先生、間違いなく司のお父さんだな」
「うん……」
「で? その憂鬱そうな顔は胃カメラの予約でも入れられた?」
「うん……」
「年内?」
「ううん、そこは譲歩してもらって年明け早々」
「翠葉はいやかもしれないけど、俺らはそのほうが安心かな」
肩透かしを食らったというよりは、うまくごまかされたな、って印象。
すると、雨が降り出した。
フロントガラスに水滴がついては、まん丸の雫が上の方へと上がっていく。葵が教えてくれた撥水加工の溶剤に万歳。
「降ってきちゃったな」
「ん……明日も、雨なのかな」
痛みはだいぶ楽だとは言っているけど、やっぱりつらいのか……?
「……家に帰ったら天気予報を確認しよう」
「蒼兄……幸倉に帰るのは今日? それとも、明日?」
運転中だけど、あまりにも気になって隣に座る翠葉をうかがい見た。
「幸倉が恋しい?」
翠葉は手元を見たまま頷いた。
「……じゃ、家に帰ったら用意して、夕飯食べたらみんなで帰ろう」
「本当?」
返事の代わりに笑みを返す。
「もし、唯や母さんが帰る用意に時間がかかるって言うんだったら、俺と翠葉が先に帰るんでも問題ないし」
「……ありがとう」
「そんな、気にすることじゃないよ」
空いている左手で頭を撫でたのは、「大丈夫だよ」を伝えるため。
きっと、いっぱいいっぱいなんだろう。
夏と同じ。自分のキャパシティを超えたとき、翠葉は幸倉へ帰りたがる。
そして、そこでなら話してもらえる気がした。俺たちの距離が、無条件で以前の状態に戻れる気がしたんだ――
帰宅して早々今日中に幸倉へ帰る話をすると、唯に突っ込まれはしたものの、結局家族揃って幸倉へ帰ることになった。
マンションを出たのは九時過ぎ。幸倉の家には十時前に着いたけど、買い物をしてくると言った父さんと母さんはまだ帰っていない。
翠葉と話す時間がとれるかと思ったけど、翠葉は洗面を済ませ先に寝ると部屋に篭ってしまった。
ま、今日だけじゃないからいいか……。
そう思いながらコーヒーを淹れていると、唯がカウンターの越しに話しかけてきた。
「ね、なんで急にこっちに帰ってきたの? あんちゃん、なんか聞いたの?」
「唯、顔が怖いんだけど……」
さすがに察しがいい。ついつい苦笑してしまう。
「そりゃね、なんとなく『疎外感』とか感じちゃってるわけで、拗ねてたりもしますよ」
唯には隠す必要はないか……。
「じゃ、それ取り下げの方向で」
「は?」
「……何かはあるんだろう。でも、俺も今回は聞いてない」
「……あんちゃん、なんか変なもの食べた?」
「唯……俺のこと四歳児くらいだと思ってる?」
「もしくは頭打ったとか?」
「両方違うから……」
カップにコーヒーを注ぎ唯に勧めると、
「飲んでいいの?」
なんとなく捨て猫を彷彿とさせる表情で訊かれた。
「どうぞ。ヤキモチ焼きくん」
「ぶー……」
ますますもって猫のようだ。
そうだな……今はきっとこんな距離感だ。
キッチンにいる俺、ダイニングにいる唯、自室にいる翠葉……。
「訊くのは簡単だよな。何も考えずに、どうした? って訊くのはすごく簡単。でも……話してもらうのは難しいな。前はなんでも話してくれたんだけど、今はそうじゃないから」
距離を測りかねている俺よりも、唯のほうが自然に翠葉の側にいる気がした。
「ただ、俺にも変化があって、情報源が多少増えたかな?」
「何それ、秋斗さん?」
「まさか」
「じゃぁ、桃華嬢だ」
「ピンポン」
頭の回転のよさはいつでも健在。だからきっと、皆まで話さずとも察してくれるだろう。
「ちょっとクラスで……いつものメンバーと一悶着あったみたい」
言うと、むっとした目で見られた。
「そんな目で見なくったって話すよ。情報の共有は大切でしょ? ってことで、上に行くか」
「了解」
俺の部屋で話すとき、唯は決まってベッドを占拠する。それはゲストルームでも幸倉でも変わらない。そして、俺は決まってパソコンチェアーに腰掛ける羽目になっていた。
「でー? 何があったの?」
「まずは佐野くんかな。朝、翠葉がひとりで教室にいるときに聞いたひとり言がきっかけで、詰め寄っちゃったらしい」
「具体的には?」
「うん、なんで入学当初に戻ってるんだとか、笑ってるのに目が笑ってないとか、自分たちが四月から築いてきたものってなんだったんだろうな、とか」
なるべくさらりと話す。
けれど、聞いていた唯の表情はひとつ追加するたびに刻々と変わっていく。
「はぁ……さいでっか。そりゃまぁね、彼は先日の会食の場にもいたわけだし……。リィが彼を連れてきたっていうのは、それだけ彼を頼りにしてる表れでもあって……。そっか、結局佐野っちにも言ってなかったのか」
唯は一度言葉を区切り、
「リィには申し訳ないけど、でも佐野っちの気持ちはわからなくもない。俺だって今、彼とおんなじ場所にいるに過ぎないもんね。で? 桃華嬢は何言っちゃったのさ。あの子に限ってそうまずい地雷は踏みそうにないと思うんだけど?」
「桃華は……最後まで翠葉に寄り添おうとしてくれたんだと思う。冬休み中、宿題の教えっこをしようって提案したそうだよ」
そしたら、翠葉は桃華が来たら俺が喜ぶと言った。いや、確かに俺は喜ぶんだけど、桃華の意図はそこにはなくて、純粋に翠葉に会いに来ようと思っていたんだ。
だからこそ、翠葉の返事が癇に障った。訂正を入れたら謝られて、ここ最近ずっと翠葉の「ごめんなさい」を聞いていた桃華は耐えかねた。
「結果、翠葉のごめんなさいはこれ以上踏み込んでこないでって言われてる気がするって言っちゃったらしい」
「……うはぁー……。なんとも言えないね。的を射すぎていて。頭のいい子たちって、どうしてこうも的確なんだろう?」
本当にね。ここまでストレートに、ダイレクトに伝えてくれたんだ。それが翠葉にきちんと伝わるといいんだけど……。
全部を話し終えると、
「それにしても、ずるいなぁ……」
「えぇっ!? 今、全部話したじゃん」
「だってずるいもんはずるいでしょー。俺も、佐野っちあたりとメアド交換とかしとこっかな」
なんだ、情報源のことか。
唯はごろんと寝返りを打ち、うつ伏せから仰向けになった。
「ま、それにしても面白いように話が進むよね。なんだってリィがこんな状況のときに、クラスサイドでもそんなことになってるんだか……」
「本当に……。だから、あまりにも翠葉が引き摺るようなら声はかけるつもり。まずは様子見。時間は必要だろうから……」
すでにキャパシティオーバーだ。これ以上のことはもう何も降ってこないでくれと祈るのみ。
「あんちゃん……リィとの距離、測りかねてたりする?」
唯の突然の質問に、ぐっと言葉に詰まる。
「……そうだな、翠葉ほど大々的に悩んでるわけじゃないけど、どのくらいの距離が望ましいのか、考えてはいる」
「そっか……」
幸倉に帰ってきて、もとの距離に戻れるんじゃないかなんて望んだ自分はどうかしているのだろうか。でも、正直、悩みを抱えたまま誰にも話せないでいる翠葉を放置していていいのかは不明だ。相馬先生には連れ出してやれって言われたけれど……。帰りの車の中ではやりたいことがたくさんあるようなことを言っていたし……。それに――
こちらを見ている唯に視線を戻した。
「でも、唯がいるから結構気楽だよ」
「は?」
「俺がフォローしなくても、唯が気づけば唯がフォローするだろ?」
「まぁ、それはそうだけど……。でも、気づきポイントって異なるじゃん?」
「それはそれ……。ただ、フォローが必要な場面で俺が動けなかったら、間違いなく唯がフォローしてくれるだろ? そういう意味では頼りにしてる」
自然と自分の表情が緩むのがわかった。あぁ、今、俺はひとりじゃないんだ……。
「いーですよいーですよ。俺にできるのそのくらいだし」
どうしてかやけっぱちな反応をされる。
「それは違うだろ? 唯だからできることで、唯だから頼めるんだ。唯じゃなきゃだめなんだよ」
思っていることを正直に話しただけだったけれど、唯は見てわかるほどのフリーズを披露し、復活したかと思えば急に「風呂入ってくる」と部屋を出て行ってしまった。
振動が止まらないということは電話。
ディスプレイには簾条桃華と表示されていた。
桃華は用事がない限り電話をしてこない。さらには電話に出ればすぐこちらの状況確認をする。
つまり、電話をしていても大丈夫かどうか。そんなところに翠葉との共通点を見つけていたわけだけど……。
通話状態になるなり、
『蒼樹さん……お願い、頼まれていただけますか?』
様子がおかしいと思った。けど、それが翠葉にまつわるものとは思いもしなかった。
話はこうだ。
翠葉が悩みを抱えているのは明白だった。時間をかければ話してもらえると思っていた。でも、結局話してもらえないまま終業式の今日を迎えた。
そのうえ、翠葉がごめんなさいを連呼。思わず口走ってしまった言葉の数々……。
「そっか……。そんなことがあったんだ。それは落ち込んでるだろうな……」
『すみません……』
「いや、桃華たちが悪いわけじゃないよ。むしろ、そうまでして翠葉を待ってくれたことがありがたいくらい」
『でも、結果的には八つ当たりじみたことしちゃいましたし……』
翠葉も落ち込んでいるだろう。けれど、これは桃華も佐野くんも相当落ち込んでいるに違いない。
『翠葉に伝えてほしいことがあるんです』
「了解。承るよ」
『……私たちは友達だから、たまにきついことを言うかもしれない。でも、それで友達をやめるとか離れるとか、そういうことは考えてない。佐野も同じ。私も佐野も、どうでもいい人間が相手なら何も言わずに離れてる』
桃華は俺に話すときとは違う口調で言葉を発した。
きっと、ある程度は佐野くんと決めた文言なのだろう。
「誤解しようのない言葉だね」
『えぇ……。あの子、たまにあり得ない勘違いをするから……。あえて、絶対に勘違いしないような言葉を選びました』
「助かるよ」
言いながら思わず笑みが零れる。
『もう……蒼樹さんひどいです』
「ごめんごめん。……でも、本当にありがとう。翠葉の友達に桃華や佐野くんみたいな子がいてくれて嬉しいよ」
『私は……翠葉のお兄さんが蒼樹さんで良かったです。蒼樹さんじゃなかったらこんなこと頼めませんでしたし、フォローもお願いできませんでしたから……』
話はそれだけだったようで、この内容が終わるとそそくさと切られそうになった。
俺は慌てて声をかける。
「桃華、冬休みの予定はっ?」
『このあとは暮れの挨拶周りです。年始は年始で新年の挨拶周り……。本当にうんざりするほど……』
その声の調子からどれほど嫌なのかが伝わってくる。
「そっか……年内どこかで会えないかと思ってたんだけどその調子じゃ無理そうかな」
『っ……ちょっと待ってくださいっ』
バサバサッと音がして、
『三十日……三十日なら午後に少し時間が取れると思います』
「三十日、か……。わかった。じゃ、当日連絡入れる」
『はい……。会えるの、楽しみにしています』
「俺も。クリスマスは会えないけどプレゼント用意してるから」
『……嬉しい』
「じゃ、三十日にね」
言って電話を切った。
今日は夕方、病院へ翠葉を迎えに行くことになっている。
「さて……話してくれるかな? くれないかな?」
最近は悩みごとがあっても全部を打ち明けてくれることはなくなった。
「兄離れ、妹離れ……か」
わかっていつつも、その距離の取り方が未だにわからずにいた。
雨が降り出しそうな天気の中、病院の駐車場で翠葉からの連絡を待っていた。
すると、思いも寄らない人から着信がある。
今、翠葉を診ているはずの相馬先生。少しの緊張を伴いながら出ると、
『おう、シスコン』
いきなりの言葉に緊張が吹っ飛んだ。
「やめてくださいよ、その呼び方」
『シスコンはシスコンだろ?』
これは、翠葉がひどく体調が悪いとかその手のことではなさそうだ。けれど、用もなく電話してくる人でも、そんな間柄でもない。いったい――
「診察、終わったんですか?」
『あぁ、今終わったところだ。そのうち連絡あるだろ』
「……なんで自分に電話なんでしょう? 何か、ありましたか?」
兄の心境としては、病院でも何かあったというのだけは勘弁してほしい。これ以上、翠葉の負担になりそうなことは起きてほしくない。
『何かってほどのことじゃない。ただ、あいつを外に連れ出してやれ』
「え?」
『スイハ、ストレス発散方法を知らないだろ? なんでも真面目にひとつひとつと向き合うのはあいつのいいところでもある。が、息抜きは大切だ。自分でコントロールできないなら、今は人の手を借りるほうがいい。もう冬休みだ。幸倉に帰るなら散歩にでも連れ出してやればいい。それだけのこった』
「……わかりました。ありがとうございます」
『じゃぁな』
通話を切ると、すぐに翠葉から連絡が入った。
正面玄関に車をつけると、翠葉が助手席のドアを開け乗りこむ。
「おかえり」
「ただいま。……空、真っ暗だね」
翠葉はフロントガラスから見える空を見ながら言う。
「あぁ、これは降ってくるだろうな。……何かあったのか?」
「え……?」
少し唐突だったかと思いながら、空を指して見せた。
「翠葉の表情もこの空みたい」
「…………」
パフォォンッ――
後続車にクラクションを鳴らされ、慌てて車を発進させた。
一般道に出て走行が安定した時点で話をもとに戻す。
「で? 何かあった?」
「……涼先生に捕まっただけ」
「え?」
桃華じゃなくて涼先生……? 意味がわからず、それに続く話を待っていると、
「……九階に行ったらいらしたの」
「そっかそっか。……でも、『捕まった』って表現はちょっと……」
苦笑せざるを得ない。何がどうして捕まった?
「だって……本当に捕まったんだもの……。右手、掴まれたまま問診受けたんだよ?」
状況を聞いて思わず笑ってしまった。
「涼先生、間違いなく司のお父さんだな」
「うん……」
「で? その憂鬱そうな顔は胃カメラの予約でも入れられた?」
「うん……」
「年内?」
「ううん、そこは譲歩してもらって年明け早々」
「翠葉はいやかもしれないけど、俺らはそのほうが安心かな」
肩透かしを食らったというよりは、うまくごまかされたな、って印象。
すると、雨が降り出した。
フロントガラスに水滴がついては、まん丸の雫が上の方へと上がっていく。葵が教えてくれた撥水加工の溶剤に万歳。
「降ってきちゃったな」
「ん……明日も、雨なのかな」
痛みはだいぶ楽だとは言っているけど、やっぱりつらいのか……?
「……家に帰ったら天気予報を確認しよう」
「蒼兄……幸倉に帰るのは今日? それとも、明日?」
運転中だけど、あまりにも気になって隣に座る翠葉をうかがい見た。
「幸倉が恋しい?」
翠葉は手元を見たまま頷いた。
「……じゃ、家に帰ったら用意して、夕飯食べたらみんなで帰ろう」
「本当?」
返事の代わりに笑みを返す。
「もし、唯や母さんが帰る用意に時間がかかるって言うんだったら、俺と翠葉が先に帰るんでも問題ないし」
「……ありがとう」
「そんな、気にすることじゃないよ」
空いている左手で頭を撫でたのは、「大丈夫だよ」を伝えるため。
きっと、いっぱいいっぱいなんだろう。
夏と同じ。自分のキャパシティを超えたとき、翠葉は幸倉へ帰りたがる。
そして、そこでなら話してもらえる気がした。俺たちの距離が、無条件で以前の状態に戻れる気がしたんだ――
帰宅して早々今日中に幸倉へ帰る話をすると、唯に突っ込まれはしたものの、結局家族揃って幸倉へ帰ることになった。
マンションを出たのは九時過ぎ。幸倉の家には十時前に着いたけど、買い物をしてくると言った父さんと母さんはまだ帰っていない。
翠葉と話す時間がとれるかと思ったけど、翠葉は洗面を済ませ先に寝ると部屋に篭ってしまった。
ま、今日だけじゃないからいいか……。
そう思いながらコーヒーを淹れていると、唯がカウンターの越しに話しかけてきた。
「ね、なんで急にこっちに帰ってきたの? あんちゃん、なんか聞いたの?」
「唯、顔が怖いんだけど……」
さすがに察しがいい。ついつい苦笑してしまう。
「そりゃね、なんとなく『疎外感』とか感じちゃってるわけで、拗ねてたりもしますよ」
唯には隠す必要はないか……。
「じゃ、それ取り下げの方向で」
「は?」
「……何かはあるんだろう。でも、俺も今回は聞いてない」
「……あんちゃん、なんか変なもの食べた?」
「唯……俺のこと四歳児くらいだと思ってる?」
「もしくは頭打ったとか?」
「両方違うから……」
カップにコーヒーを注ぎ唯に勧めると、
「飲んでいいの?」
なんとなく捨て猫を彷彿とさせる表情で訊かれた。
「どうぞ。ヤキモチ焼きくん」
「ぶー……」
ますますもって猫のようだ。
そうだな……今はきっとこんな距離感だ。
キッチンにいる俺、ダイニングにいる唯、自室にいる翠葉……。
「訊くのは簡単だよな。何も考えずに、どうした? って訊くのはすごく簡単。でも……話してもらうのは難しいな。前はなんでも話してくれたんだけど、今はそうじゃないから」
距離を測りかねている俺よりも、唯のほうが自然に翠葉の側にいる気がした。
「ただ、俺にも変化があって、情報源が多少増えたかな?」
「何それ、秋斗さん?」
「まさか」
「じゃぁ、桃華嬢だ」
「ピンポン」
頭の回転のよさはいつでも健在。だからきっと、皆まで話さずとも察してくれるだろう。
「ちょっとクラスで……いつものメンバーと一悶着あったみたい」
言うと、むっとした目で見られた。
「そんな目で見なくったって話すよ。情報の共有は大切でしょ? ってことで、上に行くか」
「了解」
俺の部屋で話すとき、唯は決まってベッドを占拠する。それはゲストルームでも幸倉でも変わらない。そして、俺は決まってパソコンチェアーに腰掛ける羽目になっていた。
「でー? 何があったの?」
「まずは佐野くんかな。朝、翠葉がひとりで教室にいるときに聞いたひとり言がきっかけで、詰め寄っちゃったらしい」
「具体的には?」
「うん、なんで入学当初に戻ってるんだとか、笑ってるのに目が笑ってないとか、自分たちが四月から築いてきたものってなんだったんだろうな、とか」
なるべくさらりと話す。
けれど、聞いていた唯の表情はひとつ追加するたびに刻々と変わっていく。
「はぁ……さいでっか。そりゃまぁね、彼は先日の会食の場にもいたわけだし……。リィが彼を連れてきたっていうのは、それだけ彼を頼りにしてる表れでもあって……。そっか、結局佐野っちにも言ってなかったのか」
唯は一度言葉を区切り、
「リィには申し訳ないけど、でも佐野っちの気持ちはわからなくもない。俺だって今、彼とおんなじ場所にいるに過ぎないもんね。で? 桃華嬢は何言っちゃったのさ。あの子に限ってそうまずい地雷は踏みそうにないと思うんだけど?」
「桃華は……最後まで翠葉に寄り添おうとしてくれたんだと思う。冬休み中、宿題の教えっこをしようって提案したそうだよ」
そしたら、翠葉は桃華が来たら俺が喜ぶと言った。いや、確かに俺は喜ぶんだけど、桃華の意図はそこにはなくて、純粋に翠葉に会いに来ようと思っていたんだ。
だからこそ、翠葉の返事が癇に障った。訂正を入れたら謝られて、ここ最近ずっと翠葉の「ごめんなさい」を聞いていた桃華は耐えかねた。
「結果、翠葉のごめんなさいはこれ以上踏み込んでこないでって言われてる気がするって言っちゃったらしい」
「……うはぁー……。なんとも言えないね。的を射すぎていて。頭のいい子たちって、どうしてこうも的確なんだろう?」
本当にね。ここまでストレートに、ダイレクトに伝えてくれたんだ。それが翠葉にきちんと伝わるといいんだけど……。
全部を話し終えると、
「それにしても、ずるいなぁ……」
「えぇっ!? 今、全部話したじゃん」
「だってずるいもんはずるいでしょー。俺も、佐野っちあたりとメアド交換とかしとこっかな」
なんだ、情報源のことか。
唯はごろんと寝返りを打ち、うつ伏せから仰向けになった。
「ま、それにしても面白いように話が進むよね。なんだってリィがこんな状況のときに、クラスサイドでもそんなことになってるんだか……」
「本当に……。だから、あまりにも翠葉が引き摺るようなら声はかけるつもり。まずは様子見。時間は必要だろうから……」
すでにキャパシティオーバーだ。これ以上のことはもう何も降ってこないでくれと祈るのみ。
「あんちゃん……リィとの距離、測りかねてたりする?」
唯の突然の質問に、ぐっと言葉に詰まる。
「……そうだな、翠葉ほど大々的に悩んでるわけじゃないけど、どのくらいの距離が望ましいのか、考えてはいる」
「そっか……」
幸倉に帰ってきて、もとの距離に戻れるんじゃないかなんて望んだ自分はどうかしているのだろうか。でも、正直、悩みを抱えたまま誰にも話せないでいる翠葉を放置していていいのかは不明だ。相馬先生には連れ出してやれって言われたけれど……。帰りの車の中ではやりたいことがたくさんあるようなことを言っていたし……。それに――
こちらを見ている唯に視線を戻した。
「でも、唯がいるから結構気楽だよ」
「は?」
「俺がフォローしなくても、唯が気づけば唯がフォローするだろ?」
「まぁ、それはそうだけど……。でも、気づきポイントって異なるじゃん?」
「それはそれ……。ただ、フォローが必要な場面で俺が動けなかったら、間違いなく唯がフォローしてくれるだろ? そういう意味では頼りにしてる」
自然と自分の表情が緩むのがわかった。あぁ、今、俺はひとりじゃないんだ……。
「いーですよいーですよ。俺にできるのそのくらいだし」
どうしてかやけっぱちな反応をされる。
「それは違うだろ? 唯だからできることで、唯だから頼めるんだ。唯じゃなきゃだめなんだよ」
思っていることを正直に話しただけだったけれど、唯は見てわかるほどのフリーズを披露し、復活したかと思えば急に「風呂入ってくる」と部屋を出て行ってしまった。
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俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
FRIENDS
緒方宗谷
青春
身体障がい者の女子高生 成瀬菜緒が、命を燃やし、一生懸命に生きて、青春を手にするまでの物語。
書籍化を目指しています。(出版申請の制度を利用して)
初版の印税は全て、障がい者を支援するNPO法人に寄付します。
スコアも廃止にならない限り最終話公開日までの分を寄付しますので、
ぜひお気に入り登録をして読んでください。
90万文字を超える長編なので、気長にお付き合いください。
よろしくお願いします。
※この物語はフィクションです。
実在の人物、団体、イベント、地域などとは一切関係ありません。
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