光のもとで1

葉野りるは

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29~30 Side 秋斗 02話

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 高等部敷地内にある駐車場に車を停め、桜香苑へ足を向けた。すると、校舎にもたれかかりこちらの動向をうかがう人間がひとり。――司だ。
「まるで俺がここを通るのわかってたような感じだな?」
「まぁね。あの人、意外と律儀だから。秋兄に流す情報はたいてい俺にも流してくれる」
 言わずと知れた唯のことだろう。
「……秋兄が今行ったところでどうなるとは思っていない。けど、余計なことは言ってほしくもやってほしくもない」
「…………」
「パレスでも言ったけど、もう一度言う」
 壁から背を離し、司は俺の真正面に立った。
「翠から手を引くとか俺に譲るとか、そういうの嬉しくないから」
「そんなつもりはないけど……」
「けど? ――今の翠は見るに耐えない?」
 お見通しか……。
「じーさんに会う前に、何かひとつくらい解決してたほうがいいだろ?」
 言うと、司は大仰にため息をついた。
「そういうの関係ないから……。俺だってあんな翠を見ていたいわけでも、放置しておきたいわけでもない。ただ――選んでほしいだけだ。翠の意思で」
「……現状、選べる状況にないだろ? 翠葉ちゃんが一歩も動けなくなってるのは司だってわかってるだろ?」
 司は小さく零した。だからだめなんだ、と。
「これも前に言った。俺は選んでほしいだけだって。秋兄と同じ場所に立って、そのうえで翠に選ばれたい。そこに誰かの言葉とか意思とか、何も介在してほしくはない。それが秋兄の言葉ならなおさらに」
 釘を刺された。俺が翠葉ちゃんに会って何を言おうとしているのか、すべて読まれていた。
 今の俺が彼女にできることは少ない。引くとか譲るのではなく、何も気にせず自分の好きな人に手を伸ばせばいい――そう促せば、いくらかは楽にしてあげらるんじゃないかと思っていた。

 学園内を循環しているマイクロバスに乗るのはどのくらい久しぶりだろう。
 何もかもが窮屈で、ミニチュアの世界に飛び込んだ気分。しかし、それも数分のこと。
 初等部に着き、用務員の原島さんに挨拶をすると飼育広場へ向かった。
 翠葉ちゃん以外の先客がいたことから、俺はウサギ小屋の裏手に回る。彼女たちからは見えない死角に。
 女の子の痛切な叫びに、自身を抱きしめるように腕を組む。
 会話を盗み聞きなんて趣味の悪い……とは思うものの、そこを去ることもできなければ耳を塞ぐこともできなかった。
「避けてるっ。会話してても避けてる。一緒にいても避けてるっ。――顔合わせて話しているから避けてることにならないとか……一緒にお弁当食べているから避けてることにはならないとか……そいうことじゃない。……翠葉ちゃん、毎日毎日、藤宮先輩の気持ちをスルーしてるでしょっ!? そういうの……。そういうの……物理的に避けられるよりももっとつらいって、翠葉ちゃんは知ってると思ってた――」
 きっついなぁ……。
 思わず空を仰ぎ見る。さっきまでカラリと晴れていた空には雲がかかり始めていた。
「友達にそういうことされてもつらいけど、好きな人が相手だったらもっとつらいよっ? なんでっ!? 翠葉ちゃん、藤宮先輩のこと好きだよねっ? なのに、どうしてっ!? 好きな人が自分を好きになってくれるのなんて奇跡だよっ? そういう恋ができたら大切にしようって言ったじゃん……。翠葉ちゃんずるいよっ。両思いなのにずるいっ。私はどんなに好きでも両思いにはなれないのに……」
 確かに――両思いって奇跡だよね。それには同感。
 きっと、この子は片思いなんだ。それも、すでに告白をして相手の返事も聞いたあと。……とは言え、これを言われている翠葉ちゃんの心中を察すると、なんとも言えない気分になる。
 翠葉ちゃんが身動き取れない状況なのを、この子は知らないのだろう……。
「ねぇ、知ってる? 藤宮先輩のことを本当に好きな女の子だっているんだよ? その人たちは翠葉ちゃんのことをどう思うだろうね……。私、今の翠葉ちゃんは大嫌いっ」
 小屋のドアが勢いよく開く音がして、次にはガシャン、と勢いよく閉まる音がした。そして、人が走り去る音……。
 小屋の中を見なくとも、翠葉ちゃんが動けなくなっている様が目に浮かぶ。
 すると、ひとり言が聞こえてきた。
「友達って……こうやって失っていくのかな――」
 それは小さな小さな呟き。ひどく寂しい声音は風の音に紛れてしまう。
 なんでこんなところに居合わせちゃったかな。唯のせいにしてもいいかな。
 聞かなかったことにして引き返すという手もあるけど、今さら……だよね。
 これはある意味きっかけなのかもしれない。意図して俺が何を言うわけではない。そういう状況が揃っていただけ。
 無意識のうち、司に対する言い訳じみたものを心に並び立てる。
 彼女が小屋から出てくるのを待っていたけど、五分経っても十分経っても音という音は聞こえてこなかった。ウサギが動く音すら聞こえない。
 小屋には風除けになるものもあるが、何分気温自体が低い。これ以上の長居は彼女の身体に障るだろう……。
 俺は小屋の表に回ろうと一歩を踏み出した。そのとき、
「寒いのは……心、かな」
 ポツリと呟かれた言葉が胸に突き刺さる。
 どんな顔で出て行けばいいのかわからなかった。
 今すぐに抱きしめたいけど、そんなことをしたところで彼女を困らせるだけだ。
 ひとり言を聞かれているとは思いもしないだろうし、さっきの会話を聞かれたなど、微塵も思っていないはず。
 これは言うべきか、言わないべきか……。
 けれど、彼女の原動力になるのであれば、言う意味はあるかもしれない。
 俺は腹を決めて表に回った。
「翠葉ちゃん」
 顔を上げた彼女の目は空ろだった。泣いているかと思ったけど、涙は見えない。
「秋斗、さん……」
「長居すると身体に障るよ」
 彼女は、ゆっくりとした動作で時計を見たけれど、その目には何も映っていないように思えた。
 きっとどのくらい蹲っていたかなんてわからないのだろう。
「……友達が出て行ってから十分経ってる」
「っ……」
 彼女の細い肩が揺れた。
 話を聞いていたかどうかはあとにして、今は――
「用務員室で原島さんがお茶の用意をしてくれてる。鍵は戸口の脇にかかっているから出ておいで」
 翠葉ちゃんは微動だにしなかった。ただ、俺のことを食い入るように見て座っていた。
 ……迎えに行くか。
 小屋の裏へ周り自分の身長より低いドアをくぐると、
「ほら、ゆっくり立って?」
 彼女の前に手を差し伸べたけど、その手をじっと見るだけで手を伸ばしてはもらえなかった。
 きっと、この手が司のものであっても、今の彼女には手を伸ばすことはできないのだろう。
 どうしたら、そこから救い出してあげられるのかな。
「身動きもできないくらいに冷えちゃったかな?」
 少し茶化すように話しかけ、自然な動作で彼女の腕を掴み立ち上がらせた。
 コートの上からでは彼女の体温を感じることはできず、人形と錯覚しそうになる。
 人形は考えたり悩んだり泣いたりはしないのにね。でも、体温以上に空ろな目が、よりそう錯覚させてしまうんだ。

 用務員室に向かうと、原島さんが優しく迎え入れてくれた。
「外は寒かったでしょう」
 翠葉ちゃんは少し戸惑った顔で差し出されたカップを受け取ったけれど、カップから立ち上る湯気に鼻をきかせると表情が緩む。そして、まじまじとカップの中身を覗き見た。
「あ、ぬるいですか?」
 原島さんが訊くと、
「いえっ、あのっ――」
 彼女は突如言葉に詰まり、ゴクリと唾を飲みこんだ。
 いったい、唾と一緒に何を飲み込んだのか……。
「……とても、ほっとするあたたかさです」
 声が震えた理由はなんだろう。
 思いながら原島さんとのやり取りを見ていた。
「普段ここには小さなお客人しか来ないものですから――児童にお茶を出すときは火傷しないように少しぬるいお茶を出すようにしているんです。なのでいつもの癖で……」
 頭を掻く原島さんに、彼女はポツリポツリと言葉を紡ぐ。
「……小さい子が、零しても火傷しないように? 飲みやすいようにぬるくして……あるんですか?」
「はい」
 原島さんは人好きのする笑顔で答えた。その笑顔で彼女の心をほぐしてもらえないか……。
 翠葉ちゃんはカップをもう一度じっくりと見ると、次は室内に視線をめぐらせた。
 視線の先々には、児童が怪我をしないように、と原島さんが手を加えたものが多々ある。
 それらを一通り見終わると、多少落ち着きを取り戻したように見えた。
「原島さん、早速ですがハムスターを見せていただいても?」
「えぇ、すでにご用意してあります」

 用務員室の二階へ案内され、ひとつの部屋に通された。
 原島さんと彼女のやりとりを聞きながら、自分も触れてみようという気持ちになる。命に触れてみよう、と。
「俺ね、なんとも思ってなかったんだ」
「え……?」
「実習だし課題だから……なんとなくのらりくらりとやってきたけど、こんな小さな生き物に命があること、人生があること、そんなこと考えもしなかったよ。……世渡りは小さいころから得意だったんだ。動物の飼育なんて文句を言われない程度に参加して、プレゼンでは道徳に適ったそれっぽいことを話せばいい。そんなふうに思ってたな。……こんなに小さくて、でも、こんな必死に生きてるのにね」
「秋斗さんは……どうしてここに?」
「どうしてだと思う?」
「……わかりません」
「唯情報。……ちょっと仕事詰め込みすぎてて、息抜きに翠葉ちゃんに会ってきたらどうかって言われたんだ。それで来たんだけど……来て良かった。翠葉ちゃんに会えたのはもちろんのこと、『命』に触れること。これってたぶん、俺にも必要なことだったと思うから。……きっかけをくれてありがとね」
 本当は、わざわざハムスターに触れなくてもわかってたんだ。君に逢って、君に触れたときから……。
 命のかけがえなさや、健康のありがたさは嫌と言うほどに思い知った。
 でも、ストレートすぎてそうは言えないから……だからハムスターを通して伝えるけれど、俺は君に感謝してもしきれない。
 ――自分を大切にしてほしい。決して、自分の気持ちを踏みにじって、自ら己を傷つけないでほしい……。
 司――俺の一言で彼女は楽になれるんじゃないか?
 どうしてそうさせてくれない……。
 お前は選ばれることに意味があると言うけど、その気持ちはわからなくはないが……。むごすぎる――

 初等部の並木道は高等部と比べると格段に短い。きっと五十メートルほど。
 その間、視界に映るものを話の題材に、彼女の歩調に合わせてゆっくりと歩いた。
 ――司、一言だけ言わせてほしい。
 身を引くなというのなら引かずにいよう。選ばれることに意味があると言うのなら、彼女がそう動けるように背中を押させてくれ。そのための一言くらいは許してくれ。
 バスの到着を待ち望むように環状道路を見る彼女の後ろからカミングアウト。
「ごめんね。友達との会話は全部聞いてた……」
「っ……」
 彼女の細い肩に両手を載せ、抱き寄せたい気持ちを抑えて新たに息を吸う。
「でもね……君にはそのままでいてほしい。何を変えようと思わなくていい。何を変えずにいようと思わなくていい。俺は、そのままの君が好きだから。そのままの君でいて。無理はしないで……」
 バスが緩やかに停車しドアが開くと、俺は彼女の背を押した。
 こんなふうに心の後押しをしてあげられたらいいのにね。
 心は触れようと思って触れられるわけじゃないから難しい――
 俺はあえて乗車せず、そのバスを見送った。
 どうかそのバスが、彼女の行き先が司へと向かいますように。
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