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30~45 Side 司 15話
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じーさんは、翠が藤宮に関わることを選択するまでの時間が短かったと判断したのかもしれない。
だからこそ、今度はもう少し時間をかけ、状況を見ながら考えてほしい、とそう思っていたのかもしれない。
その機会を――俺の判断ミスが台無しにした。
段取りされていたも同然の機会だった。
それをこんな形で伝える羽目になったのは俺のせい。
もう一度選択することができる、と……本当ならもっと早くに、もっと選びやすいように物事を並べることができたはずなのに――。
一頻り自分を責めると、次は自己擁護に回りたくなるものらしい。
自分を責める一方、翠に対しての苛立ちもないとは言えなかった。
冷える場所にいたら身体に障る。
身体の替えがきかないことくらい翠にだってわかるはずなのに、どうして最後の最後まで携帯を優先させた?
携帯がそれほど大事かっ? 自分の身体よりもっ?
ふざけるなっ――
そうは思うのに涙が出てくる。
翠が自分の身体より優先したものの中に、「自分」が含まれていたから。
たかが録音された声、たかがメール、たかが露店で買ったとんぼ玉。
それらが翠の身体よりも大切に扱われたことがひどく嬉しくて、悔しくて……。
想いは相反し、複雑を極める。
物ではなく、携帯ではなく、俺そのものに固執してくれたらいいのに――
そう思わずにはいられなかった。
優太に放り込まれたシャワーブースの中、頭だけをシャワーの中に突っ込む。
温水に紛れて流れるのは無数の涙。
いくつもいくつも止まることなく、留まることなく流れ続ける。
涙が溢れるものなのだと身をもって実感した。
自分が泣けるのだと、初めて知った。
涙が止まらないのはなぜなのか……。
入り混じる感情を整理するのには時間がかかりそうだった。
けれど、そんなに時間が取れるわけでもない。
立て直さなくてはいけない、今すぐにでも――
「司、あったまった?」
優太の声が背中に響く。
「……つーか、おまえ何やってんだよ。シャワーってのはさ、身体に当てないと意味ないの。OK? ほら、がっつり当たってあったまる。今、朝陽が着るもの持ってきてくれたからさ。ほら、立ち位置ずーらーせっ」
後ろから、着たままのシャツの首元を掴まれシャワーの真下に移動させられた。
「それとさ、それ脱いでシャワー浴びろよ。肌に張り付いて気持ち悪いだろ?」
濡れた衣類が気持ち悪いとか、そんな感覚は働いていなかった。
言われるまで気づかなかったくらいには。
備え付けのシャンプーで頭を洗い泡を流しているとき、朝陽から声がかかった。
「バスタオルと下着。それから間に合わせの制服一式揃ってる。制服の上とメガネ、かばんはさっき警備員が届けてくれた、それから、湊先生と秋斗先生から伝言預かってる」
伝言……?
「実家には連絡してあるからどっちに帰ってきてもかまわないって。秋斗先生の家でも湊先生の家でも」
激しい抵抗を感じる。
けれど、最終的に俺が行くことのできる場所は限られていた。
「身内」しかいない。
「どうするの?」
選択の余地などない。
それでも、俺は答えられずにいた。
「俺の家でもいいけど」
朝陽の言葉に振り返る。
「何、その意外そうな顔。俺たちってまるで頼りにされてないよね?」
何も答えられない。
以前よりは付き合いが深くなったとは思う。
それは自分でも感じている。
けど、それとは違う。
こういうときに頼るという発想自体がなかった。
頼るというよりも、人に弱みを見せることに慣れていない。
「……選択になかった」
思ったままを答えると、
「それ、一番ひどいコメントだと思うけど?」
朝陽が口元を引きつらせて言う。
「でも、うちだとうるさい人間がいることは覚悟して? 藤宮の人間が泊まりにくるとなったらそりゃ大騒動だよ。十四年間一度もそんなことはなかったわけだし、洗礼は免れないよ」
シャワーを止め、バスタオルに手を伸ばす。
顔を拭き、頭からバサリとかぶると新たなる声が聞こえてきた。
「俺んとこ来る?」
シャワーブースの仕切りの向こうに久先輩が顔を覗かせていた。
「あぁ、俺んとこっていっても実家じゃないから安心して。仮住まいのほうだから」
つまり、静さんに与えられている仕事部屋なのだろう。
そこが一番楽な気はする。
「でも、優太んちって手もあるよね? 悪い意味じゃなくて、普通の家を見てくるのもいいんじゃない?」
「うち? うち、兄貴が出ていったから部屋なら余ってるよ?」
話の展開についていけないでいると、
「三人して何勝手に話進めてんだよっ! 司っ、俺んちだってかまわないんだぞっ」
道着姿のケンが現れた。
「ケンケン、別に除け者になんてしてないから」
優太がどうどう、と言わんばかりにケンを押さえる。
「今回の、ケンに礼を言ったほうがいいんじゃない?」
朝陽の言葉に久先輩が同意する。
「何かあるかもって教えてくれたのはケンケンだからね」
ケンに視線を向けると、俺が欲する答えを朝陽がくれた。
「俺たちは何も聞いてないよ。ただ、司が少しおかしいって聞いただけ。ケンはそれ以上のことは何も話してない」
疑ったわけじゃない。
でも、確認はしたかった。
「……あり、がとう」
ケンに、というよりも、ここにいる四人に言ったつもり。
でも、慣れない。
この面子に礼を言うことすら慣れていない。
翠のことを世間知らずとか対人関係に慣れていないとか言っているけど、俺だって人のことは言えない。
似たようなものだ……。
自身のことなどまったく見えていなかった。
見えていたつもりで、わかっていたつもりで、何もわかっていなかった。
「ほら、行き先の選択肢、六ヶ所になったけど?」
再び朝陽に訊かれる。
「ほかの家」――しがらみなど何もない家には興味があった。けど今は――
「俺のとこにしときなよ」
絶妙なタイミングで久先輩の声が割り込み、俺はそれに頷いた。
制服に着替えふと携帯に目をやると、メールが三件届いていた。
ひとつめは秋兄。
「家に帰れなければうちに来い」。
短くそれだけが表示される。
ふたつめは姉さん。
「家に連絡は入れておいた。うちに来てることになってる。どこに帰ってもかまわない。でも、所在だけははっきりさせておきなさい」。
三つ目は意外な人物、唯さんからだった。
「ホテルの澤村さんに連絡してある。必要なら、三十九階にある俺の部屋使って。でも、俺の貸しは高くつくよ? イヒヒ」。
どのメールにも同じようなことが書かれている。
それは「居場所」の提供。
そして、そのどれにも慰めの言葉は一言も書かれていなかった。
そこに優しさを感じる。
ただ、「場所を提供する」とだけ書かれていることに。
ふたりは身内だけど唯さんは違う。朝陽や優太たちも。
自分の周りにこんなにもたくさんの人がいることに今気がついた。
……俺、翠よりひどいかもしれない。
メールをくれた三人には久先輩のところにいるとメールを送り、俺は藤倉市街にあるマンションへ向かった。
駅から五分。そんな立地条件で3LDKともなれば相応の値がするだろう。
部屋にある家具は必要最低限。
ここで生活していないから、というのがありありとうかがえた。
「テレビとパソコン、キッチンには冷蔵庫と電気ケトル、トースターに電子レンジ。あとはインスタントだけどコーヒーもあるよ。ほかはその部屋が寝室になってて、ベッドと布団一式は揃ってる。あと寝袋もゴロゴロ転がってる。食べ物はデリバリーでもいいし、駅前に食べに行ってもいいし、マンションの並びにあるコンビニで買ってきてもいい」
大まかに説明され、
「ひとりがいいなら俺は帰るけど?」
投げられた言葉に目を瞠る。
そんな俺を見て先輩は笑った。
「結構きてるなーとは思う。でも、それで変な行動を取るとは思ってないから、別にひとりにすることへの不安はない。――司、慣れてないだろ? 自分が弱ってるとこ人に見せるの。そういうのさ、何かきっかけが必要なのかもしれないけど、無理に見せなくてもいいと思うし、今である必要もないと思う。……いや、見せてほしいし見たいのは山々なんだけどね? でも、どっちにしろ無理強いするものじゃないと思うからさ」
にっ、と笑うその顔は、小さいときから見てきたものと変わらない。
けれど、気遣いや優しさ、俺という人間の扱い方を見て年上なんだな、と実感した。
最初にうちに来るか、と訊いておきながら優太の家を提示し、すぐにやっぱり自分のところにしろと言ったのは、こういうところまで考えてのことだったのだろう。
慣れていないというならば、こいういうときにどういう言葉を返したらいいのか。
そんなことも俺は知らなかった。
突っぱねる必要はない。そういう相手じゃない。
なら、なんて答えたらいいのか――
少し悩み口を開く。
「先輩、受験勉強は……?」
先輩はくしゃり、と表情を崩した。
「まったくわかりづらい子だよぉ……。今の、勉強しなくてもいいならここにいてもかまわないって返事と受け取るけど?」
俺はその問いかけに何も答えない。
これ以上の意思表示の仕方がわからなかった。
「あはは、困ってる困ってる。いいよ、無理して答えなくても。勉強なんてさ、一日やらなくったってどうなるでもないって。それに、俺もう進学先決まってるから安心してよ」
先輩はカラカラと笑い、
「夕飯はデリバリーにしよう」
ファイルを手に取り、きれいにファイリングされたメニューを俺に見せた。
何にするかは久先輩に任せ、結局ピザをオーダーした。
家ではこういうものをオーダーすることはないし、マンションではコンシェルジュで事足りる。
つまり、こんなことすら初めてだった。
「ま、俺も実家で食べられるものじゃなかったからね。ここに来たときはなんとなく娯楽の一貫でオーダーしてる」
だからきれいにファイリングしてあるのか、と思いつつ、自分だけではないことに少しほっとした。
「一度訊いてみたかったんだけど、司ってファーストフードに入ったことある?」
「いや……」
街中に出ることはあるが、ファーストフードに入ったことはない。
飲食店に入ったとしても馴染みあるカフェやコーヒー専門店に限る。
「あんまり身体にいいものじゃないし率先して勧めるわけでもないんだけど、後学のためにってことで今度行こうよ」
「…………」
さっきから、どうにも返答に困ることばかり言われている気がする。
返答に困るものがここまでずらりと並ぶことが未だかつてあっただろうか。
「それとさ、翠葉ちゃん……司に言った言葉をすごく後悔してた。あの子に限って謝ってこないことなんてないと思うから、電話が鳴ったら出る。メールが届いたら返信する。いい? 今日ここに泊まるのの対価はそれだからね?」
急に翠のことを振られ、正直まいった。
「それ、違う……。傷つけられたのは俺じゃない。謝らなくちゃいけないのは翠じゃない。――今回、俺が不必要に翠を傷つけただけだ」
俺は事の経緯を先輩に話した。
話す、といっても要点のみ順を追って話す程度。
言葉数は少ない。
多くを語ろうとすればするほど言わなくていいことまで口にしてしまいそうで……。
主観が入らないよう、事実のみを伝えることを心がけた。
「そっか、そんなことになってたんだ。オーナーが翠葉ちゃんに選択を迫ったとき、俺もその場にいたんだ。そのあとにそんなことがあったとはね……」
先輩は一度言葉を区切り俺の目を見る。
「司っぽいけどさ、でも、そんなふうに話さなくていいよ」
俺は理解しかねて先輩の目をじっと見る。
「つまりさ、それだけのことがあってつらかったんだろ? やっと想いが通じたのに記憶が戻って関係まで振り出しに戻って。翠葉ちゃんの周りに不穏な動きがあったり。……挙句、今日のこれなんだろ? そんな淡々と他人事みたいに話さなくてもいいじゃん」
「っ……」
「いや、司がこれだけ話せば十分なのかな?」
言いながら先輩は首を傾げる。
「俺、一応一学年先輩だし、こんなときくらいは弱み見せても問題ないと思うよ」
言われた直後にインターホンが鳴った。
「はいはいはーい!」
先輩はインターホンには出ずカメラで姿だけを確認すると、
「俺、ちょっと取りにいってくるわ」
と、玄関を出ていった。
インターホンに出ればこの部屋まで届けてもらえたものをそうはせず、わざわざ一階まで取りに行く。ほんの少しでも俺をひとりにするために。
目に熱いものがこみ上げてきて、数秒後にそれが涙だと気づく。
涙がこんなにも熱いものだとは思いもしなかった。
俺は手の平で涙を受け止め、しばしそれを見つめる。
いくつか手の平に小さな衝撃を受け止めたあと、洗面所へ向かい顔を洗った。
先輩が戻ってきたのは俺が顔を拭き終えたあとだった。
だからこそ、今度はもう少し時間をかけ、状況を見ながら考えてほしい、とそう思っていたのかもしれない。
その機会を――俺の判断ミスが台無しにした。
段取りされていたも同然の機会だった。
それをこんな形で伝える羽目になったのは俺のせい。
もう一度選択することができる、と……本当ならもっと早くに、もっと選びやすいように物事を並べることができたはずなのに――。
一頻り自分を責めると、次は自己擁護に回りたくなるものらしい。
自分を責める一方、翠に対しての苛立ちもないとは言えなかった。
冷える場所にいたら身体に障る。
身体の替えがきかないことくらい翠にだってわかるはずなのに、どうして最後の最後まで携帯を優先させた?
携帯がそれほど大事かっ? 自分の身体よりもっ?
ふざけるなっ――
そうは思うのに涙が出てくる。
翠が自分の身体より優先したものの中に、「自分」が含まれていたから。
たかが録音された声、たかがメール、たかが露店で買ったとんぼ玉。
それらが翠の身体よりも大切に扱われたことがひどく嬉しくて、悔しくて……。
想いは相反し、複雑を極める。
物ではなく、携帯ではなく、俺そのものに固執してくれたらいいのに――
そう思わずにはいられなかった。
優太に放り込まれたシャワーブースの中、頭だけをシャワーの中に突っ込む。
温水に紛れて流れるのは無数の涙。
いくつもいくつも止まることなく、留まることなく流れ続ける。
涙が溢れるものなのだと身をもって実感した。
自分が泣けるのだと、初めて知った。
涙が止まらないのはなぜなのか……。
入り混じる感情を整理するのには時間がかかりそうだった。
けれど、そんなに時間が取れるわけでもない。
立て直さなくてはいけない、今すぐにでも――
「司、あったまった?」
優太の声が背中に響く。
「……つーか、おまえ何やってんだよ。シャワーってのはさ、身体に当てないと意味ないの。OK? ほら、がっつり当たってあったまる。今、朝陽が着るもの持ってきてくれたからさ。ほら、立ち位置ずーらーせっ」
後ろから、着たままのシャツの首元を掴まれシャワーの真下に移動させられた。
「それとさ、それ脱いでシャワー浴びろよ。肌に張り付いて気持ち悪いだろ?」
濡れた衣類が気持ち悪いとか、そんな感覚は働いていなかった。
言われるまで気づかなかったくらいには。
備え付けのシャンプーで頭を洗い泡を流しているとき、朝陽から声がかかった。
「バスタオルと下着。それから間に合わせの制服一式揃ってる。制服の上とメガネ、かばんはさっき警備員が届けてくれた、それから、湊先生と秋斗先生から伝言預かってる」
伝言……?
「実家には連絡してあるからどっちに帰ってきてもかまわないって。秋斗先生の家でも湊先生の家でも」
激しい抵抗を感じる。
けれど、最終的に俺が行くことのできる場所は限られていた。
「身内」しかいない。
「どうするの?」
選択の余地などない。
それでも、俺は答えられずにいた。
「俺の家でもいいけど」
朝陽の言葉に振り返る。
「何、その意外そうな顔。俺たちってまるで頼りにされてないよね?」
何も答えられない。
以前よりは付き合いが深くなったとは思う。
それは自分でも感じている。
けど、それとは違う。
こういうときに頼るという発想自体がなかった。
頼るというよりも、人に弱みを見せることに慣れていない。
「……選択になかった」
思ったままを答えると、
「それ、一番ひどいコメントだと思うけど?」
朝陽が口元を引きつらせて言う。
「でも、うちだとうるさい人間がいることは覚悟して? 藤宮の人間が泊まりにくるとなったらそりゃ大騒動だよ。十四年間一度もそんなことはなかったわけだし、洗礼は免れないよ」
シャワーを止め、バスタオルに手を伸ばす。
顔を拭き、頭からバサリとかぶると新たなる声が聞こえてきた。
「俺んとこ来る?」
シャワーブースの仕切りの向こうに久先輩が顔を覗かせていた。
「あぁ、俺んとこっていっても実家じゃないから安心して。仮住まいのほうだから」
つまり、静さんに与えられている仕事部屋なのだろう。
そこが一番楽な気はする。
「でも、優太んちって手もあるよね? 悪い意味じゃなくて、普通の家を見てくるのもいいんじゃない?」
「うち? うち、兄貴が出ていったから部屋なら余ってるよ?」
話の展開についていけないでいると、
「三人して何勝手に話進めてんだよっ! 司っ、俺んちだってかまわないんだぞっ」
道着姿のケンが現れた。
「ケンケン、別に除け者になんてしてないから」
優太がどうどう、と言わんばかりにケンを押さえる。
「今回の、ケンに礼を言ったほうがいいんじゃない?」
朝陽の言葉に久先輩が同意する。
「何かあるかもって教えてくれたのはケンケンだからね」
ケンに視線を向けると、俺が欲する答えを朝陽がくれた。
「俺たちは何も聞いてないよ。ただ、司が少しおかしいって聞いただけ。ケンはそれ以上のことは何も話してない」
疑ったわけじゃない。
でも、確認はしたかった。
「……あり、がとう」
ケンに、というよりも、ここにいる四人に言ったつもり。
でも、慣れない。
この面子に礼を言うことすら慣れていない。
翠のことを世間知らずとか対人関係に慣れていないとか言っているけど、俺だって人のことは言えない。
似たようなものだ……。
自身のことなどまったく見えていなかった。
見えていたつもりで、わかっていたつもりで、何もわかっていなかった。
「ほら、行き先の選択肢、六ヶ所になったけど?」
再び朝陽に訊かれる。
「ほかの家」――しがらみなど何もない家には興味があった。けど今は――
「俺のとこにしときなよ」
絶妙なタイミングで久先輩の声が割り込み、俺はそれに頷いた。
制服に着替えふと携帯に目をやると、メールが三件届いていた。
ひとつめは秋兄。
「家に帰れなければうちに来い」。
短くそれだけが表示される。
ふたつめは姉さん。
「家に連絡は入れておいた。うちに来てることになってる。どこに帰ってもかまわない。でも、所在だけははっきりさせておきなさい」。
三つ目は意外な人物、唯さんからだった。
「ホテルの澤村さんに連絡してある。必要なら、三十九階にある俺の部屋使って。でも、俺の貸しは高くつくよ? イヒヒ」。
どのメールにも同じようなことが書かれている。
それは「居場所」の提供。
そして、そのどれにも慰めの言葉は一言も書かれていなかった。
そこに優しさを感じる。
ただ、「場所を提供する」とだけ書かれていることに。
ふたりは身内だけど唯さんは違う。朝陽や優太たちも。
自分の周りにこんなにもたくさんの人がいることに今気がついた。
……俺、翠よりひどいかもしれない。
メールをくれた三人には久先輩のところにいるとメールを送り、俺は藤倉市街にあるマンションへ向かった。
駅から五分。そんな立地条件で3LDKともなれば相応の値がするだろう。
部屋にある家具は必要最低限。
ここで生活していないから、というのがありありとうかがえた。
「テレビとパソコン、キッチンには冷蔵庫と電気ケトル、トースターに電子レンジ。あとはインスタントだけどコーヒーもあるよ。ほかはその部屋が寝室になってて、ベッドと布団一式は揃ってる。あと寝袋もゴロゴロ転がってる。食べ物はデリバリーでもいいし、駅前に食べに行ってもいいし、マンションの並びにあるコンビニで買ってきてもいい」
大まかに説明され、
「ひとりがいいなら俺は帰るけど?」
投げられた言葉に目を瞠る。
そんな俺を見て先輩は笑った。
「結構きてるなーとは思う。でも、それで変な行動を取るとは思ってないから、別にひとりにすることへの不安はない。――司、慣れてないだろ? 自分が弱ってるとこ人に見せるの。そういうのさ、何かきっかけが必要なのかもしれないけど、無理に見せなくてもいいと思うし、今である必要もないと思う。……いや、見せてほしいし見たいのは山々なんだけどね? でも、どっちにしろ無理強いするものじゃないと思うからさ」
にっ、と笑うその顔は、小さいときから見てきたものと変わらない。
けれど、気遣いや優しさ、俺という人間の扱い方を見て年上なんだな、と実感した。
最初にうちに来るか、と訊いておきながら優太の家を提示し、すぐにやっぱり自分のところにしろと言ったのは、こういうところまで考えてのことだったのだろう。
慣れていないというならば、こいういうときにどういう言葉を返したらいいのか。
そんなことも俺は知らなかった。
突っぱねる必要はない。そういう相手じゃない。
なら、なんて答えたらいいのか――
少し悩み口を開く。
「先輩、受験勉強は……?」
先輩はくしゃり、と表情を崩した。
「まったくわかりづらい子だよぉ……。今の、勉強しなくてもいいならここにいてもかまわないって返事と受け取るけど?」
俺はその問いかけに何も答えない。
これ以上の意思表示の仕方がわからなかった。
「あはは、困ってる困ってる。いいよ、無理して答えなくても。勉強なんてさ、一日やらなくったってどうなるでもないって。それに、俺もう進学先決まってるから安心してよ」
先輩はカラカラと笑い、
「夕飯はデリバリーにしよう」
ファイルを手に取り、きれいにファイリングされたメニューを俺に見せた。
何にするかは久先輩に任せ、結局ピザをオーダーした。
家ではこういうものをオーダーすることはないし、マンションではコンシェルジュで事足りる。
つまり、こんなことすら初めてだった。
「ま、俺も実家で食べられるものじゃなかったからね。ここに来たときはなんとなく娯楽の一貫でオーダーしてる」
だからきれいにファイリングしてあるのか、と思いつつ、自分だけではないことに少しほっとした。
「一度訊いてみたかったんだけど、司ってファーストフードに入ったことある?」
「いや……」
街中に出ることはあるが、ファーストフードに入ったことはない。
飲食店に入ったとしても馴染みあるカフェやコーヒー専門店に限る。
「あんまり身体にいいものじゃないし率先して勧めるわけでもないんだけど、後学のためにってことで今度行こうよ」
「…………」
さっきから、どうにも返答に困ることばかり言われている気がする。
返答に困るものがここまでずらりと並ぶことが未だかつてあっただろうか。
「それとさ、翠葉ちゃん……司に言った言葉をすごく後悔してた。あの子に限って謝ってこないことなんてないと思うから、電話が鳴ったら出る。メールが届いたら返信する。いい? 今日ここに泊まるのの対価はそれだからね?」
急に翠のことを振られ、正直まいった。
「それ、違う……。傷つけられたのは俺じゃない。謝らなくちゃいけないのは翠じゃない。――今回、俺が不必要に翠を傷つけただけだ」
俺は事の経緯を先輩に話した。
話す、といっても要点のみ順を追って話す程度。
言葉数は少ない。
多くを語ろうとすればするほど言わなくていいことまで口にしてしまいそうで……。
主観が入らないよう、事実のみを伝えることを心がけた。
「そっか、そんなことになってたんだ。オーナーが翠葉ちゃんに選択を迫ったとき、俺もその場にいたんだ。そのあとにそんなことがあったとはね……」
先輩は一度言葉を区切り俺の目を見る。
「司っぽいけどさ、でも、そんなふうに話さなくていいよ」
俺は理解しかねて先輩の目をじっと見る。
「つまりさ、それだけのことがあってつらかったんだろ? やっと想いが通じたのに記憶が戻って関係まで振り出しに戻って。翠葉ちゃんの周りに不穏な動きがあったり。……挙句、今日のこれなんだろ? そんな淡々と他人事みたいに話さなくてもいいじゃん」
「っ……」
「いや、司がこれだけ話せば十分なのかな?」
言いながら先輩は首を傾げる。
「俺、一応一学年先輩だし、こんなときくらいは弱み見せても問題ないと思うよ」
言われた直後にインターホンが鳴った。
「はいはいはーい!」
先輩はインターホンには出ずカメラで姿だけを確認すると、
「俺、ちょっと取りにいってくるわ」
と、玄関を出ていった。
インターホンに出ればこの部屋まで届けてもらえたものをそうはせず、わざわざ一階まで取りに行く。ほんの少しでも俺をひとりにするために。
目に熱いものがこみ上げてきて、数秒後にそれが涙だと気づく。
涙がこんなにも熱いものだとは思いもしなかった。
俺は手の平で涙を受け止め、しばしそれを見つめる。
いくつか手の平に小さな衝撃を受け止めたあと、洗面所へ向かい顔を洗った。
先輩が戻ってきたのは俺が顔を拭き終えたあとだった。
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