光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
908 / 1,060
Side View Story 14

30~45 Side 司 14話

しおりを挟む
 岸辺に向かうと久先輩が上がり、次に優太を上がらせた。
 最後に自分が上がろうと石に手をかけたとき、身体に力が入りづらいことに気づく。
 すると、「ほら」と優太が手を貸してくれた。
 その手を取ることに抵抗はなかった。
 警備員にバスタオルを差し出されたがタオルには手を伸ばさず、ヘッドライトを外しそれだけを警備員に押し付ける。
 すぐそこに翠がいたから。
 翠の背後に姉さんがいることから、この場を離れるよう話しはしたのだろう。
 こういう場での姉さんの行動くらい確認しなくてもわかる。
 けれど、まだそこに翠がいるということは、翠が抵抗したからほかならない。
 自分の身体より、そんなにこれが大事か……。
 俺に言わせれば、身体に替わるものはない、だ。
 もっとも替えのきかないもの、それが人の身体。
 それ以上のものなどありはしない。
 俺は真っ直ぐ翠の元へ向かった。
「必要以上の心配をさせるな」
「そんなの、誰も頼んでないっっっ」
 少し前に聞いた声よりもひどい声になっていた。
 目もしっかりと充血している。
 そんな人間にこんなこと言われてみろ――
「頼まれて心配した覚えはない。勝手に心配してると言われたらそれまでだ。……けど」
 理性など保てない。感情など抑制できない。
 ぎりぎりのところで留まっていた何かが振り切れる。
「こっちだって心配したくてしてるんじゃないっ。したくなくても心が勝手に動くんだから仕方ないだろっ!?」
「っ……じゃぁ――じゃぁ、関わらなければいいじゃないっっっ」
 どうしてだろう……。
 どうしてこんなことになった?
 こんなふうになることを望んでいたわけではないのに。
 空から垂れていた一筋の糸が、ふ、と急に見えなくなった。
「翠がそれを言うのか……? ――選ぶ機会はあったはずだ。俺たちに関わるか関わらないか、選択する機会が翠にはあったはずだっ。そこで関わることを選んだのは翠自身だろっ!? 責任転嫁してくれるなっっっ」
 言葉にして気づく。
 気づいて唖然として、もう八方塞なことに気づく。
 ――わかった。
 じーさん、やっとわかった。
 気づくのに時間がかかりすぎてどうにもならないことになってるけど……。
 でも、じーさんが何を俺にやらせようとしていたのか、今やっとわかった。
 つまり、こういうことだろ?
「俺たちに関わるというのはこういうことだ。こういうことも全部含めて『関わる』という。情報戦は日常的に行われているし、相手に止めを刺すためなら今みたいな状況が目の前で起こったとしても、命に関わらない限りはこっちが有利になるように事を運ぶ。そういう家だし一族だ」
 ほかのルートを選ぶ余地などない。
 何を考えるまでもなく、有利に事が運ぶように状況を整える。
 それが俺たちのやり方。
 俺が怒鳴ったからか、それとも言った内容にか、どちらかは定かではない。
 翠は身を縮こまらせ手を力一杯握りしめていた。
 最後に伝えるべき内容を頭でまとめ、それを言うために一瞬だけ翠から目を逸らす。
 きちんと目を見て話すためには一呼吸おく必要があった。
 視線を戻し、翠の正面上方から見据える。
 今、俺はどんな顔をしているだろう。
 ポーカーフェイスなどとっくに崩れている。
 せめて、泣きそうな顔ではないことを願うのみ。
「今からでも遅くないと思う。翠はもう一度選択することができる。今度はよく考えて選択するんだな。……これ以上、俺たちをぬか喜びさせてくれるな」
 最後の一言は言うべきじゃなかった。
 こんなの、八つ当たり以外の何ものでもない。
 自分を守るためだけに発した言葉。
「責任転嫁」しているのは翠ではなく俺だ。
 携帯を翠の膝に落とし、俺は逃げるように走り出した。
 文字通り、逃げるために――
「「司っ」」
 姉さんと秋兄の声が聞こえた。
 でも、止まることはできない。
「司っちっ――」
 唯さんの声が一番はっきり聞こえたけれど、その声にすら立ち止まれはしない。
 申し訳なくて……。自分が愚かで申し訳なさ過ぎて……。
 教えてくれていたのに。
 唯さんは、翠にとっての携帯がどんなものであるのか、一番詳しく教えてくれていたのに。
 俺はそのほとんどをスルーして見落とした。

 ――「準備が間に合わないっていうのもあるんだけどさ、これはリィにとって特別なものだから。すり替えは無理だと思う」。

 唯さんはそう言っていた。
 ストラップやとんぼ玉、鍵の代わりは作れない、と。
 俺はその意味を十分に理解していなかった。
 だから、こんなことになったんだ。

 桜香苑を突っ切り、余裕のない頭で考える。
 家には帰れない。
 こんな無様な格好で、みっともない顔で帰れるわけがない。
 行く宛てがなかった。
 脆い自分をさらけ出せる場所など、どこにも作ってこなかった。
 そんな場所、今までは必要なかったから。
 暗闇に紛れても、校舎に近づけば人と出くわす可能性がある。
 ずぶ濡れの今、人目を引くことは避けられない。
 どこか人目につかない場所はないか――
 はじき出された答えはひとつ、「地下道」だった。
 図書棟の一階から地下道に下りよう……。
 事前連絡なしに地下道へ下りれば警備システムに引っかかる。
 この際、誰かが駆けつけるそのときまででもかまわなかった。
 頭を整理するため、気持ちを整理するため、ほんの少しでいいからひとりになる時間が欲しかった。
 しかし、図書棟に足を踏み入れると思わぬ人物が待ち伏せていた。
「ここだと思った。幼稚部からの付き合いともなるとさ、このくらいは予測できるようにもなるよね。基本、消去法だけど」
 地下道の入り口、ロッカーを背に立っていたのは朝陽。
 な、んで……。
「久先輩から少し前に連絡もらってたんだ。それも究極の課題つきで。司がどうしようもなくなったときに逃げ込む場所をマークしておけって。相変わらず突拍子もない課題出してくれるよ、まったくさ……。でも、意味なんてわからなくても当てられるくらいにはなった」
 にこりと笑う朝陽に絶句していると、荒い息遣いが背後から近づいてくる。
「さっすが朝陽! 宿題完璧だね!」
 場にそぐわない明るい声は振り返らなくてもわかる。久先輩のものだ。
 そして、
「せんぱっ――ちょぉ……場所に目処があるなら先に教えてくださいよ」
 優太の疲れた声。
 けれど、こちらの息は上がっていない。
「だって、俺置いていかれちゃったし? 教える前に走り出したの優太じゃん」
 いつもと変わらないのんびりとした会話が続き、前にも後ろにも進めずにいると、しだいに自分の立っている場所に水が溜まりだす。
「まずは風呂」
 優太の腕が首に絡んだ。
 もう、抵抗する気力、体力ともに残ってはいなかった。

 連行された先は屋内プール施設の一角、シャワールーム。
「安心しろよ。うちの部、練習大好き人間の集まりだからさ、あと一時間くらいは誰も戻ってこない」
 俺は区切られたシャワーブースの中に押し込められた。
 優太はシャワーコックを全開に捻って出ていく。
「ほーら、久先輩も。あなた仮にも受験生なんだから、しっかりあったまって風邪とかひかないでくださいよ?」
 隣のブースに押し込まれたであろう人間の声が、シャワーの音に紛れて聞こえてきた。
「司、あったかいね」
 呟いただけの声が反響する。
 けれど、それはすぐシャワーの音にかき消された。
 シャワーは湯気を上げながら床に打ち付けられ、足元には飛沫が立つ。
 もうもうと煙るシャワーブースは水浸しの服を纏っていてもあたたかいと感じた。
 徐々に、なくなりかけていた指先の感覚が戻ってくる。
 すると、血がめぐり始めたのを合図にしたかのように思い出す。
 寒い池での出来事を。十日前からの出来事を――
 俺が取った行動は「不正解」だらけだった。
 じーさんが俺にやらせようとしていたこと、それをもっと考えるべきだった。
 もっと考えて、そのうえで行動するべきだった。
 本当は、翠に何もかも話すべきだったんだ。
 それが、「正解」のルート。
 起こるか起きないかわかりもしないことに怯えさせたくはない。
 俺はそう考えたけど、端からそれが間違い。
 そこは教えて実感させるべきだった。
 小さなきっかけでも何が起こるかわからない。
 そう翠に教えるのにはちょうどいい機会だったんだ。
 雅さんのことは管轄外。学園内のことだけを考えるように――
 それはつまり、翠のことだけを考えろと言われていたのだ。
 まさかそんなこととは思いもしなかった。
 ひとりでどうするかを考えるのではなく、人と考えるべきこと。
「力を見せろ」とは采配力を指していたのではなく、俺自身の器量を量るという意味合いが強かったのだろう。
 今ならわかる。
 渦中にいる翠と一緒にどうすればいいのかを考えれば良かったのだ、と。
 携帯が狙われる可能性があるのなら、こまめにバックアップを取る。替えのきかないものだけは別にしておく。
 翠に開示することで、シンプルではあるものの、確実な策を講じることができた。
 それなのに、俺は判断を誤った。
 己の選択ミスで翠を傷つけた。
 池に入る羽目になったのは翠のせいじゃない。
 俺が最初の部分で判断を誤っていたから。
 ほかの誰でもなく自分の過失。
 そのことにもう少し早く気づけていたら、もっと別の対応ができていたかもしれない。
 今となってはあとの祭り――
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

家政婦さんは同級生のメイド女子高生

coche
青春
祖母から習った家事で主婦力抜群の女子高生、彩香(さいか)。高校入学と同時に小説家の家で家政婦のアルバイトを始めた。実はその家は・・・彩香たちの成長を描く青春ラブコメです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...