光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
855 / 1,060
第十四章 三叉路

40話

しおりを挟む
 本社の方との挨拶が終わると、藤守さんはすぐに秋斗さんの家をあとにした。
 また、秋斗さんとふたりだけの空間になる。
 人がひとりいなくなっただけ。さっきと同じ状態に戻っただけなのに、私はひどく緊張していた。
 緊張からか喉がひどく渇いた気がして、冷めてしまったハーブティーに手を伸ばし一口含む。
 爽やかなミントティーが口に広がると、清涼感によって緊張を助長されてしまった気がした。
 聞こえるはずがない。部屋に響くわけがない。
 心臓の音が聞こえるほど秋斗さんの近くにいるわけでもない。
 わかっていても心臓の鼓動がとても大きく感じられて、秋斗さんに聞こえてしまうのではないかと不安に思う。
 すると、斜め上から声が降ってきた。
 秋斗さんの優しい声が、「翠葉ちゃん」と私の名前を呼ぶ。
「少しずつ……少しずつ進もうよ」
 少し、ずつ……?
「今ここで一気に全部話さなくていいと思う」
 顔を上げると、秋斗さんの褐色の瞳に自分が映っていた。
「さっき話したのは抱えている悩みの一部だよね。きっと、片鱗みたいなもの。でも、それは小さく見えても俺と翠葉ちゃんにとっては小さくないし、とても重いものだよね? ……気持ちはさ、大切なものほどすぐには片付けられないと思うんだ。だから、今日はここまで」
 諭すような話し方だったけれど、表情は違う。
 まるで私の承諾を待っているように思えた。
「覚えていてくれる?」
 何を……?
「君が自分を責めるのと同じように、自分の過去の行動を責めている人間がここにもいることを。君が自分を責めることを俺はつらいと思うし、俺が自分を責めることで君がつらくなる。……俺も忘れないから」
 私が私を責めると秋斗さんがつらくなり、秋斗さんが秋斗さんを責めると私がつらくなる――
 言葉にしてもらったらとてもわかりやすかった。
 関係性がわかったところで問題が解決するわけではないけれど、モヤモヤしていたものが少しだけクリアになった気がする。
 でも、一筋縄ではいかない理由がふたりともにある。
 秋斗さんも私も、楽になりたいとは思っているのに許されることは望んでいない。
 本当にどうしたらいいのかな……。
 さっき秋斗さんが口にした言葉。

 ――「傷つけたことを忘れないように、心に刻み付けてずっと持ち続けることだと思う」。
 
 パズルのピースが当てはまるみたいにピタリと心におさまった。
 その気持ちを持ち続けることと、自分を責め続けることは違うのかな。
 もし違うなら、何が違うのか……。
「翠葉ちゃんの家はそろそろご飯の時間じゃない?」
 それは「おしまい」を促す言葉。
「秋斗さん、このあとご予定ありますか?」
「え? とくには何もないけど……」
「夕飯は?」
「あー……コンシェルジュにオーダーしようかな」
 とくには何も考えていない、そんな感じの話しぶり。
「あの、お母さんが秋斗さんに予定がないのなら一緒にご飯を食べましょうって」
 一気に話すと、秋斗さんはとても驚いた顔をした。
「碧さんが……?」
「はい」
 秋斗さんは右手で額を押さえる。
「秋斗さん……?」
 心配になって声をかけると、秋斗さんは手を滑らせ柔らかそうな髪をかき上げた。
 明るい瞳は焦点を定めず宙を彷徨う。
 その様は、戸惑っているように見える。
 秋斗さんは近くの壁にもたれかかりうな垂れた。
「俺さ、色々あってから零樹さんには会いに行ってるんだけど、碧さんにはまだ会ってないんだよね」
 言ったあと、追加でひとり言のようにポロポロと零す。
「……俺、人選間違えた? 零樹さんに会いに行けば絶対に責めてもらえると思っていたけど始終あんな調子だし――碧さんに会いに行ってれば責めてもらえたのか? あれ? それって今も有効? いや、それで娘に近づくなって言われたらどうすればいいんだ?」
 自問自答を繰り返す秋斗さんに、
「秋斗さん、それは無効だと思います」
「え? 俺、声に出してたっ!?」
「はい、しっかりと……」
 秋斗さんは口元を押さえ、壁に背を預けたままずるずるとしゃがみこむ。
「緊張……してるんですか?」
「そりゃ、しないほうがおかしいでしょ?」
 少し考え納得する。でも――
 私は秋斗さんに近づき、秋斗さんの正面に正座した。
「秋斗さん、大丈夫です。お母さんは秋斗さんのことを責めてはくれないと思うけど、私に近づくなとも言わないと思うので。だから、大丈夫です」
 何がだめで何が大丈夫なのか、とても不明瞭な主張だったと思う。
 それでも、あのあと私たちは一緒に九階へ下り、同じテーブルで夕飯を食べた。
 私はルームウェアに着替えるためひとり遅れてテーブルに着いたのだけれど、ほんの数分の間に何があったのか、リビングでは唯兄とお母さんが笑っていて蒼兄は苦笑い。秋斗さんは脱力し、呆気に取られたような体だった。


 一度キャンセルした藤山散策は日曜日に再設定され、私は朝からそわそわしながら過ごしていた。
 あまりにも落ち着きがなかったからか、蒼兄にソファに座るよう促される。
「司と紅葉を見に行くんだろ?」
「うん……」
「なんでそんなに困った顔?」
「……だって、気まずいんだもの」
「気まずいだけ? 司と一緒に紅葉見れるの、嬉しくない?」
「……紅葉を見るのは楽しみ。ずっと藤山の紅葉を見に行きたいと思っていたから。でも……」
「でも?」
「……ツカサと何を話したらいいのかわからない」
「……そっか。でも、会ってみたら意外と普通に話せるものかもよ? この間だって秋斗先輩と普通に話せたんだろ?」
「うん……」
 そう言われてみればそうだ……。
 秋斗さんと話すまでもこんな気持ちだった。
 けれど、会ってみたら意外と普通に話せて、最後には笑って一緒に夕飯を食べることができた。
 もしかしたらツカサとも普通に話せるかもしれない。
「リィ、そんなに気まずいならカメラ持ってっちゃいなよ」
「え……?」
「会話に困ってすることもなかったらもっと困るよ? それならカメラ持ってっちゃいな。写真撮ってるときだけは気にしないでいられるでしょ?」
「……それはどうかな? 写真撮りたいって言い出せるかもわからないもの」
「えええっ!? そんなに話せてない感じなのっ!?」
 私は深刻さを伝えるために慎重に頷き、唯兄に勧められるままにカメラを持って家を出た。

 家から大学までは蒼兄が一緒。
 駐車場から大学へ抜け、ツカサと待ち合わせしている私道入り口まで蒼兄はついてきてくれた。
 待ち合わせの場所を遠目に確認できるところまで来ると、すでにツカサが到着していることに気づく。けれど、ツカサは私たちに気づいていなかった。
 それは数メートルという距離になっても変わらず、遠くを見ていたツカサはため息をついて足元に視線を落とす。
「何? ため息なんかついて。遅刻、はしてないよな?」
 蒼兄が腕時計を確認するも、時計はまだ一時を指してはいない。
「あぁ、少し考えごとをしてました。何考えているんだかわかりかねる年寄りが身内にいるもので」
 私と蒼兄は意味がわからず顔を見合わせる。そして、
「じゃ、俺は大学にいるから」
 隣にいた蒼兄が一歩下がった。
 それだけで一気に不安が押し寄せてくる。でも、蒼兄は留まってくれそうにはない。
「何かあれば電話しておいで。俺も私道に入る許可は得ているから」
 いつものようにおまじないをしてくれたけど、今日はそれだけでは足りなかった。
 少しずつ遠くなる蒼兄の背中を見ていると、
「いい加減進行方向向いたら?」
 背後から声をかけられ、慌てて返事をしてツカサのあとを追った。

 歩き始めたものの、隣には並べない。
 私は一、二歩先を歩くツカサの足元を見ながら無言で歩いていた。
 蒼兄、お話できないよ……。何を話したらいいのかわからない。
 秋斗さんとはどうして話せたんだろう。
 話すことがあったから?
 それもあるかもしれない。
 でも、違う。あれは秋斗さんの気遣い、優しさだ。
 会話が完全に止まってしまわないように、秋斗さんが誘導してくれていた。だから会話が続いていたに過ぎない。
 今まで、ツカサと一緒にいるときに何か話さなくちゃ、と思うことはなかった。互いが無言でもあまり気にならなかった。でも今は、靴音しか鳴らないこの空気が凶器のように思える。
 一歩一歩歩くたびに身体を切り刻むような、そんな感じ。
 ツカサの足が角度を変えたとき、ふと自分の視線も上がる。
 すぐそこに庵があった。
 けれども、ツカサが歩みを止める気配はない。
「ツカサ、おじいさんにお声かけなくてもいいの?」
「許可ならあらかじめ取ってある。それを誰が自己都合でキャンセルしてくれたんだっけ?」
「ごめん……でも、ちゃんと連絡は入れたよ?」
「別にすっぽかされたとは言ってないけど?」
 ようやく見つけた話題もすぐに終わってしまう。
 会話が続かない……。
 お弁当を食べているときも私とツカサの間に会話はない。
 その代わり、周りにいる海斗くんや飛鳥ちゃん、誰かしら話している人がいて、そんな雰囲気にいつも救われていたんだ――
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

家政婦さんは同級生のメイド女子高生

coche
青春
祖母から習った家事で主婦力抜群の女子高生、彩香(さいか)。高校入学と同時に小説家の家で家政婦のアルバイトを始めた。実はその家は・・・彩香たちの成長を描く青春ラブコメです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...