光のもとで1

葉野りるは

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第十四章 三叉路

23話

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「星が降ってきそう……」
 満天の星空と、星の降る音が聞こえそうなくらいの静寂がここにはあった。
 ツカサに教えてもらったのは夏の大三角。今見えるのはオリオン座の三ツ星。
 季節が変わった――
 ツカサと見た空でもなければ、お父さんと見た空でも秋斗さんと見た空でもない。
 同じ空なのに、色んなことが変わりすぎた今、同じには見えない。
 ただひとつ変わらないことがあるとしたら、空に瞬く星たちが降ってきそうなことくらい。
 寝室は暖房が入っていて二十度くらいに保たれている。でも、私がいる窓際はきっともう少し低い。
 私はお布団に潜り込み、窓から見える空だけを見ていた。
 目が慣れてくると暗くは感じない。
 視界の左側に見える白樺は樹皮がきちんと白っぽく見え、空は絵の具の「藍」を濃く溶いたような色に見えた。
 目を閉じ、四月からの出来事すべてを思い返す。
 映像が流れていくよりももっと緩やかに、鮮やかな色彩に感情を交えて思い出す。
 そうしていると、秋斗さんの問いかけばかりが頭に浮かんだ。

 ――「恋、だと思う?」
 ――「あのときの動揺の原因、その理由わかった?」
 ――「ちゃんと理由を突き止めたほうがいいと思うよ」

 秋斗さんはこうも言っていた。

 ――「翠葉ちゃんはとても気になる人がいたんだ。でも、俺は君にどうしても自分を見てほしくて
――だから、自分と恋愛してみないか、って恋愛に憧れている翠葉ちゃんに提案した」

 ――「初恋の相手が俺かどうかは記憶を取り戻した君に訊いてみたいな。いつか訊きたいと思っていたことだから、思い出したら教えてね」

 付随するように思い出すのは大好きなクラスメイトの言葉。
 私が秋斗さんを好きだと自覚したとき、なぜかみんなはツカサの名前を口にした。
 四人が四人、私の好きな人がツカサだと思っていたのはどうして……?
 秋斗さんは私の初恋の相手が自分だと知っていたはずなのに、思い出したら考えてほしいと言っていた。
 それはどうして……?
「あ……一学期の球技大会」
 どうしてツカサの名前が出てくるのかを尋ねたら、海斗くんは一学期の球技大会のことを話してくれた。

 ――「翠葉、覚えてる? おまえ、球技大会のとき、今みたいに散々赤くなってただろ?」

 あの日、ツカサがどこにいてもすぐに見つけることができた。
 シュートを決める姿も、何もかも鮮明に思い出すことができる。
 意地悪な笑みも、爽やかな笑顔も何もかも……。
 クラスの応援に紛れてツカサに声をかけた。
 何気ない応援の言葉だったけど、それに気づいてもらえたことが、目が合ったことがとても嬉しくて――
 頬に熱を持った私を隠してくれたのは佐野くんのジャージだった。
 ジャージで隠される前に交わした佐野くんとの会話。

 ――「なぁ……御園生って、もしかしてあの先輩のこと好きだったりするのか?」
 ――「えっと、あの……なんていうか、あの顔が好き? なんか、ど真ん中ストライクで……。あ、嘘、そうじゃなくてっ――」

 思い出して目に涙が滲む。
「知らなかった。あれが恋だなんて知らなかった……」
 人を好きになるという気持ちがどんなものかなんて、知らなかった。
 あれが初恋だったの……?
 もし、そうなら納得できることがある。
 ホテルで、ツカサが女の子に笑顔で手を差し伸べているのを見たときに感じた気持ち。
 動揺したのは衝撃を受けたからで、衝撃はショックというものだったのだ。
 秋斗さんはそれに気づいていたから、「とても気になる人がいたんだ」という言い方をしたのね。
 秋斗さんは何度も私にヒントをくれていた。
 あの日だって、きちんと言葉にしてくれていた。
「恋、だと思う?」と訊かれてもしっくりこなかったのは、私が「恋」を知らなかったから?
 秋斗さんはことあるごとにあの日の出来事はきちんと考えたほうがいいと言ってくれていたのに、今になって気づくなんて――
 涙が止まらなくて頭が痛い。
 気づいたところで過去には戻れない。過去に戻ることはできないのだ。
 それに、過去に戻れたところでどうするというのか……。
「お薬……」
 私はここまで逃げてきてもなお薬に逃げる。ありきたりな理由を言い訳にして。
「朝食までには起きなくちゃいけないから寝なくちゃ……」
 携帯を見れば一時半を回っていた。
 久しぶりの夜更かしだった。
 サイドテーブルに置いたピルケースから薬を取り出し寝る前の薬を飲む。
 でも、横になってもしばらくは眠れず、最後に時間を確認したのは二時五分だった――


 目覚ましはセットしていなかったけれど、翌朝六時半になると目が覚めた。
 外には明けたばかりの空がある。
 空には暗く重々しい雲に覆われている。まるで、晴れない私の心のよう。
 身体を起こし恐る恐る洗面所の鏡の前に立つと、鏡には腫れぼったい顔をした自分が映っていた。
 瞼が、昨夜どれだけ泣いたのかを物語っている。
 私は冷たすぎる水にタオルを浸し、それを目の上に乗せた。しばらくすると、目から頭まで冷えてしまったらしく頭が痛くなる。
 仕方ないから次はホットタオルで目から額を温めた。すると、意外なことにさきほどよりも目の腫れが引いていた。
「交互にするといいのかな……?」
 何度か繰り返すと、瞼の腫れはすっかり引いた。
 けれど、目の充血までは取れないようだ。
「でも、さっきよりはいい……」
 冷たい水で洗顔を済ませ、濡れたままの自分の頬を叩く。
 さすがに化粧水などは持ってきていない。
 洗面台の端に置いてあるアメニティを手に取り、アルコールが入ってないことを確認してから手の平に馴染ませ顔につけた。
 幸い肌が赤くなることも痒くなることもなく、七時半までに身支度を済ませることができた。

 七時半ぴったりに部屋のドアがノックされる。
 ドアを開けると、木田さんがいつものスーツに身を包み、カートの傍らに立っていた。
「おはようございます。朝食をお持ちいたしました」
 木田さんは部屋に入るとすぐにテーブルセッティングを始める。
「朝食はいつもお雑炊とうかがっておりましたのでそのようにいたしましたが、何か足りないものはございませんか?」
 足りないものは、と訊かれたけれど、テーブルの上にはお雑炊のほかにお浸しや卵焼き。
 食べやすい大きさにカットされた数種の果物も並べられている。
 けれど、分量に圧倒されることはない。私が食べきれるであろう分量しか器には盛り付けられていないのだ。
「木田さん……何から何まで、本当にありがとうございます」
「いえ、当然のことをしているまでです」
 テーブルセッティングが済めばそのあとは給仕することもない。それでも、木田さんは私が食べ終わるまで同じ空間にいてくれた。
「あの……」
「はい」
 木田さんは身体の前で両手を組み、にこやかな表情で答える。
「お時間があるようでしたら、一緒にお茶を飲んでいただけませんか?」
 朝のこの時間、忙しくないわけがない。
 わかってはいるけれど、木田さんがこの場からいなくなる気はしなかったし、私の食事が終わるまでずっと部屋の片隅で佇んでいる気がしたから、それなら座ってお茶を飲んでほしかった。
 それが勤務中の人に勧めていいことかどうかは別として。
「……それでは失礼させていただきます」
 木田さんはカップをひとつ取り、私に淹れたものと同じお茶を注いだ。
「本日のご予定はお決まりですか?」
「……森へ出かけてもいいですか?」
「……かまいませんが、外気温は一度ですよ?」
 一度……それはとても寒そうだ。
 きっと、昨夜は氷点下だったことだろう。
「どうしても森へ行きたくて……」
「……寒さは身体にこたえるのではないですか?」
「薬は余分に持ってきています」
 そういう問題じゃない、わかってる。でも――
「かしこまりました。ご用意いたしますので、それまでは館内でお待ちください」
「わがままを言ってすみません」
「いえ、お気になさらず、どうぞ冬のブライトネスパレスをご堪能ください」
 一時間弱ほど私の朝食に付き合ってくれた木田さんはダイニングテーブルを片付けると、来たとき同様カートを押して部屋をあとにした。
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