光のもとで1

葉野りるは

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第十四章 三叉路

21話

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 指定席へ移動する途中で発車ブザーが鳴った。
 その音に足を止めると、
「心細いですか?」
「……私、電車で遠くへ行くのは初めてなんです。それと、家族が一緒じゃないのも……」
「さようでしたか。……それでは、今このときは私を家族とお思いください」
 木田さんはにこりと笑い、
「あと三列先の左側が私たちの席ですよ」
 指定席に着きコートを脱いで腰を下ろしたら、再度携帯が震えた。
 着信したのは唯兄からのメールだった。


件名 :あんちゃんに一報入れてあげて
本文 :事情は俺から話してあるけど、
    リィからの連絡に勝るものはないと思う。

    今日は珍しく友達と飲んでるんだけど、
    気になってるみたいだからさ。
    楽しく飲めるように配慮をば……。

    最後に一個確認。
    さっき、俺のこと着拒してた?


 着拒ってなんだろう……?
「木田さん、私、蒼兄に連絡を入れてきます」
 通路側に座っていた木田さんは席を立つと、
「ご一緒いたします」
「あの、さすがにこのくらいは大丈夫ですよ?」
 木田さんはクスクスと笑った。
「私にも所用があるのですよ」
「……そうなんですか?」
「はい」
 座ったばかりの席を立ち、先ほどのデッキに戻ると、私はすぐ蒼兄に電話をかけた。
 木田さんも電話かと思ったのだけど、携帯を取り出す様子はない。
 コール音が切れて通話がつながると、すぐに名前を呼ばれた。
『翠葉っ!?』
 その声に、心配をかけてしまった、と申し訳なく思う。
「蒼兄、心配かけてごめんね」
『身体は大丈夫なのかっ!?」
 こんなときだって、蒼兄は怒ることなく私の身体を第一に心配してくれる。
「今はもう大丈夫。血圧が下がったのは、コートを脱がずに電車に乗って、支倉駅まで立っていたのが原因」
『そうか……』
「今日、お友達と飲んでるって唯兄が……」
『あぁ……今、葵と環と一緒なんだ』
 葵さんは高崎さんのことだろう。環さんは――高崎さんが生徒会で蒼兄と一緒だったと教えてくれた気がする。
 確か、大学でも同じ学部だったとか……。
 人の名前を覚えるのは苦手だけど、蒼兄が絡むと覚えられるのかもしれない、とちょっとした発見。
「今ね、特急電車に乗っているの。生まれて初めて……」
『木田さんが一緒って唯から聞いた』
「うん、そうなの」
 その木田さんは、ワゴンを押している人に何かを尋ねているところだった。
『明日、帰りはどうするんだ?』
「……まだ、何も決めてなくて……」
『迎えに行こうか?』
「……ううん。自分で行って、自分で帰ってきたい」
 わがままかもしれない。でも――
「自分で戻らないとだめな気がするの」
 ものすごく抽象的な言い方だけど、蒼兄ならわかってくれる気がした。
 自分でそこから逃げ出したのなら、自分で戻らないとだめ。
 それだけはわかっていた。
『……わかった。でも、藤倉の駅までは迎えに行くから。向こうを出るときには連絡してほしい』
「うん、約束する」
『行っておいで。小旅行』
「……しょう、りょこう?」
「そう。一泊二日の小旅行。唯はプチ家出とか言ってたけどな」
 ここにきてようやく蒼兄の笑い声を聞くことができた。
『自分で行って帰ってくるのなら、立派な旅行。だから、行っておいで』
「蒼兄、ありがとう」
『うん、気をつけて行っておいで」
「あのっ」
『ん?』
「飲みすぎないでね?」
『大丈夫。今日はさ、環がここで飲みたいって言い出したこともあって、ウィステリアホテルにいるんだ』
「え……?」
『俺がここに着いたのはついさっき。翠葉とは入れ違いになっちゃったな』
「そうだったの……?」
『今日は唯が俺の車に乗ってきてるだろ?』
「うん……」
『昼に連絡して俺が頼んだんだ。帰りに乗せてってって』
 高崎さんと環さんは、明日の朝から仕事があるという。
 だから、最初から遅くまで飲むつもりはなく、十一時くらいにはお開きにする予定だったらしい。
 私と唯兄はホテルでディナーを食べたあと、唯兄のお部屋で待機している予定だったのだとか……。
「蒼兄、どうしよう……」
『ん?』
「唯兄、お夕飯――ディナー、ひとりで食べるのかな?」
『安心しな。さっき連絡もらった時点でこっちに合流するように声かけたから。仕事が終わったらこっちに来るはず』
「でも、私が食べるものということは須藤さんが作ってくださっているのでしょう?」
『その料理もバーラウンジに運ばれてくることになった。どっちにしろ、唯はあまり酒が好きじゃないし、今日は運転手だから一滴も飲まない。翠葉の分は俺が食べるから問題ないよ』
「蒼兄はお酒飲まないの? どちらかというと、美味しいお酒は好きでしょう?」
『料理にあった酒をオーダーするから気にしなくていいよ』
「……ありがとう。あと、蒼兄」
「ん?」
「着拒って何?」
『チャクキョ……?』
「唯兄からのメールの最後に、『着拒してた?』って書いてあったんだけど、意味がわからなくて」
『……それって、着信の着に拒否の拒?』
「うん」
 蒼兄はくつくつと笑いだし、「着拒」の意味を教えてくれた。
 携帯には色んな機能があり、そのうちのひとつに応じたくない人からの電話を拒否するという機能があるらしい。
 最初は意味を知らない自分が笑われているのかと思っていたけれど、違った。蒼兄が笑ったのは唯兄に対してだった。
『唯って翠葉が機械音痴なの知らなかったっけ? そんな機能があることすら知らないわけだから、設定のしようがないのにな。その件は俺から唯に話しておく』
 通話を切る直前まで蒼兄は笑っていた。

 電話が終わり木田さんを振り返ると、木田さんの手にはペットボトルと割り箸があった。
「お電話、終わられましたか?」
「はい。……木田さん、それは?」
「まずは席へ戻りましょう」
 席に戻ると、備え付けのテーブルを開くように言われた。
 その上に先ほど買ったであろうペットボトルと割り箸を置き、ウィステリアホテルの手提げ袋の中から正方形の平たい箱を取り出した。
 それは藤のプリントがされた不織布に包まれている。
 包みを解いて現れたのは、紅葉祭のときに見たお弁当箱と同じものだった。
「お腹は空いてらっしゃいませんか?」
「あ……」
 言われてみれば、お昼ご飯を食べたあとは飲み物しか口にしていなかった。
「でも、これ……木田さんのお弁当なんじゃ……」
 木田さんはクスクスと笑う。
「私も年ですからねぇ……。こんなにたくさんは食べられません。それに、これは須藤くんがお嬢様用に作ったメニューと同じものです。彼がどんな料理を作るのかと思い、私にも同じものを用意していただきました」
「そうなんですか……?」
「はい。若槻くんが事前にオーダーしていたそうですよ」
 どうしよう……。
 申し訳なさで胸がいっぱいになる。
 木田さんはてきぱきと蓋側に半分を取り分け、きれいに盛り付けてくれた。
 それとウィステリアホテルのマークが入ったお箸をを私の前に置くと、
「さぁ、いただきましょう」
 木田さんは半分になってしまったお弁当箱を見て満足そうな顔をする。
「須藤くんは食べる人のことをきちんと考えて料理するシェフですね。お嬢様が食べることはもちろん、私が帰りに車内で食べることをよく考慮したメニューです」
「え……?」
「あたたかくても美味しくいただけ、冷めていても美味しくいただける。これはそういう料理ですよ」
 木田さんは嬉しそうに口元を綻ばせた。
 九種類の料理を私たちはゆっくりと味わい楽しんだ。そして木田さんが用意してくれたミネラルウォーターで薬を飲むと、車内アナウンスが流れる。
『まもなく白野しらの、白野駅に停車いたします』
「ちょうどよかったですね。お嬢様、白野で降ります」
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