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第十四章 三叉路
17話
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「藤宮に守られてもらえないとなると、私は――いや、私たちは翠葉ちゃんとのつながりを絶たなくてはいけない」
会議室のドアの前には静さんが立っていた。
いつからそこにいたのかはわからない。人が入ってきたなんてまったく気づかなかった。
静さんの傍らには澤村さんもいて、私たちから少し離れた席に座っていたはずの園田さんも澤村さんの隣に立っていた。
静さんはゆっくり歩き、話しながら私のもとまでやってくる。
「翠葉ちゃんの命にも人生にも関わることだから、本当は時間をかけて考えてもらいたかったんだけどね。うちのヒヨコどもの動きが悪いがゆえに、君にしわ寄せがきてしまった。申し訳ない」
いつもと変わらず口調は穏やかなのに、静さんが一歩近づくたびに大きな壁が迫ってくるように思えた。
私は恐る恐る口にする。
「静さん、それは――つながりを絶つというのは海斗くんやツカサ、秋斗さんとのつながりもなくなる、ということですか?」
「そうだ。秋斗たちは不本意だろう。海斗においてはひどく傷つく恐れもある。が、それも仕方がない。ヒヨコたちはかわいいが、碧と零樹の宝を危険にさらすなど見過ごせないからな。翠葉ちゃんを守るためなら徹底的に関係を絶つ」
静さんの目は厳然たる事実だと言っていた。
「選択権は君にある。リメラルドを降りてもらいたくはないが、替え玉は用意してある。大人の事情は考えなくていい。自分のことだけを考えて決めてほしい」
私は膝の上に置いてあった両手をぎゅ、と握った。
考えなくちゃ……。
これは今出さなくてはいけない答え。今、答えを求められている。
シゲさんが言ったこと、唯兄が言ったこと、そして――今静さんに言われたことをひとつずつ反芻する。
すると、どうしてか「庇護下」という言葉に引っ掛かりを覚えた。
その言葉を私は以前にも聞いたことがある。
秋斗さんと二回目にホテルへ来たときのこと。
あの日、雅さんと会った直後、秋斗さんは私を静さんの庇護下に入れてほしいと言った。
雅さんはそれほどまでに危険な人だったのだろうか。
記憶が戻っても、雅さんの情報という情報が私にはほとんどなかったし、今もあのときも、どんなに危険な状況なのか、私はきちんと理解していない。
でも、もし「庇護下」に入ることで負うリスクがあるのだとしたら、秋斗さんがそれを考慮せずに口にしたとは考えづらい。
そのリスクを負ってでも庇護下に入ったほうが安全ということだったのだろうか。
「オーナー、来なくてよかったのに……」
ボソリと唯兄が呟いた。
「これは私なりの責任の取り方だ。人に任せるわけにはいかない」
「ほんっと、自分の使い方をよくご存知で」
「心外だな」
「こんなこと、当事者から言われるよりも第三者の人間から言われたほうがいいに決まってるじゃないですか。なんでラスボスが出てきちゃうかなぁ……。これ以上、リィのこと追い詰めんのやめてもらえますかねっ?」
「私がやらなければおまえがやるつもりだっただろう? 私はそこまで非道じゃないよ」
「……オーナーはすっごくずるい人なのに、こういうところで責任を放棄しないちゃんとした大人で妙に腹が立ちます」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「褒めてません。むしろ、今回みたいなときは放棄してくれたほうが周りは楽なんですっ」
「そうか?」
「そうですっ。あーーーっ、やっぱり誰がなんて言おうとオーナーはずるい人決定っ」
「それは否定しないさ。狡猾さを駆使しないと生き残れない環境にいるからな。それにおまえもなかなかのものだろう?」
会話のすべてを理解できるわけではないけれど、唯兄が口にしていることは本心だと思う。
その反面、私に考える時間を作ってくれている気もした。
私が今考えるべきことはなんだろう。
大人の事情は考えなくていいと言われた。それはつまり仕事のことだろう。
来月にパレスの完成が迫っているのに、今さらリメラルドを降りることなどできるのだろうか。
半年間、このプロジェクトに携わってきた人やその人たちが仕事を無にすることになっても……?
――ううん、無にはならない。
替え玉が用意してあるということは、その仕事自体は無駄にはならないのだろう。
違う――これは考えなくていいと言われた部分。
今私が考えなくちゃいけないことはひとつ――「藤宮」との関係だ。
雅さんの件で警護対象になったときは秋斗さんがついてくれていた。
きっとあれが近接警護というものなのだろう。
あのときは警護についてくれたのが秋斗さんだったから、さほど違和感を覚えることなく過ごせたけれど、ほかの人と随時一緒に行動することを考えると、なんだか落ち着かない気がする。
身を守るためには近接警護が一番確実だとは思う。
警護対象との距離があればあるほど手の届かない部分が出てくる。それを人を増やすことでカバーするのがチームの配属なのだろう。
そのくらいの想像はできる。できるけど、言葉で「警護」や「リスク」と言われても、私にはピンとこなかった。
唯兄がお母さんの身に起きたことを話してくれなければ、私はきちんと理解しないままに答えを出したに違いない。
私にとって、「命」という言葉は常に「健康」という言葉と共にあった。けれど、今は「健康」ではなく「人生」という慣れない言葉と並んでいる。
私は、本当に何もわかっていなかったのだ。
海斗くんが伝えようとしていたこと、伝えてくれたことの半分も理解できていなかった。
海斗くんが話してくれたとおりに対応はしていたけれど、まるで他人事に思っていた。
私は体調を維持するための制約が課せられているけれど、海斗くんたちは「藤宮」に生まれてきただけで命を脅かされる環境にいるんだ――と、ものすごく他人事として捉えていた。
違うのに、そうじゃなかったのに……。
海斗くんやツカサ、秋斗さんが「巻き込んでごめん」と口にしたのは、私も同じ境遇になるからだったのに。
私は上辺ともいえない上澄みを知っただけで、ヘラヘラと「大丈夫」という言葉を返していたに過ぎない。本当はそんなに簡単な話じゃなかった。
「翠葉ちゃん、そろそろ答えを」
静さんに声をかけられ、身体がビクリと反応する。
「誰に迷惑がかかるとかそういうことは一切抜きにして、翠葉ちゃんがどうしたいか。自分のことだけを考えて選択してほしい」
仕事のことは一切考えなくていいと言ってくれている。それは静さんの優しさだろう。
私がどうしたいか……? 私は――
「私は、海斗くんたちと友達でいたいです。ずっと――ずっと友達でいたいです」
十年先も二十年先も、ずっと友達だと言ってくれた。その手を離したくはない。
やっと見つけた宝物。やっと出逢えた宝物を容易には手放せない。
「それで身を危険にさらすことになるとしてもかい?」
「……怖くないといったら嘘になります。でも、ここで手を離したら、私は絶対に後悔します」
静さんは目を細め、懐かしいものを見るような目で私を見た。
「三十年近く前のことだ。翠葉ちゃんと同じ言葉を口にした女性がいる」
「……お母さん、ですか?」
「あぁ。碧には翠葉ちゃんよりももっと時間をかけて考える余裕があったんだが、悩んだ時間は数分だったな」
静さんはおかしそうにくつくつと笑い、そのあとは穏やかな笑みを浮かべた。
「翠葉ちゃん、ありがとう。私は司たちに恨まれずに済みそうだ」
「俺も一安心です……」
ボソリと聞こえた声に振り返ると、脱力してテーブルに突っ伏す唯兄がいた。
「リィ……そこのずるい人はね、リィが拒否したときには自分の知り合いが経営する高校にリィを転校させるつもりでいたし、その学校近くのマンションの空き物件も押さえてたんだよ」
「え……転校?」
「だってさ、学校が同じだったら関係なんて絶てないでしょ?」
言われてみれば……。
「リィが選択する前にそこまで言われたらどうしようかと気が気じゃなかったよ~……」
唯兄の言葉を確認するように静さんを見ると、にこりと微笑む。
「だが、それに対抗するように翠葉ちゃんが離脱しても大丈夫なように替え玉を手配したのは若槻だろう? あとで紅林によく言っておくんだな」
くれ、ばやし……?
その名前なら、さっきいただいた名刺の中にあった気がする。
ポケットから取り出した名刺を確認しようとすると、シゲさんに声をかけられた。
「姫さん、紅林はあーやのことだ。さっき紹介したスタッフたちな、みんなプロのカメラマンなんだ」
「えっ!?」
「姫さんには撮影班として紹介したが、ひとりひとりがプロのカメラマンなんだ。結婚式の写真撮影を請け負ったり広報部が必要とする写真を撮ったりする」
改めて名刺を見ると、どの名刺にも「Photographer」と書かれていた。
会議室のドアの前には静さんが立っていた。
いつからそこにいたのかはわからない。人が入ってきたなんてまったく気づかなかった。
静さんの傍らには澤村さんもいて、私たちから少し離れた席に座っていたはずの園田さんも澤村さんの隣に立っていた。
静さんはゆっくり歩き、話しながら私のもとまでやってくる。
「翠葉ちゃんの命にも人生にも関わることだから、本当は時間をかけて考えてもらいたかったんだけどね。うちのヒヨコどもの動きが悪いがゆえに、君にしわ寄せがきてしまった。申し訳ない」
いつもと変わらず口調は穏やかなのに、静さんが一歩近づくたびに大きな壁が迫ってくるように思えた。
私は恐る恐る口にする。
「静さん、それは――つながりを絶つというのは海斗くんやツカサ、秋斗さんとのつながりもなくなる、ということですか?」
「そうだ。秋斗たちは不本意だろう。海斗においてはひどく傷つく恐れもある。が、それも仕方がない。ヒヨコたちはかわいいが、碧と零樹の宝を危険にさらすなど見過ごせないからな。翠葉ちゃんを守るためなら徹底的に関係を絶つ」
静さんの目は厳然たる事実だと言っていた。
「選択権は君にある。リメラルドを降りてもらいたくはないが、替え玉は用意してある。大人の事情は考えなくていい。自分のことだけを考えて決めてほしい」
私は膝の上に置いてあった両手をぎゅ、と握った。
考えなくちゃ……。
これは今出さなくてはいけない答え。今、答えを求められている。
シゲさんが言ったこと、唯兄が言ったこと、そして――今静さんに言われたことをひとつずつ反芻する。
すると、どうしてか「庇護下」という言葉に引っ掛かりを覚えた。
その言葉を私は以前にも聞いたことがある。
秋斗さんと二回目にホテルへ来たときのこと。
あの日、雅さんと会った直後、秋斗さんは私を静さんの庇護下に入れてほしいと言った。
雅さんはそれほどまでに危険な人だったのだろうか。
記憶が戻っても、雅さんの情報という情報が私にはほとんどなかったし、今もあのときも、どんなに危険な状況なのか、私はきちんと理解していない。
でも、もし「庇護下」に入ることで負うリスクがあるのだとしたら、秋斗さんがそれを考慮せずに口にしたとは考えづらい。
そのリスクを負ってでも庇護下に入ったほうが安全ということだったのだろうか。
「オーナー、来なくてよかったのに……」
ボソリと唯兄が呟いた。
「これは私なりの責任の取り方だ。人に任せるわけにはいかない」
「ほんっと、自分の使い方をよくご存知で」
「心外だな」
「こんなこと、当事者から言われるよりも第三者の人間から言われたほうがいいに決まってるじゃないですか。なんでラスボスが出てきちゃうかなぁ……。これ以上、リィのこと追い詰めんのやめてもらえますかねっ?」
「私がやらなければおまえがやるつもりだっただろう? 私はそこまで非道じゃないよ」
「……オーナーはすっごくずるい人なのに、こういうところで責任を放棄しないちゃんとした大人で妙に腹が立ちます」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「褒めてません。むしろ、今回みたいなときは放棄してくれたほうが周りは楽なんですっ」
「そうか?」
「そうですっ。あーーーっ、やっぱり誰がなんて言おうとオーナーはずるい人決定っ」
「それは否定しないさ。狡猾さを駆使しないと生き残れない環境にいるからな。それにおまえもなかなかのものだろう?」
会話のすべてを理解できるわけではないけれど、唯兄が口にしていることは本心だと思う。
その反面、私に考える時間を作ってくれている気もした。
私が今考えるべきことはなんだろう。
大人の事情は考えなくていいと言われた。それはつまり仕事のことだろう。
来月にパレスの完成が迫っているのに、今さらリメラルドを降りることなどできるのだろうか。
半年間、このプロジェクトに携わってきた人やその人たちが仕事を無にすることになっても……?
――ううん、無にはならない。
替え玉が用意してあるということは、その仕事自体は無駄にはならないのだろう。
違う――これは考えなくていいと言われた部分。
今私が考えなくちゃいけないことはひとつ――「藤宮」との関係だ。
雅さんの件で警護対象になったときは秋斗さんがついてくれていた。
きっとあれが近接警護というものなのだろう。
あのときは警護についてくれたのが秋斗さんだったから、さほど違和感を覚えることなく過ごせたけれど、ほかの人と随時一緒に行動することを考えると、なんだか落ち着かない気がする。
身を守るためには近接警護が一番確実だとは思う。
警護対象との距離があればあるほど手の届かない部分が出てくる。それを人を増やすことでカバーするのがチームの配属なのだろう。
そのくらいの想像はできる。できるけど、言葉で「警護」や「リスク」と言われても、私にはピンとこなかった。
唯兄がお母さんの身に起きたことを話してくれなければ、私はきちんと理解しないままに答えを出したに違いない。
私にとって、「命」という言葉は常に「健康」という言葉と共にあった。けれど、今は「健康」ではなく「人生」という慣れない言葉と並んでいる。
私は、本当に何もわかっていなかったのだ。
海斗くんが伝えようとしていたこと、伝えてくれたことの半分も理解できていなかった。
海斗くんが話してくれたとおりに対応はしていたけれど、まるで他人事に思っていた。
私は体調を維持するための制約が課せられているけれど、海斗くんたちは「藤宮」に生まれてきただけで命を脅かされる環境にいるんだ――と、ものすごく他人事として捉えていた。
違うのに、そうじゃなかったのに……。
海斗くんやツカサ、秋斗さんが「巻き込んでごめん」と口にしたのは、私も同じ境遇になるからだったのに。
私は上辺ともいえない上澄みを知っただけで、ヘラヘラと「大丈夫」という言葉を返していたに過ぎない。本当はそんなに簡単な話じゃなかった。
「翠葉ちゃん、そろそろ答えを」
静さんに声をかけられ、身体がビクリと反応する。
「誰に迷惑がかかるとかそういうことは一切抜きにして、翠葉ちゃんがどうしたいか。自分のことだけを考えて選択してほしい」
仕事のことは一切考えなくていいと言ってくれている。それは静さんの優しさだろう。
私がどうしたいか……? 私は――
「私は、海斗くんたちと友達でいたいです。ずっと――ずっと友達でいたいです」
十年先も二十年先も、ずっと友達だと言ってくれた。その手を離したくはない。
やっと見つけた宝物。やっと出逢えた宝物を容易には手放せない。
「それで身を危険にさらすことになるとしてもかい?」
「……怖くないといったら嘘になります。でも、ここで手を離したら、私は絶対に後悔します」
静さんは目を細め、懐かしいものを見るような目で私を見た。
「三十年近く前のことだ。翠葉ちゃんと同じ言葉を口にした女性がいる」
「……お母さん、ですか?」
「あぁ。碧には翠葉ちゃんよりももっと時間をかけて考える余裕があったんだが、悩んだ時間は数分だったな」
静さんはおかしそうにくつくつと笑い、そのあとは穏やかな笑みを浮かべた。
「翠葉ちゃん、ありがとう。私は司たちに恨まれずに済みそうだ」
「俺も一安心です……」
ボソリと聞こえた声に振り返ると、脱力してテーブルに突っ伏す唯兄がいた。
「リィ……そこのずるい人はね、リィが拒否したときには自分の知り合いが経営する高校にリィを転校させるつもりでいたし、その学校近くのマンションの空き物件も押さえてたんだよ」
「え……転校?」
「だってさ、学校が同じだったら関係なんて絶てないでしょ?」
言われてみれば……。
「リィが選択する前にそこまで言われたらどうしようかと気が気じゃなかったよ~……」
唯兄の言葉を確認するように静さんを見ると、にこりと微笑む。
「だが、それに対抗するように翠葉ちゃんが離脱しても大丈夫なように替え玉を手配したのは若槻だろう? あとで紅林によく言っておくんだな」
くれ、ばやし……?
その名前なら、さっきいただいた名刺の中にあった気がする。
ポケットから取り出した名刺を確認しようとすると、シゲさんに声をかけられた。
「姫さん、紅林はあーやのことだ。さっき紹介したスタッフたちな、みんなプロのカメラマンなんだ」
「えっ!?」
「姫さんには撮影班として紹介したが、ひとりひとりがプロのカメラマンなんだ。結婚式の写真撮影を請け負ったり広報部が必要とする写真を撮ったりする」
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