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第十三章 紅葉祭
44話
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ベランダはリビングダイニングに面している部分にしかないと思っていた。その先に続きがあるなんて、今始めて知ったのだ。
「九階でこの広さのベランダはゲストルームにしかついてないんだ。十階はさ、ベランダの端にある螺旋階段を上がると屋上に出られる」
お父さんが先導してくれた先にはイギリス庭園を思わせるエクステリアが広がっていた。
「広いってほどではないけど、十六畳くらいか? ここのエクステリアは俺と碧が少しずつ手を加えて作ったものなんだ。ここに住んでたときはよくバーベキューもしたっけ」
当時を思い出すのか、お父さんは目を細めて穏やかに笑う。
場所が場所だし素材が本物かはわからないけれど、レンガのような石が敷き詰められたベランダにはガーデン用の円卓と椅子がバランスよく配置されている。そのテーブルの上には、金属部分の細工が美しい年季の入ったランタンが灯っていた。
リビングの裏に当たる場所にホットマットと毛布が用意されており、電源は外部電源から引いている。
私はルームウェアの上にカーディガンを羽織り、さらには肩から毛布をかけられカーペットの上に座っている。足元もレッグウォーマーと毛布でしっかり防寒。
さすがにここまですると寒さを感じることはない。
夜空を見上げればこれでもかというくらいに星が瞬いていた。
こんなふうに夜空を見上げるのはパレスへ行って以来。
「寒くないか?」
「うん。冷たい風が気持ちいいくらい」
「そうか、寒くなる前に中へ入ろうな」
「うん。……お父さん」
「ん?」
「今年の秋は、虫の音を聞く間もなかったの……」
「虫って鈴虫のことか?」
「うん」
それくらいにあっという間に時間が過ぎたのだ。
いつもなら、鈴虫がリーリーと鳴く音を聞いて何音符かな、と考えるのに、今年は一度も考えなかった。虫の声を聞いたのかすら記憶に乏しい。
「夢中になれるものがあるっていいことだぞ」
「うん。でも、それに呑みこまれて我を失いそうになる。……お父さん、心配かけてごめんなさい」
「滋養強壮剤のことか?」
「ん……」
あぁ、これも言わなくちゃ……。
「明日ね――」
「聞いてるよ。湊先生からお許しが出て、滋養強壮剤を使うんだろ?」
「うん……。また、バイタルが変な動きをするかも」
「大丈夫。前もって聞いてるから。……明日は後夜祭だってあるし、そのあとには打ち上げだってあるんじゃないか?」
打ち上げ……?
「花火……?」
訊くと笑われた。
「そっかそっか。打ち上げってのはさ、何かが終わったあとにみんなでやる『お疲れ様会』みたいなものだ。父さんたちが学生の頃は、周りにあまり遊ぶ場所がなかったから藤川まで行って花火するクラスもあったし、ボーリングに行くクラスもあったな。みんなでご飯を食べに行くクラスもあった」
……お疲れ様、会?
「今はカラオケとかかなー? この辺も色々建物が建ったし。なんにせよ、そういうのがクラスや生徒会であるなら楽しんでおいで」
「え……? だって、それは後夜祭のあとにあるのでしょう?」
「そうだな。まず後夜祭の前にはできないと思うぞ?」
真顔で返されて少し困る。
「お父さん、たぶん……私はいられても後夜祭までだと思う。それ以上は――」
「翠葉、行っておいで」
にこりと笑顔を向けられた。
「もちろん無理に、っていうわけじゃないけど、せっかく学校の近くに住んでいて、迎えに行く家族が三人もいるんだ。問題ないよ。それに、そのあとは二日も休みなんだから」
お父さんの優しい眼差しに、気づいたら首を縦に振っていた。
「ピンポーンっ! 突撃っ、隣の甘味処唯芹亭! ただいまココアをお持ちしましたー!」
その声に、
「どうぞお入りくださーい!」
唯兄のノリのままお父さんが答えると、唯兄がトレイにマグカップをふたつ載せてやってきた。
いつしかの「麺処唯芹亭」が「甘味処唯芹亭」に名前を変えて。
「リィ、寒くない?」
「うん、寒くない」
「よしっ!」
唯兄はそれだけを確認して立ち去る。
「今日はね、父さんが翠葉を独占していいことになってるんだ」
お父さんは嬉しそうに笑う。だから、私も笑顔を返した。
お父さんと外にいたのは三十分くらい。
たくさん話をした気がするけれど、実質的にはそのくらいだった。
家に入ると時計は九時を指していた。
明日も朝は早いのだから、十時までには寝たい。でも、それには頭の容量を少し空ける必要がある。
「蒼兄、唯兄……」
ダイニングでくつろぐふたりに声をかけると、唯兄がすぐに席を立った。
「ハーブティー淹れたら行くから、あんちゃんと先に部屋に行ってな」
そう言われ、私は蒼兄と先に自室へ戻った。
「何かあった?」
蒼兄のその言葉や声、ほっとする表情に泣きたくなる。
「翠葉が言ってこなければ訊かないでいるつもりだった。これはそういうふうに使うものじゃないと思うから」
言いながら、蒼兄は自分の携帯をテーブルに置いた。
「なんかさ、今日一日お疲れ様ってその心臓に言いたくなるくらいの心拍数を連発してたよ」
蒼兄の苦笑する顔を見たら、きゅるる、と音を立てて涙腺が緩むのを感じた。
一粒涙が零れると、そのあとはボロボロ、といくつも涙が零れた。
話したいことがたくさんありすぎて言葉が出てこない。だから、まるで小さな子みたいに泣くだけ泣いて、蒼兄にしがみついていた。
ガチャ、と音がして唯兄の声が降ってくる。
「ありゃ? もう話し始めてたりする?」
「いや、まだなんだけどこの状態……」
「何がどうして泣いてるのか……」
「うーん……聞いてみないことにはわからないよな」
一頻り泣き終わってからお茶を口にすると、ほわっとハーブの香りが口腔内に広がった。
「落ち着いた?」
唯兄に顔を覗きこまれ、どうしても泣き笑いになる。
「この人が好きってわかったのに、わかったのにね、その人には好きな人がいたの」
言ってる途中から涙が零れてくる。
「翠葉……参考までに相手のイニシアルとか名前とかクラスとか学年とか――」
「あんちゃん、しっかり……。それ、全部言えって言ってるじゃん」
「あぁ、そうか……。とりあえず、なんでそんなことに?」
ふたりにツカサを好きなことを話すのには抵抗がなかった。
恥ずかしいよりも苦しくて、苦しい想いを残らずすべて吐き出してしまいたくて……。
「ツカサ、すごく大切に想う人がいたの」
「あぁ、司っちね」
え……?
予想外な唯兄の反応に驚く。
「唯兄も知っているのっ!? え? やだ、もしかして蒼兄も……?」
「んー……どうだろう」
蒼兄に嘘をつかれたことはない。
この言葉で視線を逸らされた、ということは知っているのだ。
「やだ……やっぱりなんでもない。ふたりとも出ていってっ」
「なっ、翠葉っ!?」
「リィっっっ!?」
「だって、ツカサの好きな人が誰だか知りたくなっちゃうものっ。本人のいないところでこういう話はしちゃだめってわかっていても、訊きたくなっちゃうものっ」
そう言ってクッションふたつを投げつけると、唯兄に「どうどうどうどう」と両肩を抑えられ馬扱いをされた。
「学校で佐野くんに訊いちゃって、本当にバカなことしたって思ってるんだからっ。おうちに帰ってきてまで同じことしたくないっ。ツカサ本人にまで訊いちゃって、私、本当にどうしようかと思ったんだからっっっ」
そこまで言うと、場の空気が一変した。
「えっ!? 司っちに直接訊いたのっ!?」
「司に直接訊いたのかっ!?」
ふたり揃って同じことを口にし、食い入るように見られていた。
「だって……不意打ちで訊かれたから……思わず口にしちゃったんだもの」
「で、司は?」
「びっくりしてた……。そのあと呆れられて置いていかれちゃった」
「九階でこの広さのベランダはゲストルームにしかついてないんだ。十階はさ、ベランダの端にある螺旋階段を上がると屋上に出られる」
お父さんが先導してくれた先にはイギリス庭園を思わせるエクステリアが広がっていた。
「広いってほどではないけど、十六畳くらいか? ここのエクステリアは俺と碧が少しずつ手を加えて作ったものなんだ。ここに住んでたときはよくバーベキューもしたっけ」
当時を思い出すのか、お父さんは目を細めて穏やかに笑う。
場所が場所だし素材が本物かはわからないけれど、レンガのような石が敷き詰められたベランダにはガーデン用の円卓と椅子がバランスよく配置されている。そのテーブルの上には、金属部分の細工が美しい年季の入ったランタンが灯っていた。
リビングの裏に当たる場所にホットマットと毛布が用意されており、電源は外部電源から引いている。
私はルームウェアの上にカーディガンを羽織り、さらには肩から毛布をかけられカーペットの上に座っている。足元もレッグウォーマーと毛布でしっかり防寒。
さすがにここまですると寒さを感じることはない。
夜空を見上げればこれでもかというくらいに星が瞬いていた。
こんなふうに夜空を見上げるのはパレスへ行って以来。
「寒くないか?」
「うん。冷たい風が気持ちいいくらい」
「そうか、寒くなる前に中へ入ろうな」
「うん。……お父さん」
「ん?」
「今年の秋は、虫の音を聞く間もなかったの……」
「虫って鈴虫のことか?」
「うん」
それくらいにあっという間に時間が過ぎたのだ。
いつもなら、鈴虫がリーリーと鳴く音を聞いて何音符かな、と考えるのに、今年は一度も考えなかった。虫の声を聞いたのかすら記憶に乏しい。
「夢中になれるものがあるっていいことだぞ」
「うん。でも、それに呑みこまれて我を失いそうになる。……お父さん、心配かけてごめんなさい」
「滋養強壮剤のことか?」
「ん……」
あぁ、これも言わなくちゃ……。
「明日ね――」
「聞いてるよ。湊先生からお許しが出て、滋養強壮剤を使うんだろ?」
「うん……。また、バイタルが変な動きをするかも」
「大丈夫。前もって聞いてるから。……明日は後夜祭だってあるし、そのあとには打ち上げだってあるんじゃないか?」
打ち上げ……?
「花火……?」
訊くと笑われた。
「そっかそっか。打ち上げってのはさ、何かが終わったあとにみんなでやる『お疲れ様会』みたいなものだ。父さんたちが学生の頃は、周りにあまり遊ぶ場所がなかったから藤川まで行って花火するクラスもあったし、ボーリングに行くクラスもあったな。みんなでご飯を食べに行くクラスもあった」
……お疲れ様、会?
「今はカラオケとかかなー? この辺も色々建物が建ったし。なんにせよ、そういうのがクラスや生徒会であるなら楽しんでおいで」
「え……? だって、それは後夜祭のあとにあるのでしょう?」
「そうだな。まず後夜祭の前にはできないと思うぞ?」
真顔で返されて少し困る。
「お父さん、たぶん……私はいられても後夜祭までだと思う。それ以上は――」
「翠葉、行っておいで」
にこりと笑顔を向けられた。
「もちろん無理に、っていうわけじゃないけど、せっかく学校の近くに住んでいて、迎えに行く家族が三人もいるんだ。問題ないよ。それに、そのあとは二日も休みなんだから」
お父さんの優しい眼差しに、気づいたら首を縦に振っていた。
「ピンポーンっ! 突撃っ、隣の甘味処唯芹亭! ただいまココアをお持ちしましたー!」
その声に、
「どうぞお入りくださーい!」
唯兄のノリのままお父さんが答えると、唯兄がトレイにマグカップをふたつ載せてやってきた。
いつしかの「麺処唯芹亭」が「甘味処唯芹亭」に名前を変えて。
「リィ、寒くない?」
「うん、寒くない」
「よしっ!」
唯兄はそれだけを確認して立ち去る。
「今日はね、父さんが翠葉を独占していいことになってるんだ」
お父さんは嬉しそうに笑う。だから、私も笑顔を返した。
お父さんと外にいたのは三十分くらい。
たくさん話をした気がするけれど、実質的にはそのくらいだった。
家に入ると時計は九時を指していた。
明日も朝は早いのだから、十時までには寝たい。でも、それには頭の容量を少し空ける必要がある。
「蒼兄、唯兄……」
ダイニングでくつろぐふたりに声をかけると、唯兄がすぐに席を立った。
「ハーブティー淹れたら行くから、あんちゃんと先に部屋に行ってな」
そう言われ、私は蒼兄と先に自室へ戻った。
「何かあった?」
蒼兄のその言葉や声、ほっとする表情に泣きたくなる。
「翠葉が言ってこなければ訊かないでいるつもりだった。これはそういうふうに使うものじゃないと思うから」
言いながら、蒼兄は自分の携帯をテーブルに置いた。
「なんかさ、今日一日お疲れ様ってその心臓に言いたくなるくらいの心拍数を連発してたよ」
蒼兄の苦笑する顔を見たら、きゅるる、と音を立てて涙腺が緩むのを感じた。
一粒涙が零れると、そのあとはボロボロ、といくつも涙が零れた。
話したいことがたくさんありすぎて言葉が出てこない。だから、まるで小さな子みたいに泣くだけ泣いて、蒼兄にしがみついていた。
ガチャ、と音がして唯兄の声が降ってくる。
「ありゃ? もう話し始めてたりする?」
「いや、まだなんだけどこの状態……」
「何がどうして泣いてるのか……」
「うーん……聞いてみないことにはわからないよな」
一頻り泣き終わってからお茶を口にすると、ほわっとハーブの香りが口腔内に広がった。
「落ち着いた?」
唯兄に顔を覗きこまれ、どうしても泣き笑いになる。
「この人が好きってわかったのに、わかったのにね、その人には好きな人がいたの」
言ってる途中から涙が零れてくる。
「翠葉……参考までに相手のイニシアルとか名前とかクラスとか学年とか――」
「あんちゃん、しっかり……。それ、全部言えって言ってるじゃん」
「あぁ、そうか……。とりあえず、なんでそんなことに?」
ふたりにツカサを好きなことを話すのには抵抗がなかった。
恥ずかしいよりも苦しくて、苦しい想いを残らずすべて吐き出してしまいたくて……。
「ツカサ、すごく大切に想う人がいたの」
「あぁ、司っちね」
え……?
予想外な唯兄の反応に驚く。
「唯兄も知っているのっ!? え? やだ、もしかして蒼兄も……?」
「んー……どうだろう」
蒼兄に嘘をつかれたことはない。
この言葉で視線を逸らされた、ということは知っているのだ。
「やだ……やっぱりなんでもない。ふたりとも出ていってっ」
「なっ、翠葉っ!?」
「リィっっっ!?」
「だって、ツカサの好きな人が誰だか知りたくなっちゃうものっ。本人のいないところでこういう話はしちゃだめってわかっていても、訊きたくなっちゃうものっ」
そう言ってクッションふたつを投げつけると、唯兄に「どうどうどうどう」と両肩を抑えられ馬扱いをされた。
「学校で佐野くんに訊いちゃって、本当にバカなことしたって思ってるんだからっ。おうちに帰ってきてまで同じことしたくないっ。ツカサ本人にまで訊いちゃって、私、本当にどうしようかと思ったんだからっっっ」
そこまで言うと、場の空気が一変した。
「えっ!? 司っちに直接訊いたのっ!?」
「司に直接訊いたのかっ!?」
ふたり揃って同じことを口にし、食い入るように見られていた。
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