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第十三章 紅葉祭
17話
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歌い終ってようやく、観覧席に意識がいった。
拍手や歓声が聞こえてくる。その真ん中に自分が立っているだなんて、なんだか信じられない。
歌っている最中はクラスメイトや生徒会メンバー、家族やいつも支えてくれる人たちのことを思い浮かべて歌っていた。ひとりひとりの顔を思い出しながら。
あとは自分を包む音に神経が集中していて、周りがまったく見えていなかった。
歓声ならライブが始まったときにも奈落で聞いていたし、茜先輩たちが歌い終わったときにも聞いた。でも、自分に向けられる歓声というのは初めて。
――初めて……? ううん、違う……。
この音はどこかで聞いたことがあると思うのだけど……。
「翠葉ちゃん」
隣に座る茜先輩から声をかけられ、内へ内へと向かっていた意識が逸れる。
「すごく良かったよ! 今までで一番!」
笑ってそう言ってくれているのに、私は違和感を覚えずにはいられなかった。
無理して笑っているわけではない。だって、茜先輩はとても「普通」に見えるから。
でも、その「普通」は、無理していない笑顔は、「演じている」というほうがしっくりきてしまうのだ。
演じているのだとしたら、なんのために?
その答えは出ないのに、「演じている」という直感には疑問を抱かなかった。
私の歌は茜先輩にも届いたかな。ちゃんと、届いていたらいいな……。
視線を正面に戻すと、さっき口にしたペットボトルに目が留まる。
それは歌っている間もずっと私の前に置かれていて、目を離したわけではない。
それならば、口をつけても問題ないだろう。
キャップを緩め一口水を含んだとき、会場がそれまでとは違う熱狂に包まれた。
主に女子が色めき立つ。
なんだろう、と思った次の瞬間には隣のスクエアステージで演奏が始まった。
そこに立っていたのはフォークソング部とツカサ。
前奏の間、ツカサは軽くリズムを取りながらマイクスタンドに右手をかけ、俯きがちに立っていた。
それだけで様になるって何……。
「ふふっ、司って何をやらせても結局はそつなくこなしちゃうのよね」
茜先輩に促され、昇降機まで移動する。
「見ていたいのはわかるけど、下に下りたら誰かが会場に連れていってくれると思うわ。だから、少し我慢してね」
茜先輩がインカムから合図を送ると昇降機はすぐに下がり始めた。
奈落では香乃子ちゃんが迎えてくれる。そして、茜先輩が言ったとおり、朝陽先輩が申し出てくれた。
モニターを指差しながら、「あれ、会場で見たくない?」と。
ちらり、とモニターに目をやり、朝陽先輩に視線を戻す。
「……いいんですか?」
「大丈夫。司のあとはフォークソング部のステージだし、ほかのときでも一曲通して見るのは難しくても、見たいなら誰かに付き添わせるよ。それとも、奈落にある大画面モニターのほうがいい?」
ううん、モニターじゃなくて、さっき見たみたいにそのままを見たい。
もう一度モニターに視線を戻したけれど、やっぱり無理、と思う。
ツカサの顔がしょっちゅう画面いっぱいに映るのだ。そんなものをまともに見ていられるわけがない。
私は首を振り、
「会場で生の音を聞きたいです」
「行っておいで。私は第四通路にいるから」
茜先輩は、さっき佐野くんが姿を消した通路へと向かって歩きだす。
第四通路は桜林館の観覧席へ上がる階段のほか、図書棟ともつながっているため、一般生徒の出入りは禁止されている。
警備員が観覧席と奈落の通路側に立つという厳重な警備体制が敷かれているのだ。
ただ、生徒会メンバーだけは緊急で図書室へ戻ることもあるため、特例が認められていた。
茜先輩に場所を提示してもらえたことでほんの少し安堵する。
香乃子ちゃんに渡された室内ブーツを履くと、私は朝陽先輩に連れられて奈落からダイレクトに会場へ伸びる階段を上がった。
会場に向かう途中、朝陽先輩に何枚かのカードを渡された。
「これ、司が歌う曲の歌詞カード。良かったらどうぞ。……でも、実際に歌を聴いたほうがいいよね。こんな司、めったに見られないし。次はないかもしれない」
朝陽先輩はとても機嫌が良さそうだった。
もっとも、機嫌の悪い朝陽先輩など一度も見たことがないけれど。
「……ツカサが歌うのはそんなに珍しいことなんですか?」
「そうだね。俺の知る限りじゃ中等部の音楽の時間が最後だったんじゃないかな? だいたいにして、あの男が人前でこういうことすると思う?」
「……思いません」
「でしょう? 音楽祭だって指揮者に逃れる人間だよ」
「それ、とってもツカサらしいです」
思わず笑みが零れる。
「さ、会場ですよ。姫君」
朝陽先輩の向こう側に会場が広がる。
外に出ると、中で聞いていたよりもダイレクトに音が耳に届いた。
音が、振動が、そのまま肌に伝ってくる。
間奏に入ると、ツカサはマイクスタンドを傾け後ろを向く。
……茜先輩が言ったとおりだ。ライブステージが提案されたときはあんなにも嫌がっていたのに、いざステージに立てばこんなことだってできてしまう。
もし、私に体調上の制約なかったとしても、私はステージの中央であんなふうには歌えない。マイクスタンドを小道具のように扱って、自分を見せるような演出はできない。
すごいな、と思う反面、なんでもできてちょっとずるいと思った。
間奏が終わると、ツカサはくるり、とこちらを向く。
目が合ったのは単なる偶然だと思った。ただ、会場にいる私の姿を見つけただけだと思ったのに、ツカサは視線を合わせたまま外そうとはしない。
……え? 何……? や、ちょっと待ってっ――
今日のツカサは存在自体が反則だってさっき話したばかりなのにっっっ。
どうしようっ!?
どうしても自分から視線を逸らすことができなかった。
大画面モニターから逃れて会場へ来たのに、これではなんの意味もない。
顔が熱くなるのはあっという間だった。
顔というよりは、身体中が熱い気がする。
「体調は大丈夫?」
突如耳元で聞こえた声にびっくりした。
「え? あっ、はいっ。大丈夫ですっ」
朝陽先輩の声がきっかけで、ツカサから視線を逸らすことができた。ついでに、妙に熱い頬に自分の手を当てて冷やす。
末端冷え性がこんなふうに役立つとは思いもしなかった。
「どうかした?」
どうか……?
どうかしたというか、ツカサが格好良くて困るというか……。
どうしよう……。なんて答えたら――
香乃子ちゃんには躊躇うことなく話せたけれど、朝陽先輩には言いづらい。
あ、そうだ……。
「これも、恋愛の歌ですか?」
歌詞カードは手元にあるけれど、それを見ている間に曲が終わってしまいそうで尋ねることにした。
朝陽先輩はにこりと笑って答えてくれた。
私が予想だにしない追加情報と共に。
「そうだね。今ごろ、意中の子のことでも思って歌っているんじゃないかな?」
意中の、子……?
「……それは、好きな人、という意味、ですか?」
「そう」
好きな、人――
「ツカサ、好きな人……いるんですね。……知らなかった」
この衝撃はなんだろう。
なんか、嫌……。
何かって、何……?
ううん、何かなんて考えたくない……。
やっぱり私の頭はとても都合よくできているのだと思う。でも、今はそのことに感謝したい。
さっきツカサとした会話を思い出すことで、自分の中にある得体の知れない感情から意識を逸らすことに成功した。
ツカサが今、私を見ていることに意味があるとしたらこれだけ。
「ツカサ、ひどいっ。何も緊張してるからって、わたしのことを野菜扱いしなくてもいいじゃないっっっ」
ツカサはさっきこう言ったのだ。
「ステージに上がったら観客はみんなイモやカボチャ、そこらに転がってる野菜だと思えばいい」と。
ツカサはあんなステージングだってできちゃうけど、本当はとても緊張していて、会場に見つけた私を安心材料として使っているに違いない。
わからない感情と向き合うよりも、怒りの感情にすり替えてしまうほうが楽だった。
朝陽先輩に説明を求められ、ツカサとした会話を伝えると、朝陽先輩は肩を落とし、めったに見せない落胆を全身で表現する。
「……朝陽先輩?」
「ん? あ、歌終わったね。じゃ、下に戻ろうか」
明らかにはぐらかされた感はあったけれど、茜先輩が待っているから、それ以上は訊かずに奈落へ戻ることにした。
拍手や歓声が聞こえてくる。その真ん中に自分が立っているだなんて、なんだか信じられない。
歌っている最中はクラスメイトや生徒会メンバー、家族やいつも支えてくれる人たちのことを思い浮かべて歌っていた。ひとりひとりの顔を思い出しながら。
あとは自分を包む音に神経が集中していて、周りがまったく見えていなかった。
歓声ならライブが始まったときにも奈落で聞いていたし、茜先輩たちが歌い終わったときにも聞いた。でも、自分に向けられる歓声というのは初めて。
――初めて……? ううん、違う……。
この音はどこかで聞いたことがあると思うのだけど……。
「翠葉ちゃん」
隣に座る茜先輩から声をかけられ、内へ内へと向かっていた意識が逸れる。
「すごく良かったよ! 今までで一番!」
笑ってそう言ってくれているのに、私は違和感を覚えずにはいられなかった。
無理して笑っているわけではない。だって、茜先輩はとても「普通」に見えるから。
でも、その「普通」は、無理していない笑顔は、「演じている」というほうがしっくりきてしまうのだ。
演じているのだとしたら、なんのために?
その答えは出ないのに、「演じている」という直感には疑問を抱かなかった。
私の歌は茜先輩にも届いたかな。ちゃんと、届いていたらいいな……。
視線を正面に戻すと、さっき口にしたペットボトルに目が留まる。
それは歌っている間もずっと私の前に置かれていて、目を離したわけではない。
それならば、口をつけても問題ないだろう。
キャップを緩め一口水を含んだとき、会場がそれまでとは違う熱狂に包まれた。
主に女子が色めき立つ。
なんだろう、と思った次の瞬間には隣のスクエアステージで演奏が始まった。
そこに立っていたのはフォークソング部とツカサ。
前奏の間、ツカサは軽くリズムを取りながらマイクスタンドに右手をかけ、俯きがちに立っていた。
それだけで様になるって何……。
「ふふっ、司って何をやらせても結局はそつなくこなしちゃうのよね」
茜先輩に促され、昇降機まで移動する。
「見ていたいのはわかるけど、下に下りたら誰かが会場に連れていってくれると思うわ。だから、少し我慢してね」
茜先輩がインカムから合図を送ると昇降機はすぐに下がり始めた。
奈落では香乃子ちゃんが迎えてくれる。そして、茜先輩が言ったとおり、朝陽先輩が申し出てくれた。
モニターを指差しながら、「あれ、会場で見たくない?」と。
ちらり、とモニターに目をやり、朝陽先輩に視線を戻す。
「……いいんですか?」
「大丈夫。司のあとはフォークソング部のステージだし、ほかのときでも一曲通して見るのは難しくても、見たいなら誰かに付き添わせるよ。それとも、奈落にある大画面モニターのほうがいい?」
ううん、モニターじゃなくて、さっき見たみたいにそのままを見たい。
もう一度モニターに視線を戻したけれど、やっぱり無理、と思う。
ツカサの顔がしょっちゅう画面いっぱいに映るのだ。そんなものをまともに見ていられるわけがない。
私は首を振り、
「会場で生の音を聞きたいです」
「行っておいで。私は第四通路にいるから」
茜先輩は、さっき佐野くんが姿を消した通路へと向かって歩きだす。
第四通路は桜林館の観覧席へ上がる階段のほか、図書棟ともつながっているため、一般生徒の出入りは禁止されている。
警備員が観覧席と奈落の通路側に立つという厳重な警備体制が敷かれているのだ。
ただ、生徒会メンバーだけは緊急で図書室へ戻ることもあるため、特例が認められていた。
茜先輩に場所を提示してもらえたことでほんの少し安堵する。
香乃子ちゃんに渡された室内ブーツを履くと、私は朝陽先輩に連れられて奈落からダイレクトに会場へ伸びる階段を上がった。
会場に向かう途中、朝陽先輩に何枚かのカードを渡された。
「これ、司が歌う曲の歌詞カード。良かったらどうぞ。……でも、実際に歌を聴いたほうがいいよね。こんな司、めったに見られないし。次はないかもしれない」
朝陽先輩はとても機嫌が良さそうだった。
もっとも、機嫌の悪い朝陽先輩など一度も見たことがないけれど。
「……ツカサが歌うのはそんなに珍しいことなんですか?」
「そうだね。俺の知る限りじゃ中等部の音楽の時間が最後だったんじゃないかな? だいたいにして、あの男が人前でこういうことすると思う?」
「……思いません」
「でしょう? 音楽祭だって指揮者に逃れる人間だよ」
「それ、とってもツカサらしいです」
思わず笑みが零れる。
「さ、会場ですよ。姫君」
朝陽先輩の向こう側に会場が広がる。
外に出ると、中で聞いていたよりもダイレクトに音が耳に届いた。
音が、振動が、そのまま肌に伝ってくる。
間奏に入ると、ツカサはマイクスタンドを傾け後ろを向く。
……茜先輩が言ったとおりだ。ライブステージが提案されたときはあんなにも嫌がっていたのに、いざステージに立てばこんなことだってできてしまう。
もし、私に体調上の制約なかったとしても、私はステージの中央であんなふうには歌えない。マイクスタンドを小道具のように扱って、自分を見せるような演出はできない。
すごいな、と思う反面、なんでもできてちょっとずるいと思った。
間奏が終わると、ツカサはくるり、とこちらを向く。
目が合ったのは単なる偶然だと思った。ただ、会場にいる私の姿を見つけただけだと思ったのに、ツカサは視線を合わせたまま外そうとはしない。
……え? 何……? や、ちょっと待ってっ――
今日のツカサは存在自体が反則だってさっき話したばかりなのにっっっ。
どうしようっ!?
どうしても自分から視線を逸らすことができなかった。
大画面モニターから逃れて会場へ来たのに、これではなんの意味もない。
顔が熱くなるのはあっという間だった。
顔というよりは、身体中が熱い気がする。
「体調は大丈夫?」
突如耳元で聞こえた声にびっくりした。
「え? あっ、はいっ。大丈夫ですっ」
朝陽先輩の声がきっかけで、ツカサから視線を逸らすことができた。ついでに、妙に熱い頬に自分の手を当てて冷やす。
末端冷え性がこんなふうに役立つとは思いもしなかった。
「どうかした?」
どうか……?
どうかしたというか、ツカサが格好良くて困るというか……。
どうしよう……。なんて答えたら――
香乃子ちゃんには躊躇うことなく話せたけれど、朝陽先輩には言いづらい。
あ、そうだ……。
「これも、恋愛の歌ですか?」
歌詞カードは手元にあるけれど、それを見ている間に曲が終わってしまいそうで尋ねることにした。
朝陽先輩はにこりと笑って答えてくれた。
私が予想だにしない追加情報と共に。
「そうだね。今ごろ、意中の子のことでも思って歌っているんじゃないかな?」
意中の、子……?
「……それは、好きな人、という意味、ですか?」
「そう」
好きな、人――
「ツカサ、好きな人……いるんですね。……知らなかった」
この衝撃はなんだろう。
なんか、嫌……。
何かって、何……?
ううん、何かなんて考えたくない……。
やっぱり私の頭はとても都合よくできているのだと思う。でも、今はそのことに感謝したい。
さっきツカサとした会話を思い出すことで、自分の中にある得体の知れない感情から意識を逸らすことに成功した。
ツカサが今、私を見ていることに意味があるとしたらこれだけ。
「ツカサ、ひどいっ。何も緊張してるからって、わたしのことを野菜扱いしなくてもいいじゃないっっっ」
ツカサはさっきこう言ったのだ。
「ステージに上がったら観客はみんなイモやカボチャ、そこらに転がってる野菜だと思えばいい」と。
ツカサはあんなステージングだってできちゃうけど、本当はとても緊張していて、会場に見つけた私を安心材料として使っているに違いない。
わからない感情と向き合うよりも、怒りの感情にすり替えてしまうほうが楽だった。
朝陽先輩に説明を求められ、ツカサとした会話を伝えると、朝陽先輩は肩を落とし、めったに見せない落胆を全身で表現する。
「……朝陽先輩?」
「ん? あ、歌終わったね。じゃ、下に戻ろうか」
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