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第十三章 紅葉祭
08話
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正直、驚いている。ものすごく驚いている。でも、何に一番驚いているかというのなら、目の前にいる海斗くんに驚いている。
こんな海斗くんは今まで見たことがなかったから。
頭の中でいくつか確認事項を並べ、それらをゆっくりと口にした。
「それは、海斗くんもツカサも秋斗さんも湊先生も、みんな同じ?」
「え? あ……そうだけど?」
海斗くんは私の質問を意外なものを見るような顔で見た。
「……大変なんだね。すごく、大変なんだね」
ごめんね。気の利いたことが言えなくて。
でも、他人事とかそういうわけではなく、私とは違うものを抱えているんだなって思ったの。
私は体調を維持するうえでの制約がある。けど、海斗くんたちはその家に生まれたというだけで、こんなことに気をつけて生活しなくてはいけないのだ。
自分以外の人からもたらされるもので身の危険を考えなくちゃいけないなんて……。
四月からずっと――夏休み以外はずっと一緒にいたのに、今の今まで気づかなかった。
きっと、日常的に気をつけていることなのに、私は気づけなかった。
「大変っていうのはもうないかな」
海斗くんは肩を竦めて見せる。
「ほら、小さいころからの習慣だから、さすがに慣れた」
嘘だ……。全然慣れているように見えない。ものすごく、らしくない笑顔、だよ?
海斗くん、少し踏み込んでもいいかな……。
見られたくないのかもしれない。知られたくないのかもしれない。でも私は、今の本当の海斗くんを知りたい。
「……本当は、慣れてないよね? 顔がつらいって言ってる」
海斗くんは目を見開いた。
ごめんね。でも、素の海斗くんを見たかった。
これで十分。ありがとう……。
「教えてくれてありがとう。私と友達になってくれてありがとう。……言われたこと、気をつけるね」
海斗くんは少し口を開けた状態で、じっと私を見ている。
気分を害しちゃったかな……。
そうは思ったけれど、時計を見れば紅葉祭スタートまで三分を切っていた。
確認事項はもうひとつある。
今度は私から、少し強引に話を先へ進めた。
「今言われたことを気をつけるとしたら、ミネラルウォーターをあらかじめ何本か買っておかなくちゃいけないよね?」
数秒の間があったけれど、
「それなら大丈夫」
「え?」
「図書棟にもステージ下にも、俺たちが出入りする場所には必ず未開封のペットボトルが常備されてる。それは常に警備の人間が管理してるから問題ないんだ」
「……そうなのね? 良かった……私、この格好で今から自販機まで行かなくちゃいけないのかと思っちゃった」
この服装でクラスから出るのはかなり勇気がいるし、時間的にも厳しい気がしていたからとてもほっとした。
さっきから気づけば両手でワンピースの裾を引っ張っている。その手を止め、まだしわにはなっていないワンピースの生地を伸ばすようにさすった。
「翠葉さん」
「ん?」
海斗くんに視線を戻すと、
「ぎゅっ、てしてもいいですかね?」
真顔で訊かれて、「え?」と思う。
ぎゅってしてもいいですか、と訊かれた気がするけれど、ぎゅっとするというのは、ぎゅっ――?
「っていうか、するけどねっ」
次の瞬間にはガバ、と海斗くんに抱きしめられていた。
「えっ!? わわっ、海斗くんっ!?」
こういうのは慣れていない。どうしたらいいものかとあたふたしていると、すぐ近くから海斗くんの声がダイレクトに聞こえた。
「翠葉、俺も――俺も変わらないのかもしれない」
声が、震えている気がした。
それに気づいたら、慌てる気持ちが少し落ち着く。
「友達を作るのは怖いよ。大切な存在を作るのは怖い。自分がそれを守る自信もないのに手に持つのは怖い。そういう意味なら、翠葉の言う『怖い』は理解できなくない」
海斗くんは腕に少し力をこめた。
「……海斗くん、ありがとう。ありがとうね?」
中途半端に彷徨っていた腕を海斗くんの背に回す。
少し戸惑ったけど、でも、ここに留まってほしくて力をこめた。
遠くに行かないでね……。
「大丈夫だよ。……私は大丈夫だから、そんなつらそうな顔しないでね」
海斗くんの背に回した手でポンポン、と二回叩く。
蒼兄の「大丈夫」のおまじない。
「くっそ……普段弱っちく見えるくせに、こんなときは強いのな? ちょっとずりぃ……」
海斗くんの声が鼻声になった。
もしかしたら泣いているのかもしれない。
海斗くん聞いて……?
「海斗くんたちが教えてくれたんだよ」
「え?」
「踏み出す勇気、信じる勇気、支えあえる関係」
私ひとりではどうにもできなかったこと。
今ですら、危うい均衡を保っているだけにすぎない。それでも、「今」を維持できているのはみんなのおかげなの。
「怖いの……わかるって言ってくれてありがとう。でもね、踏み出した先には、信じた先には大好きな人たちがいたよ。だから、海斗くんもきっと大丈夫。ほら、私はここにいるでしょう?」
海斗くんの顔を見るために少し身体を離したら、海斗くんはポカンと口を開けていた。
やっぱり、背中じゃなくて頭かな?
そう思って膝立ちになると、海斗くんの頭のてっぺんが見えた。
いつもなら絶対に届かないその頭に手を伸ばし、いつも蒼兄にしてもらうようにポンポンと軽く叩いて満足する。
海斗くんが不思議そうな顔で見上げるから、「おまじない」とだけ答えた。
ふたり顔を見合わせて笑っていると、仕切りの向こう側から、
「ふたりとも、そろそろスタートだよー?」
河野くんの声だった。
「やっべ、表出ねーと……」
焦って立ち上がった海斗くんはやっぱり背が高くて私は見上げてしまう。
「背、やっぱり高いね? 海斗くんの頭のてっぺんなんてめったに見られないよ」
「くっ、何それ。俺の頭のてっぺんてそんなに貴重?」
「うん、貴重」
答えた瞬間、「あ――」と海斗くんがインカムに意識を移した。けれども、私には何も聞こえてこない。
不思議に思っていると、海斗くんはリモコン操作の末に、「今話したよ」と口にした。
個別通信、かな? 今話した、ということは相手はツカサ……?
すると、私のインカムにも電子音が流れ、リモコンのディスプレイに個別通信のチャンネルを伝える数字が表示されていた。
先ほど教えてもらったとおりにチャンネル設定をすると、ツカサの声が聞こえてきた。
『言うのが始まる直前で悪かった』
「……ツカサ、大丈夫。私は大丈夫だよ」
それだけを伝える。
『翠の大丈夫は――』
「ツカサ、ちょっと待って。私、最近は信用を下げるようなことをした覚えはないんだけどっ!?」
ほんの少し間があってから、
『そういえば、ここのところはないな』
答えと共にくつくつと笑う声も聞こえる。
『海斗、助かった』
「いや、なんつーかごめん。と、ありがと」
海斗くんが私を見て苦笑しながら話す。でも、会話の流れからすると私ではなくツカサに言った言葉だと思うの。
「ごめん」と「ありがとう」にはどんな意味があったのかな。
私が不思議に思うのと同時、インカムからは『は?』というツカサの声が聞こえた。海斗くんはその質問に答えず、
「いや、こっちの話。気にすんな。じゃーな!」
と、一方的に通信を切ってしまった。
こんな海斗くんは今まで見たことがなかったから。
頭の中でいくつか確認事項を並べ、それらをゆっくりと口にした。
「それは、海斗くんもツカサも秋斗さんも湊先生も、みんな同じ?」
「え? あ……そうだけど?」
海斗くんは私の質問を意外なものを見るような顔で見た。
「……大変なんだね。すごく、大変なんだね」
ごめんね。気の利いたことが言えなくて。
でも、他人事とかそういうわけではなく、私とは違うものを抱えているんだなって思ったの。
私は体調を維持するうえでの制約がある。けど、海斗くんたちはその家に生まれたというだけで、こんなことに気をつけて生活しなくてはいけないのだ。
自分以外の人からもたらされるもので身の危険を考えなくちゃいけないなんて……。
四月からずっと――夏休み以外はずっと一緒にいたのに、今の今まで気づかなかった。
きっと、日常的に気をつけていることなのに、私は気づけなかった。
「大変っていうのはもうないかな」
海斗くんは肩を竦めて見せる。
「ほら、小さいころからの習慣だから、さすがに慣れた」
嘘だ……。全然慣れているように見えない。ものすごく、らしくない笑顔、だよ?
海斗くん、少し踏み込んでもいいかな……。
見られたくないのかもしれない。知られたくないのかもしれない。でも私は、今の本当の海斗くんを知りたい。
「……本当は、慣れてないよね? 顔がつらいって言ってる」
海斗くんは目を見開いた。
ごめんね。でも、素の海斗くんを見たかった。
これで十分。ありがとう……。
「教えてくれてありがとう。私と友達になってくれてありがとう。……言われたこと、気をつけるね」
海斗くんは少し口を開けた状態で、じっと私を見ている。
気分を害しちゃったかな……。
そうは思ったけれど、時計を見れば紅葉祭スタートまで三分を切っていた。
確認事項はもうひとつある。
今度は私から、少し強引に話を先へ進めた。
「今言われたことを気をつけるとしたら、ミネラルウォーターをあらかじめ何本か買っておかなくちゃいけないよね?」
数秒の間があったけれど、
「それなら大丈夫」
「え?」
「図書棟にもステージ下にも、俺たちが出入りする場所には必ず未開封のペットボトルが常備されてる。それは常に警備の人間が管理してるから問題ないんだ」
「……そうなのね? 良かった……私、この格好で今から自販機まで行かなくちゃいけないのかと思っちゃった」
この服装でクラスから出るのはかなり勇気がいるし、時間的にも厳しい気がしていたからとてもほっとした。
さっきから気づけば両手でワンピースの裾を引っ張っている。その手を止め、まだしわにはなっていないワンピースの生地を伸ばすようにさすった。
「翠葉さん」
「ん?」
海斗くんに視線を戻すと、
「ぎゅっ、てしてもいいですかね?」
真顔で訊かれて、「え?」と思う。
ぎゅってしてもいいですか、と訊かれた気がするけれど、ぎゅっとするというのは、ぎゅっ――?
「っていうか、するけどねっ」
次の瞬間にはガバ、と海斗くんに抱きしめられていた。
「えっ!? わわっ、海斗くんっ!?」
こういうのは慣れていない。どうしたらいいものかとあたふたしていると、すぐ近くから海斗くんの声がダイレクトに聞こえた。
「翠葉、俺も――俺も変わらないのかもしれない」
声が、震えている気がした。
それに気づいたら、慌てる気持ちが少し落ち着く。
「友達を作るのは怖いよ。大切な存在を作るのは怖い。自分がそれを守る自信もないのに手に持つのは怖い。そういう意味なら、翠葉の言う『怖い』は理解できなくない」
海斗くんは腕に少し力をこめた。
「……海斗くん、ありがとう。ありがとうね?」
中途半端に彷徨っていた腕を海斗くんの背に回す。
少し戸惑ったけど、でも、ここに留まってほしくて力をこめた。
遠くに行かないでね……。
「大丈夫だよ。……私は大丈夫だから、そんなつらそうな顔しないでね」
海斗くんの背に回した手でポンポン、と二回叩く。
蒼兄の「大丈夫」のおまじない。
「くっそ……普段弱っちく見えるくせに、こんなときは強いのな? ちょっとずりぃ……」
海斗くんの声が鼻声になった。
もしかしたら泣いているのかもしれない。
海斗くん聞いて……?
「海斗くんたちが教えてくれたんだよ」
「え?」
「踏み出す勇気、信じる勇気、支えあえる関係」
私ひとりではどうにもできなかったこと。
今ですら、危うい均衡を保っているだけにすぎない。それでも、「今」を維持できているのはみんなのおかげなの。
「怖いの……わかるって言ってくれてありがとう。でもね、踏み出した先には、信じた先には大好きな人たちがいたよ。だから、海斗くんもきっと大丈夫。ほら、私はここにいるでしょう?」
海斗くんの顔を見るために少し身体を離したら、海斗くんはポカンと口を開けていた。
やっぱり、背中じゃなくて頭かな?
そう思って膝立ちになると、海斗くんの頭のてっぺんが見えた。
いつもなら絶対に届かないその頭に手を伸ばし、いつも蒼兄にしてもらうようにポンポンと軽く叩いて満足する。
海斗くんが不思議そうな顔で見上げるから、「おまじない」とだけ答えた。
ふたり顔を見合わせて笑っていると、仕切りの向こう側から、
「ふたりとも、そろそろスタートだよー?」
河野くんの声だった。
「やっべ、表出ねーと……」
焦って立ち上がった海斗くんはやっぱり背が高くて私は見上げてしまう。
「背、やっぱり高いね? 海斗くんの頭のてっぺんなんてめったに見られないよ」
「くっ、何それ。俺の頭のてっぺんてそんなに貴重?」
「うん、貴重」
答えた瞬間、「あ――」と海斗くんがインカムに意識を移した。けれども、私には何も聞こえてこない。
不思議に思っていると、海斗くんはリモコン操作の末に、「今話したよ」と口にした。
個別通信、かな? 今話した、ということは相手はツカサ……?
すると、私のインカムにも電子音が流れ、リモコンのディスプレイに個別通信のチャンネルを伝える数字が表示されていた。
先ほど教えてもらったとおりにチャンネル設定をすると、ツカサの声が聞こえてきた。
『言うのが始まる直前で悪かった』
「……ツカサ、大丈夫。私は大丈夫だよ」
それだけを伝える。
『翠の大丈夫は――』
「ツカサ、ちょっと待って。私、最近は信用を下げるようなことをした覚えはないんだけどっ!?」
ほんの少し間があってから、
『そういえば、ここのところはないな』
答えと共にくつくつと笑う声も聞こえる。
『海斗、助かった』
「いや、なんつーかごめん。と、ありがと」
海斗くんが私を見て苦笑しながら話す。でも、会話の流れからすると私ではなくツカサに言った言葉だと思うの。
「ごめん」と「ありがとう」にはどんな意味があったのかな。
私が不思議に思うのと同時、インカムからは『は?』というツカサの声が聞こえた。海斗くんはその質問に答えず、
「いや、こっちの話。気にすんな。じゃーな!」
と、一方的に通信を切ってしまった。
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