光のもとで1

葉野りるは

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18 Side 司 02話

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「笑っていたのに……」
 起案書を任せたら嬉しそうに笑っていたのに。
「感情の起伏が激しいみたいだね」
 秋兄が翠の顔を見下ろしながら口にする。
 感情の起伏なんて誰にでもある。要は、それをどのくらい己の力でコントロールできるか、だ。
 翠は考えていることがすぐ顔に出る。ある意味、ものすごくわかりやすい人間で、とても素直な人間だ。
 けれど、それだけではない。違う一面もある。
 抑えつけて抑えつけて抑えつけて――これでもか、というほどに抑えつけられた感情を持ってもいる。
 プレッシャーという意味ならば、俺や佐野、海斗にだってある。
 期待という重圧、それから己の中にある勝敗に対する恐怖心。俺たちはそれを抑えこんでいるわけではない。
 向き合うことで耐える力を習得し、練習や鍛錬を積むことで克服する。
 翠は力技で抑えることしか知らない。
 外が見えないように蓋をして、自分の知らない世界を見ずに今ある世界だけで満足できるように――そんな抑え方。
 むき出しになった感情を初めて俺が目にしたのは入院の説得に当たったときだった。
 否、片鱗程度なら、出逢ったその日に見ていたのかもしれない。
「……なるほどね」
 で、秋兄はそれを俺に教えてどうしたいわけ? 自分が頼られたとでも自慢したいとか?
 訊こうとしたら、秋兄がそっと翠に触れた。
「翠葉ちゃん、司が迎えに来たよ」
「……ん。……う……は?」
「……それ何語?」
 訊くと、パチパチと瞬きをした翠と目が合う。
「おはよう。よく眠れたようで何より。もう六時半だけどね」
 笑みを添えてゆっくり話すと、
「わ、嘘っっっ――」
 翠が飛び起きた。
 バカだ。こういうところ、学習能力がまったく生かされてなくて本当にバカだと思う。
 翠は焦点の定まらない状態で、反射的に何もない宙に手を伸ばす。
 その手を掴むと、翠の身体がぐらり、と俺の方へ傾いだ。
「いい加減学べ――いや、会得習得獲得制覇してこい、バカ」
「……ごめんなさい」
「つらいのは俺じゃないからいいけど……。三十分多く休憩取った分しっかり働いてもらう」
 翠はコクコクと頭を振った。
「阿呆、頭を振るな」
 右手でその動作を止めると、翠の視線は俺の腕時計に焦点を定めたようだ。
 突如、ムンクの叫びみたいな顔になる。
「本当に六時半っ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ。一生懸命やるから起案書取り上げないでっ? あ、それとも……もう作り終わっちゃった?」
 情けない目で俺を見て、いてもたってもいられない、というふうに俺の手をブンブンと振った。
「そんなに必死に請われなくたって取り上げたりしない」
「本当っ!?」
「本当」
「良かった……」
 ほっとした顔をしては、ソファの上であたふたしだす。
「次は何……」
 思わずこめかみを押さえたい衝動に駆られる。
 翠はこんなにも落ち着きのない人間だっただろうか。
「携帯……私、携帯、携帯がない」
 自分の周りや布団の中を捜索しだす。
「携帯はダイニングテーブルの上」
 秋兄がそう答えると、翠は真っ赤になって謝った。
 翠……その赤面の意味は?
 ただ、自分の失態が恥ずかしいだけ? それとも、それ以外――それ以上の理由があったりするのか……。
 記憶をなくす前もなくしたあとも、翠はいつだって秋兄の前でうろたえたり赤面したりする。
 その意味は前とあとで異なるものなのか、同じものなのか、俺にはわからない。
 頭の中に、「五十文字以内で簡潔に述べよ」という文章がテロップよろしく流れた。
 それが訊けたら苦労しない、と自分の脳内に文句を言う。
 翠はゆっくりと立ち上がり、ダイニングテーブルに置かれた携帯を取りに行く。と、
「秋斗さん、これ、ありがとうございますっ」
 テーブルに置かれた用紙を見て嬉しそうに笑った。
 置かれていたものはきっと起案書のフォーマット。
「どういたしまして。あとで生徒会のメールアドレスに送っておく。俺が学生時代に作ったフォーマットよりはいいんじゃない?」
 最後、意味深な目を秋兄に向けられた。
 それは、さっき引っかかった「何か」に通じるものがある。
 その「何か」を考えつつ部屋を出ようとしたところにインターホンが鳴った。
『茜です。プリンタのインクを取りにきました』
 秋兄がロックを解除すると、するり、と茜先輩が入ってくる。
 翠はすごい勢いで茜先輩に謝罪を始めた。
 三十分オーバーの休憩に対しての謝罪。
 茜先輩は一瞬呆気に取られたものの、
「いーよいーよ! 実は、もう三十分寝かせてあげてって言ったのは私だから。勝手にごめんね。でも、翠葉ちゃんはいっぱい計算してくれるからね」
 翠を抱きしめると茜先輩は俺に視線をよこし、「そういうことにしておいて」と唇を動かした。
 了解……。
「インクってこの箱でしたよね」
 茜先輩は窓際に置かれた箱まで行くと、ガサゴソとインクカートリッジを漁り始めた。
「翠、戻るよ」
「はいっ。秋斗さん、本当に……本当にありがとうございました」
「いいえ」
 秋兄は一度言葉を切り、再度口を開いた。
「あのさ、ふたりともどう思う? できることをやらないでいるのと、上限以上のことを無理してがんばりすぎちゃうの。……俺はどっちにも色々問題があると思うんだけど」
 秋兄は間違いなく俺と翠ふたりに向かってそれぞれの言葉を発した。
 翠は寝起きだからか瞬時に意味を理解できず、「え?」と首を傾げる。
 俺は思い当たる節がありすぎて、何も言うこともできなかった。
「ツカサ、おまえは俺が学生時代に作ったフォーマットよりもっといいものを作れただろ? なのにどうして作ろうとしなかった? 何も変える必要がないと思った? それとも――現状に満足しているから?」
 そう言った直後、翠には「いや、なんでもないよ」と笑顔を向けた。
 翠は少し戸惑った顔をしていた。そんな俺たちふたりに、
「ほら、仕事に戻った戻った」
 秋兄は部屋から出るように促した。

 作り直そうとしなかったわけ――やれるのにやらない自分。
 これはフォーマットがどうこうという話ではない。
 秋兄は暗に、「なぜ動かない?」と言ったんだ。
 うるさい……俺は俺で動いているつもり――……つもり、でいただけなのだろうか。
 前に秋兄に言われた言葉が頭をよぎる。
 ――「おまえが好きって口にしない限り、気づかない。そんなこと、司だってわかってるだろ?」。
 わかってる……嫌っていうくらいにはわかってる。
 じゃぁ、なんで俺は言わない?
 簾条にも言われた。翠が困るから、という理由は現時点では適応しないと。
 翠に異性として意識されたあとの反応が怖いから?
 以前、そんなことをまじまじと考えたことがあったか……。
 怖い、ね……。俺も翠と変わらないということか?
 今の関係を崩すのが怖い。だから言わない――言わないのではなく「言えない」。
 なるほど、俺は動かないどろこか逃げていたのか。
「動く」というのは言葉の意味そのままではない。行動そのものを指しているわけではなく、関係に対する「働きかけ」。
 秋兄は何を思って俺にそんな助言をした?
 以前なら余裕があるから、というのがもっともだったわけだけど、今は秋兄だって余裕なんてないはずで――……今だから?
 自分が動いたところで何も変わらないから俺に動けということか?
「ムカつくな……」
「ごめん。私、何かした? ……というか、ツカサは休憩取った?」
 隣の席でフォーマットと前例をいくつか見ながら作業していた翠が慌てだす。
「いや、翠に対して言ったわけじゃない。それから、休憩はもう取った」
「げ、じゃぁ何? ムカつくの対象って俺っ!?」
 優太がテーブルから身を引く。
「あぁ、そうかもな。ちょうど目の前にいたし」
 適当に答えただけだが、優太は濁点だらけの「すみません」を口にして平伏した。
 ゴツ、とそれはそれは結構いい音がしたわけだけど、
「優太、それ……愉快にも不愉快にも見える」
 顔を上げた優太は「本当にごめんなさい」と背筋を正し、作業を再開した。
 俺は――当然のようにここにいる。それは翠がいてもいなくても何も変わらなかっただろう。
 でも、こんな関係が当たり前のようにあったわけじゃない。何もかもが変わった。
 自分に変わるつもりがなくても、翠がこの学校へ来てからというもの、ずいぶんと色んなことが変わったんじゃないか、と今さらのように思い返す。
 主に変わったのは人付き合い。
 翠、どうしてくれる? こんなの予定外だ。
 翠が俺を変えたんだ。翠が、俺を取り巻く環境を変えた。
 俺だけじゃない。翠は秋兄も変えた。
 おまえ、何者だよ……。
 秋兄、俺はあれを助言とは受け取らない。でも、目を覚ますきっかけにはなったかもしれない――
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