光のもとで1

葉野りるは

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第十二章 自分のモノサシ

39話

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 お風呂から上がるころにはすっかり気持ちの切り替えが済んでいた。
 お風呂から上がったことをお母さんたちに伝え、自室に戻ってドレッサーの前に座る。
 顔に化粧水をつけて、ペチ、と軽く頬を叩き、鏡の中の自分に「負けるな」と言い聞かせた。
「髪の毛を乾かしたら九時半……」
 サイドテーブルに置いてある時計を確認してから髪の毛を乾かし始め、最後に柘植櫛で髪の毛を梳いたら完了。
 すぐにローテーブルに向かい黒いノートパソコンを立ち上げた。
 パソコンの横にはファックス用紙が置いてある。
 私の代わりに唯兄が取りに行ってくれたそれは、いつもと変わらず容赦ない枚数。枚数、というよりは束……。
 そのボリュームに一瞬思考停止しそうになる。
 でも、これでいい。こうでなくちゃだめ――
 いくら特別扱いの枠には入らないといわれても、特別扱いと言われない分量をこなせるくらいじゃないとだめ。
 人に文句を言われても、これだけのことをやっている、と言える自分にならないとだめ。
 ツカサは――みんなは、きっとそこまで見越してこの環境を整えてくれたのだ。
 ただ、ここで作業できるだけではなく、それ以上のものを用意してくれた。だから、それに応えたい。
 応えることで、今を乗り越えることで何か自分が変われる気がした。
「だからさ……」
「っ……!?」
 突如聞こえた声に顔を上げると、ツカサが目の前に座っていてびっくりした。
「いい加減、人が入ってきたことに気づける余裕くらい残しておけ」
 私を見ず、自分が持ってきたパソコンを立ち上げ始めるツカサを何事かと思ってしばらく見ていた。
「何……?」
 不機嫌そうに訊かれる。
「何って……どうしてツカサがパソコンを持ってきてるのかわからない」
 思わずファックス用紙を両手で持って守りの体勢に入ってしまう。
「今日、いつもより作業を始める時間が遅かったと思うけど?」
「だらか何?」
「滞ると困る」
「でも、これは私の仕事っ」
 ツカサでも譲らない――
「……ふーん。一応自覚はあったわけか。紅葉祭が終わったら辞めるとかほざいた人間だけど」
 険呑な視線を向けられる。
「――辞めない。辞めないよ」
 さっきの今で言っていることが正反対だから、大きな声では言えなかったけど、決心はしたの。
 胸元に引き寄せたファックス用紙を見たまま口にした言葉を、今度はツカサの目を見て言った。
「私、辞めたくないの。だから、辞めない。続ける。……正直、あの規約が特別じゃないとは思えない。それでも、規約扱いになるのなら、それに甘える。どれだけ仕事を振られても、全部こなすし自分が手をつけたものには責任をもつ。それができたら――そしたら、自分の自信にもつながる気がするから」
 ツカサは口端を上げ、
「いいんじゃない? ……だからといって、時間制限を解除するつもりはないけど」
 ツカサは自分のパソコンに視線を移す。
「だから、何やってるのっ!?」
 ツカサのパソコンを覗き込むとエクセルが立ち上がっていた。しかも、会計で使っているデータが反映されているエクセルだ。
「忘れてないと思うけど、十時半には締め出される。今から遅れた三十分取り戻す」
 あ――
「翠は再申請がかかってる分から手をつけろ。俺は収支報告を最後から確認していく」
「ありがとう……。でも――」
「基本、こんな手伝いをするつもりはない」
 本当にわかりづらい……でも、これがツカサの優しさ。
「ありがとう……」
「同じ会計に属する人間として礼を言われる覚えはないけど――そうだな、ひとつ貸しってことで」
 私から三分の一ほどのファックス用紙を取り上げると、シニカルな笑みを浮かべた。
 何度言うんだ、って言われてしまいそうだけど、もう一度「ありがとう」と言わずにはいられなかった。
 ツカサは呆れたような顔をしたけれど、それ以上は何も言わずに作業に取り掛かった。

「はい、そこまで」
 声をかけられたのは、ディスプレイに「GAME OVER」の文字が表示される数秒前だった。
 とてもきりのいいところで声をかけられた。
 もしかしたら、ツカサは自分の作業をとっくに終えていて、私の作業の進行状況を見ていたのかもしれない。
 ローテーブルから少し離れて息を吐き出すと、張り詰めていた神経が少し緩んだ。
 手を組み軽く伸びをすると、背筋が伸びて気持ちが良かった。
 そのまま後ろにコロンと寝転がってしまいたい気持ちを抑え、学校のかばんに手を伸ばす。と、その手をツカサに止められた。
「作業と勉強の間に休憩十分は入れろ」
 時間がもったいないと答えようとすると、「効率が下がる」という一言に口にすることさえ却下されてしまった。
「じゃ、お茶淹れてくる」
「翠は糖分を摂ること」
 それは暗にポカリを飲むように言われている気がしてならない。確かめるまでもなく、
「二倍希釈以上は認めない」
 釘を刺された。

 リビングには蒼兄と唯兄がいた。
 お母さんはピアノが置いてある部屋の間仕切りをして仕事をしているのだとか。
「どう?」
 唯兄に訊かれ、
「今日の分は少しだけツカサに手伝ってもらったけど、ほとんど明日に持ち越し分ない感じ」
「良かったね。で? 仲直りはできたの?」
 唯兄の問いかけにふと疑問が浮かぶ。 
 あれはケンカだったのだろうか。
「あれ? どの辺に悩む要素あった?」
 顔を覗きこまれ、
「私、唯兄に何か話したっけ?」
「何も聞いてないけど。でも、何かあったとしたら彼がらみかな、と思っただけ」
 唯兄はにこりと笑うけど、私はどうしたことかどんどん頬が熱を持っていく。
「リィ、顔真っ赤」
「のっ、飲み物用意しなくちゃっっっ」
 私は逃げるようにキッチンに駆け込み、食器棚の前に座り込む。
 なんで、どうして……どうして赤面しなくちゃいけないんだろう。
「どうしよう、これじゃ部屋に戻れないよ……」
 困っていると、業務用冷蔵庫が視界に入った。
 私はのそのそと冷蔵庫の前へ移動し、冷蔵庫に頬をつけた。
「……冷たい」
 少し落ち着いてから立ち上がり、冷蔵庫を開けてペットボトルを取り出す。
 ちょっと悔しいから、ツカサの分もお茶じゃなくて同じポカリにしてしまおう。でも、嫌がらせにすらならないのがまた悔しい……。
 自分の分はきっちり二倍に希釈した。
 トレイに乗せて部屋の前まで来て気づいたこと。
「私、両手塞がってる……」
 ノックしようにもできない。
 すると、内側からドアが開いた。
「何やってるんだか……」
「……どうしてわかったの?」
 足音? 気配? それとも念?
「戻ってくるのが遅いと思っただけ」
 なるほど……。
「で、俺もポカリなのは嫌みのつもり?」
「……嫌みというか、嫌がらせにすらならない事実には入れている最中に気づいたよ」
「ふーん」
「あ、私のはちゃんときっちり二倍希釈だからねっ?」
「別に何も言ってないけど?」
「言われる気がしたから?」
「そこまで突っ込むつもりはない。御園生さんじゃあるまいし……」
 ツカサは受け取ったグラスをそのまま口元へ運び、一口飲むと喉がごくりと動いた。
 ただそれだけなのに目が離せないってなんだろう……。
「何……?」
「えっ、あ――喉仏だなってっっっ」
 ……わわわ、私何言ってるんだろうっ!?
 ツカサは自分の喉元に触れ、
「別に珍しいものじゃないと思うけど?」
「うん、そうだよねっ、珍しくないよねっ。蒼兄にも唯兄にもあるしっ」
 冷静になろう、冷静に冷静に冷静に――
 ラグに座り、教科書とノートを目の前にして頭の中からツカサを追い出す。
 ツカサを追い出すことには成功したけれど、今度は違うものが浮上した。
 全部やりたい――全部、全部……。
 生徒会に残る道は作ってもらえても、生徒会に残り続けるためには成績をキープしなくてはいけない。
 仕事をクリアできるか以前に勉強をがんばらないと……。
 成績が落ちたら強制的に除外される。そんな形で脱会するのはもっと嫌――
「今度は何?」
 その声にはっとして顔を上げる。
「だからさ、同じ部屋に自分以外の人間がいること忘れないでほしいんだけど……」
「ごめん」
 今日、二度目だ。しかもこの短時間で……。
「わからないところ、教えてね……。成績だけはどうしても落としたくないから」
「そんな手伝いならいくらでも? ただし、容赦手加減一切しないけど」
 口端を上げて言う様がとてもツカサらしいと思った。
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