光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
655 / 1,060
第十二章 自分のモノサシ

33話

しおりを挟む
 時計を見れば、すでに五時半を回っていた。
 唯兄に電話をかけると、
『ただいまっ! 待ってられなくて唯と一緒に迎えに来ちゃった』
「お母さん……?」
『駐車場にいるからゆっくりいらっしゃい」
 そう言われて通話を切る。
 逸る気持ちを抑えて駐車場へ行くと、そこにはやっぱり湊先生の車が停まっているわけで、お母さんは後部座席から手を振っていた。
 毎日のようにディスプレイ越しに話をしていたのに、会うことがものすごく久しぶりな気がして「おかえりなさい」を言うまでに少し時間がかかってしまった。
 お母さんはにこりと笑って「ただいま」と言う。とても元気で張りのある声で。
 その声を聞き笑顔を見て、やっと自分の足が地に着いた気がした。
 どうしてかわからないけれど、とてもほっとした。
「でも、『おかえり』を言うのは私のはずなんだけど?」
「あ……」
 思わず顔を見合わせて笑う。
「リィも後ろに乗ったら?」
「うん、ありがとう」
 唯兄の勧めもあり、助手席ではなく後部座席に座った。
「じゃ、唯? 安全運転でお願いね! 美しいお母様とかわいい妹君が乗ってるんだから!」
「う゛……急に車が重くなった気がする。あっ、ハンドルが重くて動かないっ!」
「なーに言ってるのよ。ラパンならうちのりっちゃんだってサクサクハンドル捌くわよ!」
「だって俺、そこらの女よりも女の子らしいものっ! 料理洗濯掃除オールクリア! いつでもお嫁に行けるよっ!」
「ぷっ……それは言えてる。今度唯を女装させたいわね」
「げっ、碧さん、それ冗談で言ってないでしょっ!?」
「当たり前じゃないっ! 思い切りかわいく仕上げてあげるわよ?」
「俺だけ女装なんてずるいよ。そのときはぜひあんちゃんも道連れに」
「えー? 蒼樹の女装なんてつまらないわよ。だって、あの身長で女装されてもね?」
 唯兄とお母さんは終始そんな会話をしていて、私は呆気に取られていたのだけど、途中から耐えられないくらいおかしくなって声を立てて笑った。
 三人とも、数分間の道のりをずっと笑いながら話していた。
「ほい、マンション到着! ってことで、リィは碧さんとここで降りちゃいな。俺、女装したらそこらの女の子に負けないくらいかわいくても、一応紳士だからね!」
 満面の笑みで紳士を強調しながらロータリーで降ろしてくれた。
「ゆ、唯兄っ」
「ん?」
「あのね、唯兄は中性的に見えるけど、でも、すごく格好いいと思うっ」
 直後、私の肩にお母さんの手がかかり、お母さんはお腹を抱えて笑い出した。そして唯兄も吹きだす。
「え? どうして……?」
「リィ、ありがと。でも、大丈夫。俺、ちゃんと自分が格好いいってこともちゃんと知ってるから。俺とリィが手ぇつないで街中歩いたら視線ふたり占めだよ?」
 視線ふたり占め……?
 それはおかしい。ひとり占めの間違いだと思う。

 エントランスでは高崎さんが出迎えてくれた。
 高崎さんは「ちょっと待ってね」とカフェフロアの方へ視線を移す。
 そこには髪の毛をセンターで分け、顎のラインで切りそろえた女の人が紙を手に何かのチェックをしていた。
「今、お姉が振り分け作業してるんだけど……」
 高崎さんは苦笑いで言葉を濁す。
「あ、収支報告のファックスですか?」
「そう。あれ、俺と空太の姉。要領はいいんだけど、何分ドジっ子体質でねぇ……」
 高崎さんと空太くんのお姉さん……?
「お母さん、すぐに上がるから、先に帰ってて?」
「じゃ、かばんだけ預かるわ」
「ありがとう」
 お母さんの背を見送ると、高崎さんに「ごめんね」と言われた。
「え……?」
 咄嗟に振り返ったけれど、高崎さんが申し訳なさそうな顔をしている意味がわからない。
「私は高崎さんがフロントにいたら『ありがとう』を伝えたかったんですけど……?」
 今度は高崎さんが不思議そうに訊き返してくる。
「昨日、学校から届いたファックスの仕分けをしていただいていたので……。それから、一番後ろにあった用紙に書かれた言葉がとても嬉しかったので」
 高崎さんは少し驚いた顔をしてから、ふ、と笑みを浮かべた。
 人の優しさや思いやりは心にしみる。その優しさを痛いとはもう感じない。
 ただただ、心があたたかくなる。
「今日もその予定だったんだけど……」
 と、高崎さんは再度カフェフロアへと視線を向け、私の背中に手を添え、そちらへ行くようにと促した。
「お姉、こちら御園生翠葉ちゃん。蒼樹の妹さんだよ。で、こっちが俺と空太の姉の里実さとみ
「わっ! 実物本物っ!?」
 飛びつく勢いで見られ、ほんの少し身を引く。
「蒼樹くんが溺愛するのも頷けるわぁ……。写真すら見せてくれなかったんだから! でも、これじゃお嫁に出せないわねぇ……」
 テンションが高いかと思えばため息をついたり、なんだかとても表情が豊かな人だ。
「初めまして、御園生翠葉です。あ……えと、蒼兄ともお知り合いなんですか?」
「あ、ごめん。挨拶が先だよね。高崎里実です。いつも弟たちがお世話になってます」
「いえっ、あの、お世話になってるのは私のほうでっ――」
 里実さんはにこりと笑った。
「質問の答えなんだけどね、蒼樹くんはひとつ下の後輩なの。で、生徒会では二年間一緒だったよ」
 年上の人に失礼かもしれないけれど、里実さんは笑うととても幼く見える。
 無表情でプリントに向かっていたときとは別人のように見えた。
「お姉は書記で書類整理が主な仕事だったけど、要領いいくせにたまにあり得ないポカをするんだ。そのサポートをしてくれていたのが生徒会で一番仕事量の多い会計だった蒼樹」
「ひっどいなぁ……ま、本当のことなんだけどね」
「……高崎さんも生徒会だったんですか?」
 里実さんへ向けていた身体をくるり、と反転させ高崎さんを見上げる。
「違うよ。俺は万年風紀委員。俺の代わりに鈴代環(すずしろたまき)ってやつが生徒会にいたよ。環は今でも大学院で蒼樹と一緒のはず。聞いたことない?」
「ないです……」
 私は蒼兄の学校のお話をほとんど聞いたことがない。
 レポートが大変とか学会とか教授の講演とか、そういった話しか聞いたことがなく、友人関係に関しては秋斗さんと高崎さんしか知らなかった。
「そういえば、前にそんな話をしたよね。蒼樹の学生時代の話をしようって」
「はいっ」
 つい……本当につい――勢い良く返事をしてしまったら、高崎さんと里実さんに笑われた。
「蒼樹くんの妹らぶっぷりも相当なものだったけど、翠葉ちゃんもお兄ちゃんらぶか」
「……はい、大好きです」
 少し恥ずかしくて俯いて答えると、
「私も妹が欲しかったよー」
「今は琴がいるんだからいいでしょ? それよりそれ、並べ直せたの?」
「今、自己最終チェック中」
 テーブルの上に視線を戻す。と、里実さんが手にしていたのは収支報告書と申請書のプリントだった。
「ごめんね。これ、葵が振り分け済みだったのに、私がぶちまけちゃったの」
 なるほど……ドジっ子さんとはこういうことか。
「葵、ダブルチェック!」
「了解」
 葵さんは一通り目を通し、一番最後にテーブルでトントン、と端を合わせてダブルクリップで留めた。
「翠葉ちゃん、お待たせ。これで大丈夫だよ」
 手渡された紙の厚みに驚きつつ、ふたりにお礼を言って浅めに頭を下げた。
 そこへ唯兄が来て、
「リィの声がすると思ったら、まだいたの? あ、里実さん発見」
「え? 若槻さん? 何っ!? とうとうオーナーの巣の住民になっちゃいましたっ!?」
 あ、れ……? ここも面識あり?
「まぁ、そんなとこです」
 唯兄は私を見て、
「里実さんは陶芸作家でね、作品の販売や展示をウィステリアグループが斡旋してるんだ。で、広報部の人間と打ち合わせしていた里実さんが、コーヒーカップを落として割ったときに俺の足にかかった、というのが初対面でしたよね」
 唯兄がにこりと笑うと、
「若槻さ~ん……そこまで詳細に話さなくてもいいじゃないですか。その節はご迷惑おかけしました」
 そんなふたりのやり取りに高崎さんが割って入った。
「お姉はそろそろ家へ帰って夕飯作らなくちゃでしょ? 翠葉ちゃんもそろそろ帰ったほうがいい」
「あ、はい。里実さん、高崎さんありがとうございました」
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

家政婦さんは同級生のメイド女子高生

coche
青春
祖母から習った家事で主婦力抜群の女子高生、彩香(さいか)。高校入学と同時に小説家の家で家政婦のアルバイトを始めた。実はその家は・・・彩香たちの成長を描く青春ラブコメです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...