光のもとで1

葉野りるは

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第十二章 自分のモノサシ

26話

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 私が起きたのは五時を回ってからだった。
 途中、何度か意識は浮上したけれど、瞼の向こうに光を感じはするものの、目は開けずにそのままお布団をかぶりなおしていた。
 そんなことを繰り返していたら、あっという間に夕方になってしまったのだ。
 ふと気づけば、抱き枕よろしく腕の中に閉じ込めていたラヴィに寝癖のような癖がついていた。
 ふさふさしていた毛が、ペタ、としてしまっている。
 さらにはそのペタっとしたところを手で撫でているのだから、このあと根元から毛が立ち上がってくれるのかは非常に怪しい。
 ただ、毛並みが気持ちよかったのと何かに触れていたくて、ずっと撫でる動作を繰り返していた。
 ポーチで音がして、すぐに玄関のドアが開く。
「栞さん、色々とすみませんでした」
 廊下で蒼兄の控え目な声が聞こえる。
「いいのよ。翠葉ちゃんどう? 寝てるようならそろそろ起こしましょう。水分も摂ってもらいたいし」
 小さなノック音が聞こえてドアが開いた。
 照明の点いていなかった部屋が明るくなる。
「おはよう。夕飯、これから作るんだけど何か食べたいものはある?」
 栞さんに訊かれて、ほぼ反射的に首を振った。
「栞さん、今日はいいです」
 断わったのは栞さんの背後にいた蒼兄。
「唯が昼に煮込みうどんを作ったんですけど、まだたんまりと汁が残ってますから」
「あら、そう……? じゃ、起きて少し水分摂りましょう?」
「はい……」
「じゃ、ちょっと待っててね」
 五分ほどして戻ってきた栞さんは、トレイに三つのカップを載せていた。
「蒼くんもたまには一緒に葛湯飲みましょう? 甘さは控え目にしてあるわ」
 トレイをローテーブルに置くと身体を起こすのに手を貸してくれ、すかさず背中に枕を入れてくれる。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
 栞さんはいつもと同じように接してくれるけれど、私はいつもと同じように会話ができなくて、蒼兄も同じなのか、なんだかとても気まずい空気だった。
「蒼くんも翠葉ちゃんも、今日のことはもう終わり。これで引け目を感じて幸倉に戻られたりしたらたまらないわ」
 栞さんが困った顔をして言う。
「翠葉ちゃんの体調が少しでも安定してくれるのが私の願い。だからがんばろう?」
「……はい」
「蒼くんも、ひとりで背負おうとしないこと。いい?」
「……はい」
「さっき碧さんから連絡があったの。二十一日に帰ってこられるみたいよ」
 二十一日火曜日――
「わっ、お父さんの誕生日っ」
「げっ、父さんの誕生日っ」
「え……? 何?」
「……あの、二十日がお父さんの誕生日で、だからお母さんはその翌日に帰ってくるんだと思います」
「あら、そうなのね? それは零樹さん、ひとりで現場じゃ寂しいものね」
 栞さんは肩を震わせて笑った。
「蒼兄……私、何もプレゼント用意してないんだけど、どうしよう……」
「大丈夫だ、俺も用意してない」
 それ、全然大丈夫じゃないよ……。
「唯にいたっては誕生日だってことを知らないんじゃないか?」
 私たち、子どもとして、家族として大丈夫なんだろうか……。
「あとで唯が帰ってきたら三人で悩もう。いっそのこと、父さんが帰ってくるまでのお楽しみ、って手もある」
 そんな結論のもと葛湯は飲み終わり、片づけを蒼兄が買って出ると、
「明日は昇を送り出したらゲストルームに来るからね」
 栞さんはそう言い残して自宅へと帰っていった。
 それと入れ違いで唯兄が帰ってくる。
「ただいまー! 」
 元気にドアを入ってきては、「はい、プレゼント」と唯兄の後ろから入ってきたツカサを指差した。
 え……? どうしてツカサ……?
「唯、どこに行ってたんだ?」
「学校! ちょっとあれこれいじってきた。あぁ、秋斗さんの了解も得てるから大丈夫だよ。それに彼が悪さをさせてはくれなくてね、正規ルート通してるからご心配なく」
 唯兄の話していることがまったく理解できない。
「今日の夕飯も煮込みうどんでいいよね? あ、司っちも食べていくでしょ?」
「司っち」と呼ばれた瞬間、ツカサの眉間にしわが寄ったのは見間違いではないと思う。
 でも、ツカサは澄ました顔で「ご馳走になります」と答えた。
「じゃ、あとは司っちに任せて俺らは退散退散!」
 蒼兄は唯兄に背を押されるようにして部屋から出ていった。
 ご丁寧にもドアをバタン、と閉めて。

 今、私の頭は「どうしよう!?」で埋めつくされている。
 唯兄がどうして学校へ行ったのかも知らなければ、ツカサと一緒に帰ってくる理由など、見当もつかないのだ。
 それに、今日休んだ理由をツカサに訊かれたら、なんと答えたらいいものか。
 でも、相談をするためにはそこから話さないといけない気がするし、話したら話したでものすごく怒られる気がする。怒られる、よりは呆れられてしまいそうだ。
 もう何度も怒られているし、何度も呆れられているけれど、今回のこれはなんだかちょっと――すごく言いづらい。
「……ひとつ確認」
 来た――絶対に訊かれる。
「翠は今、生徒会を続けたくて悩んでる? それとも、やめるのになんて言い出したらいいかで悩んでる? どっち?」
 え……? どういうこと……?
「答えは?」
「……相談をしたかったの。せめて、紅葉祭が終わるまでは生徒会を続けたいけど――でも、どうしたらいいのかわからなくて」
 前振りなしに相談そのものを話すことができた。
「なら良かった。このパソコン、学校のネットワークと連携してもらった。リトルバンクの情報も全部上がってくる」
 ツカサが手に持っていたのは、唯兄が出かけるとき手にしていた小さなノートパソコン。
 ツカサはパソコンを起動させると、かばんの中からファイルを取り出した。
 差し出されたファイルには収支報告書が入っている。
「机上でできる会計の仕事をここでできるようにした。会計の総元締めを翠に任せる。異論は?」
「嘘」と声にはならない声を発すると、
「引き返すなら今のうち」
「……本当に?」
「嘘でこんな大掛かりなことはしない。だから、先に確認を取るべきだった」
 あ――
「連絡回線に音声通話のIDも取得済み。今、学校とつながってる。はい、どうぞ」
 くるり、とノートパソコンを向けられイヤホンマイクを渡された。
 ディスプレイには茜先輩が映っていた。
『翠葉ちゃん、覚えてるかな? 覚えてないかな? 私たちは翠葉ちゃんの身体のこともわかっていて生徒会に来てほしいって言ったのよ? 就任式のときにも言ったわ。翠葉ちゃんが学校へ来れなくても私たちが行けば済むことって』
 茜先輩がイヤホンマイクを外し、朝陽先輩へ渡す。
 朝陽先輩はそれを装着はせず、マイクとしてのみ使っていた。
『でも、さすがに行き来するのは時間と手間がかかるからね。文明の利器を駆使することにしたんだ。音声通話って便利だよね』
 また人が変わる。
『翠葉ちゃん、会計の仕事任せたよ。大部分がそっちに振られてる。その分、俺とツカサはこれから増えてくるイレギュラーなものの対応要員に回る』
 優太先輩だった。
 みんな同じようにイヤホンマイクを耳にセットしない。私が何も言わずに聞いているのがわかるのだろうか……。
 ――あ、そっか……。
 私にはみんなが見えているけど、みんなには私が見えているのだ。
 思わず半開きになっていた口元を押さえる。
『翠葉っ? 歌は翠葉にしか歌えないんだからね? さすがにあの分量は茜先輩ひとりじゃカバーしきれないよ。そこは責任持ちなよ!』
 嵐子先輩の次には久先輩が控えていた。
『歌合せのスケジュールも問題なく変更できたから。火曜日木曜日は午後の授業が終わったらすぐに合わせ。それが終わったら翠葉ちゃんは帰宅。で、自宅で会計の仕事してね。調整済みのスケジュール表は司に渡してあるから』
「これ」
 ツカサがファイルの一番最後を開いた。
「もともと四時から七時までは歌合せのスケジュールになっていた。その枠の中で翠の順番を一番最初に持ってきただけだから、文化部側では歌合せに来る人間の順番が変わっただけで、何か大きく変更があるわけじゃない。土日のみ、調整なしのままになってる」
 プリントを見ていると、「翠葉」と桃華さんの声が聞こえてきた。
 ディスプレイに視線を戻すと、苦笑いを浮かべる桃華さんが映っていた。
『ここに私がいる意味を忘れないで? 翠葉がマンションで会計の仕事をしていたら私には翠葉の代わりなんてできないけれど、それでも……私がクラス委員と生徒会を兼任しているのは翠葉と一緒に過ごすためよ?』
 思わず涙が滲む。
『御園生さん? そっちに振られてる仕事量半端ないから、たまには司先輩派遣するよ! 派遣要請は漣まで! あ、なんだったら俺が行くし!』
『そうそう、とりあえず、明日からの申請書や収支報告は全部マンションのコンシェルジュのもとにファックスで届くから、マンションに帰ってきたらフロントで受け取ってね。司はそっちに帰ってんだから、溜まってきたら手伝ってもらえよ? なんだったら俺も手伝いに行くしっ!』
 海斗くんがすごく必死に伝えてくれる。
『海斗、たぶん、それもあまりない気がする……』
 声が少し遠いけれど、話の内容で誰が話しているのかがわかる。声をかけたのは優太先輩だ。
『翠葉ちゃんさ、ここにいるときはだいぶ人の声を耳に入れるようになっていて、全力で集計作業してなかったと思うんだ。それに、嵐子がやらなくちゃいけないファイリング、司が手ぇ放せないときは翠葉ちゃんがやってたし……』
『げっ――それであの集計速度なのっ!?』
 今の声はきっとサザナミくん……。
『そっ。だから、誰にも邪魔されない環境があったらもっと速いと思う。俺はそれを見たい気もするけどね』
 涼やかな目がディスプレイを通して飛んできた。
「……どう? これが俺たちのやり方」
 そう言ったツカサは、今までに見たことがないような顔で笑っていた。
 満足そうに、とても誇らしげに――
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