光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
645 / 1,060
第十二章 自分のモノサシ

23話

しおりを挟む
 バンッッッ――
 先生が手に持っていたファイルを床に叩き落した。
 病室に大きな音の余韻だけが残る。
「いいか? あれを飲むことでどんな変化があったか教えてやる。血圧の上昇、体温はもともとCFSの症状で微熱だったからとくに数値変化はなし。浅い睡眠に頻脈の多発。効果が切れたときの血圧低下。そのくらいはそのバイタル装置が知らせてくれる」
 言われたことには覚えがあった。
「おまえは慢性疲労症候群を知っているくせに、『過労』を知らねぇのか? その先に待っているものは『過労死』――不整脈による突然死だぞ」
「っ……!?」
「ピルケースにβ遮断剤が多めに入っているってことは、おまえも頻脈には気づいているからだな?」
 コクリと頷く。
 動いている分なのか、眠りが浅いからなのか、ここのところ頻脈発作が起こることが多く、それをすべて薬で抑えていた。
 誰にも知られなくなかったから、発作が始まるとすぐに席を外してトイレで薬を飲んでいた。
 薬が効くまでしばらく個室にいた。薬が効けばなんとかなっていた。
 蒼兄から一度だけ電話がかかってきて、大丈夫か訊かれたことがあるけれど、薬で対応ができる範囲内であることを伝えたら、以来何を言われることもなかった。
 でも――先生がもう飲むなと言ったその一錠がなかったら、私は今の生活を続けられない。紅葉祭の準備や歌の練習なんて続けられない。
 なのに――どうしてわかってくれないのっ!? なんでわかってくれないのっ!?
 零れ落ちる涙を止めることなんてできない。
 だって、先生にだめと言われてもやめたくない。飲み続けたいと思っちゃうんだもの。
 何かをやりたいと思うことはそんなにいけないことなのっ!? その一錠がありさえすればできるのにっ。
「スイハ……あのな、ひとつ何かできたらまずはそれに満足することを覚えろや。起案書、任されて嬉しかったんだろ? 達成感があったんだろ? なら、それをちゃんと味わえ。ひとつ何かができたあとはいつものラインまで行動範囲を落とす。それができるなら滋養強壮剤だって認めてやれる。ただし、それができないなら今後一切飲むな」
「でもっ、起案書だって最後まで作れたわけじゃないっ。清書するところまでやりたかったっ。下書きで終わりになんてしたくなかったっ」
「……俺らも待ってたんだ。あんなの飲み始めたらすぐにばれんだよ。みんな気づいていながら四日間指くわえて待ってたんだ。おまえの身体がボロボロになるのを遠隔装置で見ながらなっ。おまえはまたあんな痛みを感じたいのかっ!? また入院したいのかっ!? また留年したのかっ!? あ゛ぁっっっ!?」
 どうして、どうしてそんなこと言うの……? ただ、人と同じように行動したかっただけなのに……。
 あれを飲みさえすれば、人と一緒に動けたのに。どうしてだめなのっっっ!?
「俺は冗談じゃねぇぞ……。あんなに痛がるスイハを見たいなんて思わねぇ」
「私だって好きで痛いんじゃないっっっ。好きでこんな身体なんじゃないっっっ」
「じゃぁ逆戻りするような行動は慎めって言ってんだっ。おまえが持ってる身体はそれひとつなんだよっ。それをおまえが大事にしてやらないでどうするっ!?」
 どうして、どうして、どうして、どうして――
「スイハ、あぁいう代物は健康な人間が飲むことだって俺は勧めない。社会人には責任てものが圧し掛かるから時と場合により服用してもいいだろう。でもな、自分の力以上をずっと出し続けることは、人間って生き物には無理なんだ。それは身体が丈夫だろうが丈夫じゃなかろうが、その理屈は変わらない。疲労ってのは誰にでも起こる」
「……でも、あれを飲んでいたらいつもよりは動けるのに」
「そのあとは? ……おまえ、あれをいつまで飲み続けるつもりだ?」
 いつ、まで――?
「あれは特効薬でもなんでもない。その場しのぎに使うもんだ。おまえの今回の使い方は正しくない」
「でもっ、一日の服用量は守ってたっ」
「そういう問題じゃない。毎日飲むものじゃないって言ってるんだ」
「でも、唯兄はよく飲んでるっ」
「じゃぁ、あとで俺が二号に直接言ってやるよ。バーカってな」
 先生は本気で嘲るように笑った。でも、すぐに真剣な表情に戻り訊かれる。
「痛いからってモルヒネまがいの静注を続けていたらどうなる?」
「……廃人になる」
「今回おまえが飲み続けていたもの、これだって変わらない。その場を凌げても、確実におまえの身体を蝕む。そういうアイテムなんだよ。以前、お姫さんが一度だけこの手のものを飲ませたことがあると言っていた。そのとき、お姫さんはなんて言った? 覚えてないか?」
 いつ飲んだのかすらわからない。
 今回これを飲むきっかけになったのはキッチンに置いてあったからで、「滋養強壮剤」と書かれていたから。
 でも、その言葉をいつかどこかで聞いたことはある気がする……。
「なくした記憶の一部になってるってこったな。じゃぁ、いい。お姫さんが言ったことを教えてやる。『本来は飲ませるべきものじゃない。でも今日は特別』。そう言って飲ませたそうだ。スイハの体調が思わしくなく、それでも取りやめにはしたくない予定があった。だから、そのときにだけ仕方なく飲ませた」
 そんなこと言われても――
 私は……私は、みんなが持っているような十の力が欲しいっ。
「思ってること、全部吐いちまえ」
「やだっ。どんどん自分が惨めになっていく」
「いいから吐けっっっ」
 真正面から怒鳴られた。
 入院中もあれこれ言い合いみたいなことはしてきたけれど、こんなふうに怒鳴られたのは初めてだった。
 大声には慣れていないし身が竦む。
 でも、今私の中には間違いなく怒りや不満といった感情がある。むしろ、それしかない。
「やだっっっ、なんでこんなに醜い感情を人に見せなくちゃいけないのっ!?」
「必要だからだ」
「やだっっっ」
「じゃぁ、俺を人と思うな。刷毛口上等」
 何よそれ――
「ほら、文句あんだろ? とっとと言えや」
 先生はどんどん柄が悪くなっていく。ドスの利いた声に、目つきだってより悪くなる。
 なのに、私には怖いという感情は生まれず、どちらかというならむかついていた。
 先生に対してむかついているのかはわからない。でも、この感情が「不満」であることはわかる。
「不満ってのはな、隠そうとしても表に出るもんだ。おまえがどんなに醜い部分を見せたくなくて隠そうとしていても、見えるやつには見えんだよっ」
「っ――な……どうして――」
 もう、やだっっっ。
「どうして私はこんなに制限されなくちゃいけないのっ!? どうしてみんながしていることと同じにはできないのっ!? どうして無理しちゃいけないのっ!? ねぇっっっ、どうしてっっっ!? どうしてがんばれるところまでがんばっちゃいけないのっ!? 全力投球って言葉があるのに、どうして私はそれをさせてもらえないのっ!?」
 最後は先生に掴みかかっていた。
 涙が流れるのも髪の毛が頬に張り付くのも、どうでもよかった。
 こういうの、やだよ……。
 できることならずっと蓋をしておきたかった。人になんて見せたくなかった。
 自分のことも騙せていられたらよかったのに……。
 ねぇ、先生、知ってる? この感情はマグマなんだよ。
 本当は火山口なんて開いてほしくなかったのに――
「それはおまえが一番よく知ってるだろ?」
「――知ってる……。嫌っていうくらい知ってる。でも、知っているからといって、わかっているからといって、それで何もかも納得してるわけじゃないし、納得できるわけじゃないっっっ」
「……そうだな。俺ら医者はおまえが納得するような答えは出してやれねぇ」
 そんなのひどい……。
 こんな感情と向き合わせたくせに、結局私が納得できる答えなんてないんじゃない。
「それでも、だ。少しずつでもわかってもらわないと困る」
 そんなことだって知ってる。
 自分が無理をするだけでどれだけ人に迷惑かけるのかなんて――嫌というくらいわかってる。
 ここまでなら大丈夫、と思っていたラインですらクリアできないことがある。
 そんなこと、今までに何度もあった。
 そのたびに学校に呼び出される両親や、心配して病院に駆けつけてくれる蒼兄を何度も見てきた。
「スイハ……おまえが考えていることを当ててやる。人に迷惑かける、心配かけるからだめだと思ってんだろ? だから、我慢しなくちゃいけないと思ってるだろ?」
「だって……そうだもの」
「あぁ、それも間違いじゃねぇ。でも、根本的な部分が違う」
「……何が違うの? 何も違わないでしょう?」
「違う――スイハ、おまえが無理をしたら、おまえが倒れるんだ」
 そんなの当たり前――
「いいか? おまえが倒れるんだ。おまえがつらくなるんだ。おまえが自分で自分の身体を傷つけるんだ」
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

家政婦さんは同級生のメイド女子高生

coche
青春
祖母から習った家事で主婦力抜群の女子高生、彩香(さいか)。高校入学と同時に小説家の家で家政婦のアルバイトを始めた。実はその家は・・・彩香たちの成長を描く青春ラブコメです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...