光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
641 / 1,060
第十二章 自分のモノサシ

19話

しおりを挟む
 今日の見回りは海斗くんたちの日で、私は七時半ギリギリまで起案書を作成することができた。
 一応形にはなったと思う。
 それをツカサに提出したときには七時半を回っていて、「家に帰ったら確認する」とツカサはクリアファイルに入れてかばんにしまった。
 そのとき、自分の携帯が震えた。
 誰……?
「あ――」
 ディスプレイには唯兄の二文字。
 今日は唯兄が帰ってくる日だったのだ。
 慌てて通話ボタンを押す。
「唯兄っ!?」
 我ながらひどい出方だったと思う。でも、通話相手はちゃんと唯兄だった。
『リィ、ただいま』
 久しぶりに耳にする声がくすぐったい。
「もうマンション?」
『ノンノン、免許取れたぜ! ってことで職員用の駐車場に車で来てるよ』
「本当っ!? ……でも、車は?」
『湊さんが貸してくれたラパン。これ、教習車よりも小さくて小回りきいて運転しやすい』
 蒼兄の乗る車はステーションワゴン。対して、湊先生の車は軽自動車だ。
 蒼兄の車が大きな車というわけではないけれど、それよりも小さい湊先生の車のほうが運転しやすいのかもしれない。
 何よりも、私は湊先生の車が好きだ。
 何度か乗せてもらったことのある車はクラシカルな雰囲気がある。そして、優しい水色が何よりも好きだった。
『もう終わりでしょ? そしたらおいでおいで』
「うんっ!」
『じゃ、待ってるねー』
 通話を切ると、ツカサが「若槻さん?」と訊いてくる。
「うん。車の免許を取りに行っていて、二週間くらい合宿でいなかったの。でも、無事に免許取得できたみたい。今、職員用の駐車場で待ってるって。だから、今日の帰りは車だよ」
 いつもツカサと一緒に帰っているからそのつもりでそう言うと、思わぬ言葉が返ってきた。
「若槻さんが来てるなら俺が一緒じゃなくても大丈夫だな」
「……え?」
「実家に取りに行きたい本があるから、若槻さんが来てるなら実家へ帰る」
「あ、うん……」
 どうしてか少しテンションが下がった自分がいた。
 あまりにもツカサが一緒であることを当然のように思っていたから。
「そうだよね……。真白さんも涼先生も、みんながマンションにいるんじゃ寂しいよね」
 そう言ってこの会話を終わらせたけれど、私の心には黒い影が差した。
 どうしよう――なんで「当然」なんて思っちゃったんだろう。それはとても危ないことなのに……。
 ここのところ、「大丈夫」「何度でも言う」と優しい言葉ばかりを聞いていたからかな……。
 感覚が少し麻痺しているのかも。
 違う――違う違う違う……。
 その人たちが言ってくれた言葉は絶対に疑わないって決めた。
 信じてる、信じるの――全部丸ごと。
 目を瞑り心を落ち着けるおまじない。
 何度も繰り返し聴いたひとつの声を頼りに数を数える。
 一から十までの数は心を切り替えたいときに使うけど、心を落ち着けたいとき、ツカサの声を思い出すことがとても効果的だと気づいた。
 でも、原因がツカサだとあまり効果はないようだ。心がザワザワ落ち着かない。
 なんだろう、これ……。
 ひどく胸が締め付けられるような、そんな感覚――

 今日はほとんどのメンバーが見回りが終わる時間まで図書室に残っていて、見回りを終えた海斗くんとサザナミくんと実行委員の人たちみんな揃って昇降口から出た。
 私は藤山や大学門方面に帰るツカサと海斗くん、サザナミくんと一緒だった。
「なんで翠葉がこっち?」
 不思議そうに尋ねる海斗くんに、
「唯兄が車で迎えに来てくれているの」
「あ、じゃぁ俺挨拶してくー!」
 駐車場へ一緒に行くのは海斗くんだけかと思ったら、ツカサもサザナミくんも一緒に来てくれた。
 エンジンのかかった車を見つけると、
「あっれー? 湊ちゃんの車じゃん」
 海斗くんが駆け寄ると、窓を開けていた唯兄が、
「おっ! 海斗っち、久しぶり!」
「久しぶり久しぶり!」
 ふたりは軽く殴るような攻防をしていた。
「御園生さん、あの人誰……?」
「兄の――」
 私が答えようとすると、
「リィがいつもお世話になってるのかな? 兄の唯芹です」
 サザナミくんは、「イゼリ?」と首を傾げては、
「あ、自己紹介が遅れました。御園生さんと生徒会で一緒の漣千里です」
 と、礼儀正しく挨拶をする。
 普段のサザナミくんからすると、かなりかしこまった挨拶だった。でも、その雰囲気は私を振り返るとすぐに変わる。
「お兄さん、ふたりもいたっけ? 俺の御園生さん情報だと、インテリ風の背の高い人がひとりだったんだけど……」
 なんて答えようか迷っていると、海斗くんが一言。
「おまえの情報あてになんねーのな」
 たったの一言でその場をやり過ごすことができた。
「んじゃ、挨拶も済んだことだし」
 と、海斗くんはサザナミくんの肩に腕を回し、「また明日な」と歩きだした。
 ツカサは始終一言も口を開かなかった。
 徐々に遠ざかる姿は、しだいに闇色に紛れてしまう。
 私は人影が見て取れなくなるその瞬間まで、ツカサの背から視線を剥がすことができなかった。
「リィ? 寒いから早く乗っちゃいな。もっとも、取り立てホカホカの初心者マークですけどね!」
 声をかけられはっとした。
「う、うん。免許取り立てでも大丈夫。だって、蒼兄が免許取り立てのときも助手席に乗っていたもの」
 笑って車に乗り込むと、
「何かあった?」
 即座に訊かれた。
 こういうタイミングでさらっと訊いてくるのは唯兄ならではのフットワーク。
「色々あって……何から話したらいいのかわからなくなっちゃった」
 すでに半泣きの自分が嫌……。
 どうしてこんなに涙が出るようになってしまったのだろう。もっと我慢できたはずなのに……。
 どうして最近はこんなに泣いてばかりなんだろう……。
「俺、明日は一日休みなんだよね。リィの話いっぱい聞けるよ?」
 そう言ってにこりと笑った。
 その笑顔にほっとする。
「唯兄はラヴィみたい。ふわっとしてて優しい」
「あれ? 俺がウサギさん? そりゃ嬉しいや。狼とか能無しとか言われるよりも断然嬉しいよねっ、うん」
 言っている意味はよくわからなかったけど、自分を包むこの空気――唯兄の雰囲気にはものすごく救われている気がした。
「でもね、明日も紅葉祭の準備で学校なんだ」
「あ、栞さんから聞いたんだけど、明日の午前中は病院に来いって言われてるみたいよ?」
「え……? でも、明日って日曜日……」
「そうだよね? ま、俺が送っていくことになってるから大丈夫! 超絶安全運転で送るよっ!」
 唯兄は華奢な胸を自分の手でポン、と叩いては「ぐへ、痛い……」と零した。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

家政婦さんは同級生のメイド女子高生

coche
青春
祖母から習った家事で主婦力抜群の女子高生、彩香(さいか)。高校入学と同時に小説家の家で家政婦のアルバイトを始めた。実はその家は・・・彩香たちの成長を描く青春ラブコメです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...