光のもとで1

葉野りるは

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28~33 Side 秋斗 05話

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 彼女の手は少しひんやりとしていて、その冷たさが俺には心地いい。
 森の開けた部分に出ると、木田さんの言うとおり、ガラス張りの建物があった。
「これはまた――すごいもの作ったなぁ……」
「ガラス張りだけど、透明なガラスではないんですね?」
 ガラスには森林の白樺や紅葉もみじがきれいに映っていた。
 たぶん、普通のガラスにミラーフィルムが張ってあるのだろう。
 ミラーフィルムを使うことで、日射調整、UVカット、万が一ガラスが割れたときの飛散防止が望める。
「多分、外から中が見えないようにしてあるだけで、中からは外がきれいに見えるはずだよ。おいで」
 セキュリティを解除して中へ入ると、それなりの調度品が揃っていた。
 ほんのりと懐かしさを感じるような家具たち。
 UVカット仕様となれば、アンティーク家具の退色を低減させられる。
 暗くなってからオイルランプをつければそれらしい雰囲気になるだろう。
 建物には電気が通っていないわけではないが、室内には電化製品と思われるものは一切置かれていなかった。
「ベッドにソファセット、それからストーブね。これだけあれば確かに夜と朝の寒さも凌げるだろう」
 ストーブの上にはかわいいホーローのケトルが置いてある。
 すべてのストーブの上においてあるところを見ると加湿機代わりといったところだろうか。
 それに加え、電気ポットの役目も果たす。
 ベッドはキングサイズだし、新婚やカップルには喜ばれるだろう。
 デラックスルームと然して変わらない広さではあるが、ここはここでいいかもしれない。
 今、ここに俺たちが通されているということは、今日はここへ泊まる人間がいない……?
 俺、デラックスからこっちに変更しようかな……。
 彼女は相変わらず部屋の中をじっくりと観察していた。
 水に浮かぶキャンドルを人差し指でツン、とつついては「かわいい」と声をあげる。
「ここなら風も吹かないから風邪をひかないで済みそうだね」
 陽が差し込めばそれなりにあたたかい。
 ジャケットを着ていると汗をかきそうだ。
 ジャケットを脱いでからソファに座り部屋を見渡すも、簡易的な建物の割に粗雑な印象は受けない。
 彼女は外の景色が気になるようで、窓にぴたりとくっついている。
 見ているだけでいいのかな……。写真は……?
 そうは思うものの、まだ彼女と同じ空間にいたい自分はそれを切り出せずにいた。
「楓と紅葉もみじって何が違うんでしょう……」
 彼女がポツリ、と漏らした一言。
紅葉もみじと楓は植物分類上では区別されないんだ。どちらもカエデ科カエデ属。一般的には、カエデ属の中でとくにきれいな葉、小さく真っ赤に紅葉しているものを紅葉もみじっていう。園芸上では葉の切れ込み数や切れ込み具合によってきちんと区別される。葉が五つ以上に切れ込みが入っているものを紅葉もみじ。切れ込みが三つ程度のものは楓」
「初めて知りました。秋斗さん、詳しいですね?」
「俺は草木について詳しいわけじゃないよ。ただ、楓って従弟がいるからね。真白さんや祖母に聞かされて育ったんだ」
 まるで、藤山でデートをしたときのような会話……。
 そこへ携帯が鳴り出した。
「はい」
『木田です。おくつろぎのところ申し訳ございません。これからランチをお届けに参ります』
「お願いします」
 彼女が首を傾げてこちらを見ていた。
「木田さんがランチを届けにきてくれるって」
「……ランチ、楽しみです」
「うん、そうだね……」
「秋斗さん……?」
「何?」
 振り返るというわけではなく、彼女が完全に俺の方を向いていた。
「なんか変です……。何が変とはわからないけど、でも――」
 変、それは俺のこと……?
 彼女の目には俺しか映っていなかった。
 もう、どこから変な自分なのかなんて思い出せない。
 俺らしいというのが何を指すのかすらわからない。
 彼女が俺を変だと思うのはなぜだろう。
 記憶は戻っていないはずなのに――
 それでも、今の俺を見て「変」だと感じるのはどうして……?
 君の中には「俺」という片鱗が残っているのかな。
「ごめんね。……どうしたらいいのかがわからないんだ」
「え……?」
 こんなことを話したらまた君を困らせてしまうのかもしれない。でも、今の自分を話す以外に説明のしようがないんだよね。
「君を傷つけてしまうことが怖い。でも、君の近くにいたい。君と話をしたい。――前回来たときの話をどこまでしたらいいのかわからない。翠葉ちゃんの表情や仕草、行動を見ていると、すべてがあの日とかぶる。でも、今日っていうこれから起きる出来事を大切にしたいとも思っていて――どうしたらいいのかがわからないんだ」
 足を組んだ上に乗せていた手に視線を落とす。
 次の瞬間、ふわ、と空気が動いたかと思うと、すぐそこに翠葉ちゃんがいた。
「――っ、翠葉ちゃん?」
 彼女は俺の側に駆け寄り、俺の袖を遠慮気味に掴んでいた。
「たくさんお話ししましょう? 私にできることは何もないから、だから……」
 下から見上げられ、そう言われた。
 どうしてこの子はこんなにも優しいのだろうか。
 どうして人に対して優しくあれるんだろうか。
 いい子すぎて、時々怖くなる。
 いつか、人に対する優しさで自分を壊してしまう気がして――
「秋斗さんは秋斗さんらしくいてください」
「……俺が俺らしくいると翠葉ちゃんが困ると思うんだけど」
 俺らしいというのは、たぶん好き勝手やるっていうことのような気がする。
 それ以外が思い浮かばないのだから、俺という人間は中身のない人間なのだろう。
「……では、私が記憶をなくす前の秋斗さんは私にどう接していたんですか? 私は、秋斗さんらしくない秋斗さんを好きになったんですか?」
 正直、なんともいえない。
 君が俺のどこに惹かれたのかなんて、俺は訊く間もなかったのだから。
「――少なくとも、私は自分に対しておっかなびっくり接する人を好きになるとは思えません。私が記憶をなくした経緯に何があったとしても、秋斗さんが秋斗さんでなくなる必要はないと思います。どんな秋斗さんが本当の秋斗さんかなんて私にはわかりません。でも、今の秋斗さんなら私はたぶん好きにはなりません。それだけはわかります」
 彼女は毅然と言い放つ。
「……翠葉ちゃん」
「だから……つらそうな顔をしないでください。あのですね、困るようなことを言われたら全力で困ることにします。対処しきれそうになかったら、全力で逃げることにします。これでどうでしょう?」
「どうでしょう?」と提案しつつ、顔が困った人のそれになる。
 君には敵わないな……。
 そう思えば、気持ちがす、と軽くなった気がした。
 気持ちが軽くなれば、身体中に入っている力も自然と抜ける。
 作り笑いではなく、普通に笑えた気がした。
「秋斗さん……?」
「俺につらそうな顔をしないでほしいって言ってる君がつらそうな顔をしてる」
 彼女の眉間のしわをつつくと、彼女は自分で眉間をさする。
「じゃ、俺は遠慮なく君に好きだと伝えてもいいのかな」
 彼女は少し固まって唸り、意を決するように「覚悟します」と答えてくれた。
 口元を引き締め、俺に挑むような顔をするからおかしい。
 でも、かわいくもきれいだ。
「こんな翠葉ちゃんを俺も知らない。でも、どんな君も大好きだよ」
 やっと言えた。
 君を好きだと……。
 今日、明日――繰り返し伝えてもいいかな?
 パレスから帰っても、ずっと伝え続けていいだろうか――
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