光のもとで1

葉野りるは

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29 Side 司 03話

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 俺と会長は芝生広場に向かって歩いていた。
 俺がそこに行きたくて、そこでいいか会長に尋ねたのは道場を出てすぐのこと。
「司にしては妙にメルヘンな場所な気がしてならないんだけど」
 周りのリスの石造見ながら言われる。
「俺の趣味なわけがないでしょう」
「あぁ、翠葉ちゃんか」
 ここは翠が好き好んで来る場所。
 ベンチの周りにはリスの石造が五体ある。
「何を思ってこんな吹きさらしのところへ来るんだか……」
 そうは思うものの、自分もここが好きになりつつある。
 陽の当たる芝生やスプリンクラーが回ったときにできる弧。
 翠はそういうものひとつも漏らさずに見ていたのだろう。だから飽きることなく足を運んでいた。
「司が空回りなんて似合わないよ。見てる分には楽しいけどさ」
 マットの次は芝生。会長は身体を投げ出し、ゴロンと横になる。
「俺だって好きで空回ってるわけじゃないですよ」
「司はさ、なんで翠葉ちゃんに言わないの? あんなに周りにバレバレな態度を取ってるくせに、本人にそれっぽいことは伝えてないんでしょ?」
 きょとんとした顔がベンチに座る俺を見る。
「それっぽいことは何度か言ってきました」
「そうなのっ!?」
 会長ががばり、と起き上がる。
「食いつき良すぎです」
 自分がこんな話を人にしていること事態がおかしい。
 そんな状況がおかしすぎて少し笑えてきた。
「「そりゃ食いつくでしょっ!」」
 ……は?
 振り向けば、そこには優太と朝陽がいた。そして、なぜか簾条まで……。
「海斗と千里には連絡しないであげたんだからありがたく思いなさいよね」
 ほかでもな簾条の言葉だ。
「……会長の仕業ですか」
 冷たい視線を向けると、
「だってさ、みんな司と仲良くなりたいんだってば。優太、嵐ちゃんは部活?」
「そう、衣装作りに追われてます。こっち来たがってたんですけどねぇ」
 優太と朝陽はわからなくもない。
「なんで簾条までいるんだか……」
「そうね、私は仲良くなりたいというよりは、あんたがうろたえる姿を見たいだけよ」
 そう言っては俺と反対側のベンチに座り、あからさまに不機嫌な顔をする。
「桃ちゃんも素直じゃないなぁ……」
 朝陽が言えば、優太が補足する。
「彼女は翠葉ちゃんが心配なだけ。今日から秋斗先生と旅行なんでしょ? お兄さんとかお医者さんも一緒みたいだけど。それにヤキモキしてるんだよ」
 なんだ……先日の俺と同じ、ただの八つ当たりか。
 そんなの、直接翠か御園生さんに言えよ。
「……簾条、たぶん、秋兄はもう翠を傷つけるようなことはしない」
 こんな端的な話は簾条にしか伝わらない。ほかの人間は気にはなるようだが、そこで根掘り葉掘り訊いてくるような人間たちでもない。
「そんなの、わからないじゃない……」
「いや、できない。できるわけがない」
「そうやって藤宮司は自分に言い聞かせているだけじゃないの?」
 冷たい視線がこちらを向く。
 そうじゃないとは言い切れない。でも――
「秋兄はもうそんなことはできないと思う。秋兄はそんなに強い人間でもひどい人間でもない。大切な相手を傷つけたら誰だって多少なりとも変わる」
 根拠はそれだけ。
 今まではそんなことすら理解できなかったと思う。でも、「大切な存在」ができれば想像に易い。
「はい、質問」
 朝陽が簾条と俺の間に座り手を挙げる。
「何」
 朝っぱらから尋問受けてる気分。
「翠葉ちゃんにそれっぽいこと言ってるって何を言ったの? それでどうしてあの子が気づかないわけ?」
 そんなの俺が知りたい。
「具体的に好きだと言ったことはない。けど、必要だとは伝えているし、代わりがないとも言ってる」
「……なーんだ、それだけ」
 朝陽の落胆した顔に殺意を覚える。
 俺にはそれを言うのが精一杯だというのに。
「好きって言っちゃえばいいのに」
 会長と一緒に芝生へ転がる優太に言われた。
「……言って困らせたくはない」
 だから、言えない。
「なんで困るのよ……」
 簾条に訊かれ、俺は渋々口を開く。
「……翠は秋兄を好きだから」
 記憶をなくす前、翠は間違いなく秋兄を好きだった。ふたりは両思いだった。
 雅さんという邪魔が入らなければ、なんの問題もなく付き合い始めていたはずだ。
 あのころから問題なくずっと付き合ってきていたら、秋兄のことだ――早々に婚約まで話を進めていたと思う。
 それができなかったのは、雅さんがいらぬ知識を翠に吹き込んだことと、翠自信の体調不良――
 今年は例年のそれとは違ったというから、翠は自分の身体と学校のことを考えるだけでいっぱいいっぱいだったのだろう。
 そんなときに頼ってもらえない彼氏っていうのも嫌だけどな……。
 少し歯車がずれただけでこの有様。
 翠が夏休みに話してくれたこと。
 ――「一度歯車が狂うとね、そう簡単にはもとに戻ってくれないんだよ。別の時計――別の時間が動き出しちゃうの」。
 その意味が嫌というほどにわかる。
 それで自分が機会を得たとは思えなかった。
 翠の時間軸がずれたのは一年前の発作。留年する原因になった発作や入院。
 本人はそれがなかったら藤宮に来ることもなく、俺たちと出逢うこともなかったから、それは神様がずらしてくれた時間軸のプレゼント、と言っていたけれど……。
 翠がこの学校に来て俺たちと出逢ったこと――
 そのことに感謝はできても、雅さんの件や記憶を失ったいきさつ、それには感謝なんてできない。
 翠は数々のことを許容できなくなったから記憶を手放した。
 記憶をなくして一時的に負担が軽くなったとは思う。けれど、今は――?
 今は逆に、なくした記憶がネックになって、大きなストレスとなっている気がする。
 記憶をなくした直後のパニックぶりは当たり前のこととして、そのあと、少し落ち着いたように見えた。
 秋兄と会わせて四月からの出来事を話したときも、思ったよりは冷静に聞いていたと思う。
 しかし、そのあとは思い出そうと躍起になり始めた。
 それにストップをかければ、素直に従ったふうにも見えなくはない。
 けど、たぶん翠は思い出すことに必死だ。
 周りには話さないけれど、いつだって記憶の片鱗を捜し求めている。
「藤宮司、ひとつ言っておくわ。今の翠葉は秋斗先生を好きじゃないわよ」
 簾条の声が思考にひびを入れた。
「うん、それは俺たちにもわかるよ」
 優太が相槌を打てば、隣の朝陽も目の前に座る会長も頷いた。
「あんたが何に躊躇しているのか知らないけれど、翠葉が秋斗先生を好きで、自分の気持ちを伝えたら翠葉が困るっていう図式なら、今は当てはまらない」
「でも、記憶が戻れば――」
 そんな可能性が低いことだってわかっている。
 だとしたら――俺は逃げているだけなのか?
「あんたバカ? 記憶がなくても時間は流れてるのよ。夏休み、翠葉のところにずっと通ってたんでしょ? その時間は翠葉の中にだってちゃんと流れてる。――ほんっと、バカらしい。私お先に失礼します」
 呆気にとられたまま簾条の後ろ姿を目で追う。
「桃ちゃん言うね~!」
 会長がピュー、と口笛を吹いた。
「ああいうとこ、本当に格好いいよね」
 朝陽も簾条の後ろ姿を見ていたようだ。
「あれで彼氏いないってのがわかんないよね? 尻に敷かれてもいいからって男は多そうなのに」
 優太が心底不思議そうな顔をする。
 あぁ、ひとつ情報をくれてやろう。
「いる――っていうか、できた」
「「「えっ!?」」」
 いい食いつきだ。
「翠のお兄さん、御園生蒼樹さん」
 御園生さんは図書棟への出入りが頻繁ということもあり、ここにいる三人は翠より先に御園生さんの存在を知っていた。
「やっと次に行けたか……」
 朝陽が言えば、
「なるほどねぇ……絵になるわけだ」
 会長もわけのわからないことを言う。
 どこかでふたりが歩いているところでも見たのだろうか。
「桃華ちゃんも翠葉ちゃんらぶだけど、あのお兄さんも相当なシスコンだよね? あそこまで妹にべったりな兄貴なんて俺見たことないよ。ふたりで翠葉ちゃんの取り合いになりそう」
 なんとも言えない内容を口にしたのは優太だった。
「で? 司、桃ちゃんの言ったとおりだと思うけど?」
 話を本題に戻したのは会長。
「そうだね、今の翠葉ちゃんは秋斗先生を好きではないよね。好き嫌いの括りで答えるなら好きなんだろうけれど、どう考えても恋愛の要素が入っているようには見えない」
 朝陽が空を見ながら言う。
「それを言うなら、俺に対する『好き』だって恋愛の要素は入っていない」
 こんな会話、かわして逃げることもできなくはない。が、そうすることがものすごく格好悪い気がした。
 それと、少しは自分のことを話してもいいのかもしれないと思える何かがあって、ある意味、観念しどころかと思い、昨日の出来事を話した。
「「「さすが翠葉ちゃんだね」」」
 と三人が声を揃える。
「そこで『好き』ってさらりと言えちゃうあたりがね……」
 朝陽が苦笑しながら言う。
「その話の流れで必要だって言われて代わりはないって言われても気づかないところとかね」
 と、優太は脱力して芝生に転がった。
 会長は、「うーん……手強いね」と笑う。
 この人はこの人で手強い人間を相手にしていて、それを取り巻く環境も芳しくないから、だからこその言葉なのだろう。
 俺は何朝っぱらからこんな話をする羽目になっているんだか……。
 そう思いながら空を仰ぎ見た。
 今日も秋晴れ。
 時計を見れば八時を指している。
 出発の時間だ。
 行ってこい……。
 記憶が戻っても戻らなくてもいいから、きれいな景色を見て美味しいものを食べて、楽しく過ごしてくればいい。
 昨日、たかだかあれだけの会話をしただけなのに、俺は妙に落ち着いてしまって、何を焦り、何を不安に思っていたのかすら霧の中。
 体調が心配なことに変わりはない。
 でも、俺が側にいて何をしてやれるわけでもなく、医師であり、どんな場所であっても処置をできるスキルを持つ昇さんが同行しているのだから問題はない。
 物理的な距離があったとしても、それは俺と翠の気持ちの距離には直結しない。
 きっと今までなら、この状況だけで良かったのかもしれない。
 翠の中に俺という譲れない存在ができあがるだけで満足できたのだろう。
 でも、今はそれ以上を求めている。今は異性として自分を見てほしい――
「翠は男に対して恐怖心を持っている部分があるから……」
 だから、「好き」という気持ちを伝えることで、俺を「異性」と認識させることに躊躇する。もし、「異性」を感じないからこそ得られている今のポジションなのだとしたら、それを失ったとき、自分がどうなるのかがわからない。
「だから好きって言えない?」
 朝陽に訊かれる。
「そういうのもあるって話で、それだけが理由じゃないとは思う。俺もよくわかってない」
「……なんか嬉しいよね」
 そう口にした会長に視線を移すと、にこにこと笑っていた。
「うん、最高に嬉しい」
 答えたのは優太だ。
「やっとだよ。幼稚部から司と一緒にいるのに、こういう内面の話を聞かせてくれたのは初めて」
 朝陽が口にすれば、
「長かったなぁ……俺なんか比じゃないね。お疲れ様っす」
 と、優太が苦笑しながら言う。
 俺だって、今ここでこんな話をしているのが信じられないくらいだ。むしろ、信じたくない。
 つい、「朝から散々だ」と漏らせば、三人は「ひどいやつ」と言いながらも笑っていた。
 なんだか、嘘みたいに穏やかな朝だった。
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