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03~07 Side 桃華 02話
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学校に着き階段を上がっていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。
澄んだ高い声に低く落ち着いた声。だけど、声の持ち主たちの会話にしてはずいぶんと様変わりしている。
「始業式、桜林館の空調をフル稼働するように秋兄に言ってあるけど、少しでも血圧が下がり始めたら座れよ?」
「うん」
「それから、図書棟に移動するときは簾条か海斗と――」
「ツカサっ。私、そこまで子どもじゃないっ」
「……わかった。俺が連れていくのが手っ取り早い。教室で待ってろ」
「ちょっとっっっ!?」
間違いなく藤宮司と翠葉の会話なわけだけど……。
「悔しいなぁ……」という翠葉の言葉すら珍しく感じるのは気のせいではないだろう。
「翠葉……? もしかして、今の藤宮司?」
わかってはいるけれど、確認せずにはいられなかった。
「ん? うん。ツカサと昇降口で一緒になったの。もうね、ひどいんだよ? 血圧が下がったらすぐに座れとか、図書棟に移動するときは海斗くんか桃華さんと一緒に行けとか……」
言いながら、翠葉は教室の後ろのドアを開ける。そして、眩しそうに教室を見渡してから一歩を踏み出した。
数日前に病院へ行ったときにも感じたけれど、とても自然体。そんな印象を受ける。そして、あの男も――
「藤宮司、喋るようになったわね……」
思わず口をついた。
学校であんな会話をしている姿を見ることになろうとは……。
「あのね、夏休み中に言われたの。思っていることを話せって。私が話すように心がけていたら、ツカサも同じように話してくれるようになった」
話せってあの男が言ったのよね? そしたら話すようになったって……何?
これは全部聞き出そう……。
「夏休み中に何があったのか、しっかりみっちり報告してもらおうかしら?」
かわいい獲物に微笑みかけると、翠葉は少しだけ困った顔をして「うん」と頷いた。
「この間は宿題で何も訊けなかったし」
先日病院に行ったときのことを言えば、
「ごめんね。でも、すごく助かっちゃった。本当に危なかったの」
肩を竦めて両手を合わせ、ごめんと謝られる。
もう、かわいいじゃないの……。
もともと厚みのなかった肩は拍車をかけて華奢になり、今は厚みのあの字も感じられない。
それを隠すようにふわりとストールがかけられており、「あぁ、私いい仕事したわ」と心底感嘆する。
「私は意外だった。あの男がついていながら宿題に手をつけていないなんて」
無駄に頭いいんだから、その辺忘れてるんじゃないわよ、というのが正直な気持ち。今となっては好きも何もあったものではない。
「うーん……なんだか色々ありすぎて……」
「その色々を訊こうじゃないのよ」
苦笑して答える翠葉ににこりと笑みを向ける。
でも、この話はまた先延ばしかしらね。
次々と教室に入ってくるクラスメイトは誰もが翠葉の存在に気づき、窓際へとやってくる。
それも仕方のないことだろう。
夏休み中、何度となくクラスの人間から連絡が入っていた。「お見舞いに行きたい」と。
けれど、それができる状態にはなかったので、「ご家族の方に遠慮してくださいって言われてるの」と例外なく答えてきた。
事実、私も夏休み中に二回しか行けなかったし、その一度目はあまりいい状況ではなかった。
記憶がなくなった直後――本当なら、記憶がなくなる前に会えたはずなのに……。
あのときばかりは秋斗先生を恨みたくなったけど、何が起こったのかは蒼樹さんも詳しくは話してくれなかった。ただ、前夜に秋斗先生が会いに行って、その翌朝、翠葉はICUに運ばれる事態になり、目を覚ましたときには記憶の一部がごっそりと抜け落ちている状態だったという。
秋斗先生が原因かもわからない。それに、翠葉が恨むのならまだしも、私が恨むのは筋違いというもの。
それでも、やっぱり原因は秋斗先生なんじゃないかと勘ぐったし、心の抑制をするのは難しかった。そして、藤宮司には心底同情した。
インターハイ前だというのに、こんな精神的に堪えるような出来事……。
電話をしようか迷って、かける言葉が見つからなかったからやめた。それに、あの男はそんなことは望んでいないと思ったから。
蒼樹さんから、翠葉は秋斗先生とも会い、四月からの出来事をすべて聞いたことも知っている。
そのときにも取り乱したり倒れたりしたようだけれど、今、目の前にいる翠葉はとても普通に見える。普通に――楽しそうにクラスの人間とお菓子の話をしている。
以前のように申し訳なさそうな笑顔も見られない。
「翠葉ーーーっっっ! 翠葉翠葉翠葉翠葉翠葉っっっ!」
廊下から、飛鳥の大声が聞こえてきた。
これで翠葉の反応が見られるだろう。
飛鳥が器用に机を避けながら翠葉地点へ到達すると、すかさず海斗が間に入った。
「その勢いで翠葉に抱きつくな。翠葉が折れる」
海斗のバカ……。でも、反応は見ることができた。
今、海斗の制止がなければ、間違いなく抱きつかれて顔をしかめたことだろう。そうすれば、その場での説明が可能だったというのに……。
翠葉にとっては余計なことではなかったかもしれない。でも、のちのことを考えれば、今はスルーするべきだったと思う。
まぁ、仕方ないわね。あとで何かしら機会を設ければいいだけのこと。
そのあとの会話で、翠葉が少しずつ体重を増やすことを目標にしていることや、病院の先生に言われたことを話しているのを見て、一学期とは明らかに変わっていると思えた。
自分の体調を自分の言葉で話し伝えている。大きな進歩だ。
きっとうちのクラスだって少しは貢献している。でも、大部分を占めているのは藤宮司、あの男なのだろう。
どうにも面白くない話だ。面白くはないけれど、翠葉が変われたことはいいことだと思う。
一歩引いていた子が、今は自分からクラスの輪に足を踏み入れている。
そんなことを考えていると、会話の流れは香乃の髪型へと移っていた。
あれはきっと、パーマをかけたんだけどしっかりとはかからなかったって感じね。
「やっぱりおかしい?」
苦笑する香乃に翠葉が慌てる。
「えっ!? あ、あのね、ふわっとしててかわいいなと思って……」
「そう言ってもらえると嬉しいけど、パーマ……なんか失敗だったんだよね」
香乃は照れ笑いをしながら、頭を押さえるように髪に触れた。
私は思考を中断させ話に加わる。
「私は似合ってると思うけど?」
ストレートよりも似合っていると思う。そう思ったのは私だけではないようだ。
斜め後ろあたりから理一の声がした。「ストレートよりも感じが柔らかくていいじゃん」と。
香乃が誰にでもなく「本当に?」と訊けば、すぐ目の前にいた佐野が、
「うん、似合ってると思う」
途端に香乃が赤面する。
あら……ここにも恋する乙女がいたのね。
そんな様を見ながら思う。みんなの恋が実ればいいのに、と。
でも、そんなにうまくはいかない。だから、自分の恋が実った幸せを噛みしめるように口を閉じた。
澄んだ高い声に低く落ち着いた声。だけど、声の持ち主たちの会話にしてはずいぶんと様変わりしている。
「始業式、桜林館の空調をフル稼働するように秋兄に言ってあるけど、少しでも血圧が下がり始めたら座れよ?」
「うん」
「それから、図書棟に移動するときは簾条か海斗と――」
「ツカサっ。私、そこまで子どもじゃないっ」
「……わかった。俺が連れていくのが手っ取り早い。教室で待ってろ」
「ちょっとっっっ!?」
間違いなく藤宮司と翠葉の会話なわけだけど……。
「悔しいなぁ……」という翠葉の言葉すら珍しく感じるのは気のせいではないだろう。
「翠葉……? もしかして、今の藤宮司?」
わかってはいるけれど、確認せずにはいられなかった。
「ん? うん。ツカサと昇降口で一緒になったの。もうね、ひどいんだよ? 血圧が下がったらすぐに座れとか、図書棟に移動するときは海斗くんか桃華さんと一緒に行けとか……」
言いながら、翠葉は教室の後ろのドアを開ける。そして、眩しそうに教室を見渡してから一歩を踏み出した。
数日前に病院へ行ったときにも感じたけれど、とても自然体。そんな印象を受ける。そして、あの男も――
「藤宮司、喋るようになったわね……」
思わず口をついた。
学校であんな会話をしている姿を見ることになろうとは……。
「あのね、夏休み中に言われたの。思っていることを話せって。私が話すように心がけていたら、ツカサも同じように話してくれるようになった」
話せってあの男が言ったのよね? そしたら話すようになったって……何?
これは全部聞き出そう……。
「夏休み中に何があったのか、しっかりみっちり報告してもらおうかしら?」
かわいい獲物に微笑みかけると、翠葉は少しだけ困った顔をして「うん」と頷いた。
「この間は宿題で何も訊けなかったし」
先日病院に行ったときのことを言えば、
「ごめんね。でも、すごく助かっちゃった。本当に危なかったの」
肩を竦めて両手を合わせ、ごめんと謝られる。
もう、かわいいじゃないの……。
もともと厚みのなかった肩は拍車をかけて華奢になり、今は厚みのあの字も感じられない。
それを隠すようにふわりとストールがかけられており、「あぁ、私いい仕事したわ」と心底感嘆する。
「私は意外だった。あの男がついていながら宿題に手をつけていないなんて」
無駄に頭いいんだから、その辺忘れてるんじゃないわよ、というのが正直な気持ち。今となっては好きも何もあったものではない。
「うーん……なんだか色々ありすぎて……」
「その色々を訊こうじゃないのよ」
苦笑して答える翠葉ににこりと笑みを向ける。
でも、この話はまた先延ばしかしらね。
次々と教室に入ってくるクラスメイトは誰もが翠葉の存在に気づき、窓際へとやってくる。
それも仕方のないことだろう。
夏休み中、何度となくクラスの人間から連絡が入っていた。「お見舞いに行きたい」と。
けれど、それができる状態にはなかったので、「ご家族の方に遠慮してくださいって言われてるの」と例外なく答えてきた。
事実、私も夏休み中に二回しか行けなかったし、その一度目はあまりいい状況ではなかった。
記憶がなくなった直後――本当なら、記憶がなくなる前に会えたはずなのに……。
あのときばかりは秋斗先生を恨みたくなったけど、何が起こったのかは蒼樹さんも詳しくは話してくれなかった。ただ、前夜に秋斗先生が会いに行って、その翌朝、翠葉はICUに運ばれる事態になり、目を覚ましたときには記憶の一部がごっそりと抜け落ちている状態だったという。
秋斗先生が原因かもわからない。それに、翠葉が恨むのならまだしも、私が恨むのは筋違いというもの。
それでも、やっぱり原因は秋斗先生なんじゃないかと勘ぐったし、心の抑制をするのは難しかった。そして、藤宮司には心底同情した。
インターハイ前だというのに、こんな精神的に堪えるような出来事……。
電話をしようか迷って、かける言葉が見つからなかったからやめた。それに、あの男はそんなことは望んでいないと思ったから。
蒼樹さんから、翠葉は秋斗先生とも会い、四月からの出来事をすべて聞いたことも知っている。
そのときにも取り乱したり倒れたりしたようだけれど、今、目の前にいる翠葉はとても普通に見える。普通に――楽しそうにクラスの人間とお菓子の話をしている。
以前のように申し訳なさそうな笑顔も見られない。
「翠葉ーーーっっっ! 翠葉翠葉翠葉翠葉翠葉っっっ!」
廊下から、飛鳥の大声が聞こえてきた。
これで翠葉の反応が見られるだろう。
飛鳥が器用に机を避けながら翠葉地点へ到達すると、すかさず海斗が間に入った。
「その勢いで翠葉に抱きつくな。翠葉が折れる」
海斗のバカ……。でも、反応は見ることができた。
今、海斗の制止がなければ、間違いなく抱きつかれて顔をしかめたことだろう。そうすれば、その場での説明が可能だったというのに……。
翠葉にとっては余計なことではなかったかもしれない。でも、のちのことを考えれば、今はスルーするべきだったと思う。
まぁ、仕方ないわね。あとで何かしら機会を設ければいいだけのこと。
そのあとの会話で、翠葉が少しずつ体重を増やすことを目標にしていることや、病院の先生に言われたことを話しているのを見て、一学期とは明らかに変わっていると思えた。
自分の体調を自分の言葉で話し伝えている。大きな進歩だ。
きっとうちのクラスだって少しは貢献している。でも、大部分を占めているのは藤宮司、あの男なのだろう。
どうにも面白くない話だ。面白くはないけれど、翠葉が変われたことはいいことだと思う。
一歩引いていた子が、今は自分からクラスの輪に足を踏み入れている。
そんなことを考えていると、会話の流れは香乃の髪型へと移っていた。
あれはきっと、パーマをかけたんだけどしっかりとはかからなかったって感じね。
「やっぱりおかしい?」
苦笑する香乃に翠葉が慌てる。
「えっ!? あ、あのね、ふわっとしててかわいいなと思って……」
「そう言ってもらえると嬉しいけど、パーマ……なんか失敗だったんだよね」
香乃は照れ笑いをしながら、頭を押さえるように髪に触れた。
私は思考を中断させ話に加わる。
「私は似合ってると思うけど?」
ストレートよりも似合っていると思う。そう思ったのは私だけではないようだ。
斜め後ろあたりから理一の声がした。「ストレートよりも感じが柔らかくていいじゃん」と。
香乃が誰にでもなく「本当に?」と訊けば、すぐ目の前にいた佐野が、
「うん、似合ってると思う」
途端に香乃が赤面する。
あら……ここにも恋する乙女がいたのね。
そんな様を見ながら思う。みんなの恋が実ればいいのに、と。
でも、そんなにうまくはいかない。だから、自分の恋が実った幸せを噛みしめるように口を閉じた。
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