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第十一章 トラウマ
51話
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電話、メール……?
「あぁ、周りの反応を考えると翠は嫌がりそうだけど、毎日一緒に弁当を食べるっていう案もある」
お昼休み……?
「どうして……」
そう口にすると、手を少し引っ張られた。たぶん、「止まるな」の合図。
「どうしてって何が?」
ほんの少し先を歩くツカサが振り向く。
「どうしてそこまでしてくれるの?」
ツカサは一拍おくと、
「翠がなかなか理解しないから。……苦手分野はとっとと克服しろ」
苦手分野……。
「今朝のことが原因、もしくは誘引で、翠が登校拒否になったら困るんだ」
「え……?」
「そしたら俺は、翠に会わせてもらえなくなるらしいから」
「どうして……?」
「病院まで付き添う権利をもらうとき、御園生さんにそう言われた。だから、登校拒否は困る」
「蒼兄、どうしてそんなこと……」
「翠が泣いたからじゃない? 泣かせるようなことをしたのが俺だから。さらには、御園生さんが登校拒否を懸念するようなことを翠が口走ったんじゃないの?」
――した。学校へ行きたくないと……。
「それは肯定?」
ひとりになるのが怖くて、中学のときに逆戻りになるのが怖くて。感情を抑えきれずに中学のときの話をしてしまった――
「ひとつ訊きたい」
次は何……?
今のツカサは厳しさと違う何かが入り混じっていて、次に何を問われるのだろう、と身体も心も身構えてしまう。
「翠は中学のときに登校拒否をしてたわけ?」
「……してない」
するわけがない。登校拒否なんてしたら、お父さんやお母さんを心配させちゃうもの……。
体調が悪くて学校へ行けない日が多かったのは確かだけれど、ズル休みをしたことはない。
「じゃ、なんでここにきて登校拒否?」
それは、怖いから――
「ツカサ、怖さが別物なの……。友達に置いていかれるのも無視されるのも、どれも怖いことに変わりはないのだけど、今私の大好きな人たちにそれをされるのはすごく怖い……。中学のときと比較できないくらい怖いの。呼吸ができなくなりそうなくらい怖いの――」
何がどう違うとこれ以上は言葉に変換できそうにない。
「つまり……中学のときの人間と、今周りにいる人間の格が翠の中では明確に違うわけね」
格……?
「それを聞いて安心した」
ツカサの表情が少し緩む。
文字通り、安心したような顔だった。
「中学のときの人間と何か少しでも混同されていようものならどうしてやろうかと思ってた」
混同だなんて――一緒だなんて一度たりとも思ったことはない。
私が怖いのは、今の場所で中学のときと同じ状況になることだけで、誰かが中学の同級生と同じなんて、そんなふうに思っているわけじゃないんだよっ!?
慌てて否定しようとしたら、先にツカサが口を開いた。
「翠はここを中学と一緒だなんて思ってない。翠が見て怖がっているのは幻影に過ぎない」
「げん、えい……?」
「そう、過去に起こったことを現実に錯覚しているだけ。幻影――感覚の錯誤によって実際には存在しないのに、存在するかのように見えるもの。まるで現実に存在しているかのように、心の中に描き出されるもの。遠い過去の情景や願望から作り出される将来の像など……」
感覚の錯誤――
それなら頷ける。人はイコールになっていないけど、状況だけがかぶってしまう……。
「翠……」
ツカサは身体と一緒に真っ直ぐな視線を私に向けた。
「『今』を見ろ。過去の出来事から得た経験は『今』や『未来』に生かされる。でも、翠が中学で味わってきた思いは今の翠に何ひとついいものとして生かされない。……なら、『今』を見て、この先に生かせ」
思わず唇を噛みしめる。それと同時に、つながれている右手にも力が入った。
それまで、ツカサに取られただけの手には自分の力は作用していなかった。その手に力をこめる。
「でもね、怖いって思っちゃうの。いくら『今』を見ようとしても、中学のときと違う宝物をたくさん見つけても、何度上から色を塗りなおしても、下にある色が浮き上がってきちゃうの――」
何度も違うって自分に言い聞かせて、違う場所をいくつも探して、信じられないくらい楽しい毎日を過ごして、人と言葉を交わすたびにそれが全部宝物になっていくのにっ――
「それ、手伝うから……」
「え……?」
「条件反射、パブロフの犬。翠は犬になればいい。もしくは、恐ろしく品質の悪い機械。俺が何度でも上書きしてやる。壊れるたびにリカバリーしてやる。保証期間は俺が死ぬまで半永久的に」
涙が零れ、急いでハンカチをポケットから出したけれど、それはあまりにも湿りすぎていてくたびれた状態だった。
「ほら」
目の前に縁取りが濃紺のブルーのハンカチを差し出された。
「ハンカチ、今度からニ、三枚持ち歩けば?」
なんて言い返そうかな、と思ったら、差し出されたハンカチで涙を拭かれた。
「別に、こんなもので良ければいつでも貸すけど……」
涙を拭いたあとは私の手に押し付けられた。私はその手に引かれるようにして歩き出す。
木田さん、時を待つ方法もあれば、後ろから押してくれる人もいて、手をつないで一緒に歩いてくれる人もいるみたいです。
この世界には、まだ私の知らないことがたくさんあって、それを教えてくれる人もいるみたいです
――
「翠、空回る前に俺を呼ぶっていうのは口だけ?」
「え?」
「夏休みにそういう話をしたと思うけど……。何、それも忘れてるわけ? それとも履行されてないだけ? どっち?」
あ――
「あぁそう……忘れてたわけね」
「違っ――くはないけど、でも……好きと怖いは正比例なんだよ?」
「何それ……」
「だから……すごく好きで大切な人ほど離れていっちゃうのは怖いから……だから、怖くて言えなかった」
すごく――すごく怖かったんだよ?
「ふーん……別に、翠から話さないならこっちから切り込むまでだけど。そのたびにこんなに泣く羽目になるなら自分からカミングアウトしたほうがいいんじゃないの? 俺、そのあたりは容赦しないよ」
「……私からツカサに話していたら、そしたら――」
「今朝ほどには突き放さなかった。少しくらいは加減した」
そうなんだ……。
「……でも、突き放しても、どんなにきついことを言っても、ツカサはそれだけじゃないのね? また、手、つないでくれる……」
気づけば、つながれた右手はあたたかくなっていた。
ツカサの手はあたたかいから、そのぬくもりで心まであたためてもらった気分だ。
「……それ、忘れるなよ」
「……うん、忘れない」
すごく怖かったけど、すごく嬉しかったから……。
「絶対に忘れない――」
病院を目前に訊かれる。
「で? 毎日アイテムは何がいいのか返事聞いてないけど?」
あ――
「別に毎日じゃなくてもいいの。だから、今回みたいなとき、もし、またツカサが気づいたら、そしたら普通に話を聞いてほしい」
「それ、泣かせるなって言いたいわけ?」
「……怖いのは嫌だし、蒼兄に心配かけたくないもの」
「ブラコン……」
何も言い返せないけど……。でも、もう今朝みたいなことは二度と言いたくない。言って、心配をかけたくない。
「……わかった、努力する。でも、できれば翠から話してくれるほうがありがたい」
「……努力します」
「そうして。じゃないと、つい意地悪心に火がつく」
真顔で言ったあとにクスリと笑った。
「ひ、ひどいっっっ」
「ひどいのは俺じゃない。何も確かめずにひとりで勝手に不安になって、俺たちを信じていない翠のほうがひどい」
それにも言い返せる言葉は持っていない。
「改めて考えてみると、かなり極悪だと思うけど?」
「……ごめんなさい」
「……そのままの翠でいいって言ったのは俺だから。でも、俺、マゾのつもりはさらさらないし、やっぱりいじめに走ると思う。俺にいじめられたくないなら翠は最低限自分で回避するべきだ」
そう言って笑う司はどこか楽しそうで嬉しそうに笑うから、「どうして?」と訊きたくなる。
今はどうしてそんなに嬉しそうに笑うの?
でも、自然と笑った顔が見れたのが嬉しくて、泣いていたはずの自分も表情が緩んだ。
……笑える。私、笑える――大丈夫。
「あぁ、周りの反応を考えると翠は嫌がりそうだけど、毎日一緒に弁当を食べるっていう案もある」
お昼休み……?
「どうして……」
そう口にすると、手を少し引っ張られた。たぶん、「止まるな」の合図。
「どうしてって何が?」
ほんの少し先を歩くツカサが振り向く。
「どうしてそこまでしてくれるの?」
ツカサは一拍おくと、
「翠がなかなか理解しないから。……苦手分野はとっとと克服しろ」
苦手分野……。
「今朝のことが原因、もしくは誘引で、翠が登校拒否になったら困るんだ」
「え……?」
「そしたら俺は、翠に会わせてもらえなくなるらしいから」
「どうして……?」
「病院まで付き添う権利をもらうとき、御園生さんにそう言われた。だから、登校拒否は困る」
「蒼兄、どうしてそんなこと……」
「翠が泣いたからじゃない? 泣かせるようなことをしたのが俺だから。さらには、御園生さんが登校拒否を懸念するようなことを翠が口走ったんじゃないの?」
――した。学校へ行きたくないと……。
「それは肯定?」
ひとりになるのが怖くて、中学のときに逆戻りになるのが怖くて。感情を抑えきれずに中学のときの話をしてしまった――
「ひとつ訊きたい」
次は何……?
今のツカサは厳しさと違う何かが入り混じっていて、次に何を問われるのだろう、と身体も心も身構えてしまう。
「翠は中学のときに登校拒否をしてたわけ?」
「……してない」
するわけがない。登校拒否なんてしたら、お父さんやお母さんを心配させちゃうもの……。
体調が悪くて学校へ行けない日が多かったのは確かだけれど、ズル休みをしたことはない。
「じゃ、なんでここにきて登校拒否?」
それは、怖いから――
「ツカサ、怖さが別物なの……。友達に置いていかれるのも無視されるのも、どれも怖いことに変わりはないのだけど、今私の大好きな人たちにそれをされるのはすごく怖い……。中学のときと比較できないくらい怖いの。呼吸ができなくなりそうなくらい怖いの――」
何がどう違うとこれ以上は言葉に変換できそうにない。
「つまり……中学のときの人間と、今周りにいる人間の格が翠の中では明確に違うわけね」
格……?
「それを聞いて安心した」
ツカサの表情が少し緩む。
文字通り、安心したような顔だった。
「中学のときの人間と何か少しでも混同されていようものならどうしてやろうかと思ってた」
混同だなんて――一緒だなんて一度たりとも思ったことはない。
私が怖いのは、今の場所で中学のときと同じ状況になることだけで、誰かが中学の同級生と同じなんて、そんなふうに思っているわけじゃないんだよっ!?
慌てて否定しようとしたら、先にツカサが口を開いた。
「翠はここを中学と一緒だなんて思ってない。翠が見て怖がっているのは幻影に過ぎない」
「げん、えい……?」
「そう、過去に起こったことを現実に錯覚しているだけ。幻影――感覚の錯誤によって実際には存在しないのに、存在するかのように見えるもの。まるで現実に存在しているかのように、心の中に描き出されるもの。遠い過去の情景や願望から作り出される将来の像など……」
感覚の錯誤――
それなら頷ける。人はイコールになっていないけど、状況だけがかぶってしまう……。
「翠……」
ツカサは身体と一緒に真っ直ぐな視線を私に向けた。
「『今』を見ろ。過去の出来事から得た経験は『今』や『未来』に生かされる。でも、翠が中学で味わってきた思いは今の翠に何ひとついいものとして生かされない。……なら、『今』を見て、この先に生かせ」
思わず唇を噛みしめる。それと同時に、つながれている右手にも力が入った。
それまで、ツカサに取られただけの手には自分の力は作用していなかった。その手に力をこめる。
「でもね、怖いって思っちゃうの。いくら『今』を見ようとしても、中学のときと違う宝物をたくさん見つけても、何度上から色を塗りなおしても、下にある色が浮き上がってきちゃうの――」
何度も違うって自分に言い聞かせて、違う場所をいくつも探して、信じられないくらい楽しい毎日を過ごして、人と言葉を交わすたびにそれが全部宝物になっていくのにっ――
「それ、手伝うから……」
「え……?」
「条件反射、パブロフの犬。翠は犬になればいい。もしくは、恐ろしく品質の悪い機械。俺が何度でも上書きしてやる。壊れるたびにリカバリーしてやる。保証期間は俺が死ぬまで半永久的に」
涙が零れ、急いでハンカチをポケットから出したけれど、それはあまりにも湿りすぎていてくたびれた状態だった。
「ほら」
目の前に縁取りが濃紺のブルーのハンカチを差し出された。
「ハンカチ、今度からニ、三枚持ち歩けば?」
なんて言い返そうかな、と思ったら、差し出されたハンカチで涙を拭かれた。
「別に、こんなもので良ければいつでも貸すけど……」
涙を拭いたあとは私の手に押し付けられた。私はその手に引かれるようにして歩き出す。
木田さん、時を待つ方法もあれば、後ろから押してくれる人もいて、手をつないで一緒に歩いてくれる人もいるみたいです。
この世界には、まだ私の知らないことがたくさんあって、それを教えてくれる人もいるみたいです
――
「翠、空回る前に俺を呼ぶっていうのは口だけ?」
「え?」
「夏休みにそういう話をしたと思うけど……。何、それも忘れてるわけ? それとも履行されてないだけ? どっち?」
あ――
「あぁそう……忘れてたわけね」
「違っ――くはないけど、でも……好きと怖いは正比例なんだよ?」
「何それ……」
「だから……すごく好きで大切な人ほど離れていっちゃうのは怖いから……だから、怖くて言えなかった」
すごく――すごく怖かったんだよ?
「ふーん……別に、翠から話さないならこっちから切り込むまでだけど。そのたびにこんなに泣く羽目になるなら自分からカミングアウトしたほうがいいんじゃないの? 俺、そのあたりは容赦しないよ」
「……私からツカサに話していたら、そしたら――」
「今朝ほどには突き放さなかった。少しくらいは加減した」
そうなんだ……。
「……でも、突き放しても、どんなにきついことを言っても、ツカサはそれだけじゃないのね? また、手、つないでくれる……」
気づけば、つながれた右手はあたたかくなっていた。
ツカサの手はあたたかいから、そのぬくもりで心まであたためてもらった気分だ。
「……それ、忘れるなよ」
「……うん、忘れない」
すごく怖かったけど、すごく嬉しかったから……。
「絶対に忘れない――」
病院を目前に訊かれる。
「で? 毎日アイテムは何がいいのか返事聞いてないけど?」
あ――
「別に毎日じゃなくてもいいの。だから、今回みたいなとき、もし、またツカサが気づいたら、そしたら普通に話を聞いてほしい」
「それ、泣かせるなって言いたいわけ?」
「……怖いのは嫌だし、蒼兄に心配かけたくないもの」
「ブラコン……」
何も言い返せないけど……。でも、もう今朝みたいなことは二度と言いたくない。言って、心配をかけたくない。
「……わかった、努力する。でも、できれば翠から話してくれるほうがありがたい」
「……努力します」
「そうして。じゃないと、つい意地悪心に火がつく」
真顔で言ったあとにクスリと笑った。
「ひ、ひどいっっっ」
「ひどいのは俺じゃない。何も確かめずにひとりで勝手に不安になって、俺たちを信じていない翠のほうがひどい」
それにも言い返せる言葉は持っていない。
「改めて考えてみると、かなり極悪だと思うけど?」
「……ごめんなさい」
「……そのままの翠でいいって言ったのは俺だから。でも、俺、マゾのつもりはさらさらないし、やっぱりいじめに走ると思う。俺にいじめられたくないなら翠は最低限自分で回避するべきだ」
そう言って笑う司はどこか楽しそうで嬉しそうに笑うから、「どうして?」と訊きたくなる。
今はどうしてそんなに嬉しそうに笑うの?
でも、自然と笑った顔が見れたのが嬉しくて、泣いていたはずの自分も表情が緩んだ。
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