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第十一章 トラウマ
29話
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翌朝七時前には起きて八時に出発。
三人揃って玄関を出ると、エレベーターホールで秋斗さんが待っていた。
「おはよう」
「おはようございます」
「体調は?」
「だるさは取れないけど、でも大丈夫です」
「良かった」
秋斗さんは何を言うでもなく私が持っていた荷物に手を伸ばしてきた。
「あのっ、持てますっ」
「うん、そうだね。着替えなんかは蒼樹が持ってるみたいだし、カメラは若槻かな? これはハープだもんね」
「あ、はい……」
なんだか噛みあわない会話のままエレベーターに乗り、一階エントランスに着いてしまう。
ロータリーにはすでに三台の車が停まっていた。
「翠葉は先輩の車に乗りな」
「えっ!?」
振り向きざま、蒼兄に言われて慌ててしまう。
「嫌?」
隣に並ぶ秋斗さんに訊かれて少し困った。
「嫌、というわけではなくて……。少し、いえ、すごく緊張するだけです」
すると、秋斗さんとは反対側に唯兄が並んだ。
「リィ、大丈夫だよ。サービスエリアで一度合流するし、それまで一時間ちょいだから。我慢我慢っ! いくら秋斗さんでも高速走りながらは悪さできないから安心しな」
悪さ……?
「若槻くん……あとで上司の部屋まで来るように。社会人としての常識を――」
「若槻唯はただいま二日間の休暇をいただいております」
唯兄は単調に答えた。
そんなやり取りがおかしくて自然と笑いがこみあげてくる。
まだ言い足りない感じの秋斗さんと唯兄から離れ、少し前を歩く蒼兄に駆け寄った。
外は秋晴れ。小春日和な陽気が心地いい。
車に荷物を積み込むと、蒼兄の手が頭に乗る。
「大丈夫だよ」
「うん……」
大丈夫――蒼兄のこの手にはおまじないの効果がある。だから、大丈夫……。
「あの日は秋斗くんとふたりで行ったのよ。だから、なるべくそれと同じ状況がいいと思うの。もちろん、具合が悪くなったらすぐに連絡してね?」
気づけば栞さんと昇さんが後ろに立っていた。
「麻酔の準備もしてある。ホテルに着いたら治療をしよう」
「昇さん、ありがとうございます」
「気にするな。こちとらタダで泊らせてもらえるなんて嬉しいな限り」
タダ……?
そういえば、宿泊料金のことは何も聞いていなかった。
「翠葉ちゃん、俺と翠葉ちゃんは静さんからフリーパスをもらってる人間だよ?」
秋斗さんの言葉に記憶を手繰り寄せると、うろ覚えではあるものの、概要は思い出すことができる。
「そのふたりが急に行くことになったとしても、満室でない限りはありとあらゆる融通がきく。そういうパス」
「……因みに、普通に泊るといくらくらいするんですか?」
恐る恐る訊いてみると、それに答えてくれたのは唯兄だった。
「安い部屋で一泊八万だった気がする、秋斗さん、どの部屋とったんですか?」
「翠葉ちゃんたちが泊るのはロイヤルスイート。栞ちゃんたちはそのひとつ下。俺のは普通のデラックスタイプ」
「それはそれはまぁまぁまぁ――」
唯兄は言いながらフェードアウトするかのように蒼兄の車へと乗り込んだ。
その後ろ姿を見つつ、
「翠葉、金額のことは考えるのやめようか」
「……うん、そうする」
私と蒼兄と引きつり笑いを交わした。
秋斗さんが助手席のドアを開けたとき、前方から一台の車が入ってきた。
「蔵元……?」
秋斗さんが少し嫌そうな顔をした。
ロータリーに車が停まると、運転席からはびしっとスーツを着た蔵元さんが降りてきた。
「秋斗様、こちらの書類にサイン漏れがひとつございます」
蔵元さんはブリーフケースからひとつの書類を取り出した。
「そのくらいどうにでもなるだろ」
秋斗さんは蔵元さんから書類を受け取りサインを書き入れる。
「どうにもならなかったとき、サインだけをいただきに、二時間もかけて馳せ参じるのはご遠慮申し上げたいので」
蔵元さんはにこりと笑って書類をしまった。
「そのほうが秋斗様もお嫌でしょうから?」
角度を変えた蔵元さんは私へと向き直り、
「気負わずに楽しまれますよう――」
その言葉に、忘れていたことを思い出す。
単なる旅行じゃない……。
私は自分が撮った写真の記憶を思い出さなくてはいけないのだ。
「お嬢様……?」
「え、あ……」
言葉に詰まっていると、蔵元さんはコンクリートに膝をつき、私を見上げるような体勢になった。
「どうか気負わないように」
「はい……。あの、蔵元さんひとりお留守番でごめんなさい」
「お気になさらず。これで二日間は羽を伸ばせます」
「……そうなんですか?」
「はい。誰かのお守りや誰かの使いぱしり。誰かの――」
にこにこしながら話す蔵元さんの首に腕を回したのは、寒々しいほど爽やかに笑う秋斗さんだった。
「蔵元、土産はないと思え」
「最初から期待などしておりません」
蔵元さんは飄々と答える。
「ただ、運転だけはお気をつけください」
その言葉を受けると、秋斗さんは蔵元さんを解放した。
「わかってる。彼女を乗せて無茶な運転をするつもりはない」
秋斗さんは私を助手席に座らせるとドアを閉め、運転席に回りこんだ。
窓を開けて蔵元さんに視線を戻すと、
「秋斗様は時々薬を飲むのを忘れるので、さぼらないように見張っていてくださいね」
「はいっ」
自分が飲むときに秋斗さんも一緒に飲めば問題ないだろう。
「翠葉ちゃん、そんな小姑相手にしなくていいから」
「……仲、悪いんですか?」
右に秋斗さん、窓の外に蔵元さん。
ふたりを交互に見ながら尋ねると、
「悪くはないよ」
「秋斗様は私の上司ですので、ただただ敬うばかりです」
蔵元さんの言葉を聞くと、スー、と窓が上がってきて、
「じゃ、行こうか」
と、秋斗さんは意識してにこりと笑んだ。
三人揃って玄関を出ると、エレベーターホールで秋斗さんが待っていた。
「おはよう」
「おはようございます」
「体調は?」
「だるさは取れないけど、でも大丈夫です」
「良かった」
秋斗さんは何を言うでもなく私が持っていた荷物に手を伸ばしてきた。
「あのっ、持てますっ」
「うん、そうだね。着替えなんかは蒼樹が持ってるみたいだし、カメラは若槻かな? これはハープだもんね」
「あ、はい……」
なんだか噛みあわない会話のままエレベーターに乗り、一階エントランスに着いてしまう。
ロータリーにはすでに三台の車が停まっていた。
「翠葉は先輩の車に乗りな」
「えっ!?」
振り向きざま、蒼兄に言われて慌ててしまう。
「嫌?」
隣に並ぶ秋斗さんに訊かれて少し困った。
「嫌、というわけではなくて……。少し、いえ、すごく緊張するだけです」
すると、秋斗さんとは反対側に唯兄が並んだ。
「リィ、大丈夫だよ。サービスエリアで一度合流するし、それまで一時間ちょいだから。我慢我慢っ! いくら秋斗さんでも高速走りながらは悪さできないから安心しな」
悪さ……?
「若槻くん……あとで上司の部屋まで来るように。社会人としての常識を――」
「若槻唯はただいま二日間の休暇をいただいております」
唯兄は単調に答えた。
そんなやり取りがおかしくて自然と笑いがこみあげてくる。
まだ言い足りない感じの秋斗さんと唯兄から離れ、少し前を歩く蒼兄に駆け寄った。
外は秋晴れ。小春日和な陽気が心地いい。
車に荷物を積み込むと、蒼兄の手が頭に乗る。
「大丈夫だよ」
「うん……」
大丈夫――蒼兄のこの手にはおまじないの効果がある。だから、大丈夫……。
「あの日は秋斗くんとふたりで行ったのよ。だから、なるべくそれと同じ状況がいいと思うの。もちろん、具合が悪くなったらすぐに連絡してね?」
気づけば栞さんと昇さんが後ろに立っていた。
「麻酔の準備もしてある。ホテルに着いたら治療をしよう」
「昇さん、ありがとうございます」
「気にするな。こちとらタダで泊らせてもらえるなんて嬉しいな限り」
タダ……?
そういえば、宿泊料金のことは何も聞いていなかった。
「翠葉ちゃん、俺と翠葉ちゃんは静さんからフリーパスをもらってる人間だよ?」
秋斗さんの言葉に記憶を手繰り寄せると、うろ覚えではあるものの、概要は思い出すことができる。
「そのふたりが急に行くことになったとしても、満室でない限りはありとあらゆる融通がきく。そういうパス」
「……因みに、普通に泊るといくらくらいするんですか?」
恐る恐る訊いてみると、それに答えてくれたのは唯兄だった。
「安い部屋で一泊八万だった気がする、秋斗さん、どの部屋とったんですか?」
「翠葉ちゃんたちが泊るのはロイヤルスイート。栞ちゃんたちはそのひとつ下。俺のは普通のデラックスタイプ」
「それはそれはまぁまぁまぁ――」
唯兄は言いながらフェードアウトするかのように蒼兄の車へと乗り込んだ。
その後ろ姿を見つつ、
「翠葉、金額のことは考えるのやめようか」
「……うん、そうする」
私と蒼兄と引きつり笑いを交わした。
秋斗さんが助手席のドアを開けたとき、前方から一台の車が入ってきた。
「蔵元……?」
秋斗さんが少し嫌そうな顔をした。
ロータリーに車が停まると、運転席からはびしっとスーツを着た蔵元さんが降りてきた。
「秋斗様、こちらの書類にサイン漏れがひとつございます」
蔵元さんはブリーフケースからひとつの書類を取り出した。
「そのくらいどうにでもなるだろ」
秋斗さんは蔵元さんから書類を受け取りサインを書き入れる。
「どうにもならなかったとき、サインだけをいただきに、二時間もかけて馳せ参じるのはご遠慮申し上げたいので」
蔵元さんはにこりと笑って書類をしまった。
「そのほうが秋斗様もお嫌でしょうから?」
角度を変えた蔵元さんは私へと向き直り、
「気負わずに楽しまれますよう――」
その言葉に、忘れていたことを思い出す。
単なる旅行じゃない……。
私は自分が撮った写真の記憶を思い出さなくてはいけないのだ。
「お嬢様……?」
「え、あ……」
言葉に詰まっていると、蔵元さんはコンクリートに膝をつき、私を見上げるような体勢になった。
「どうか気負わないように」
「はい……。あの、蔵元さんひとりお留守番でごめんなさい」
「お気になさらず。これで二日間は羽を伸ばせます」
「……そうなんですか?」
「はい。誰かのお守りや誰かの使いぱしり。誰かの――」
にこにこしながら話す蔵元さんの首に腕を回したのは、寒々しいほど爽やかに笑う秋斗さんだった。
「蔵元、土産はないと思え」
「最初から期待などしておりません」
蔵元さんは飄々と答える。
「ただ、運転だけはお気をつけください」
その言葉を受けると、秋斗さんは蔵元さんを解放した。
「わかってる。彼女を乗せて無茶な運転をするつもりはない」
秋斗さんは私を助手席に座らせるとドアを閉め、運転席に回りこんだ。
窓を開けて蔵元さんに視線を戻すと、
「秋斗様は時々薬を飲むのを忘れるので、さぼらないように見張っていてくださいね」
「はいっ」
自分が飲むときに秋斗さんも一緒に飲めば問題ないだろう。
「翠葉ちゃん、そんな小姑相手にしなくていいから」
「……仲、悪いんですか?」
右に秋斗さん、窓の外に蔵元さん。
ふたりを交互に見ながら尋ねると、
「悪くはないよ」
「秋斗様は私の上司ですので、ただただ敬うばかりです」
蔵元さんの言葉を聞くと、スー、と窓が上がってきて、
「じゃ、行こうか」
と、秋斗さんは意識してにこりと笑んだ。
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