光のもとで1

葉野りるは

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第十一章 トラウマ

18話

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『かずさっ、でんわだよっ! かずさっ、でんわだよ!』
 なんともかわいい音声が、携帯の着信を教えてくれた。
「そろそろお呼びかな? ほいほーい!」
『和総、あと五分で戻って! 試合が始まるっ』
「了解っ」
 通話を切ると、新たに電話をかけなおす。
「あ、理美? 特教棟の一階から体育館に戻る。勝利の女神つきだから迎えに来て。頼んだよ」
 言うと、携帯をしまって先に立ち上がった。
「ほら、準決勝行くよっ!」
 手を差し出されたけれど、いつも差し出される手とは違う。
 節くれだっていて、ゴツゴツした手。蒼兄の手よりは大きく、お父さんの手よりは少し小さい。
 その手をじっと見ていると、
「ほらっ」
 急かされてその手を取った。
「うっし、幸先よしっ!」
「幸先?」
 河野くんはにこりと笑い、ゆっくりと引っ張り上げてくれた。
「御園生ちゃんがクラスの男子の手を取るのって、佐野か海斗だけだったでしょ? 俺、記念すべき三人目っ!」
 そう言われてみれば、そんな気がする。
「うちのクラスの男くらい平気になろうよ。助けてくれる手は多いほうがいいでしょ?」
 私は言われて少し考えた。
「河野くん……それ、私もそっち側になれるかな? 私が手を差し出しても掴まってもらえるのかな?」
「――すっげー嬉しいっ! そうだよ、持ちつ持たれつ! お互いに手を伸ばそうよ」
「……うんっ!」

 階段を下り、一階の出入り口から桜林館に入ると、相変わらず人でごった返していた。そんな中、河野くんが空いているスペースを見つけながら歩いてくれる。
「理美っ、女神のことあと頼むっ」
 河野くんは大声で十メートルほど先にいた理美ちゃんに声をかけ、
「じゃ、俺試合行ってくるわっ!」
 と、コートへと駆けていった。その姿を目で追うと、うちのクラスのメンバーと対戦するクラスのメンバーにたどり着く。
「あ、次の試合って、ツカサのクラスとの試合だったのね?」
 そうやって余所見していたのがいけなかったと思う。
 人とぶつかった拍子に痛みが走った。
「っ……」
 右手で左半身を庇うようにして前かがみになり、その場に座り込む。
「翠ちん、大丈夫っ!?」
「ん……ちょっと余所見していたの」
「でも今の――」
「ん?」
 顔を上げると、理美ちゃんは私の後ろを見ていた。その表情は硬い。しかしそれは一瞬のことで、すぐにいつもの笑顔を見せてくれた。
「ううん、なんでもない。歩けそう? あっちに席が取ってあるんだけど」
 支えてもらって立ち上がり、観覧席まで真っ直ぐ歩いた。
 観覧席に着けば、試合が終わって応援に駆けつけているクラスメイトに囲まれる。
 周りにクラスメイトがいるだけでほっとした。
 河野くん、本当だね……。
 うちのクラスの人の手は、誰の手であっても躊躇しなくていいのかもしれない。ここは――クラスメイトがいるところは、いつしか私のホームグラウンドになっていたんだ。
 今、学校で噂が流れていても、私が私でいられるのはクラスメイトがいるから。
 噂で私を判断しないでくれる人がいる。だから、私は学校を怖いとは思っていない。
 中学のときとは違う――
「翠ちん、薬は? 飲まなくて大丈夫?」
 理美ちゃんに言われてどうしようか悩んだ。でも、予防的に飲んでおくことにこしたことはない。
「うん、ありがとう。飲んでおく」
「これに勝ったら次は決勝だよー!」
 教えてくれたのは右隣に座る希和ちゃん。
 私は集計作業をしていたけれど、それを統括する仕事はしておらず、末端の集計をしていたために、どこが勝ち進んでいるのかまではきちんと把握していなかった。
「っていうか、一学期に引き続き因縁対決だけどね」
 追加情報を教えてくれたのは希和ちゃんの後ろに座っていた空太くん。
 一学期もうちのクラスは準決勝まで勝ち進んでいたのかな。そのときの対戦相手がツカサのクラス……?
 なんとなく覚えているような覚えていないような……。今と同じ観覧席にいた気はするけれど……。
 すごく恥ずかしい思いをした気はするけれど、それが何によるものなのかは思い出せなかった。
 思い出せそうで思い出せない。最近はそんなことがあちらこちらに転がっていて、ひどくもどかしい。
 なんとなしに視線をさまよわせていとら、コート内にいるツカサと目が合った。
 ツカサには珍しく首を傾げる仕草。
 何……?
 じっとツカサを見ていると、ツカサは手元を指した。
「……あ、薬?」
 声は発しなくてもツカサは唇を読んでくれる。そして、夏休み中に培われた「大丈夫」の信用度により、「ならいい」といった顔をでこちらに背を向けた。
 私は、一学期もこうして試合をするツカサを見ていたのだろうか。
 手帳に挟まっていたツカサの写真……。
 本当は思い出せそうなのではなく、ただあの写真を見ているから何か知っている気がするだけではないのか。
 あの一シーンを切り取った写真でしか球技大会のことを知らないのに、その一枚だけで知ったような気になっているのではないのか。
 実際には何を思い出しそうなわけでもなく――
「あら、翠葉?」
 思考のどつぼに嵌りそうなとき、凛とした桃華さんの声が聞こえた。
「集計は?」
「粗方片付いたよ」
 そう答えると桃華さんの動作が止まった。それから表情も。
 説明が足りなかったかと思い、補足説明を追加した。
「あとは準決勝と決勝戦の集計しか残っていないから、もう視聴覚室には誰もいないと思う」
「……呆れた」
 桃華さんは携帯を手に持つと、
「佐野? 桜林館に戻ってOKよ。翠葉はこっちにいる。集計の最終チェックまで終わってて、残りは準決と決勝戦の集計のみですって。――そう、じゃあとでね」
 携帯を切ると、きれいな顔が再びこちらを向いた。
「一学期なんて決勝戦が始まるギリギリまでみんな集計に追われていたのよ?」
 そう言って私の隣に座ると、スポーツドリンクをごくごくと飲んだ。
「いったいどれだけほかを手伝ったの?」
「ん? 適当に……。山積みになっているところから順番に手伝っていっただけ。……なんていうか、サッカーの試合を見に行こうとしたら、ツカサに仕事を振られて、それを片付けていたらうちのクラスのサッカー見にいけなくなっちゃったの……」
「なるほどね……。翠葉、陸上競技大会のときに熱射病になってるからよ。あの男、翠葉を外に出したくなかったんでしょ。で、その時間に翠葉がやらされた集計のおかげでほかのクラスが楽をできたってところね。相変わらず人遣いの粗い……」
 陸上競技大会では、熱射病になったのね?
 そんな記憶だって私にはない。
 生徒会役員は球技大会そのものと集計作業が滞りなく進んでいるのかのチェックや、進行に関する調整が主で、集計の作業自体に加わることはまずない。ただ、どうしても終わりそうにないときは手伝うのだという。
 その都合上、計算が速い会計が集計チェックに配属される。
 私はあっちこっちを行き来できるわけではないし、試合そのものにも出ない。だから、集計オンリーの仕事に就かせてもらった。
 私のほかに優太先輩とツカサが集計チェックで視聴覚室にいることが多かったけれど、試合のときにはいなくなる。
 そのタイミングで桃華さんか佐野くんが戻ってくるので、視聴覚室でひとりになることもなかった。
 何が残念かというならば、集計作業が忙しくて、ほとんどクラスの応援に行けないこと。
 集計上でどこまで勝ち進んでいるかを断片的に知ることはあるけれど、準決勝か決勝まで残っていなかったら、応援に関してはほぼ完全にアウト。どの試合を見ることなく終わってしまうのだ。
でも、さっきの桃華さんの話だと、一学期はそれ以上に大変で、決勝戦まで残らないと試合を見ることができなかったことを察する。
「やな男……」
 隣からポツリと聞こえるは桃華さんの声。
 視線だけはずっとコートに固定されていた。
 間違いなく、「やな男」なのはツカサ。
 うちのクラスのメンバーは補欠を含め、海斗くん、井上くん、小川くん、河野くん、鈴野くん、瀬川くん。対戦チームで知っているのはツカサだけだけど、誰もが無駄のない動きをしていて、次々とツカサのもとにボールが集ってくる。そして、シュートを打たせればほぼ百パーセントに近い確率でゴールを決めていた。
「すごい、格好いい……」
「翠葉……うちのクラスを応援してくれないかしら?」
 桃華さんが口元を引くつかせて言う。
「あ、わ……ごめんなさい。別にツカサを応援しているわけじゃないの。……ただ、なんていうか、無駄に格好いいよね?」
 訊くと、後ろから声がした。
「記憶がなくても同じ感想なんだな?」
 佐野くんだった。
「佐野くん、これっ!」
 香乃子ちゃんがスポーツドリンクを渡すと、
「七倉サンキュ!」
 それを受け取り、私の真後ろに座った。
「御園生はさ、一学期の球技大会のときもそう言ってたよ」
「一学期の球技大会でも……?」
「そうね……あの男に釘付けだったわ」
 ふたりの言葉に頬が火照る。
「あのときはさ、翠葉ちゃん、うちのクラスも藤宮先輩もどっちも声出して応援してたじゃん」
 希和ちゃんに言われたけれど、私にはその記憶がないわけで……。
 どう返事をしたらいいのか悩んで、
「そうだったっけ……」
 と、少し小さめの声で答えた。
「今回は応援しないの?」
 希和ちゃんに顔を覗き込まれる。
「あ……えと……」
 希和ちゃんが私を見ているのはわかるのに、どうしてもツカサから目が離せなくて、なのに、応援に声を出せる気もしなくて……。
 困ってしまった――
 きっとさっきの先輩は、こういうのも嫌なんだろうな、と思えば余計に。でも、それだけではなく、どうしたのかわからないくらいに心臓がうるさい。
 走ってもいないのに、バクバクいっていてどうしたらいいのかがわからない。思わず、胸元のジャージを掴んだけれど、それで心拍が治まるわけはなかった。
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