光のもとで1

葉野りるは

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11~12 Side 司 02話

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 病室を出てナースセンターの前を通ると、栞さんは電話対応をしていた。そして、俺たちを視界に認めると、
「あ、ちょっと待って――」
 慌てた様子で呼び止められる。
 呼び止められたのは翠ではなく、俺。
「今、静兄様が病院に向かっているみたいなの。司くんに用事があるから、所在を明らかにしておくようにって」
「屋上にいると伝えてください」
「わかったわ」
 ……静さんが俺に用? 身に覚えがない。
 栞さんは再度受話器に向かって話し始め、俺たちはナースセンターを通り過ぎた。
 静さんの用件も気にはなるが、それ以上に俺の隣をスタスタと歩く翠の姿がもっと気になった。
「電話で聞いて知ってはいたけど、ここまで調子がいいとは思わなかった」
 エレベーターに乗り込み、じっと翠の立ち姿を見ていた。
 どこを庇うことなく歩いていたし、今も痛みを隠しているようには見えない。
「私もびっくりしてる」
 屈託なく笑う顔が俺を見た。そして、「聞いて聞いて」と言わんが如く、「今日ね」と口にする。
「聞いた」
「……私、まだ何も言ってない」
「家に帰ったら母さんが嬉しそうに話してきた」
 たぶん、翠が言おうとしているのはハナのことだろう。
 なんていうか……目がハナと同じ。
「ちょっと残念。珍しく大きな出来事で報告ごとだったのに」
「俺は別の意味で残念。ハナを翠に会わせるのは俺だと思ってた。まさか父さんに先を越されるとは思ってなかった」
 翠は、「何それ」と笑う。
 けど、ハナと会ったときの翠の反応を見たかったとは素直に言えず……。
「ハナちゃん、すごくかわいいね? この裏にあんなお部屋があるなんて知らなかった」
 エレベーターのドアが開いて、翠は俺よりも先に歩きだした。
 点滴スタンドは俺が持ったままだというのに、そんなことは気にせず前へ前へと進む。その様は、まるではしゃいでいるよう。
 こんな翠を見ることはめったになく、珍しいものを見ている気がした。
「俺たちの祖母が入院したときに急遽作ったんだ」
 何がそんなに嬉しい? ハナに会えたこと?
 そう思えば、なおさら悔しさが募るわけで……。
 ポケットに手を入れると、指先に硬いものが触れる。
 出かけに母さんから渡されたチェーンはきれいに磨き上げられ、見事なシルバーの輝きを取り戻していた。それに通してあるだけのとんぼ玉のグリーンがよく映える。
 無造作にジーパンに突っ込んできたものを手に、
「翠」
「何?」
「点滴人間なんだから、そんなに先へ行くな」
 少し歩幅を広げればすぐに追いつく距離だけど……。
 翠の背後から首にチェーンをかけると、
「……何?」
「お土産」
 チェーンの留め金を留め、その上に髪の毛を出す。
 相変わらず、しなやかで手触りのいい髪……。
 その髪は、夏の湿度などまるで関係ないように、絹糸のごとくさらりとまとまる。
 翠は自分の首にぶら下げられたものを両手で掴んでじっと見ていた。
「……違う、とんぼ玉……?」
「お土産っていっても食べ物じゃないほうがいいと思ったし、でもこれといったものもなかったから、露店で見かけたとんぼ玉。悪いけど、精巧なつくりじゃないし安物だから」
 母さんにも指摘されたし、確かに五〇〇円だったし……。
 自分に言い訳をしていると、
「すごく、すっごく嬉しいよっ!?」
 翠は振り返り俺を見上げると、俺の言い訳以上の理由を並び挙げる。
「大好きな淡い緑だし、お花の模様がついているし、ガラス好きだし、ツカサが選んでくれたのでしょう?」
「……俺以外に誰もいないだろ」
「だから嬉しいっ」
 ――ダカラウレシイ。
 その言葉が嬉しくて、ちょっと困る。
 翠が首の後ろに手を回し、チェーンと格闘し始めた。
「……外すの?」
 もう少しくらい着けていてくれたらいいのに。
「だって、ちゃんと見たいんだもの」
 大きな目を見開いて、「見たい」と言う。
 そういうことなら――
「わかった、外すから」
 ものすごくベーシックな留め金だと思う。こういうの、男よりも女のほうが慣れているだろうに、翠は外せなかった。
 もしかしたら、指先が痛むのかもしれない。
「ほら」
 翠の手の平に乗せてやると、まるで花が綻ぶように笑った。
「きれい……かわいい、ありがとう」
 久しぶりに見た笑顔に心臓が変な動きをする。
 やばい――心拍速まりそう。
 何か、胸にこみ上げてくるものがあった。
 そんな現象に対応しきる自信がなく、見なかったことにしようと視線を逸らし、進行方向を変えた。
 ちょうど少し先にベンチがあったから、点滴スタンドを押しながらそこへ向かう。
 ……ちゃんとついて来いよ?
 ハナに付けるリードとはわけが違う。
 これを引っ張れば点滴が抜ける。そんな簡単に抜けるものではないが、引っ張っていいものでもない。
 ベンチに座ると、翠は後ろからちょこちょこと早足でやってきた。そして、俺の前に立つと、
「ツカサ、まさかとは思うけど、私のことをペットみたいに扱っていたりしないよね?」
「なんだ、やっと自覚したのか」
 笑って見せると、翠がわかりやすく怒りだした。
「ひどいっ! ハナちゃんはかわいいけど、私は一応人間なんだからねっ!?」
「へぇ、一応でいいんだ?」
 つい、意地悪心に火がつく。
 むっとしている顔の翠もめったには見られない。貴重だけど、そろそろ座ってもらいたい。
 自分の隣のスペースを手で軽く叩く。
「歩きまわってもいいのかもしれないけど、立ちっぱなしは良くないだろ?」
 翠はコクリと頷きそのスペースに座った。
「何か聞いた?」
「え?」
「うちの両親から」
 あまり変なことは聞いていないことを願う。もしくは父さんに尋ねられたことをペラペラ答えるとかも勘弁願いたい。
「……とくには何も」
「ふーん……」
「……だって、百聞は一見にしかず、なんでしょう? 私は、会って話をしてツカサを知りたいから、たぶん、誰かにツカサのことを訊こうとは思わないと思う」
 不意打ちとは、こういうことを言うのだろう。
 俺は笑みが漏れるのを堪えられずに俯いた。
 隣の翠はまだ手の平にあるとんぼ玉を見つめている。
「それ、もう一度着けようか?」
「え……?」
「音は鳴らないけど鈴みたいだし……」
 返事は待たずにチェーンを取り上げ、さっきより早くに着け終えた。
 やっと意味を解したらしい翠が、
「私、猫じゃないんだけど……」
 と、睨んでくる。
「猫には鈴だよな。翠にはガラス玉?」
 犬にはカラー、猫には鈴、翠にはガラス玉。
 自分の中での結論を口にしたら翠はまたむくれるだろうか。
 そんなことを考えていると、エレベーター前の自動ドアが開く音がした。
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