光のもとで1

葉野りるは

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第十章 なくした宝物

32話

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 十二日は朝方に発作を起こした。
 すぐに相馬先生が来てくれ鍼で対応してくれた。そして、発作が落ち着いたところで昇さんがトリガーブロックの治療をしてくれた。
 痛みは我慢できるところまで引いたものの、不安は残る。
 いったい何度この治療を受けたら痛みが軽くなるのだろう。
 午前は相馬先生の治療を受け、午後には昇さんの治療を受ける。
 痛みに対して、ここまできちんと治療を受けているのは初めてな気がした。
 今までは力技で痛みをねじ伏せるような、そんな処置しか受けてこなかった。
 モルヒネまがいの静脈注射の次が神経ブロック。それでも追いつかなくなれば硬膜外ブロック。
 それでも痛みが起きるときは麻薬に属する薬を使っていた。それしか方法がなかったから――
 でも、今は効果があるかもしれないといわれている治療を受け、さらには厚生労働省にやっと認可されたという薬の服用も開始している。
 どのくらいでその薬の効果が出てくるのかはわからないし、どのくらいの分量を飲めば効果が出るのかも人によりけりだという。
 通常、一日に六〇〇ミリグラムから処方されるところ、私は四〇〇ミリグラムからスタートした。
 薬は毒――匙加減如何で薬にも毒にもなる。この薬は副作用がひどく出るということだった。
 症状としては平衡感覚の欠如や吐き気。ゆえに、薬が効きやすい体質の私は、通常より下回る服用量からスタートした。
 結果、この薬に対する副作用は出なかったものの、この薬を補助するための薬の副作用が顕著に出た。
 横になっていても、何をしていても吐き気がひどく、ご飯を食べられる状態ではなくなった。
 その薬は主には精神科で使われる薬だという。けれども、湊先生は私が不信感を抱かないようにきちんと薬の説明をしてくれた。
「ペインクリニックの硬膜外ブロックと同じようなものよ。あれは末期がんの患者にする処置でもあるけれど、これも耐え難い痛みを抱えた患者に有効であることは臨床で証明されている。表立っては精神疾患の薬とされているけれど、常用外って使い方があるの」
 先生はお医者さんが使う薬の手引書のようなものを見せて私を納得させてくれた。
 こういうの、説明不足なお医者様についてしまったらつらいだろうな。
 治療方法が正しくても飲むのをやめてしまう人がいるだろうから……。
 痛みの本質を勘違いされたら患者はショックを受ける。そのときに感じる、「この先生にはわかってもらえない」という感情がドクターショッピングの引き金になるのだ。
 お医者さんはそこまで考えてお薬を処方してくれたらいいのに……。
 残念ながら、すべてのお医者さんはそうではないというのが現状のようだ。
 どんな場所においてもコミュニケーションは難しい……。
 今まで、どれだけ大きな病院にかかっても、検査に異常がなければたどり着く先は精神科だった。
 そんなことを何度となく繰り返し、病院という場所になんの期待もできなくなっていたころ、両親の知り合いの伝手で藤宮病院にかかることになった。
 紫先生は検査に異常が出なくても、私を精神科に回そうとはしなかった。むしろ、精神科にかかる必要はないと断言してくれた人。
 ほかの病院でたくさんの検査をしてきた経緯を知れば、今までに行った病院から検査結果を取り寄せ、必要以上の検査はしないでくれた。そして、先天性の僧帽弁逸脱症を発見してくれ、僧帽弁が人よりも薄いこともわかった。
 今思えば、両親の知り合いというのは静さんだったのだろう。
 身体が弱かったのは小さいころからだけど、痛みが出てきたのは九歳のころ。
 そのころから病院をたらいまわしにされ、紫先生に出逢えたのは中学二年の夏――
 長かったな……。
 私はこの病院にたどり着くまでのことをひたすらに思い出していた。
 気持ちが悪くて、何かほかのことに意識を逸らしたくて……。
「気持ち悪い……」
 十一日に投薬を開始して、まだ二日目だ。
 薬が身体に馴染み副作用が消えるまで、二週間ほどかかると言われている。
「あと十二日……」
 そしたらもう八月末で夏休みが終わってしまう。
 本当に、二学期に間に合うのだろうか……。
 考え始めれば不安の種などそこらじゅうに転がっていて、早くも芽を出しては成長しそうな勢いがある。けれども、芽が出るたびには摘んで捨ててくれるのが相馬先生と昇さんで……。
 このふたりには、具合が悪いところを見られるのは慣れてしまった。
「またおまえ食ってねぇし……」
「先生、無理……。気持ち悪くて食べられない……」
「二週間の我慢だって言ったろ?」
「それは仕方ないと思います。だから、二週間ご飯が食べられないのも仕方ないと思って諦めてもらえると嬉しい……」
「んなことできるか」
 こんな言い合いが日常になりつつあった。
 食べろといわれても、嘔吐してしまうほどに気持ちが悪いのだ。
 申し訳ない、と思いつつ、今ばかりは何を口にするのも断固拒否……。
 お水を飲むのがやっとで、お水以外にはお薬しか口にしていなかった。ゆえに、高カロリー輸液も未だ外されていない。

 十三日になるとツカサがやってきた。
 吐き気のひどさにそんなことすら忘れていた私は面食らう。
「来るって予告しておいたけど?」
 相変わらずな口調に少しほっとする。
「うん……。写真、ありがとう。すごく嬉しかった……ありがとう」
「どういたしまして……」
 なんだか微妙に空気が重い。
「……電話に出られなくて、メールにも気づかなくて悪かった」
 スツールにも掛けず、立ったまま謝られた。
 咄嗟に身体を起こし「謝らないでほしい」と言おうとしたら、身体を起こす前に頭を小突かれた。
「吐き気、ひどいんだろ? 無理して起きなくていい」
 こういうところ、まだお医者さんじゃないのにすごくお医者さんぽい。
 昇さんの話を聞いたからか、ツカサがひとりで先へ行ってしまう気がして少し怖かった。
 怖い、というよりは、寂しいのかもしれない。
 なんだろう……こんな感情の名前は知らない――
 ツカサは病室に入ってきてからずっと立ったままで、座ろうとはしない。
 この雰囲気の硬さにも不安があって名前を呼んだ。
「ツカサ……?」
「来て早々で悪いんだけど……」
「……まだ体調悪い? 帰る?」
「完治してなかったらここへは来ない」
 バッサリと斬られた気分。でも、言っていることはツカサが正しい気もする。
「俺、言いたいことは言う主義なんだ」
 え……?
「だから、言わせてもらう」
 ベッドに横になったまま身構える。と、
「この間の、八日のは単なる八つ当たりだから」
 八日……八つ当たり――
 瞬時に、あの日態度が一変したツカサを思い出す。
「あ……あの、私っ――」
「俺は謝られたかったわけじゃないし、感謝してほしかったわけじゃない」
「え……?」
 私も身構えているけれど、ベッドサイドから少し下がった位置にいるツカサの手もひどく力が入っていた。手が、握りこぶし……。
 ツカサは少し深めに息を吸うと、一気に話しだした。
「翠が入院してから、かなり翠の近くにいられている気がしていた。記憶がなくなっても頼ってもらえていると思っていた。思っていることをだいぶ話してもらえるようになったとも思っていたし、何よりも側にいたら、顔を見ていたら何を考えているのかすらわかったつもりでいた。でも……八日にそれは違うって思い知った。翠は具合が悪くても言ってはくれないし、自分はバイタルを見るまで気づけなかった。その両方に腹が立って八つ当たりした。八つ当たりしたことは謝らない。けど、そのあと電話に出られなかったことやメールの返信ができなかったことは謝る」
 一気に言われてびっくりしていた。反応できずにいると、
「今ので内容伝わらないわけっ!?」
 え、あ……内容がわからないわけじゃないけれど――
「一昨日から嫌ってほど考えていたから内容くらいは伝わる文になってるはずだけどっ!?」
 すごくムキになったツカサにも驚いていた。
「十一日からずっと考えてくれていたの?」
 話の内容よりも、そのことのほうが気になった。
「しょうがないだろ……。それまで熱出しててほとんど寝てたし」
 素っ気無く顔を逸らす様は、「ばつが悪い」。そんな感じ。
 あ……そうか。風邪をひいたのを知られたくないって、楓先生がそんなことを言っていた気がする。
 どうしてだろう……。こういうツカサを見られるのは嬉しいな。私も……私も、話していいかな。
「あのね……私は八日の夜に目が覚めてから、十日までずっと考えていたの。でも、連絡がつかないことが怖くなって、携帯はしまっちゃった」
「……は?」
「……携帯が側にあるの、なんだか落ち着かなくて、サイドテーブルにしまっちゃったの。それからは一度も電源入れてない」
 ツカサはすぐにサイドテーブルの引き出しを開け、携帯を取り出した。
「ほかの人間からメールが届いていたらどうするんだよっ。電源入れてメールの受信だけしてくる」
 言うと、ツカサは踵を返して病室を出ていった。
「……今の、ツカサ……だよね?」
 なんだかいつもと違いすぎてとても奇妙なものを見た気がした。
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