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第十章 なくした宝物
20話
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「家に帰ってきた私は、痛みに耐えることが精一杯で、人との接点を避けることに躍起になっていたと思います」
思い出すだけでも苦い気持ちでいっぱいになる。
「とくに、両親には仕事に戻ってもらいたくて……」
ツカサは何か言いたそうだったけれど、意識して口を噤んでいるように見えた。一方、秋斗さんは完全に聞く体勢で私の言葉を待っている。
「唯兄はいつでも私の味方でいてくれて、時には嘘までついてくれて――家族だけだったら、きっともっとひどいことになっていました」
「若槻は……君たち兄妹にとってすごくいいパートナーになると思うよ」
きっと、唯兄がうちの家族に加わったことも秋斗さんは知っているのだろう。
このふたりになら話しても大丈夫。そう思ったから蒼兄と桃華さんが付き合っていることも話した。
「御園生さん、趣味悪……」
ツカサ、それはあんまりだと思うの……。
逆に秋斗さんは、
「やっとくっついたか。司、蒼樹にはああいう子が合ってるんだよ」
私はその言葉に頷く。
「私もとてもお似合いだと思います」
「あのふたりは結婚まで行くんじゃないかな? 俺、こういう勘は当たるんだ」
ツカサは何か言いたげな目で秋斗さんを見ては、ぷい、と外を見る。
「しばらくして、静さんと栞さん、湊先生が来てくれました。私は湊先生に、両親を職場に戻す協力をしてほしいとお願いをしていて、湊先生は静さんに協力を仰いでくれたのだと思います」
あの日の静さんは、それまで見たことがないくらいに厳しい大人の顔をしていた。
「静さんが帰るとき、唯兄に付き添ってもらって玄関で少し話したんですけど……」
静さんは何もかもお見通しだった。何もかも見通していたからこそ、人にかまわれたくないのなら自分のところへ来ればいい、と言ってくれたのだ。
あのときは何を言われているのか咄嗟に理解はできなかったし、言われたことを受け入れることもできなかった。でも、今ならわかる。
静さんは私に家と病院以外の選択肢を提示してくれたのだ。
その話の途中、お母さんが会話に加わった。いつもとは違うお母さんの声と表情に息を呑んだ。
あのとき、お母さんは同級生や親友、そういうすべてのものを差っぴいて、「ビジネスの話をしましょう」。そう言っているように見えた。
でも、ビジネスの会話、とは表面だけで、お母さんの怒りの感情が見え隠れしていたように思える。
あのあと、お母さんと静さんは何を話したのかな……。
「あのあと、私は碧に怒られただけだよ」
え……?
急に割り込んだ声に、三人とも病室の出入り口に目をやる。
そこには静さんが立っていた。
いつからいたの……?
「碧も零樹も、人のことを親友扱いする割に、娘の身体のことは一切話してくれなかったからね。君が、こんなにもつらい思いを毎年していることは知らずにいたんだ」
静さんが部屋の中へ入ってくると、
「おや、両手に花だね?」
両手――つまり秋斗さんとツカサが花ということなのだろう。
「静さん、こんにちは……」
回想していたこともあり、気持ちがグラグラと不安定で、声もガタガタだった。
「なんでここに……」
秋斗さんが身を引いて尋ねると、
「私が会わせると言わなかったか?」
静さんは少しきつい口調で秋斗さんに問う。秋斗さんが一言も答えずにいると、「自分が連れてきました」とツカサが口にした。
「連絡の一本くらいは欲しかったものだな。蔵元と栞から連絡が来るまで、私はひとり蚊帳の外だったわけか?」
……何? なんなの……?
「翠葉ちゃん、翠葉ちゃんが記憶をなくす過程においては、私も一枚噛んでいるんだ」
静さんは目を伏せ、静かに口にした。
「それは話をしていけばわかることだ。そんなわけで、ここからは私も同席させてほしいんだが?」
静さんは私たち三人に視線をめぐらせる。
ツカサは面白くなさそうな顔をしていたけれど、唯一静さんの申し出に答えられた人だった。
「別にいいんじゃない? 一枚噛んでるのは間違いないし」
静さんは、「いいかな?」と私と秋斗さんを交互に見た。それに、私と秋斗さんは頷くことで了承した。
静さんが病室のソファにかけたことを合図に話の先を促された。
「家に帰ってすぐに考えたのはマンションと自宅の差。メリットとデメリット――」
「それ、普通は帰る前に考えない?」
ツカサに突っ込まれて苦笑を返す。
「そうだよね。でも、あのときはどうしてかおうちに帰ることしか考えられなかったの」
すると、秋斗さんが俯いたまま言葉を発した。
「そうさせたのは、俺の行動に一因があると思う」
顔は見えない。でも、今秋斗さんがどんな顔をしているのかはわかる気がした。
「秋斗さん……私にはその記憶がないんです。だから、そんな顔も声も、しないでください」
大きな声でしっかりと言いたいのに、声は言葉を発するごとに小さくなっていく。
「俺も翠葉ちゃんに同じことを言ったのにね。自分じゃできそうにない」
秋斗さんは軽く左右に頭を振って席を立った。
「そんなのずるいですっっっ」
左手で秋斗さんの手をぎゅっと掴んだ。握られていた手を離されたから。
今、この手を離しちゃいけないと思った。
「私もひどいことをしたのでしょう? 秋斗さんを傷つけたのでしょうっ!? 私にはひどいことをされた記憶もなければひどいことをした記憶もないっ。でも、全部聞くし……ちゃんと受け止めようと思うから――」
なんて言葉を続けたらいいんだろう……。
「秋兄、フェアじゃない。翠の言うとおり、ずるいだろ? なんのためにここへ来たんだよ」
ツカサが秋斗さんを睨みつけると同時、右手を乗せていただけの手が少し強く握られた。
私たち、ちゃんとつながってる……?
「秋斗、話すと決めたからここへ来たのだろう? 己が決めたことから逃げるような人間を私は知らない」
静さんの言葉は止めだったと思う。
まるで、そんな人間は一族にいない、とでも言うかのように……。
秋斗さんは一度私たちに背を向け、廊下の方を向いた。
後ろ姿でも深呼吸をしているのがわかる。肺に酸素を入れている感じではなく、複式呼吸のほう。
私が掴んでいるだけだった手が、ほんの少し握り返された。
「ごめん……。そうだった、俺が話そうと思って、話さなくちゃいけないと思ってここに来たんだった。……俺が逃げてたら意味ないな」
そう言ってこちらを向き、スツールに掛け直す。
「秋斗、司。今は翠葉ちゃんが話をする番なんだろう? ならばおまえたちは話の腰を折らずに聞け。そうしなければ話は最後まで終わらない」
「……悪い。俺が最初に話を中断させた」
ツカサに謝られたけど、
「だいたいにして、翠の考えが突っ込みどころ満載なのが悪い」
しっかりと文句も言われた。
「ごめん……私、痛みがあるときはどうしても建設的な考えができないの」
「そういうときことそ周りを頼ればいいだろ?」
「それはできない……というか、嫌なの。頼るというか、任せっきりというか、自分の意思がどこにもない感じというか……。どんどんできることがなくなっていって、そのうえ、考えることもやめてしまったら、自分が自分でいられないような気がして――だめなの」
「……翠葉ちゃん、そういう気持ちを全部教えてくれないかな。俺たちが会っていなかった期間、翠葉ちゃんが何をどう考えていたのか……」
「……はい」
空気が重苦しくなってきたとき、
「はいはいはい、失礼するよ」
ズカズカと病室に入ってきたのは相馬先生だった。
「おい、藤宮一族はちょっと外に出てろや」
「えっ……? 先生、何?」
相馬先生に声をかけると、先生はしれっとした顔で「空気の入れ替え」と口にした。
三人はすぐに席を立ち、病室から出ていった。
「この藤宮空気、どうにかしようぜ?」
先生は窓を開ける。そして、外の熱気に、「うぉ、あちっ」と文句を言ってすぐに窓を閉めた。
思い出すだけでも苦い気持ちでいっぱいになる。
「とくに、両親には仕事に戻ってもらいたくて……」
ツカサは何か言いたそうだったけれど、意識して口を噤んでいるように見えた。一方、秋斗さんは完全に聞く体勢で私の言葉を待っている。
「唯兄はいつでも私の味方でいてくれて、時には嘘までついてくれて――家族だけだったら、きっともっとひどいことになっていました」
「若槻は……君たち兄妹にとってすごくいいパートナーになると思うよ」
きっと、唯兄がうちの家族に加わったことも秋斗さんは知っているのだろう。
このふたりになら話しても大丈夫。そう思ったから蒼兄と桃華さんが付き合っていることも話した。
「御園生さん、趣味悪……」
ツカサ、それはあんまりだと思うの……。
逆に秋斗さんは、
「やっとくっついたか。司、蒼樹にはああいう子が合ってるんだよ」
私はその言葉に頷く。
「私もとてもお似合いだと思います」
「あのふたりは結婚まで行くんじゃないかな? 俺、こういう勘は当たるんだ」
ツカサは何か言いたげな目で秋斗さんを見ては、ぷい、と外を見る。
「しばらくして、静さんと栞さん、湊先生が来てくれました。私は湊先生に、両親を職場に戻す協力をしてほしいとお願いをしていて、湊先生は静さんに協力を仰いでくれたのだと思います」
あの日の静さんは、それまで見たことがないくらいに厳しい大人の顔をしていた。
「静さんが帰るとき、唯兄に付き添ってもらって玄関で少し話したんですけど……」
静さんは何もかもお見通しだった。何もかも見通していたからこそ、人にかまわれたくないのなら自分のところへ来ればいい、と言ってくれたのだ。
あのときは何を言われているのか咄嗟に理解はできなかったし、言われたことを受け入れることもできなかった。でも、今ならわかる。
静さんは私に家と病院以外の選択肢を提示してくれたのだ。
その話の途中、お母さんが会話に加わった。いつもとは違うお母さんの声と表情に息を呑んだ。
あのとき、お母さんは同級生や親友、そういうすべてのものを差っぴいて、「ビジネスの話をしましょう」。そう言っているように見えた。
でも、ビジネスの会話、とは表面だけで、お母さんの怒りの感情が見え隠れしていたように思える。
あのあと、お母さんと静さんは何を話したのかな……。
「あのあと、私は碧に怒られただけだよ」
え……?
急に割り込んだ声に、三人とも病室の出入り口に目をやる。
そこには静さんが立っていた。
いつからいたの……?
「碧も零樹も、人のことを親友扱いする割に、娘の身体のことは一切話してくれなかったからね。君が、こんなにもつらい思いを毎年していることは知らずにいたんだ」
静さんが部屋の中へ入ってくると、
「おや、両手に花だね?」
両手――つまり秋斗さんとツカサが花ということなのだろう。
「静さん、こんにちは……」
回想していたこともあり、気持ちがグラグラと不安定で、声もガタガタだった。
「なんでここに……」
秋斗さんが身を引いて尋ねると、
「私が会わせると言わなかったか?」
静さんは少しきつい口調で秋斗さんに問う。秋斗さんが一言も答えずにいると、「自分が連れてきました」とツカサが口にした。
「連絡の一本くらいは欲しかったものだな。蔵元と栞から連絡が来るまで、私はひとり蚊帳の外だったわけか?」
……何? なんなの……?
「翠葉ちゃん、翠葉ちゃんが記憶をなくす過程においては、私も一枚噛んでいるんだ」
静さんは目を伏せ、静かに口にした。
「それは話をしていけばわかることだ。そんなわけで、ここからは私も同席させてほしいんだが?」
静さんは私たち三人に視線をめぐらせる。
ツカサは面白くなさそうな顔をしていたけれど、唯一静さんの申し出に答えられた人だった。
「別にいいんじゃない? 一枚噛んでるのは間違いないし」
静さんは、「いいかな?」と私と秋斗さんを交互に見た。それに、私と秋斗さんは頷くことで了承した。
静さんが病室のソファにかけたことを合図に話の先を促された。
「家に帰ってすぐに考えたのはマンションと自宅の差。メリットとデメリット――」
「それ、普通は帰る前に考えない?」
ツカサに突っ込まれて苦笑を返す。
「そうだよね。でも、あのときはどうしてかおうちに帰ることしか考えられなかったの」
すると、秋斗さんが俯いたまま言葉を発した。
「そうさせたのは、俺の行動に一因があると思う」
顔は見えない。でも、今秋斗さんがどんな顔をしているのかはわかる気がした。
「秋斗さん……私にはその記憶がないんです。だから、そんな顔も声も、しないでください」
大きな声でしっかりと言いたいのに、声は言葉を発するごとに小さくなっていく。
「俺も翠葉ちゃんに同じことを言ったのにね。自分じゃできそうにない」
秋斗さんは軽く左右に頭を振って席を立った。
「そんなのずるいですっっっ」
左手で秋斗さんの手をぎゅっと掴んだ。握られていた手を離されたから。
今、この手を離しちゃいけないと思った。
「私もひどいことをしたのでしょう? 秋斗さんを傷つけたのでしょうっ!? 私にはひどいことをされた記憶もなければひどいことをした記憶もないっ。でも、全部聞くし……ちゃんと受け止めようと思うから――」
なんて言葉を続けたらいいんだろう……。
「秋兄、フェアじゃない。翠の言うとおり、ずるいだろ? なんのためにここへ来たんだよ」
ツカサが秋斗さんを睨みつけると同時、右手を乗せていただけの手が少し強く握られた。
私たち、ちゃんとつながってる……?
「秋斗、話すと決めたからここへ来たのだろう? 己が決めたことから逃げるような人間を私は知らない」
静さんの言葉は止めだったと思う。
まるで、そんな人間は一族にいない、とでも言うかのように……。
秋斗さんは一度私たちに背を向け、廊下の方を向いた。
後ろ姿でも深呼吸をしているのがわかる。肺に酸素を入れている感じではなく、複式呼吸のほう。
私が掴んでいるだけだった手が、ほんの少し握り返された。
「ごめん……。そうだった、俺が話そうと思って、話さなくちゃいけないと思ってここに来たんだった。……俺が逃げてたら意味ないな」
そう言ってこちらを向き、スツールに掛け直す。
「秋斗、司。今は翠葉ちゃんが話をする番なんだろう? ならばおまえたちは話の腰を折らずに聞け。そうしなければ話は最後まで終わらない」
「……悪い。俺が最初に話を中断させた」
ツカサに謝られたけど、
「だいたいにして、翠の考えが突っ込みどころ満載なのが悪い」
しっかりと文句も言われた。
「ごめん……私、痛みがあるときはどうしても建設的な考えができないの」
「そういうときことそ周りを頼ればいいだろ?」
「それはできない……というか、嫌なの。頼るというか、任せっきりというか、自分の意思がどこにもない感じというか……。どんどんできることがなくなっていって、そのうえ、考えることもやめてしまったら、自分が自分でいられないような気がして――だめなの」
「……翠葉ちゃん、そういう気持ちを全部教えてくれないかな。俺たちが会っていなかった期間、翠葉ちゃんが何をどう考えていたのか……」
「……はい」
空気が重苦しくなってきたとき、
「はいはいはい、失礼するよ」
ズカズカと病室に入ってきたのは相馬先生だった。
「おい、藤宮一族はちょっと外に出てろや」
「えっ……? 先生、何?」
相馬先生に声をかけると、先生はしれっとした顔で「空気の入れ替え」と口にした。
三人はすぐに席を立ち、病室から出ていった。
「この藤宮空気、どうにかしようぜ?」
先生は窓を開ける。そして、外の熱気に、「うぉ、あちっ」と文句を言ってすぐに窓を閉めた。
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