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第十章 なくした宝物
08話
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病室に戻ると、部屋がこざっぱりとしていてきれいに掃除が済まされていた。
掃除のおばさんが来る時間には早いから、きっと栞さんが済ませてくれたのだろう。
ベッドへ上がると、「朝食よ」といつもと同じトレイにいつもとは違うものが載っていた。
「これ……」
「私特製よ」
ふっくらとした卵焼きにほうれん草のお浸し。きっと、ほうれん草のお浸しにはだし汁がかかっている。それから、私の大好きなハマグリのお吸い物。 ほかには豚肉でアスパラを巻いて焼いたものと五分粥。そして、栞さん特製野菜のドロドロスープ。
それぞれが少しずつ小鉢や小皿に載っていた。
「徐々に食べられるものを増やしましょう」
なんの気負いもなく言われ、「はい」と答える。
カラフルなカトラリーを渡され、ハマグリのお吸い物に口をつけると、「おっす」と昇さんが入ってきた。
「おはようございます」
「相馬にいじめられてないか?」
真剣な顔で訊かれたから、私も真顔で答える。
「昇さん、相馬先生は優しい人ですよ?」
すると、 昇さんは口元を歪め、
「たった一日なのに、もうそれかよ。俺のことは散々怖がったくせによ」
「……それは、昇さんの現れ方に問題があったんだと思います」
「昇、いったいどんな現れ方してたのよっ」
栞さんが詰め寄ると、
「突然背後に現れるとか?」
昇さんは飄々と答える。
「心臓に悪いからそういうのやめなさいよねっ」
栞さんは昇さんの両頬をつねった。
仲のいい夫婦だな、と思いながらふっくらとした卵焼きを口にする。
出汁巻き卵の優しい味が口に広がり、幸せな気分になる。
栞さんが高カロリー輸液のルート交換をしているとき、意味深な視線を昇さんから投げられた。
きっと湊先生と静さんのことだろう。
私は「大丈夫」の意味をこめてゆっくりと頷いた。昇さんも頷くと、
「じゃ、俺も仕事しにいくかぁ……」
その言葉に、外科に下りたのだな、と思った。
ルート交換は三日に一度。
敗血症にならないように、と消毒やルート交換はこまめに行われる。
早く外せるといいな……。
「じゃ、私はナースセンターにいるわね」
栞さんが部屋を出てからは、音楽を聴きながらぼーっとしていた。
食後の薬を飲めば少しうつらうつらとする。
そんな生活にも慣れてきてしまった。
でも、何かを忘れている気がする……。
身の回りにあるものにじっと視線をめぐらせると、携帯だけが異様に主張しているように見えた。
「あっ、ツカサにメールっ」
携帯を左手に、点滴スタンドを右手に持ってカラコロカラコロ。
いつもよりもペース速めで携帯ゾーンへ向かった。
急いでメールを打つも、指先に痛みが走って何度も打ち直す。
結局、文章ともいえない短いメールの出来上がり。
件名 :言い忘れたの
本文 :大丈夫だから、がんばってね。
それだけ。
でも、それ以上に伝えたい言葉はなかったし、指先も限界だった。
何よりも限界だったのは睡魔かもしれない。
メールを送ってほっとすると、私はそのまま携帯ゾーンのソファに横になって眠ってしまったのだ。
おかしいな。最近は薬にもだいぶ耐性がついてきて、こんなに眠くなることはなかったのに……。
そう思いつつも、頭の中はあっという間に霞がかってしまった――
「嬢ちゃん、そろそろ治療始めてもいいか?」
え、治療……?
目を開けると、そこはいつもと変わらない病室だった。
「てめぇ、寝たけりゃベッドで寝やがれ」
悪態をつくのは相馬先生。
「私――」
「携帯ゾーンで寝てやがったぞ。点滴スタンドが目印になってすぐにわかったがな」
あ、そっか……。
この子がいなかったら私はソファの背もたれに隠れていて、なかなか発見してもらえなかっただろう。
「……お騒がせいたしました。どうしてもメールを送りたくて……」
「あんな朝っぱらから相手もいい迷惑だな」
「……今日、ツカサのインターハイ決勝なんです」
「ツカサって誰だ?」
「あ、湊先生と楓先生の弟です。私と同い年で一学年先輩なんです」
「……そうか、嬢ちゃんは一年留年してんだったな? 彼氏か?」
言われて必要以上に反応してしまう。
「ちっ、違いますっっっ」
「へぇ~、嬢ちゃんの片思いね」
ニヤニヤと笑った顔に見下ろされ、さらに困る。
困るというのは、恥ずかしいとかそういうことではなく――
「……それもよくわからない」
「あ゛?」
「格好いいと思うし優しいと思うし、会いたいとも声を聞きたいとも思う。どんな人なのか知りたいと思うけど、それが好きっていうことなのかはわからない」
「難儀な頭してんな」
一言で片付けられ、初めての鍼治療が始まった。
鍼を刺すときに、「吸って、吐いて」と呼吸のコントロールをされる。そのせいか、鍼が刺さってもひどく痛むことはなかった。……というよりは、こんな痛みは局部麻酔と比べてしまうと蚊に刺されたようなものだ。
治療の前には脈診をされたけれど、ストレスや疲れ、肺の脈が強いそうで、ほかの胃腸や副腎に関しては脈が触れないと言われた。
それはどういうことかというと、胃腸や副腎の機能が動いていないに等しいということで、肺の脈が強いと風邪をひいているか、ひきやすい状態、ということらしい。
「風邪には気をつけろ。しばらく内科周辺には近寄るな」
言われながら、次々と鍼を刺される。
「これから打つ鍼は胃腸に効く。人によっては腸がゴロゴロ鳴り出すが気にすんな」
いくつか針が打たれた直後、見事に胃腸がゴロゴロと大合唱を始めた。
「ほぉ、嬢ちゃんは鍼との相性がいいみたいだな」
手応えを感じたのか、相馬先生にそんなふうに言われた。
背中は背骨に沿ってたくさんの鍼を打たれ、自律神経に効くツボだ、と言われる。
首にも頭にもたくさん打たれた。
「ここの筋肉、早くほぐそうな。明日にはカイロ用の寝台が届くからその施術も可能だ」
私はまな板の上の鯉状態で、なされるがまま。
治療は一時間ほどで終わり、
「今日もかなり疲れやすいはずだ。頼むから携帯ゾーンで寝るのはやめとけよ」
先生はそう言うと病室を出ていった。
掃除のおばさんが来る時間には早いから、きっと栞さんが済ませてくれたのだろう。
ベッドへ上がると、「朝食よ」といつもと同じトレイにいつもとは違うものが載っていた。
「これ……」
「私特製よ」
ふっくらとした卵焼きにほうれん草のお浸し。きっと、ほうれん草のお浸しにはだし汁がかかっている。それから、私の大好きなハマグリのお吸い物。 ほかには豚肉でアスパラを巻いて焼いたものと五分粥。そして、栞さん特製野菜のドロドロスープ。
それぞれが少しずつ小鉢や小皿に載っていた。
「徐々に食べられるものを増やしましょう」
なんの気負いもなく言われ、「はい」と答える。
カラフルなカトラリーを渡され、ハマグリのお吸い物に口をつけると、「おっす」と昇さんが入ってきた。
「おはようございます」
「相馬にいじめられてないか?」
真剣な顔で訊かれたから、私も真顔で答える。
「昇さん、相馬先生は優しい人ですよ?」
すると、 昇さんは口元を歪め、
「たった一日なのに、もうそれかよ。俺のことは散々怖がったくせによ」
「……それは、昇さんの現れ方に問題があったんだと思います」
「昇、いったいどんな現れ方してたのよっ」
栞さんが詰め寄ると、
「突然背後に現れるとか?」
昇さんは飄々と答える。
「心臓に悪いからそういうのやめなさいよねっ」
栞さんは昇さんの両頬をつねった。
仲のいい夫婦だな、と思いながらふっくらとした卵焼きを口にする。
出汁巻き卵の優しい味が口に広がり、幸せな気分になる。
栞さんが高カロリー輸液のルート交換をしているとき、意味深な視線を昇さんから投げられた。
きっと湊先生と静さんのことだろう。
私は「大丈夫」の意味をこめてゆっくりと頷いた。昇さんも頷くと、
「じゃ、俺も仕事しにいくかぁ……」
その言葉に、外科に下りたのだな、と思った。
ルート交換は三日に一度。
敗血症にならないように、と消毒やルート交換はこまめに行われる。
早く外せるといいな……。
「じゃ、私はナースセンターにいるわね」
栞さんが部屋を出てからは、音楽を聴きながらぼーっとしていた。
食後の薬を飲めば少しうつらうつらとする。
そんな生活にも慣れてきてしまった。
でも、何かを忘れている気がする……。
身の回りにあるものにじっと視線をめぐらせると、携帯だけが異様に主張しているように見えた。
「あっ、ツカサにメールっ」
携帯を左手に、点滴スタンドを右手に持ってカラコロカラコロ。
いつもよりもペース速めで携帯ゾーンへ向かった。
急いでメールを打つも、指先に痛みが走って何度も打ち直す。
結局、文章ともいえない短いメールの出来上がり。
件名 :言い忘れたの
本文 :大丈夫だから、がんばってね。
それだけ。
でも、それ以上に伝えたい言葉はなかったし、指先も限界だった。
何よりも限界だったのは睡魔かもしれない。
メールを送ってほっとすると、私はそのまま携帯ゾーンのソファに横になって眠ってしまったのだ。
おかしいな。最近は薬にもだいぶ耐性がついてきて、こんなに眠くなることはなかったのに……。
そう思いつつも、頭の中はあっという間に霞がかってしまった――
「嬢ちゃん、そろそろ治療始めてもいいか?」
え、治療……?
目を開けると、そこはいつもと変わらない病室だった。
「てめぇ、寝たけりゃベッドで寝やがれ」
悪態をつくのは相馬先生。
「私――」
「携帯ゾーンで寝てやがったぞ。点滴スタンドが目印になってすぐにわかったがな」
あ、そっか……。
この子がいなかったら私はソファの背もたれに隠れていて、なかなか発見してもらえなかっただろう。
「……お騒がせいたしました。どうしてもメールを送りたくて……」
「あんな朝っぱらから相手もいい迷惑だな」
「……今日、ツカサのインターハイ決勝なんです」
「ツカサって誰だ?」
「あ、湊先生と楓先生の弟です。私と同い年で一学年先輩なんです」
「……そうか、嬢ちゃんは一年留年してんだったな? 彼氏か?」
言われて必要以上に反応してしまう。
「ちっ、違いますっっっ」
「へぇ~、嬢ちゃんの片思いね」
ニヤニヤと笑った顔に見下ろされ、さらに困る。
困るというのは、恥ずかしいとかそういうことではなく――
「……それもよくわからない」
「あ゛?」
「格好いいと思うし優しいと思うし、会いたいとも声を聞きたいとも思う。どんな人なのか知りたいと思うけど、それが好きっていうことなのかはわからない」
「難儀な頭してんな」
一言で片付けられ、初めての鍼治療が始まった。
鍼を刺すときに、「吸って、吐いて」と呼吸のコントロールをされる。そのせいか、鍼が刺さってもひどく痛むことはなかった。……というよりは、こんな痛みは局部麻酔と比べてしまうと蚊に刺されたようなものだ。
治療の前には脈診をされたけれど、ストレスや疲れ、肺の脈が強いそうで、ほかの胃腸や副腎に関しては脈が触れないと言われた。
それはどういうことかというと、胃腸や副腎の機能が動いていないに等しいということで、肺の脈が強いと風邪をひいているか、ひきやすい状態、ということらしい。
「風邪には気をつけろ。しばらく内科周辺には近寄るな」
言われながら、次々と鍼を刺される。
「これから打つ鍼は胃腸に効く。人によっては腸がゴロゴロ鳴り出すが気にすんな」
いくつか針が打たれた直後、見事に胃腸がゴロゴロと大合唱を始めた。
「ほぉ、嬢ちゃんは鍼との相性がいいみたいだな」
手応えを感じたのか、相馬先生にそんなふうに言われた。
背中は背骨に沿ってたくさんの鍼を打たれ、自律神経に効くツボだ、と言われる。
首にも頭にもたくさん打たれた。
「ここの筋肉、早くほぐそうな。明日にはカイロ用の寝台が届くからその施術も可能だ」
私はまな板の上の鯉状態で、なされるがまま。
治療は一時間ほどで終わり、
「今日もかなり疲れやすいはずだ。頼むから携帯ゾーンで寝るのはやめとけよ」
先生はそう言うと病室を出ていった。
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