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外伝 02(一年前の六月のお話)
十六歳の誕生日 Side 翠葉 01話
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四角い窓からは、朝らしい光が差し込んでいた。
私はベッドに横になったまま、今日もいい天気だな……とその光を見て思う。
朝の早い時間ということもあり、カーテン向こうの廊下からは、音という音は聞こえてこない。部屋の窓も閉まっているので外の音が聞こえることもない。
私の前には朝の光だけが存在していた。
夜には窓際のカーテンを閉められる。ついでに、ベッドの周りを囲うカーテンもきっちりと閉められる。
私はいつも、閉められたカーテンをこっそり開き、朝は陽の光で目覚めるようにしていた。
始めのころは、看護師さんが見回りに来たときに閉められてしまう……ということを繰り返していたものの、今では黙認してくれている。
「翠葉ちゃん起きてるー?」
この声は水島さん。水島景子さんは私の担当看護師さん。
廊下側だけ閉めてあるカーテンをシャっと開けて入ってきた。
「あ、起きてる起きてる。相変わらず窓際のカーテン開けてるのね? 仕事がひとつ減っていいわ」
水島さんは両の口端を上げ、にっと笑う。
「ハッピーバースデー! 十六歳おめでとうっ!」
「っ……」
呆気にとられた私はお礼の言葉すら口にできない。
確かに今日は私の誕生日だけれど、まさか看護師さんにお祝いの言葉をもらえるとは思っていなかった。
「なぁに? まだ若いんだから年取ることに抵抗なんてないでしょ?」
「あ……えと、そうじゃなくて……『おめでとう』を言ってもらえたことにびっくりしてしまって……」
「やぁね。私だって担当患者の誕生日くらいは把握してるのよ?」
言いながら体温計を渡され、私はそれを脇に挟む。水島さんは水銀計の血圧計を用意して、すぐに私の血圧を測り始めた。
たいていの人が電子血圧計での測定。でも、私の血圧は電子血圧計では測れないことがあるため、昔ながらの水銀計を使っていた。
その分、手間も時間もかかる。
「今日は家族総出で来てくれるんじゃない?」
「家族総出……」
小さく呟き家族の顔を思い出していると、ピピっと体温計が鳴った。それを取り出し、小窓に表示される数値を見てから水島さんに渡す。
「んーーー低いっ。……けど、いつもと変わらないわね」
水島さんは笑いながら数値をノートパソコンに入力した。
私の数値は健常者と比べるとどれをとっても「低い」らしい。ただ「低い」のではなく、「低すぎる」のだとか……。
それが原因で、今私はここ、病院にいる――
「ちょっと大丈夫? 頭働いてる? 今日は翠葉ちゃんの十六歳の誕生日だから、ご両親も蒼樹くんも絶対来るわよねって話よ?」
顔を覗き込まれ、反射的に身を引く。
「はいっ……二時くらいに来てくれるって言ってました」
「……何か浮かない顔してるわねぇ。お兄ちゃん大好きでしょ?」
「はい……」
蒼兄は好き。お父さんもお母さんも大好き。それに、誕生日が嫌いなわけでもない。でも、ここは病院だから――
病院で誕生日を迎えるのは初めてのことだけど、なんかやだな……と数日前から思っていた。
「ま、病院で誕生日っていうのは嫌か……」
水島さんはギシリと音を立ててベッドに座った。
「よぉし、あとで私からもプレゼントをあげよう!」
「えっ!? そんな、申し訳ないからいいですっ」
慌てて断わる私に、
「翠葉ちゃんはもっと周りの好意を素直に受け止めるべしっ!」
額を軽く小突かれた。そして突如、
「フルーツの香りは好き?」
フルーツの、香り……?
「はい……好きです」
「前にね、蒼樹くんと話してるのを偶然聞いちゃったの。病院の消毒薬の匂いとか、あまり好きじゃないんでしょ? ま、好きな人なんてあまりいないけど」
全否定で「いない」と言わないあたり、もしかしたら、この消毒薬の匂いが好きな人がいるのかもしれない。
「あ……でも、我慢できないほど嫌いとか、吐き気がするとかそういうわけではないので……」
「ほらほら、そんなに恐縮しないのっ。仕事柄、勤務時間に香水はつけられないからね。ロッカーに入れっぱなしになってる香水があるのよ。でも、今はほかの香水使ってるから。もし、翠葉ちゃんがその香りが気に入ったら使ってもらえると嬉しい」
お古だから気にする必要もないのよ、と言って立ち上がった。
「じゃ、あとで朝食持ってくるわね」
水島さんは来たときと同様、カートを押して病室を出ていった。
水島さんはほかの看護師さんと比べるとざっくばらんで、こちらをうかがって話しかけてくるタイプではない。その「感じ」が新鮮で心地よくて……好きだな、と思った。
四角い部屋に四角いベッド。部屋にあるもの全てが四角い。極めつけは、四角い窓から見える、四角い景色。
病室は床とカーテンだけが薄いグリーンで、ほかは全部白。
「白」という色が嫌いなわけではないけれど、最近は好きな色から外れてしまいそうな存在だった。
ゆっくりと身体を起こし、ベッドを降りる。ベッドから三歩で窓際。
個室だからほかの患者さんの気配もなければ声も聞こえない。廊下から看護師さんの声や、起きだした患者さんがスリッパを引き摺って歩く音がするくらい。
目が覚めた時間よりも、少しだけ時間が進んだ証拠のような音たち。
窓からは中庭が見下ろせる。見渡せるというよりも、見下ろせる――そんな感じ。
少し前までは中庭側ではなく、病院の裏手にあるグラウンドが見える病室にいた。
グラウンドには芝生などは敷かれておらず、一面は白っぽいグレーにしか見えない。きっと、学校のグラウンドにありがちな、砂と細かな砂利が混ざったようなグラウンドなのだろう。申し訳なさ程度に緑が植樹されているけれど、グラウンドの周りをぐるりと舗装されたコンクリートのほうが目立つ景色だった。
グラウンドの向こうには藤川が流れ、河川沿いにはサイクリングロードがある。涼しい時間帯には犬を連れた人がちらほらとお散歩してるのが見えた。
その人たちは時折立ち止まっては挨拶を交わし、愛犬の道草に気長に付き合う。こんな光景は家の近くの公園でもよく見かける。
グラウンドや川の上には果てしなく広がる青空。雲ひとつないきれいなブルーのはずなのに、どうしてか曇って見える。
目が覚めて、目に映るものがいつも同じ。個室という空間、窓から見える景色。
それらに飽きてしまった私は、身体が許す限り写真集ばかりを見ていた。写真集の中にはたくさんの色が溢れていたから。鮮やかすぎる色が溢れていたから……。
空の写真集は季節によって空の色や雲の形が違うことを教えてくれる。毎日が違う空模様であることを教えてくれる。それなのに――私は窓の外に目をやっても、もう何を感じることもできなくなっていた。
いつ見ても「同じ空」にしか見えなくなっていた。そして、唯一の救いとも言える写真集ですら、「四角」という枠の中にあることに気づいてしまった。
そんなとき、
「中庭の見える部屋に移る?」
ひとりの看護師さんが訊いてくれた。それが水島さん。時期は五月に入ってからだったと思う。
幸い、どちらも個室で料金は変わらないということだったし、より近くに緑がある病室に惹かれたのは確か。けれど、病室から中庭を見下ろし思うことはひとつ。
緑は見下ろすのではなく、見上げるほうが好きだな……と思った。
今朝も同じことを思いながら、昨日と何も変わらない中庭を眺めている。窓から見える景色がグレーのグラウンドだろうが、緑のある中庭だろうが、然して何も変わらなかった。
見下ろす景色であり、眺めるだけのものであり、四角い枠から見えるものに変わりはない。
「誕生日だからお許し出るかな?」
できれば木の下から空を見上げたい。自分の視線でものを見たい。
リノリウムの床材も、緩く波打つカーテンも、病室にあるものは全部見飽きた。屋内から外に出たかった。
車椅子で移動するのではなく、自分の足で地面を歩きたかった。それが人工的に舗装されたコンクリートの上でも、仮初めの屋外である中庭だとしても――
いい加減、四角い額縁のような窓から眺める「外」にはうんざりしていたのだと思う。それは、早くここを出たいという欲求の表れだったのかもしれない。
「私、いつ、ここを出られるのかな」
答えがない、答えをもらえない疑問を三ヶ月も胸に抱いていた。
私はベッドに横になったまま、今日もいい天気だな……とその光を見て思う。
朝の早い時間ということもあり、カーテン向こうの廊下からは、音という音は聞こえてこない。部屋の窓も閉まっているので外の音が聞こえることもない。
私の前には朝の光だけが存在していた。
夜には窓際のカーテンを閉められる。ついでに、ベッドの周りを囲うカーテンもきっちりと閉められる。
私はいつも、閉められたカーテンをこっそり開き、朝は陽の光で目覚めるようにしていた。
始めのころは、看護師さんが見回りに来たときに閉められてしまう……ということを繰り返していたものの、今では黙認してくれている。
「翠葉ちゃん起きてるー?」
この声は水島さん。水島景子さんは私の担当看護師さん。
廊下側だけ閉めてあるカーテンをシャっと開けて入ってきた。
「あ、起きてる起きてる。相変わらず窓際のカーテン開けてるのね? 仕事がひとつ減っていいわ」
水島さんは両の口端を上げ、にっと笑う。
「ハッピーバースデー! 十六歳おめでとうっ!」
「っ……」
呆気にとられた私はお礼の言葉すら口にできない。
確かに今日は私の誕生日だけれど、まさか看護師さんにお祝いの言葉をもらえるとは思っていなかった。
「なぁに? まだ若いんだから年取ることに抵抗なんてないでしょ?」
「あ……えと、そうじゃなくて……『おめでとう』を言ってもらえたことにびっくりしてしまって……」
「やぁね。私だって担当患者の誕生日くらいは把握してるのよ?」
言いながら体温計を渡され、私はそれを脇に挟む。水島さんは水銀計の血圧計を用意して、すぐに私の血圧を測り始めた。
たいていの人が電子血圧計での測定。でも、私の血圧は電子血圧計では測れないことがあるため、昔ながらの水銀計を使っていた。
その分、手間も時間もかかる。
「今日は家族総出で来てくれるんじゃない?」
「家族総出……」
小さく呟き家族の顔を思い出していると、ピピっと体温計が鳴った。それを取り出し、小窓に表示される数値を見てから水島さんに渡す。
「んーーー低いっ。……けど、いつもと変わらないわね」
水島さんは笑いながら数値をノートパソコンに入力した。
私の数値は健常者と比べるとどれをとっても「低い」らしい。ただ「低い」のではなく、「低すぎる」のだとか……。
それが原因で、今私はここ、病院にいる――
「ちょっと大丈夫? 頭働いてる? 今日は翠葉ちゃんの十六歳の誕生日だから、ご両親も蒼樹くんも絶対来るわよねって話よ?」
顔を覗き込まれ、反射的に身を引く。
「はいっ……二時くらいに来てくれるって言ってました」
「……何か浮かない顔してるわねぇ。お兄ちゃん大好きでしょ?」
「はい……」
蒼兄は好き。お父さんもお母さんも大好き。それに、誕生日が嫌いなわけでもない。でも、ここは病院だから――
病院で誕生日を迎えるのは初めてのことだけど、なんかやだな……と数日前から思っていた。
「ま、病院で誕生日っていうのは嫌か……」
水島さんはギシリと音を立ててベッドに座った。
「よぉし、あとで私からもプレゼントをあげよう!」
「えっ!? そんな、申し訳ないからいいですっ」
慌てて断わる私に、
「翠葉ちゃんはもっと周りの好意を素直に受け止めるべしっ!」
額を軽く小突かれた。そして突如、
「フルーツの香りは好き?」
フルーツの、香り……?
「はい……好きです」
「前にね、蒼樹くんと話してるのを偶然聞いちゃったの。病院の消毒薬の匂いとか、あまり好きじゃないんでしょ? ま、好きな人なんてあまりいないけど」
全否定で「いない」と言わないあたり、もしかしたら、この消毒薬の匂いが好きな人がいるのかもしれない。
「あ……でも、我慢できないほど嫌いとか、吐き気がするとかそういうわけではないので……」
「ほらほら、そんなに恐縮しないのっ。仕事柄、勤務時間に香水はつけられないからね。ロッカーに入れっぱなしになってる香水があるのよ。でも、今はほかの香水使ってるから。もし、翠葉ちゃんがその香りが気に入ったら使ってもらえると嬉しい」
お古だから気にする必要もないのよ、と言って立ち上がった。
「じゃ、あとで朝食持ってくるわね」
水島さんは来たときと同様、カートを押して病室を出ていった。
水島さんはほかの看護師さんと比べるとざっくばらんで、こちらをうかがって話しかけてくるタイプではない。その「感じ」が新鮮で心地よくて……好きだな、と思った。
四角い部屋に四角いベッド。部屋にあるもの全てが四角い。極めつけは、四角い窓から見える、四角い景色。
病室は床とカーテンだけが薄いグリーンで、ほかは全部白。
「白」という色が嫌いなわけではないけれど、最近は好きな色から外れてしまいそうな存在だった。
ゆっくりと身体を起こし、ベッドを降りる。ベッドから三歩で窓際。
個室だからほかの患者さんの気配もなければ声も聞こえない。廊下から看護師さんの声や、起きだした患者さんがスリッパを引き摺って歩く音がするくらい。
目が覚めた時間よりも、少しだけ時間が進んだ証拠のような音たち。
窓からは中庭が見下ろせる。見渡せるというよりも、見下ろせる――そんな感じ。
少し前までは中庭側ではなく、病院の裏手にあるグラウンドが見える病室にいた。
グラウンドには芝生などは敷かれておらず、一面は白っぽいグレーにしか見えない。きっと、学校のグラウンドにありがちな、砂と細かな砂利が混ざったようなグラウンドなのだろう。申し訳なさ程度に緑が植樹されているけれど、グラウンドの周りをぐるりと舗装されたコンクリートのほうが目立つ景色だった。
グラウンドの向こうには藤川が流れ、河川沿いにはサイクリングロードがある。涼しい時間帯には犬を連れた人がちらほらとお散歩してるのが見えた。
その人たちは時折立ち止まっては挨拶を交わし、愛犬の道草に気長に付き合う。こんな光景は家の近くの公園でもよく見かける。
グラウンドや川の上には果てしなく広がる青空。雲ひとつないきれいなブルーのはずなのに、どうしてか曇って見える。
目が覚めて、目に映るものがいつも同じ。個室という空間、窓から見える景色。
それらに飽きてしまった私は、身体が許す限り写真集ばかりを見ていた。写真集の中にはたくさんの色が溢れていたから。鮮やかすぎる色が溢れていたから……。
空の写真集は季節によって空の色や雲の形が違うことを教えてくれる。毎日が違う空模様であることを教えてくれる。それなのに――私は窓の外に目をやっても、もう何を感じることもできなくなっていた。
いつ見ても「同じ空」にしか見えなくなっていた。そして、唯一の救いとも言える写真集ですら、「四角」という枠の中にあることに気づいてしまった。
そんなとき、
「中庭の見える部屋に移る?」
ひとりの看護師さんが訊いてくれた。それが水島さん。時期は五月に入ってからだったと思う。
幸い、どちらも個室で料金は変わらないということだったし、より近くに緑がある病室に惹かれたのは確か。けれど、病室から中庭を見下ろし思うことはひとつ。
緑は見下ろすのではなく、見上げるほうが好きだな……と思った。
今朝も同じことを思いながら、昨日と何も変わらない中庭を眺めている。窓から見える景色がグレーのグラウンドだろうが、緑のある中庭だろうが、然して何も変わらなかった。
見下ろす景色であり、眺めるだけのものであり、四角い枠から見えるものに変わりはない。
「誕生日だからお許し出るかな?」
できれば木の下から空を見上げたい。自分の視線でものを見たい。
リノリウムの床材も、緩く波打つカーテンも、病室にあるものは全部見飽きた。屋内から外に出たかった。
車椅子で移動するのではなく、自分の足で地面を歩きたかった。それが人工的に舗装されたコンクリートの上でも、仮初めの屋外である中庭だとしても――
いい加減、四角い額縁のような窓から眺める「外」にはうんざりしていたのだと思う。それは、早くここを出たいという欲求の表れだったのかもしれない。
「私、いつ、ここを出られるのかな」
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