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第九章 化学反応
12話
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翌朝、九時になるといつものように昇さんが病室にやってきた。
「おはようございます」
たぶん、初めて自分から挨拶をした。
「おはよう」
普通に挨拶を返されふと疑問に思う。
いつもと雰囲気が違う。昇さんの表情が雲って見えるのは気のせい……?
「昇さん……?」
昨日のことを怒っているのかな……。
そんな不安が心をよぎる。
「……あのな、治療を一度打ち切ることになった。相馬の帰国が六日後になったんだ」
治療を打ち切る……? どうして? 相馬先生の帰国と何か関係があるの?
「相馬が、素のままの君の状態を診たいそうだ」
それは、痛みがある私を診たいということ……?
「……嫌、です」
「……そうだよな。やっと楽になったんだもんな」
昇さんはスツールに掛けて俯いた。その様子に、本当に治療が打ち切られることを悟る。
昇さんは嘘をつかないし冗談も言わない。出逢って日は浅いけど、いつも「本当」だけを口にしてくれていた。
もし、治療の打ち切りが覆らないのなら――
「先生……二日だけ待ってもらえませんか」
「二日……?」
「今の状態なら、お母さんたちに会えるかもしれない。でも、痛みが出てきたら、無理……。会うならその前に会っておきたい」
「……痛みがあってもなくても君は君だろ?」
「そうだけど……。でも、余裕がなくなる前に会いたいって思うのはいけないことですか?」
「……そんなことはない。でも、なんで二日なんだ?」
昇さんが不思議そうな顔をすると、怖そうな人という印象がなくなる。
「……会いたい人がたくさんいるから。お母さんと蒼兄、唯兄。湊先生に栞さん、楓先生と秋斗さん、桃華さんと海斗くんたちも……」
「本当にたくさんだな。そりゃ、確かに一日じゃこなせそうにない。いいよ、そのくらいは俺が相馬を押し切って許可もらってやる」
「ありがとうございます」
昇さんはナースコールを押し、藤原さんに治療の準備をオーダーした。
「さて、ご家族と藤宮の人間に関しては俺から連絡できるけど?」
少し考える。「少し」の部分は秋斗さんだけ。
「……秋斗さん以外の人へ、連絡をしていただけますか?」
「秋斗がネックか……」
「ネックというか……謝らなくちゃいけないことが多すぎて。今日すぐに、というわけにはいかなくて……」
「わかった、ほかには連絡を入れておく。午後になったら時間をずらして来てもらえるようにするが、それでいいか?」
「はい、お願いします」
昇さんはじっと私を見ていた。
「……なんでしょう」
居心地が悪くてお布団に隠れてしまいたくなる。
「いや、栞が娘に欲しいって言ってるのが少しだけわかった気がしてな。……本当に、根は素直なんだな?」
根は素直……? それはどういう意味だろう。言葉のままの意味……?
「俺のひとり言だ」
先生は笑いながら病室を出ていった。
治療が始まるまで、誰が最初に来るのかな、と考えていた。
一番は家族だろうか。それとも、院内にいる楓先生だろうか。
昨日の今日で一気に話が進み、周りがバタバタしそう。自分が撒いた種なのだから、私は仕方がない。けれど、それに付き合わせてしまう人たちには申し訳ないと思う。
「どうしよう……限りなく思考がネガティブ」
携帯に手を伸ばし、いつもと同じ声を聴く。その声に集中しすぎて周りが見えなくなっていた私ばバカだ。
一通り聴き終わってほっとため息をついたとき、
「なぁ、それ……いつも何を聴いてんだ?」
急な問いかけに息が止まった。
「おうおう、びっくりしてんな。全然気づいてなかったもんな」
止まった呼吸を再開するのには何かコツでもあっただろうか。
どうやったら呼吸ができるのかわからなくて困っていると、昇さんがトントン、と背中を叩いてくれた。
「ほれ、呼吸しろ。吸ったら吐くんだ。吐いたら吸う。その繰り返し」
最初に、ケホケホ、と少し咽たものの、呼吸を無事再開することができた。
「で? 何聴いてたんだ?」
「私の精神安定剤なので秘密です」
どうしてか、人に話すのは恥ずかしかった。
昇さんは知りたそうにしていたけれど、とりあえずのところは諦めてくれたみたい。
「ま、そういうのがあるのはいいことだ。薬に頼らなくても気持ちのコントロールがつくもの。そういうのは大切にしたほうがいい」
そう言うと、藤原さんから渡されたヘキシジンで私の身体を消毒し始めた。
細い注射で何ヶ所も何ヶ所も刺される。そんなに痛いわけではないけれど、それなりに違和感はある。
「最初に湊と栞、それから楓が来る」
昇さんは治療をしながら教えてくれた。
「そのあとに御園生家」
「ありがとうございます」
「そういえば……涼先生もお会いしたいようなこと仰ってたわ」
「涼さんか……」
と昇さんは苦笑する。その笑いにはどんな意味があるのだろう。
「なんでも、見せたいものがあるんですって」
……見せたいもの? なんだろう……。でも、涼先生に会うことには抵抗はない。
桃華さんには蒼兄から連絡を入れてもらえたら助かる。そうすれば、必然的に佐野くんたちにも連絡が行くだろう。問題は秋斗さんだけ――
この人だけは自分から連絡しなくてはいけない気がするし、会ってそれで終わりというわけにはいかない気がする。
司先輩――ツカサは相談にのってくれるかな。今日も来てくれるのかな。来なかったら、電話してもいいかな……。
治療が終わり、いつものように音楽を聴きながらお昼までを過ごす予定だった。けれど、時間が経つにつれて緊張度合いが深まるのを感じた私は、ミュージックプレーヤーから携帯に持ち替え、録音データを聴きなが過ごしていた。
聴こえてくる数を心の中で唱えていると、突如、ブツと途切れる。不審に思って携帯を見ると電源が落ちていた。
何度電源ボタンを押しても反応がないことからすると、これはバッテリー残量ゼロで切れたのだろう。
唯兄が入れていてくれた充電器をつないで携帯をテーブルに置くと、ほかに何か気を紛らわせるものはないか、とクローゼットを漁る。
出てきたのは久遠さんの写真集二冊。でも、どれほどすてきな写真を見ても、気を紛らわせることはできなかった。
最終兵器がツカサの声だったのに、電池切れなんて……。
時計を見ると、十一時過ぎであることがわかる。
「どうしよう……」
時間の経過を体感するのが嫌で、そわそわしながらきれいに片付けられた室内を見回す。と、ナースコールに名前を呼ばれた。
『楓先生がいらしてるけど、通しても大丈夫?』
「あっ、大丈夫ですっ」
その十秒後くらいに、「お邪魔します」と楓先生が入ってきた。
「十二時半には姉さんたちも来るって」
「……ありがとうございます」
「治療が少しお休みになるって聞いたよ」
楓先生がスツールに腰掛け、目線が一緒になる。
白衣と楓先生……。
それは楓先生でしかないのに、秋斗さんを思い出す。
「先生と秋斗さん、似てますよね」
初めて秋斗さんに会ったときはそんなふうに思わなかったのに、今となってはどうして楓先生に似ている人だと思わなかったのかが不思議なくらいだ。
「それ、よく言われるんだけどあまり嬉しくないんだよねぇ。翠葉ちゃんには言われなかったから、そう思われてないと思ってた」
「あ、ごめんなさい……。どうしてかな? 顔が、というよりも白衣を着ているからかもしれません」
「そっか。じゃ、白衣脱ごうかな」
楓先生は手早く白衣を脱いでしまった。
白衣を着ているほうがより先生らしく見えるはずなのに、白衣を着ていない楓先生のほうが親しみやすくて、気持ち心が落ち着く。
「翠葉ちゃん、起きられるようなら院内散歩する?」
「え?」
「俺、これからお昼なんだ。翠葉ちゃんが良ければ俺のオフィスにご招待」
「じゃ……お邪魔します」
「よし、行こう!」
ナースセンターの前を通るとき、
「院内散歩と称して、俺のオフィスに行ってきます」
「じゃ、彼女の昼食もそっちに届くように連絡入れておきます」
藤原さんはすぐに内線をかけ始めた。
楓先生のオフィスは別棟の三階にあった。
お医者さんみんなにオフィスがあるのだろうか……。
不思議に思って尋ねてみると、「ないない」と笑って返された。
「自分は藤宮の人間だからあるようなもので、本当ならこんな部屋なくてもいいんだ。その分病室にすればいいのにね」
どこか藤宮の人間である自分を厭うような声音が混じっていた。
通された部屋は大きめのデスクにパソコンモニター。それから、床から天井までの本棚。
その本棚は定員オーバーで、収まりきらない本たちが床のあちこちに積み重ねられていた。
「あまりきれいな部屋じゃなくてごめんね」
苦笑する楓先生は恥ずかしそうに頭を掻いていて、なんだか珍しいものを見た気がした。
簡易ベッドがあったり飲みかけのマグカップがあったり、生活感がうかがえる空間。
そこにノック音が聞こえ、
「どうぞ」
楓先生が答えると、「失礼します」とカートを押した人が入ってきた。
「藤原医師からです」
と言葉を添え、女の人は出ていった。
「……藤原さんって、やっぱりお医者さんなんですか?」
「あ、本人から聞いた?」
「なんとなく聞いた感じです。本当はある人の専属医師で、今は私の専属看護って……」
「ま、そうだね」
「藤原さんはどなたの専属なんですか?」
楓先生は私の顔をじっと見て、
「それは、まだ誰の専属かは聞いてないってことだよね?」
「……そうです」
「じゃ、本人から聞いてね。さ、お昼ご飯を食べようか」
やんわりとかわされた――そんな気がした。
私のご飯は重湯が五分粥になる等の変化をしている。しかし、おかずとなるものは未だ変化はない。スチームされた何種類かの野菜に岩塩が付くのみ。でも、それで十分だった。
楓先生のご飯はサンドイッチ。
「……それで足りるんですか?」
「軽食って感じかな?」
私からしてみたら、匂いのきついものを同じ部屋で食べることにならなくて良かった、と思ってしまうけど――あれ……?
「……先生、それをオーダーしたのは藤原さんですよね?」
「そうだけど?」
楓先生はなんでもないふうに返事をしてくれたけど、
「ごめんなさい……」
「……ばれちゃったか」
先生は困った顔で笑った。
私が一緒だから、極力匂いのしないメニューがオーダーされたのだ。
「あのっ、私、病室へ戻るので、楓先生はきちんとご飯を食べてくださいっ」
自分で車椅子を動かそうとしたら、後ろに置かれていた本の山を崩してしまった。
「ごめんなさいっ」
「翠葉ちゃん、落ち着こう?」
車椅子のストッパーをかけられ、楓先生が真正面に座り視線を合わせてくる。
どうしよう。また、涙が出てきた……。
「翠葉ちゃん、お昼ご飯を一緒に食べようって誘ったのは誰?」
「……楓先生」
「そう、俺が一緒に食べようって言ったんだよ? だから、翠葉ちゃんが悪いことなんて何もないでしょう?」
「でも……」
「失敗しちゃったなぁ……」
先生は床に座り込んだ。
「本当はさ、姉さんたちと病室で会わせるのが嫌で、中庭で会えたらどうだろう、って俺が勝手に思ってたんだ」
え……?
「病室ってさ、翠葉ちゃんの中では嫌なことを考えるスペースになっちゃってたでしょ?」
言われて一年前のことを思い出す。
「だから、病室の外で会わせてあげたくて、早々に病室から連れ出したんだけど……。裏目に出ちゃったね。ごめん、逆につらい思いさせて」
謝られて私は慌てる。でも、慌てたところでなんて言葉を口にしたらいいのかはわからなかった。
「翠葉ちゃん、聞いて? 俺は今これを食べるけど、あとでちゃんとご飯を食べるから。約束する。だから、一緒に食べよう?」
楓先生は一年前と変わらない、私が安心できる笑顔をくれた。それは、秋斗さんにとてもよく似た笑顔で、とてもとても優しい笑顔だった――
「おはようございます」
たぶん、初めて自分から挨拶をした。
「おはよう」
普通に挨拶を返されふと疑問に思う。
いつもと雰囲気が違う。昇さんの表情が雲って見えるのは気のせい……?
「昇さん……?」
昨日のことを怒っているのかな……。
そんな不安が心をよぎる。
「……あのな、治療を一度打ち切ることになった。相馬の帰国が六日後になったんだ」
治療を打ち切る……? どうして? 相馬先生の帰国と何か関係があるの?
「相馬が、素のままの君の状態を診たいそうだ」
それは、痛みがある私を診たいということ……?
「……嫌、です」
「……そうだよな。やっと楽になったんだもんな」
昇さんはスツールに掛けて俯いた。その様子に、本当に治療が打ち切られることを悟る。
昇さんは嘘をつかないし冗談も言わない。出逢って日は浅いけど、いつも「本当」だけを口にしてくれていた。
もし、治療の打ち切りが覆らないのなら――
「先生……二日だけ待ってもらえませんか」
「二日……?」
「今の状態なら、お母さんたちに会えるかもしれない。でも、痛みが出てきたら、無理……。会うならその前に会っておきたい」
「……痛みがあってもなくても君は君だろ?」
「そうだけど……。でも、余裕がなくなる前に会いたいって思うのはいけないことですか?」
「……そんなことはない。でも、なんで二日なんだ?」
昇さんが不思議そうな顔をすると、怖そうな人という印象がなくなる。
「……会いたい人がたくさんいるから。お母さんと蒼兄、唯兄。湊先生に栞さん、楓先生と秋斗さん、桃華さんと海斗くんたちも……」
「本当にたくさんだな。そりゃ、確かに一日じゃこなせそうにない。いいよ、そのくらいは俺が相馬を押し切って許可もらってやる」
「ありがとうございます」
昇さんはナースコールを押し、藤原さんに治療の準備をオーダーした。
「さて、ご家族と藤宮の人間に関しては俺から連絡できるけど?」
少し考える。「少し」の部分は秋斗さんだけ。
「……秋斗さん以外の人へ、連絡をしていただけますか?」
「秋斗がネックか……」
「ネックというか……謝らなくちゃいけないことが多すぎて。今日すぐに、というわけにはいかなくて……」
「わかった、ほかには連絡を入れておく。午後になったら時間をずらして来てもらえるようにするが、それでいいか?」
「はい、お願いします」
昇さんはじっと私を見ていた。
「……なんでしょう」
居心地が悪くてお布団に隠れてしまいたくなる。
「いや、栞が娘に欲しいって言ってるのが少しだけわかった気がしてな。……本当に、根は素直なんだな?」
根は素直……? それはどういう意味だろう。言葉のままの意味……?
「俺のひとり言だ」
先生は笑いながら病室を出ていった。
治療が始まるまで、誰が最初に来るのかな、と考えていた。
一番は家族だろうか。それとも、院内にいる楓先生だろうか。
昨日の今日で一気に話が進み、周りがバタバタしそう。自分が撒いた種なのだから、私は仕方がない。けれど、それに付き合わせてしまう人たちには申し訳ないと思う。
「どうしよう……限りなく思考がネガティブ」
携帯に手を伸ばし、いつもと同じ声を聴く。その声に集中しすぎて周りが見えなくなっていた私ばバカだ。
一通り聴き終わってほっとため息をついたとき、
「なぁ、それ……いつも何を聴いてんだ?」
急な問いかけに息が止まった。
「おうおう、びっくりしてんな。全然気づいてなかったもんな」
止まった呼吸を再開するのには何かコツでもあっただろうか。
どうやったら呼吸ができるのかわからなくて困っていると、昇さんがトントン、と背中を叩いてくれた。
「ほれ、呼吸しろ。吸ったら吐くんだ。吐いたら吸う。その繰り返し」
最初に、ケホケホ、と少し咽たものの、呼吸を無事再開することができた。
「で? 何聴いてたんだ?」
「私の精神安定剤なので秘密です」
どうしてか、人に話すのは恥ずかしかった。
昇さんは知りたそうにしていたけれど、とりあえずのところは諦めてくれたみたい。
「ま、そういうのがあるのはいいことだ。薬に頼らなくても気持ちのコントロールがつくもの。そういうのは大切にしたほうがいい」
そう言うと、藤原さんから渡されたヘキシジンで私の身体を消毒し始めた。
細い注射で何ヶ所も何ヶ所も刺される。そんなに痛いわけではないけれど、それなりに違和感はある。
「最初に湊と栞、それから楓が来る」
昇さんは治療をしながら教えてくれた。
「そのあとに御園生家」
「ありがとうございます」
「そういえば……涼先生もお会いしたいようなこと仰ってたわ」
「涼さんか……」
と昇さんは苦笑する。その笑いにはどんな意味があるのだろう。
「なんでも、見せたいものがあるんですって」
……見せたいもの? なんだろう……。でも、涼先生に会うことには抵抗はない。
桃華さんには蒼兄から連絡を入れてもらえたら助かる。そうすれば、必然的に佐野くんたちにも連絡が行くだろう。問題は秋斗さんだけ――
この人だけは自分から連絡しなくてはいけない気がするし、会ってそれで終わりというわけにはいかない気がする。
司先輩――ツカサは相談にのってくれるかな。今日も来てくれるのかな。来なかったら、電話してもいいかな……。
治療が終わり、いつものように音楽を聴きながらお昼までを過ごす予定だった。けれど、時間が経つにつれて緊張度合いが深まるのを感じた私は、ミュージックプレーヤーから携帯に持ち替え、録音データを聴きなが過ごしていた。
聴こえてくる数を心の中で唱えていると、突如、ブツと途切れる。不審に思って携帯を見ると電源が落ちていた。
何度電源ボタンを押しても反応がないことからすると、これはバッテリー残量ゼロで切れたのだろう。
唯兄が入れていてくれた充電器をつないで携帯をテーブルに置くと、ほかに何か気を紛らわせるものはないか、とクローゼットを漁る。
出てきたのは久遠さんの写真集二冊。でも、どれほどすてきな写真を見ても、気を紛らわせることはできなかった。
最終兵器がツカサの声だったのに、電池切れなんて……。
時計を見ると、十一時過ぎであることがわかる。
「どうしよう……」
時間の経過を体感するのが嫌で、そわそわしながらきれいに片付けられた室内を見回す。と、ナースコールに名前を呼ばれた。
『楓先生がいらしてるけど、通しても大丈夫?』
「あっ、大丈夫ですっ」
その十秒後くらいに、「お邪魔します」と楓先生が入ってきた。
「十二時半には姉さんたちも来るって」
「……ありがとうございます」
「治療が少しお休みになるって聞いたよ」
楓先生がスツールに腰掛け、目線が一緒になる。
白衣と楓先生……。
それは楓先生でしかないのに、秋斗さんを思い出す。
「先生と秋斗さん、似てますよね」
初めて秋斗さんに会ったときはそんなふうに思わなかったのに、今となってはどうして楓先生に似ている人だと思わなかったのかが不思議なくらいだ。
「それ、よく言われるんだけどあまり嬉しくないんだよねぇ。翠葉ちゃんには言われなかったから、そう思われてないと思ってた」
「あ、ごめんなさい……。どうしてかな? 顔が、というよりも白衣を着ているからかもしれません」
「そっか。じゃ、白衣脱ごうかな」
楓先生は手早く白衣を脱いでしまった。
白衣を着ているほうがより先生らしく見えるはずなのに、白衣を着ていない楓先生のほうが親しみやすくて、気持ち心が落ち着く。
「翠葉ちゃん、起きられるようなら院内散歩する?」
「え?」
「俺、これからお昼なんだ。翠葉ちゃんが良ければ俺のオフィスにご招待」
「じゃ……お邪魔します」
「よし、行こう!」
ナースセンターの前を通るとき、
「院内散歩と称して、俺のオフィスに行ってきます」
「じゃ、彼女の昼食もそっちに届くように連絡入れておきます」
藤原さんはすぐに内線をかけ始めた。
楓先生のオフィスは別棟の三階にあった。
お医者さんみんなにオフィスがあるのだろうか……。
不思議に思って尋ねてみると、「ないない」と笑って返された。
「自分は藤宮の人間だからあるようなもので、本当ならこんな部屋なくてもいいんだ。その分病室にすればいいのにね」
どこか藤宮の人間である自分を厭うような声音が混じっていた。
通された部屋は大きめのデスクにパソコンモニター。それから、床から天井までの本棚。
その本棚は定員オーバーで、収まりきらない本たちが床のあちこちに積み重ねられていた。
「あまりきれいな部屋じゃなくてごめんね」
苦笑する楓先生は恥ずかしそうに頭を掻いていて、なんだか珍しいものを見た気がした。
簡易ベッドがあったり飲みかけのマグカップがあったり、生活感がうかがえる空間。
そこにノック音が聞こえ、
「どうぞ」
楓先生が答えると、「失礼します」とカートを押した人が入ってきた。
「藤原医師からです」
と言葉を添え、女の人は出ていった。
「……藤原さんって、やっぱりお医者さんなんですか?」
「あ、本人から聞いた?」
「なんとなく聞いた感じです。本当はある人の専属医師で、今は私の専属看護って……」
「ま、そうだね」
「藤原さんはどなたの専属なんですか?」
楓先生は私の顔をじっと見て、
「それは、まだ誰の専属かは聞いてないってことだよね?」
「……そうです」
「じゃ、本人から聞いてね。さ、お昼ご飯を食べようか」
やんわりとかわされた――そんな気がした。
私のご飯は重湯が五分粥になる等の変化をしている。しかし、おかずとなるものは未だ変化はない。スチームされた何種類かの野菜に岩塩が付くのみ。でも、それで十分だった。
楓先生のご飯はサンドイッチ。
「……それで足りるんですか?」
「軽食って感じかな?」
私からしてみたら、匂いのきついものを同じ部屋で食べることにならなくて良かった、と思ってしまうけど――あれ……?
「……先生、それをオーダーしたのは藤原さんですよね?」
「そうだけど?」
楓先生はなんでもないふうに返事をしてくれたけど、
「ごめんなさい……」
「……ばれちゃったか」
先生は困った顔で笑った。
私が一緒だから、極力匂いのしないメニューがオーダーされたのだ。
「あのっ、私、病室へ戻るので、楓先生はきちんとご飯を食べてくださいっ」
自分で車椅子を動かそうとしたら、後ろに置かれていた本の山を崩してしまった。
「ごめんなさいっ」
「翠葉ちゃん、落ち着こう?」
車椅子のストッパーをかけられ、楓先生が真正面に座り視線を合わせてくる。
どうしよう。また、涙が出てきた……。
「翠葉ちゃん、お昼ご飯を一緒に食べようって誘ったのは誰?」
「……楓先生」
「そう、俺が一緒に食べようって言ったんだよ? だから、翠葉ちゃんが悪いことなんて何もないでしょう?」
「でも……」
「失敗しちゃったなぁ……」
先生は床に座り込んだ。
「本当はさ、姉さんたちと病室で会わせるのが嫌で、中庭で会えたらどうだろう、って俺が勝手に思ってたんだ」
え……?
「病室ってさ、翠葉ちゃんの中では嫌なことを考えるスペースになっちゃってたでしょ?」
言われて一年前のことを思い出す。
「だから、病室の外で会わせてあげたくて、早々に病室から連れ出したんだけど……。裏目に出ちゃったね。ごめん、逆につらい思いさせて」
謝られて私は慌てる。でも、慌てたところでなんて言葉を口にしたらいいのかはわからなかった。
「翠葉ちゃん、聞いて? 俺は今これを食べるけど、あとでちゃんとご飯を食べるから。約束する。だから、一緒に食べよう?」
楓先生は一年前と変わらない、私が安心できる笑顔をくれた。それは、秋斗さんにとてもよく似た笑顔で、とてもとても優しい笑顔だった――
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