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33~34 Side 司 02話
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ハーブティーを淹れたカップからは、場にそぐわない穏やかな香りが漂う。
カップを持ってソファへ移動すると、俺は一口飲んでから口を開いた。
「医者は全能じゃない。どのくらい入院期間を要すかなんて入院する前からはわかるわけないだろ。それに、いつ退院できるかは基本患者のがんばりしだいだ。……まさかとは思うけど、翠はこのままがいいのか? だから病院へ行かない?」
翠は唇を震わせ、鋭い視線だけを俺に向けていた。
「俺は何もわからないけど、ただひとつだけわかっていることがある」
「何よ……」
「ここにいるよりは断然早くに回復できる場所。それが病院だ」
そろそろ決着をつけないとまずい。翠の身体が持たない――
「だから、嫌なのっっっ。白い部屋、四角い窓、窓から見えるだけの外。空調完備された屋内っ。全部嫌っ」
喋っているからなのか、俺が入ってきたときよりも息が上がっていた。
あと少し――あと、もう一息。
「……壁紙変えてやろうか? それとも空調止める? この時期エアコンなしじゃかなり暑いと思うけど、熱中症になっていいならそうする。それから、たまになら俺が屋外に連れ出すけど?」
一瞬、翠は戸惑った表情を見せた。
「別に無理なことじゃない。それで病院へ行ってもらえるならお安い御用」
さもなんてことないように話す。
「先輩、本当にムカつく……」
これは本音なのだろう。
「……嫌い……嫌い、大嫌いっっっ」
正直、正面切って本音でこの言葉を言われるのはきつかった。けれど、そんなことは悟らせない。
「翠、理系なのは認める。でも、悪口雑言の語彙が少なすぎ。そこの国語辞書取ってやろうか?」
棚に置かれていた辞書を指し示すと、
「……嫌い嫌い嫌いっ。ムカつく、出てってっ。入ってこないでよっ、部屋にも、心にも――」
手にした布団をぎゅっと握りしめ、最後は搾り出すように声にした。
あと少し――あと、もう一息。
「このままここにいたら学校にはもう出てこられないかもしれないな。そしたらまた休学でもするのか? それとも二度目の自主退学?」
険呑な視線を投げると、
「どうしてそういうこと言うのっ!? なんで、どうして、嫌い……」
「……今病院へ行けば二学期には間に合うと思うけど?」
「……間に合うもの――間に合わせるものっ」
――食いついた。
「それにはまずここから出ることだな。白亜の部屋のお姫様」
自分が口にした言葉はぞんがい外れていないと思う。
室内にはハープが置いてあり、ベッドには天蓋までついているのだから。なんとも姫の部屋らしいアイテム揃いだ。
「その代わりっ、さっき言ったこと守ってよねっ!?」
「……外に連れ出すって部分? それとも壁紙? 空調?」
やばい、こればかりはどれのことを言われているのかが見当もつかない。もしかしたらすべて、だろうか。
「外……連れていってくれるっていうの……」
自信なさ気に、不安そうな声音で答える。
「わかった……。その代わり、翠も守れよ?」
「……何、を?」
「二学期に間に合わせるってやつ」
言った途端、目に力がこもる。
「絶対、間に合わせるもの――」
きっと売り言葉に買い言葉。そんな感じなのだろう。
「俺、口にしたことを履行しない人間が大嫌いなんだ。だから、くれぐれも有言実行でよろしく」
ベッドに近づき天蓋を開けると、翠は泣いていた。たぶん、叫びながら、強がりを言いながら、ずっと泣いていたのだろう。
悪い、こんなふうにしか言えなくて。けど、わかってほしい。
早く良くなってほしいと思っているんだ。少しでも早く、楽になってほしい……。
俺が一口飲んだだけのカップを翠の口元へ運ぶと、「いらない」と拒否された。
「いいから……一口でも飲め。まずはそこからだろ?」
翠はカップをじっと見つめ、両手をカップに添える。しかし、その瞬間に身体を震わせた。もしかしたら、カップを持つこともできないのかもしれない。
それなら俺が持っててやるから……。
少しずつカップを傾けると、翠はコクリコクリ、と飲み始めた。
「一気に飲もうとするな。咽るだろ」
一度カップを口から離し、翠の顔を覗き込む。
「少し落ち着いたか?」
訊いた途端、おさまりかけていた涙がボロボロと零れだす。
……俺、何か地雷踏んだ? それ、どの辺にあった?
若干焦る気持ちを押さえ、翠の反応を待っていた。すると、
「先輩……私、病院に入っても治療できないのよ……?」
「緩和ケアは受けられるだろ?」
「でも……緩和するだけよ? ベッド待ちの患者さん、たくさんいるの知ってる……。なのに、私なんか入っていいの?」
……前にも思ったことがあるけど、翠はバカだと思う。
「あのさ……今の翠はどこからどう見ても重病人。このままだと死ぬけど?」
「それでもいいと思った。……痛みから解放されるなら、もう、それでもいいと思ってる」
今度は俺が驚愕する番だった。
そこまで追い詰められるほどの痛みを俺は感じたことがない。翠の抱える痛みは、俺の想像できる範疇を超えていた。
「怖いの……。麻酔の治療が怖い……。病院に入ったらすぐに高カロリー輸液の点滴もされるのでしょう? それも怖い……。でも、痛みが襲ってくるのも怖い。もうやだ……全部やだ」
「……最初からそう言えばいいものを」
カップをサイドテーブルに置き、泣いて震える翠を抱きしめる。
本当はこういうところで抱きしめたくないんだけど……。
だいたいにして、何……。これ俺の役目? 間違ってるだろ? 本来、御園生さんか秋兄あたりがするべきことなんじゃないの?
「……みんな優しすぎる、だから、だめ……。近くにいられたら、私ひどいこと言っちゃう……」
「翠……俺、結構ひどいこと言われた気がするんだけど……」
「だって……司先輩は入ってきたところから容赦なかったから……。そのうえ、お茶飲むとか言いだすし、言い返さないと負ける気がするし……絶対零度の笑顔向けるし……」
「翠、負けず嫌いって属性もあるのか……?」
翠は、「え?」という顔をして首を傾げる。
「別に深く考えなくていいから……。とりあえずこれ、もう少し飲めば?」
カップを再度口元に運ぶと、今度はゆっくりと少しずつ飲みだした。
「飲めそうだな」
翠は素直にコクリと頷く。
「じゃ、全部飲んで……。そしたらここを出よう」
途端に翠の手が震えだした。
「……いいよ。泣き言でも八つ当たりでも、毎日聞いてやる。怖いなら治療だって立ち会う。だから、前に進め」
「……みんなになんて言おう……」
泣きはらした目で見てくるから、余計にウサギを彷彿とさせる。
「間違ったことをしたときは?」
「ごめんなさい……?」
「そう、それで解決」
「……でも、まだ無理そう……。ひどいことを言うのは嫌……」
「……わかった。それまでは俺が全部引き受ける」
「……また、余裕がなくなったらひどいことを言うかもしれない。……それでも?」
「だから、いいって言ってるだろ? その代わり、俺も言いたいことは言わせてもらう」
少しだけ、翠が笑った気がした。
「何?」
翠は緩く首を振り、
「司先輩はどこまでも司先輩だなって思っただけです」
なんだかな……。役得なのか損なのかさっぱりわからない。けど、ドアの向こうで困った顔をしている人間たちよりは翠に近づけた気がした。
翠は最後の一口を飲むと、
「先輩、疲れた……」
「眠ればいい。痛いことは翠が寝てる間に全部終わらせてもらうように言っておく」
翠はそのまま俺の胸に落ちた――
意識をなくした翠を羽根布団に包んで抱き上げる。
「誰かドア開けて」
ドアに向かって声をかけると、すぐに御園生さんが開けてくれた。そして、あんぐりと口を開ける。
「御園生さん、その顔間抜けすぎるから。そっちの四人も……」
リビングで、お茶に手がつけられない、といったふうの大人五人は、揃いに揃って唖然としていた。
「入院は了承させました。その代わり、寝ている間に痛い処置は全部済ませてやって」
姉さんに顔を向けると、姉さんは目を見開いていた。
「ペインクリニックとIVHを怖がってた。緩和ケアも襲ってくる痛みもどっちも怖いって。それから、入院して外に出られなくなるのが嫌らしい。あとはまだ人には側にいてほしくないみたい」
「それ、全部翠葉があんたに言ったの?」
姉さんの問いに頷く。
「こっちの部屋にいる人間はみんな優しくて言えないって言ってたけど?」
呆れてものも言えない。だから御園生さんは甘やかしすぎだって言うんだ……。
「司はなんで――」
秋兄の質問にため息をつく。
「容赦ないから。言い返さないと負けそうな気がしたから、だって。……とりあえず、二学期には間に合うように努力するって言質取ったから、連れて行くなら今だと思うけど?」
「すぐに車を出す」
誰より先に御園生さんが動いた。
カップを持ってソファへ移動すると、俺は一口飲んでから口を開いた。
「医者は全能じゃない。どのくらい入院期間を要すかなんて入院する前からはわかるわけないだろ。それに、いつ退院できるかは基本患者のがんばりしだいだ。……まさかとは思うけど、翠はこのままがいいのか? だから病院へ行かない?」
翠は唇を震わせ、鋭い視線だけを俺に向けていた。
「俺は何もわからないけど、ただひとつだけわかっていることがある」
「何よ……」
「ここにいるよりは断然早くに回復できる場所。それが病院だ」
そろそろ決着をつけないとまずい。翠の身体が持たない――
「だから、嫌なのっっっ。白い部屋、四角い窓、窓から見えるだけの外。空調完備された屋内っ。全部嫌っ」
喋っているからなのか、俺が入ってきたときよりも息が上がっていた。
あと少し――あと、もう一息。
「……壁紙変えてやろうか? それとも空調止める? この時期エアコンなしじゃかなり暑いと思うけど、熱中症になっていいならそうする。それから、たまになら俺が屋外に連れ出すけど?」
一瞬、翠は戸惑った表情を見せた。
「別に無理なことじゃない。それで病院へ行ってもらえるならお安い御用」
さもなんてことないように話す。
「先輩、本当にムカつく……」
これは本音なのだろう。
「……嫌い……嫌い、大嫌いっっっ」
正直、正面切って本音でこの言葉を言われるのはきつかった。けれど、そんなことは悟らせない。
「翠、理系なのは認める。でも、悪口雑言の語彙が少なすぎ。そこの国語辞書取ってやろうか?」
棚に置かれていた辞書を指し示すと、
「……嫌い嫌い嫌いっ。ムカつく、出てってっ。入ってこないでよっ、部屋にも、心にも――」
手にした布団をぎゅっと握りしめ、最後は搾り出すように声にした。
あと少し――あと、もう一息。
「このままここにいたら学校にはもう出てこられないかもしれないな。そしたらまた休学でもするのか? それとも二度目の自主退学?」
険呑な視線を投げると、
「どうしてそういうこと言うのっ!? なんで、どうして、嫌い……」
「……今病院へ行けば二学期には間に合うと思うけど?」
「……間に合うもの――間に合わせるものっ」
――食いついた。
「それにはまずここから出ることだな。白亜の部屋のお姫様」
自分が口にした言葉はぞんがい外れていないと思う。
室内にはハープが置いてあり、ベッドには天蓋までついているのだから。なんとも姫の部屋らしいアイテム揃いだ。
「その代わりっ、さっき言ったこと守ってよねっ!?」
「……外に連れ出すって部分? それとも壁紙? 空調?」
やばい、こればかりはどれのことを言われているのかが見当もつかない。もしかしたらすべて、だろうか。
「外……連れていってくれるっていうの……」
自信なさ気に、不安そうな声音で答える。
「わかった……。その代わり、翠も守れよ?」
「……何、を?」
「二学期に間に合わせるってやつ」
言った途端、目に力がこもる。
「絶対、間に合わせるもの――」
きっと売り言葉に買い言葉。そんな感じなのだろう。
「俺、口にしたことを履行しない人間が大嫌いなんだ。だから、くれぐれも有言実行でよろしく」
ベッドに近づき天蓋を開けると、翠は泣いていた。たぶん、叫びながら、強がりを言いながら、ずっと泣いていたのだろう。
悪い、こんなふうにしか言えなくて。けど、わかってほしい。
早く良くなってほしいと思っているんだ。少しでも早く、楽になってほしい……。
俺が一口飲んだだけのカップを翠の口元へ運ぶと、「いらない」と拒否された。
「いいから……一口でも飲め。まずはそこからだろ?」
翠はカップをじっと見つめ、両手をカップに添える。しかし、その瞬間に身体を震わせた。もしかしたら、カップを持つこともできないのかもしれない。
それなら俺が持っててやるから……。
少しずつカップを傾けると、翠はコクリコクリ、と飲み始めた。
「一気に飲もうとするな。咽るだろ」
一度カップを口から離し、翠の顔を覗き込む。
「少し落ち着いたか?」
訊いた途端、おさまりかけていた涙がボロボロと零れだす。
……俺、何か地雷踏んだ? それ、どの辺にあった?
若干焦る気持ちを押さえ、翠の反応を待っていた。すると、
「先輩……私、病院に入っても治療できないのよ……?」
「緩和ケアは受けられるだろ?」
「でも……緩和するだけよ? ベッド待ちの患者さん、たくさんいるの知ってる……。なのに、私なんか入っていいの?」
……前にも思ったことがあるけど、翠はバカだと思う。
「あのさ……今の翠はどこからどう見ても重病人。このままだと死ぬけど?」
「それでもいいと思った。……痛みから解放されるなら、もう、それでもいいと思ってる」
今度は俺が驚愕する番だった。
そこまで追い詰められるほどの痛みを俺は感じたことがない。翠の抱える痛みは、俺の想像できる範疇を超えていた。
「怖いの……。麻酔の治療が怖い……。病院に入ったらすぐに高カロリー輸液の点滴もされるのでしょう? それも怖い……。でも、痛みが襲ってくるのも怖い。もうやだ……全部やだ」
「……最初からそう言えばいいものを」
カップをサイドテーブルに置き、泣いて震える翠を抱きしめる。
本当はこういうところで抱きしめたくないんだけど……。
だいたいにして、何……。これ俺の役目? 間違ってるだろ? 本来、御園生さんか秋兄あたりがするべきことなんじゃないの?
「……みんな優しすぎる、だから、だめ……。近くにいられたら、私ひどいこと言っちゃう……」
「翠……俺、結構ひどいこと言われた気がするんだけど……」
「だって……司先輩は入ってきたところから容赦なかったから……。そのうえ、お茶飲むとか言いだすし、言い返さないと負ける気がするし……絶対零度の笑顔向けるし……」
「翠、負けず嫌いって属性もあるのか……?」
翠は、「え?」という顔をして首を傾げる。
「別に深く考えなくていいから……。とりあえずこれ、もう少し飲めば?」
カップを再度口元に運ぶと、今度はゆっくりと少しずつ飲みだした。
「飲めそうだな」
翠は素直にコクリと頷く。
「じゃ、全部飲んで……。そしたらここを出よう」
途端に翠の手が震えだした。
「……いいよ。泣き言でも八つ当たりでも、毎日聞いてやる。怖いなら治療だって立ち会う。だから、前に進め」
「……みんなになんて言おう……」
泣きはらした目で見てくるから、余計にウサギを彷彿とさせる。
「間違ったことをしたときは?」
「ごめんなさい……?」
「そう、それで解決」
「……でも、まだ無理そう……。ひどいことを言うのは嫌……」
「……わかった。それまでは俺が全部引き受ける」
「……また、余裕がなくなったらひどいことを言うかもしれない。……それでも?」
「だから、いいって言ってるだろ? その代わり、俺も言いたいことは言わせてもらう」
少しだけ、翠が笑った気がした。
「何?」
翠は緩く首を振り、
「司先輩はどこまでも司先輩だなって思っただけです」
なんだかな……。役得なのか損なのかさっぱりわからない。けど、ドアの向こうで困った顔をしている人間たちよりは翠に近づけた気がした。
翠は最後の一口を飲むと、
「先輩、疲れた……」
「眠ればいい。痛いことは翠が寝てる間に全部終わらせてもらうように言っておく」
翠はそのまま俺の胸に落ちた――
意識をなくした翠を羽根布団に包んで抱き上げる。
「誰かドア開けて」
ドアに向かって声をかけると、すぐに御園生さんが開けてくれた。そして、あんぐりと口を開ける。
「御園生さん、その顔間抜けすぎるから。そっちの四人も……」
リビングで、お茶に手がつけられない、といったふうの大人五人は、揃いに揃って唖然としていた。
「入院は了承させました。その代わり、寝ている間に痛い処置は全部済ませてやって」
姉さんに顔を向けると、姉さんは目を見開いていた。
「ペインクリニックとIVHを怖がってた。緩和ケアも襲ってくる痛みもどっちも怖いって。それから、入院して外に出られなくなるのが嫌らしい。あとはまだ人には側にいてほしくないみたい」
「それ、全部翠葉があんたに言ったの?」
姉さんの問いに頷く。
「こっちの部屋にいる人間はみんな優しくて言えないって言ってたけど?」
呆れてものも言えない。だから御園生さんは甘やかしすぎだって言うんだ……。
「司はなんで――」
秋兄の質問にため息をつく。
「容赦ないから。言い返さないと負けそうな気がしたから、だって。……とりあえず、二学期には間に合うように努力するって言質取ったから、連れて行くなら今だと思うけど?」
「すぐに車を出す」
誰より先に御園生さんが動いた。
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