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第八章 自己との対峙
09話
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私には苦手な中にさらに苦手な科目がある。
それは英語のオーラルコミュニケーション。
試験自体はリスニングが中心となり、それに対する答えを書いていけばいいだけ。
この科目の盲点はそこではない。授業にある。
オーラルコミュニケーションとは、コミュニケーションを重視するために、授業での発言や会話に重点が置かれているのだ。
手を上げて発言したり、率先して話しに混ざるというのはとても苦手。
里見先輩の話だと、ほかの科目とは異なり、授業とテストが五分五分で評価されるらしい。
全国模試もピンチだったけれど、これはテストが……というよりは普段の授業がネックな科目。
それが土曜日の一限のテスト科目だった。
浮かない気持ちで二限の数学を始め、とくだん難しいという印象も抱かず最初から順番に解いていく。
三教科を終わらせテーブルに突っ伏す。
「あら、もう終わったの?」
湊先生に声をかけられて、「はい」と答える。
それを昨日と同じように茶封筒に入れ、デスクの引き出しにしまった。
私の携帯は先生のデスクの上。
先生はふと思いついたかのように時計に目をやり、
「あんた、テスト捨ててないわよね?」
真顔で訊かれたけれど、
「捨てるなら最初から来てません……体力温存」
「それもそうね……。じゃ、点滴するからベッドに行ってなさい」
と、奥のベッドへ移動し横になる。
今日も変わらず天井が白い。あ、誰かが椅子を引き摺った……。
そんなことくらいしか音から得られる情報はない。
白い天井も微妙に柄があるから病院の天井やマンションの天井、それから自宅の天井を見間違えることはない。
でも、ぼーっとしているときに見ると、保健室と病院の天井は見分けがつきづらくて少し困る。
視線を少しずらせば窓の外に紫陽花が見えた。
この時期になってぐんぐんと葉を茂らせた紫陽花は、蕾はあるものの、まだ何色になるのかはわからない。
蕾はほんのりと青味がかったアイボリー。
「先生、この紫陽花は何色……?」
点滴の針を入れ終わった先生が顔を上げ、
「ブルーだと思ったわ」
そのあと、紙テープで念入りに針とラインを固定された。
「ブルー……」
ならば土質は酸性なのだろう。
土質がアルカリに傾くほど、紫陽花の色は赤味が増して紫になるのだ。
きっときれいに、誇らしげに咲くのだろう。
いくつもの花弁が一致団結して球体に近い半円を作り出す花。
まるで花嫁さんが持つウェディングブーケを小さくした感じがして、私は紫陽花というお花が大好きだった。
小さい子どもに持たせるとひとつだけでブーケを持っているように見える。
ひとつでたくさん得した感じ。
「何?」
「紫陽花のお花ってウェディングブーケみたいですよね」
「あぁ、ラウンドブーケに見えなくもないわね」
「色付く前のちょっとアイボリーの状態が、なんだかとてもウェディングカラーっぽくて好きなんです」
「へぇ、面白い発想ね。色が付く前、確かにほんのりと色づく感じがきれいよね」
湊先生は何か思いついたように私の名前を呼んだ。
「ヨーロッパのジンクス知ってる?」
ヨーロッパのジンクス……。
「あ、ウェディングで青いもの! サムシングフォーですか?」
「さすが翠葉ね。サムシングブルーの青は、きっと紫陽花のブルーみたいに優しい色だと思うわ」
そう言って窓に近づくと、
「外、かなり蒸してると思うけど、少し窓開ける?」
「でも、先生暑いの嫌いなんじゃ……」
「嫌いよ。だから、少しだけ。短時間」
「ありがとうございます」
先生は窓を開けると五分ほどそのままにしてくれた。
部屋の換気と称して窓を開け、廊下に出るドアも廊下の窓も開け放し風を通してくれた。
外から入ってきた空気は確かに少し生ぬるく、湿ったそれはお世辞にも気持ちのいいものではない。
でも、夏の入り口っぽい緑の濃い匂いがする。
そんな匂いに梅雨だな、と思った。
肌にまとわりつく湿気は気持ち悪い。生ぬるい空気も独特な感じがする。
でも、緑の匂いが濃厚で、自然だな……と思う。
ちゃんと七月。
毎年毎年訪れて過ぎ去っていく。
季節は巡る。
具合の悪い時期は必ず去る。
だから、今は耐えよう――
今は七月頭だからあと半月ちょっと……。
そんなふうに時が過ぎるのをただ、待つ。
痛みに耐えながら、祈りながら――
祈るというのなら、さっきのお話――サムシングフォー。
ヨーロッパのウェディングジンクス。
ひとつめはサムシングオールド。
先祖から伝わる何か古いものを結婚式で身につけるというもの。
だいたいの人がお母さんかおばあちゃんから譲り受けるジュエリーを身につけるという。
ふたつめはサムシングニュー。
新しい生活が幸せなものとなりますように、と願いをこめて何か新しいものを身につける。
それはドレスでもグローブでもいいのだとか。
三つ目はサムシングボロウ。
幸せな結婚生活をしている人から幸せをわけてもらい、その幸せにあやかるために何かを借りるというもの。
そして最後にサムシングブルー。
「青い鳥」に代表されるように青は幸せを呼ぶ色、忠実と信頼を象徴する色と言われている。
ヨーロッパでは聖母マリアのシンボルカラーとしても知られているそう。
花嫁の純潔や貞操、清らかさを現すことから、サムシングブルーは人目につかないように身につけるのがいいとされている。
だから、ブーケなどで持つものではないけれど、紫陽花のブルーは幸せのブルーだと思う。
ぼーっと外を見ているうちに眠りに落ちた私を起こしたのは唯兄だった。
「リィ、帰ろ?」
間近で見る唯兄の髪の毛に陽の光が当たってキラキラした。
色素薄い……。睫、長い……。
「……うん」
「湊さーん、点滴終わったー」
と、カーテン越しに湊先生に声をかける。
湊先生が入ってくると、
「よく寝てたわね」
「はい……。夢も見ずにぐっすり眠れた気がします」
いつもなら何本立てか立て続けに夢を見るのに、今日はそれがなかった気がする。
「夢ってそんなによく見るもん?」
唯兄に訊かれて不思議に思う。
「眠れば少なくても一話は……」
「……一話? 見るときは何? 何本立てっ!?」
びっくりしたように訊かれたので、困惑しながら答える。
「四話とか五話とか……?」
「マジっ!?」
目を瞠ったのは唯兄だけではなかった。
湊先生も動作を止めて私を凝視していた。
「え……おかしい、ですか?」
「……あんた、それ、内容覚えてたりしないわよね?」
苦笑を湊先生に返された。
「えと……基本的には覚えています。でも、あまりにも脈絡のない夢が多くて変な話ですけど……」
「……寝た気しなさそう」
と、ムンクの叫びの真似したのは唯兄で、先生は短く「若槻に同感」と口にしてカーテンを出ていった。
それは英語のオーラルコミュニケーション。
試験自体はリスニングが中心となり、それに対する答えを書いていけばいいだけ。
この科目の盲点はそこではない。授業にある。
オーラルコミュニケーションとは、コミュニケーションを重視するために、授業での発言や会話に重点が置かれているのだ。
手を上げて発言したり、率先して話しに混ざるというのはとても苦手。
里見先輩の話だと、ほかの科目とは異なり、授業とテストが五分五分で評価されるらしい。
全国模試もピンチだったけれど、これはテストが……というよりは普段の授業がネックな科目。
それが土曜日の一限のテスト科目だった。
浮かない気持ちで二限の数学を始め、とくだん難しいという印象も抱かず最初から順番に解いていく。
三教科を終わらせテーブルに突っ伏す。
「あら、もう終わったの?」
湊先生に声をかけられて、「はい」と答える。
それを昨日と同じように茶封筒に入れ、デスクの引き出しにしまった。
私の携帯は先生のデスクの上。
先生はふと思いついたかのように時計に目をやり、
「あんた、テスト捨ててないわよね?」
真顔で訊かれたけれど、
「捨てるなら最初から来てません……体力温存」
「それもそうね……。じゃ、点滴するからベッドに行ってなさい」
と、奥のベッドへ移動し横になる。
今日も変わらず天井が白い。あ、誰かが椅子を引き摺った……。
そんなことくらいしか音から得られる情報はない。
白い天井も微妙に柄があるから病院の天井やマンションの天井、それから自宅の天井を見間違えることはない。
でも、ぼーっとしているときに見ると、保健室と病院の天井は見分けがつきづらくて少し困る。
視線を少しずらせば窓の外に紫陽花が見えた。
この時期になってぐんぐんと葉を茂らせた紫陽花は、蕾はあるものの、まだ何色になるのかはわからない。
蕾はほんのりと青味がかったアイボリー。
「先生、この紫陽花は何色……?」
点滴の針を入れ終わった先生が顔を上げ、
「ブルーだと思ったわ」
そのあと、紙テープで念入りに針とラインを固定された。
「ブルー……」
ならば土質は酸性なのだろう。
土質がアルカリに傾くほど、紫陽花の色は赤味が増して紫になるのだ。
きっときれいに、誇らしげに咲くのだろう。
いくつもの花弁が一致団結して球体に近い半円を作り出す花。
まるで花嫁さんが持つウェディングブーケを小さくした感じがして、私は紫陽花というお花が大好きだった。
小さい子どもに持たせるとひとつだけでブーケを持っているように見える。
ひとつでたくさん得した感じ。
「何?」
「紫陽花のお花ってウェディングブーケみたいですよね」
「あぁ、ラウンドブーケに見えなくもないわね」
「色付く前のちょっとアイボリーの状態が、なんだかとてもウェディングカラーっぽくて好きなんです」
「へぇ、面白い発想ね。色が付く前、確かにほんのりと色づく感じがきれいよね」
湊先生は何か思いついたように私の名前を呼んだ。
「ヨーロッパのジンクス知ってる?」
ヨーロッパのジンクス……。
「あ、ウェディングで青いもの! サムシングフォーですか?」
「さすが翠葉ね。サムシングブルーの青は、きっと紫陽花のブルーみたいに優しい色だと思うわ」
そう言って窓に近づくと、
「外、かなり蒸してると思うけど、少し窓開ける?」
「でも、先生暑いの嫌いなんじゃ……」
「嫌いよ。だから、少しだけ。短時間」
「ありがとうございます」
先生は窓を開けると五分ほどそのままにしてくれた。
部屋の換気と称して窓を開け、廊下に出るドアも廊下の窓も開け放し風を通してくれた。
外から入ってきた空気は確かに少し生ぬるく、湿ったそれはお世辞にも気持ちのいいものではない。
でも、夏の入り口っぽい緑の濃い匂いがする。
そんな匂いに梅雨だな、と思った。
肌にまとわりつく湿気は気持ち悪い。生ぬるい空気も独特な感じがする。
でも、緑の匂いが濃厚で、自然だな……と思う。
ちゃんと七月。
毎年毎年訪れて過ぎ去っていく。
季節は巡る。
具合の悪い時期は必ず去る。
だから、今は耐えよう――
今は七月頭だからあと半月ちょっと……。
そんなふうに時が過ぎるのをただ、待つ。
痛みに耐えながら、祈りながら――
祈るというのなら、さっきのお話――サムシングフォー。
ヨーロッパのウェディングジンクス。
ひとつめはサムシングオールド。
先祖から伝わる何か古いものを結婚式で身につけるというもの。
だいたいの人がお母さんかおばあちゃんから譲り受けるジュエリーを身につけるという。
ふたつめはサムシングニュー。
新しい生活が幸せなものとなりますように、と願いをこめて何か新しいものを身につける。
それはドレスでもグローブでもいいのだとか。
三つ目はサムシングボロウ。
幸せな結婚生活をしている人から幸せをわけてもらい、その幸せにあやかるために何かを借りるというもの。
そして最後にサムシングブルー。
「青い鳥」に代表されるように青は幸せを呼ぶ色、忠実と信頼を象徴する色と言われている。
ヨーロッパでは聖母マリアのシンボルカラーとしても知られているそう。
花嫁の純潔や貞操、清らかさを現すことから、サムシングブルーは人目につかないように身につけるのがいいとされている。
だから、ブーケなどで持つものではないけれど、紫陽花のブルーは幸せのブルーだと思う。
ぼーっと外を見ているうちに眠りに落ちた私を起こしたのは唯兄だった。
「リィ、帰ろ?」
間近で見る唯兄の髪の毛に陽の光が当たってキラキラした。
色素薄い……。睫、長い……。
「……うん」
「湊さーん、点滴終わったー」
と、カーテン越しに湊先生に声をかける。
湊先生が入ってくると、
「よく寝てたわね」
「はい……。夢も見ずにぐっすり眠れた気がします」
いつもなら何本立てか立て続けに夢を見るのに、今日はそれがなかった気がする。
「夢ってそんなによく見るもん?」
唯兄に訊かれて不思議に思う。
「眠れば少なくても一話は……」
「……一話? 見るときは何? 何本立てっ!?」
びっくりしたように訊かれたので、困惑しながら答える。
「四話とか五話とか……?」
「マジっ!?」
目を瞠ったのは唯兄だけではなかった。
湊先生も動作を止めて私を凝視していた。
「え……おかしい、ですか?」
「……あんた、それ、内容覚えてたりしないわよね?」
苦笑を湊先生に返された。
「えと……基本的には覚えています。でも、あまりにも脈絡のない夢が多くて変な話ですけど……」
「……寝た気しなさそう」
と、ムンクの叫びの真似したのは唯兄で、先生は短く「若槻に同感」と口にしてカーテンを出ていった。
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