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11~14 Side 桃華 04話
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時計を見るとすでに五時半を回っていた。
翠葉が嬉しそうに笑っているものだからついつい長居しすぎたようだ。
まだ話し足りないけれど、そろそろ声をかけたほうがいいだろう。
ベッドの上で身体を起こしているとはいえ、もう二時間はその状態。
学校に出てこられるようになったとしても、一時間出たら一時間は保健室、というのだから、今もそういう過ごし方をしているのかもしれない。
少し疲れた顔をし始めているのは気のせいではないはず……。
話が一段落したところで、
「そろそろお暇するわ」
声をかけた途端、翠葉の顔から笑顔が消えた。
「身体、やっと起こせるようになったんでしょう? 長居して疲れさせたんじゃお見舞いに来た意味ないじゃない」
心が少しチクチクする。
そんなしゅんとした顔しないでよ……。
「名残惜しいけどっ、でも早く学校に出てきてほしいしね」
飛鳥が翠葉の手を取ると、少し表情が和らいだ。
翠葉、みんな同じよ……。時間が許すなら、翠葉の身体が許すならまだ残っていたい。でも、まだ無理ができる状態ではないのでしょう?
「何かあったら悩んでないで連絡してこいよ」
佐野が声をかけると、和らいだ表情の中に安堵が見えた。
「俺、今日はこっちに泊りだからまだいるし」
海斗の言葉には嬉しそうな顔を見せる。
「なんだか嬉しいわね?」
私の言葉に不思議そうな顔をするのは翠葉のみ。
今日は翠葉の喜怒哀楽がきちんと見られた気がした。
「うんうん、これは後ろ髪引かれそうになるな」
佐野が感慨深げに口にする。
「この顔が見られればメールの件も許せちゃうよね?」
飛鳥は満面の笑み。それなのに、翠葉は相変わらずポカンとした顔をしている。
「すっごく寂しそうな顔してくれたじゃない」
言うと、「あ」という顔をした。
本当に無意識なのだろう。
すごく表情が豊かなのに、時として作られた笑顔以外を見せない。けれど、翠葉の中で何かが変わり始めている。
そう感じているのは私だけではないはず。きっと、このメンバーなら気づいている。
「また欠席が続いたら、そのときこそ遠慮せずにメールしてこいよ」
佐野に言われて翠葉は頷いた。そして、一度口を開けたけど、何を言うでもなく口を閉ざした。
今、何を言おうとしたのだろう……。
そんなことを気にしていると、
「あ、ちょっと待って?」
翠葉は慌しくサイドテーブルに置いてあった携帯に手を伸ばした。携帯を耳に当てると、
「蒼兄? みんなが帰るって言うんだけど……」
それだけ話して携帯を切る。
……もしかして、今日蒼樹さんここにいらしたの?
いつもなら来た時点で挨拶に出てくるため、いないものだと思っていた。
鼓動が速まった胸を押さえていると、ドアをノックする音がして、すぐにドアが開かれた。
「久しぶりです」
ポーカーフェイスを貼り付け必死に繰り出した一声。
声は震えなかったし、自然な笑顔だって添えられたはず。
「久しぶり」
低すぎず高すぎずの落ち着いた声。メガネの向こうには優しい目。
蒼樹さんは飛鳥に視線を移し、「立花さんもね」と声をかけた。
佐野は……? と思ったものの、朝練で指導してもらうことがあると言っていたから、私たちよりは頻繁に会っているのかもしれない。そして、海斗はこのマンションで会うことがあるのだろう。
それにしても、何度か私服姿を見ているけれど、この人は黒っぽい洋服をあまり着ない。
考えてみれば翠葉もそうかしら……?
今日の蒼樹さんは白いコットンのシャツにジーパン。シャツの中にはちらっと茶色のインナーが見える。
蒼樹さんはTシャツよりも普通のシャツを着ていることのほうが多い気がする。
スーツ姿はさぞ格好いいだろう。和服も似合うかもしれない。
そんなことを考えていると、着々と翠葉と蒼樹さんの間では会話が進められていた。
私は周りにつられるようにして立ち上がる。
「もう帰るんだって?」
「はい。これ以上遅くなっても翠葉を疲れさせるだけですから」
「じゃ、三人とも送っていくよ」
その申し出に少し動揺したけれど、ひとつふたつと考えが頭に浮かぶ。
そんな中、佐野が断わりを入れた。
「いや、俺、バスの中で勉強するって決めてるんで」
意味がわからず佐野を見る。
「俺が駅まで送ったらその分早く帰れないか?」
「いや、家に帰ったらもう寝たいので……。だから、バスの中だけは勉強しようって決めてるんです。たかだか二十分くらいなものなんですけどね」
佐野は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
佐野は佐野で人の見えないところで努力しているのね……。
「わかった。じゃ、バス停まで乗せていくよ」
蒼樹さんが言いなおした案には佐野も頷いた。
「でも、女の子ふたりは家まで送るの強制ね? 夏は変な人が出る率も高いから」
飛鳥と私は笑顔でお礼を言う。
蒼樹さんは翠葉に視線を移し、
「翠葉、ちょっと行ってくるな」
「うん」
蒼樹さんは翠葉にとても優しい笑顔を向けた。
この人がこういう笑顔を向けるのは翠葉にだけ、なのよね……。
本当は翠葉のことが好きだったりするんじゃないだろうか、と不安に思ったりする。
そんなことを考えると心が沈む。まるで錘でも食べたかのように……。
「シスコンっ」
元気のいい海斗の声がすると同時、蒼樹さんは腰の辺りを軽く一突きされていた。
「……さすが先輩の弟」
なんて口にすれば、皆が笑いだす。
蒼樹さんが先に部屋を出て、私たちはそれぞれ翠葉に声をかけて部屋を出た。
エレベーターに乗り込むなり、蒼樹さんの顔を見てしまう。
……憂い顔?
もしかしたら翠葉のことを考えているのかもしれない。
「そんな顔をしているときは、たいてい翠葉のこと考えていますよね?」
声をかけると、蒼樹さんは目を見開いて驚いた顔をした。
「あはは、俺、どんな顔してたのかな」
否定はしない返答。
この人の世界は翠葉を中心に回っているのかもしれない。
「……そうですねぇ。娘を嫁に出す父親?」
そんなふうに答えたのは飛鳥だった。
「あ、そんな感じっすね」
と、佐野。
「ねぇ、君たち……。俺二十四になったばかりなんだけど、何歳で子ども作れば十七歳の娘ができるんだよ」
こういうところは翠葉とそっくり。私はクスクスと笑いながら、
「やだ、蒼樹さん。まともに取らないでくださいよ」
翠葉もそうだけど、蒼樹さんも言われたことを真に受けるタイプなのだろう。
駐車場に着くと、私は佐野にこっそり耳打ちをした。
ふたりにしか聞こえない声で、
「後ろに乗りなさい。先に飛鳥を送ってもらうから。そしたら飛鳥の隣だし、飛鳥の家もわかるでしょう? 私は道案内で蒼樹さんと話すから、佐野は飛鳥と話せばいいわ」
ちょっと意地悪く笑ってみせる。
だって、今日の相談内容は佐野にとっては結構酷なものだったと思うもの。このくらいの褒美があってしかるべきだと思うわ。
佐野はびっくりしたような顔をしたけれど、ただ一度、コクリと頷いて見せた。
助手席に乗り込み、
「蒼樹さん、まずは飛鳥の家からでいいですか?」
「バス停のほうが近くない?」
「えぇ、近いですね。でも、いいんです」
にこりと笑みを添えて答える。
後部座席におさまった飛鳥も、「なんで?」という顔をしていた。
「飛鳥、今日は家庭教師の日でしょう? 早く帰らないとおば様に怒られるわよ? 宿題終わっているの?」
「いっけなーいっ! 忘れてたっ」
「じゃ、佐野くんは後回しでもいい?」
蒼樹さんが佐野に確認を取ると、
「かまいません」
佐野は少し小さな声で答えた。
よし、これで目論みひとつは達成、と……。
あとは自分のこと。次の日曜日のお見合いの件だ――
蒼樹さんは……この人は私の隣に並んでくれるだろうか。
道の案内をしつつ、メガネの脇から見える素顔を覗き見る。
どうやって切り出そう……。どうやって話そう……。
飛鳥と佐野さえ下ろせばふたりきりになれる。そのときに思い切って話すしかない。
桃華、しっかりしなさい――
お見合いなんて形で相手を決められたくないのなら、自分でどうにかするしかないじゃない。
隣に並んでくれる人が誰でもいいわけじゃない。
ちゃんと――ちゃんと自分の選んだ人、好きな人と並びたい……。
翠葉が嬉しそうに笑っているものだからついつい長居しすぎたようだ。
まだ話し足りないけれど、そろそろ声をかけたほうがいいだろう。
ベッドの上で身体を起こしているとはいえ、もう二時間はその状態。
学校に出てこられるようになったとしても、一時間出たら一時間は保健室、というのだから、今もそういう過ごし方をしているのかもしれない。
少し疲れた顔をし始めているのは気のせいではないはず……。
話が一段落したところで、
「そろそろお暇するわ」
声をかけた途端、翠葉の顔から笑顔が消えた。
「身体、やっと起こせるようになったんでしょう? 長居して疲れさせたんじゃお見舞いに来た意味ないじゃない」
心が少しチクチクする。
そんなしゅんとした顔しないでよ……。
「名残惜しいけどっ、でも早く学校に出てきてほしいしね」
飛鳥が翠葉の手を取ると、少し表情が和らいだ。
翠葉、みんな同じよ……。時間が許すなら、翠葉の身体が許すならまだ残っていたい。でも、まだ無理ができる状態ではないのでしょう?
「何かあったら悩んでないで連絡してこいよ」
佐野が声をかけると、和らいだ表情の中に安堵が見えた。
「俺、今日はこっちに泊りだからまだいるし」
海斗の言葉には嬉しそうな顔を見せる。
「なんだか嬉しいわね?」
私の言葉に不思議そうな顔をするのは翠葉のみ。
今日は翠葉の喜怒哀楽がきちんと見られた気がした。
「うんうん、これは後ろ髪引かれそうになるな」
佐野が感慨深げに口にする。
「この顔が見られればメールの件も許せちゃうよね?」
飛鳥は満面の笑み。それなのに、翠葉は相変わらずポカンとした顔をしている。
「すっごく寂しそうな顔してくれたじゃない」
言うと、「あ」という顔をした。
本当に無意識なのだろう。
すごく表情が豊かなのに、時として作られた笑顔以外を見せない。けれど、翠葉の中で何かが変わり始めている。
そう感じているのは私だけではないはず。きっと、このメンバーなら気づいている。
「また欠席が続いたら、そのときこそ遠慮せずにメールしてこいよ」
佐野に言われて翠葉は頷いた。そして、一度口を開けたけど、何を言うでもなく口を閉ざした。
今、何を言おうとしたのだろう……。
そんなことを気にしていると、
「あ、ちょっと待って?」
翠葉は慌しくサイドテーブルに置いてあった携帯に手を伸ばした。携帯を耳に当てると、
「蒼兄? みんなが帰るって言うんだけど……」
それだけ話して携帯を切る。
……もしかして、今日蒼樹さんここにいらしたの?
いつもなら来た時点で挨拶に出てくるため、いないものだと思っていた。
鼓動が速まった胸を押さえていると、ドアをノックする音がして、すぐにドアが開かれた。
「久しぶりです」
ポーカーフェイスを貼り付け必死に繰り出した一声。
声は震えなかったし、自然な笑顔だって添えられたはず。
「久しぶり」
低すぎず高すぎずの落ち着いた声。メガネの向こうには優しい目。
蒼樹さんは飛鳥に視線を移し、「立花さんもね」と声をかけた。
佐野は……? と思ったものの、朝練で指導してもらうことがあると言っていたから、私たちよりは頻繁に会っているのかもしれない。そして、海斗はこのマンションで会うことがあるのだろう。
それにしても、何度か私服姿を見ているけれど、この人は黒っぽい洋服をあまり着ない。
考えてみれば翠葉もそうかしら……?
今日の蒼樹さんは白いコットンのシャツにジーパン。シャツの中にはちらっと茶色のインナーが見える。
蒼樹さんはTシャツよりも普通のシャツを着ていることのほうが多い気がする。
スーツ姿はさぞ格好いいだろう。和服も似合うかもしれない。
そんなことを考えていると、着々と翠葉と蒼樹さんの間では会話が進められていた。
私は周りにつられるようにして立ち上がる。
「もう帰るんだって?」
「はい。これ以上遅くなっても翠葉を疲れさせるだけですから」
「じゃ、三人とも送っていくよ」
その申し出に少し動揺したけれど、ひとつふたつと考えが頭に浮かぶ。
そんな中、佐野が断わりを入れた。
「いや、俺、バスの中で勉強するって決めてるんで」
意味がわからず佐野を見る。
「俺が駅まで送ったらその分早く帰れないか?」
「いや、家に帰ったらもう寝たいので……。だから、バスの中だけは勉強しようって決めてるんです。たかだか二十分くらいなものなんですけどね」
佐野は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
佐野は佐野で人の見えないところで努力しているのね……。
「わかった。じゃ、バス停まで乗せていくよ」
蒼樹さんが言いなおした案には佐野も頷いた。
「でも、女の子ふたりは家まで送るの強制ね? 夏は変な人が出る率も高いから」
飛鳥と私は笑顔でお礼を言う。
蒼樹さんは翠葉に視線を移し、
「翠葉、ちょっと行ってくるな」
「うん」
蒼樹さんは翠葉にとても優しい笑顔を向けた。
この人がこういう笑顔を向けるのは翠葉にだけ、なのよね……。
本当は翠葉のことが好きだったりするんじゃないだろうか、と不安に思ったりする。
そんなことを考えると心が沈む。まるで錘でも食べたかのように……。
「シスコンっ」
元気のいい海斗の声がすると同時、蒼樹さんは腰の辺りを軽く一突きされていた。
「……さすが先輩の弟」
なんて口にすれば、皆が笑いだす。
蒼樹さんが先に部屋を出て、私たちはそれぞれ翠葉に声をかけて部屋を出た。
エレベーターに乗り込むなり、蒼樹さんの顔を見てしまう。
……憂い顔?
もしかしたら翠葉のことを考えているのかもしれない。
「そんな顔をしているときは、たいてい翠葉のこと考えていますよね?」
声をかけると、蒼樹さんは目を見開いて驚いた顔をした。
「あはは、俺、どんな顔してたのかな」
否定はしない返答。
この人の世界は翠葉を中心に回っているのかもしれない。
「……そうですねぇ。娘を嫁に出す父親?」
そんなふうに答えたのは飛鳥だった。
「あ、そんな感じっすね」
と、佐野。
「ねぇ、君たち……。俺二十四になったばかりなんだけど、何歳で子ども作れば十七歳の娘ができるんだよ」
こういうところは翠葉とそっくり。私はクスクスと笑いながら、
「やだ、蒼樹さん。まともに取らないでくださいよ」
翠葉もそうだけど、蒼樹さんも言われたことを真に受けるタイプなのだろう。
駐車場に着くと、私は佐野にこっそり耳打ちをした。
ふたりにしか聞こえない声で、
「後ろに乗りなさい。先に飛鳥を送ってもらうから。そしたら飛鳥の隣だし、飛鳥の家もわかるでしょう? 私は道案内で蒼樹さんと話すから、佐野は飛鳥と話せばいいわ」
ちょっと意地悪く笑ってみせる。
だって、今日の相談内容は佐野にとっては結構酷なものだったと思うもの。このくらいの褒美があってしかるべきだと思うわ。
佐野はびっくりしたような顔をしたけれど、ただ一度、コクリと頷いて見せた。
助手席に乗り込み、
「蒼樹さん、まずは飛鳥の家からでいいですか?」
「バス停のほうが近くない?」
「えぇ、近いですね。でも、いいんです」
にこりと笑みを添えて答える。
後部座席におさまった飛鳥も、「なんで?」という顔をしていた。
「飛鳥、今日は家庭教師の日でしょう? 早く帰らないとおば様に怒られるわよ? 宿題終わっているの?」
「いっけなーいっ! 忘れてたっ」
「じゃ、佐野くんは後回しでもいい?」
蒼樹さんが佐野に確認を取ると、
「かまいません」
佐野は少し小さな声で答えた。
よし、これで目論みひとつは達成、と……。
あとは自分のこと。次の日曜日のお見合いの件だ――
蒼樹さんは……この人は私の隣に並んでくれるだろうか。
道の案内をしつつ、メガネの脇から見える素顔を覗き見る。
どうやって切り出そう……。どうやって話そう……。
飛鳥と佐野さえ下ろせばふたりきりになれる。そのときに思い切って話すしかない。
桃華、しっかりしなさい――
お見合いなんて形で相手を決められたくないのなら、自分でどうにかするしかないじゃない。
隣に並んでくれる人が誰でもいいわけじゃない。
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