光のもとで1

葉野りるは

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10 Side 司 04話

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 午後になり病院へと戻る。
 病院へ入る際には一度携帯の電源を落とし、十階に着くと再度電源を入れる。
 藤宮病院の十階は藤宮の親族以外が使うことはそうそうない。
 全部で五部屋あり、そのほかにはカンファレンスルームや警備員待機室、ナースセンター、手術室と処置室があるのみ。
 この五つの部屋のうち特別なのは会長専用室と祖母が使っていた病室の二部屋。
 内装はさして変わらないものの、調度品が数段良いものを設えられている。
 五つの病室では医療器材に悪影響がなければインターネットも携帯の使用も認められているのだ。
 そして今、秋兄は会長専用室と呼ばれる一番広い部屋を使っている。
 ドアをノックして中に入ると、父さんと姉さん、兄さんも揃っていた。
 ベッドの上には相変わらず不機嫌そうな顔をした秋兄。
 少々疲れて見えるのは気のせいではないだろう。
 手元の電源を入れると、直後に携帯が鳴り出した。
 ディスプレイを見るも、名前が表示されない。が、この番号のつづりには覚えがあった。
 柏木高志――早くもコンタクトを取ってきたか。しかも、父さんにではなくこの俺に。
 親子揃って確約破りね……。
 幸い目の前には父さんがいるし、証人になりそうな人間も揃っている。
 瞬時にそれを考えスピーカーの状態にして電話に出た。
「はい」
『やぁ、久しぶりだねぇ』
 まずは名乗れよ……。
「どちら様でしょうか。こちらのディスプレイには名前が表示されていないのですが」
『おぉ、すまないね! 柏木製薬の柏木だよ。今日は娘がお世話になったようだね』
 下卑た笑いを含んだ声で話す。
 すごく耳障りだ……。
 この時点で父さんの顔が一瞬険しいものとなり、スピーカーホンにした意味を察したのか、片方の口角だけを上げる。
 ……すぐにこの携帯は父さんに渡すから、存分に楽しんでいいよ。
 電話の相手はというと、娘と変わらないことを延々と話し続ける。
 つまり、夏休みからではなく、今度の期末考査から勉強を見てもらえないか、と。
 親を通さずに直談判なんて何を考えているのか……。
 さて、父さんに渡す前に言質だけは取っておくべきだろう。
「おかけ間違いではありませんか?」
 その時点で父さんに視線を投げると、「面白い」とでも言うような顔をした。
『かけ間違いなんてしませんよ。こちらにはきちんと藤宮司、と登録してある番号へかけたのだから』
 バカが――
「えぇ、おかけ間違いではなかったようですね」
 そこまで答えてから父さんに携帯を渡すと、兄さんがボールペンを父さんに渡した。
 父さんはボールペンの芯を出す仕草をすると話し始めた。
「お久しぶりです、柏木さん。不肖の息子の携帯へお電話とは何用でしたか?」
 父さんはクローゼットに身体を預け、嬉々として話し始める。
『ふっ、藤宮さんっ!?』
「えぇ、司の父の藤宮涼です。確か、先日の決めごとの中に、何か変更事項がある場合は親同士で話し合ったのち、親が子どもへ変更を連絡するということになっていたかと思うのですが……。本日はどのようなご用件で司にご連絡を? 今の話を聞いている限りでは、おかけ間違いではないと、そうおっしゃられていたようですが……」
 父さんの周りにはどす黒い空気が漂っている。
 それを楽しそうに見ている兄さんと姉さん。
 秋兄は話が呑み込めない状況らしく、不思議そうな顔でその話を聞いていた。
『あー……そのだな』
「なんでしょう?」
 もうすでに、俺に「期末考査からでもかまわないだろう?」などと話したあとだ。
 すぐに謝るかもしくは開き直るかのどちらか――
『もとはといえばっ、お宅の長男がうちの娘に恥をかかせたせいでこうなっていることは覚えているんだろうなっ!?』
 呆れた。この男開き直ったか……。
 だいたいにして、兄さんがそういう態度をとったのはあんたの娘が非常識な行動をとっていたからだということを認知していなさすぎじゃないか?
 それをさも楽しそうに応対するのが父さんだ。
「その件と本日のこの電話と、何か関係がございましたでしょうか?」
『んっ、それはだなっ――』
「柏木さん、御社にとってうちが一病院でしかないように、うちの病院にとっても御社は一製薬会社でしかないのですよ。今回はお互いが事を荒立てないためにと取った処置かとこちらは思っていたのですが、そうでないとすると、夏休みに息子の貴重な時間を割く必要性がなくなります。いかがなさいますか? うちはどちらでもかまいませんが。それと、本日は何用で当院へいらしていたのでしょう。できれば詳しくお話をうかがいしたいのですが」
 なんだ……俺が知らせるまでもなかったのか。
 でも、その時間父さんは手術室にいたわけで……。
「なんでも医局長にご用だったとか?」
 と、父さんは獲物を追い詰めるかの如く話を進めていく。
「なぜ医局長に朝早く、しかも、わざわざ病院の医局が稼動していない日曜にお会いにいらしたのかのご説明をいただけると大変ありがたいのですが」
 と、まったく悪気のないよう軽やかな口調で話す。
 医局長ね、それはますますもって怪しいんじゃないか?
「以前お話しましたよね? 医局の管理において、長たる場所に私がいると。何かあれば医局長を通さず私に直接ご連絡をいただけるようご了承いただいたはずです。医局長もそのように覚えていたようで、柏木さんからご連絡があった時点で私にその話は筒抜けです」
『もっ、申し訳ないっ。このようなことは今後一切しないので取引を打ち切ることだけはっっっ』
 大の男、一製薬会社の社長たる人間の、なんとも言えないような必死さが携帯の向こうから伝わってくる。
「えぇ、そうしていただけると大変助かります。あぁ、因みに……今の会話はすべて録音させていただきましたので」
 と、一言断わってから携帯を切った。
 携帯を返されると同時、父さんはボールペンの芯を引っ込めた。
「これ、案外使えるじゃないか」
 と、ボールペンを兄さんに渡す。
「もしかして、それ……俺が大学のときに作ったあれ?」
 秋兄が兄さんに問う。
「そ、ボールペン型レコーダー」
 兄さんがボールペンを回すと、
「へぇ……あんたって本当に無駄に変なものばかり作ってるわよね? 盗聴が必要になりそうな事態にでも陥ったことがあるわけ?」
 姉さんの言葉に秋兄は苦笑した。
「いや、静さんに頼まれて作ったことがあるだけ」
 そんな会話を聞きつつ、
「父さん、今日柏木親子が来てることは知ってたの?」
「あぁ、医局長にコンタクトを取ってきた時点で私には報告が上がっていた。それ以前に、柏木製薬の不正疑惑の噂を静くんからもらっていてね、防犯カメラを少し増やしていたところだ。映像はすべて藤宮警備に転送され保存されている」
「あぁ、そういうこと……」
 静さんの情報は外れがなく、的確な時期に知らされることが多いという噂は本当らしい。
 その静さんと仕事上では同等に渡り合っていると親戚中で注目されているのが現在ベッドの上にいる人間、秋兄だ。
 相変わらず不機嫌そうだ。
「何、まだオムツと尿カテに拘ってるわけ?」
 訊くと、図星だったようで、
「尿カテだってやだし、内視鏡なんて二度とやらないっ」
 と言いだす。
 秋兄何歳だよ……。
「非常に残念なお知らせがある。秋斗は退院前に再度胃カメラコースだ」
 父さんが口を開くと、秋兄はフリーズした。
「あのさ、朝も言ったけど……尿カテにオムツなんて珍しいことじゃないから。秋兄なんて二、三日で取れるんだから我慢しろ。さらにはその内視鏡、翠だって受けてるよ。翠はきっと嫌でも泣き言は漏らさないんじゃない?」
 どうやら最後の一言が効いたらしい。秋兄はむっつりと口を噤んだ。
 秋兄をやり込めたのは初めてかもしれない。
 そんなことを考えていれば、
「司も言うようになったな」
 などと、父さんにまじまじと見られ、ベッドサイドではお腹を抱えて笑ってる人間がふたり……。
 紛れもなく俺の兄と姉。
 秋兄はそのふたりを交互に見て、
「胃カメラぐらいなら我慢する。でも、もう内視鏡手術なんてやだからなっ」
 と、若干涙目になりながら小さく宣言した。
 でも、それって――
「秋兄が不摂生をやめれば八十パーセントは回避できると思うけど?」
 今回の胃潰瘍だって、間違いなく普段の不摂生が八十パーセントを占めていると思う。
 すると、
「司、おまえはいい医者になるかもしれないな」
 と、父さんが楽しそうに笑って病室を出ていった。
 兄さんと姉さんは床にはいつくばって笑っている始末だ。
 そんなに笑うようなことだっただろうか。単なる事実だと思うんだけど……。
「司、おまえしばらく来なくていいからなっ」
 珍しく感情的な秋兄。
 感情的というか……なんだろう?
 あぁ、穴があったら潜りたいって心境かも。
 生態自体がモグラなんだから、あまりそれに付随するようなことはしないでほしいものだ。
 ま、今日の用件は済んだな。
「じゃ、早々に撤退しとく」
 と、病室をあとにした。
 でも、俺以上に厄介な人間はふたり残っているけど。
 今日、秋兄は間違いなく兄さんと姉さんにいじられるのだろう。
 いい気味だ――
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